茶壺(ちやつぼ)(二番目)
▲アト「《上》{*1}都なれや東山、これも又、東の、果てしなの人の心や。あゝ。酔うたり、酔うたり。嫌と云ふものを、大盃で三つ。《笑》これは、いかう酔うた。ちと、こゝに寝て行かう。ゑいゑいゑい。
{と云ひて、連雀に右の手を掛け、左の手の方を抜き、寝る。}
▲シテ「これは、洛中に心の直(すぐ)にない者でござる。この間は、打ち続いて不仕合(ふしあはせ)にござる。今日は、上下(じやうげ)の街道へ参つて、仕合(しあはせ)を致さうと存ずる。誠にこの中(ぢゆう)は、手に取つた様に存ずる事も、思はぬ妨げがあつて、不仕合にござる。
{と云ひて、アトに行き当たる。}
これはいかな事。あれに何者やら、正体もなう伏せつて居る。ちと彼奴(きやつ)にたづさはつて見ようと存ずる。やいやい、若い者。こゝは、街道ぢや。起きて行け、若い者、若い者。むゝ。熟柿臭(じゆくしくさ)やの、熟柿臭やの。したゝか、酒に酔うて居る。その上、見れば何やら、背負うて居る。あれを、この方へ調義致さうと存ずる。やいやい、若い者。こゝは、街道ぢや。起きて行け、若い者。こりあ、若い者。これはいかな事。あれほど酒に酔うて居れども、片連雀は、きつと肩に掛けて居る。何としたものであらうぞ。いや、致しやうがござる。やいやい、若い者。こゝは、街道ぢや。起きて行け、若い者。あゝ。起きて行かいでな。
{と云ひて、片連雀を掛けて、寝るなり。}
▲アト「むゝ。寝た事かな、寝た事かな。これはいかな事。やいやいやい、そこな奴。
▲シテ「むゝ。寝た事かな、寝た事かな。
▲アト「やいやい。これは、身共が物ぢや。
▲シテ「これは、身共がのぢや。
▲二人「出合へ、出合へ。
▲小アト「あゝ、こりやこりや。これは、何事ぢや。
▲アト「これは、私のでござる。
▲小アト「汝等がのであらうけれども、これひと色に、主(ぬし)の二人(ふたり)あらう様がない。理非を聞いて渡さう程に、まづ、身共に預け。
▲アト「それならば、御前(おまへ)に預けまする。必ず、あの横着者にやつて下されな。
▲小アト「心得た。
▲シテ「既に、してやられようとした。
▲小アト「あゝ、こりやこりや。これは、何とする。
▲シテ「これは、私のでござる。
▲小アト「汝がのであらうなれども、これひと色に、主の二人あらう様がない。理非を聞いて渡さう。まづ、身共に預け。
▲シテ「それならば、御前に預けまする。必ず、あの横着者にやつて下されな。
▲小アト「心得た。
{と云ひて、葛桶を正面に直し、}
▲小アト「やいやい。これはまづ、何事を論ずる。
▲アト「まづ、御前はどなたでござる。
▲小アト「所の目代ぢや。
▲アト「目代殿ならば、きつと、御礼を申しませう。
▲小アト「いやいや、礼には及ばぬ。何事ぢや。
▲アト「まづ、あれは葉茶壺でござる。私は、中国の者でござる。頼うだ者が茶好きで、毎年、栂の尾へ茶を詰めにやられまする。当年も、うまうまと茶を詰めさせまして、帰るさに、道に存じた所がござつて、それへ立ち寄りましたれば、したゝか御酒を強ひられまして、こゝを路次とも存ぜず、伏せつて居りましたれば、いつの間にやら、あれ、あの横着者が参つて、私が掛けて居る片連雀に手を入れて、我が物ぢやと申しまする。あの様な横着者は、きつと仰せ付けられて下され。
▲小アト「扨は、汝がのに極まつたか。
▲アト「成程、私のでござる。
▲小アト「まづ、あの者の口を聞かう。
▲アト「お聞きなされませ。
▲小アト「やいやい。これはまづ、何事を論ずる。
▲シテ「まづ、御前はどなたでござる。
▲小アト「所の目代ぢや。
▲シテ「目代殿ならば、きつと、御礼を申しませう。
▲小アト「いやいや、礼には及ばぬ。何事を論ずる。
▲シテ「まづ、あれは葉茶壺でござる。
{これよりしかじか、アトの云ふ通りを真似するなり。少しも違はざるなり。}
▲小アト「扨は、汝がのに極まつたか。
▲シテ「おゝおゝ。私のでござる。
▲小アト「はて。両人ともに、同じやうな事を云ふ。やいやい。まこと、あれが汝のならば、定めて入日記(いりにつき)に、園所(ゑんどころ){*2}を知つて居るであらう。
▲アト「傍で詰めさせましたによつて、良う存じて居ります。あの者は、存じますまい。お尋ねなされませ。
▲小アト「心得た。やいやい。まこと、あれが汝のならば、入日記に、園所を知つて居るか。
▲シテ「おゝおゝ。傍で詰めさせましたによつて、良う存じて居ります。あの者は、存じますまい。まづ、あれから云へ。と仰せられませ。
▲小アト「心得た。さあさあ。まづ、汝から云へ。
▲アト「畏つてござる。
《上》{*3}我が物故に骨を折る、我が物故に骨を折る、心の内ぞ可笑しき。
▲小アト「可笑しき。
▲アト「さ候へばこそ、さ候へばこそ。
おれが主殿(しゆどの)は、中国一の法師にて、日の茶を点(た)てぬ事なし。一族の寄り合ひに、本の茶を点てんと、五十貫の庫裡{*4}を持ち、多くの銭(あし)を使うて、兵庫の津にも着いたり。兵庫を発つて二日(ふつか)に、栂の尾にも着きしかば、峯の坊、谷の坊、ことに名誉しけるは、あかいの坊のほかぜを、十斤ばかり買ひ取り、兵庫を指して下れば、昆陽野(こやの)の宿(しゆく)の遊女が、袖をじつと控へて、今様・朗詠・撓萩(しほりはぎ){*5}を謡うて、抑へて酒を強ひたり。酒に酔ひて寝たるを、日本一の大腑(おほふ){*6}の、あの古博奕打(ふるばくちうち)が来つて、わが物と申すを、判断なしてたび給へ。所の検断殿さま。
▲小アト「一段と出かした。さあさあ、汝も云へ。
▲シテ「とてもの事に、左右小拍子に懸かつて申しませう。
▲小アト「一段と良からう。
{これよりシテ、「我が物」、右より舞ふ。言葉も舞も、変はることなし、同断。}
一段と出かした。やいやい。この度は、存ずる仔細がある程に、両人、連舞(つれまひ)にせい。
▲アト「私は舞ひませうが、あの横着者も舞はうと申しまするか、お尋ねなされませ。
▲小アト「心得た。やいやい。この度は、存ずる仔細がある程に、両人、連舞にせい。
▲シテ「私は舞ひませうが、あの者も舞はうと申しまするか。
▲小アト「成程、あれも舞はうと云ふ。
▲シテ「それならば、私も舞ひませう。
▲小アト「まづ、これへ出よ。
▲シテ「心得ました。
▲小アト「さあさあ。汝も、これへ出よ。
▲アト「畏つてござる。
▲小アト「両人ともに、そつとでも違うたらば、曲事(くせごと)に云ひつける程に、さう心得い。
▲二人「畏つてござる。
▲アト「やい。おのれは見事、舞はうと思ふか。
▲シテ「やい。おのれは見事、舞はうと思ふか。
▲アト「あゝ。おのれは、横着者ぢや。
▲シテ「あゝ。おのれは、横着者ぢや。
▲アト「おのれが横着者ぢや。
{と、互に云ひ合ひ、手を振り上げ論ずる。目代、止めるなり。}
▲小アト「やいやい。両人ともに、論は無益。急いで舞へ。
▲二人「畏つてござる。
{これより、両人連舞あり。「兵庫の津にも」と云ふ所、重ねて云ふ。下にいたり、「とへたる{*7}袖をじつ」と云ふ所、仕様ありて、後の文句、二人一緒に舞ひ、連舞すべて、色々仕様あり。口伝。}
▲小アト「扨、最前から、汝等が舞を見るに、そつとも違うた事がない。総じて昔から、論ずる物は中からとれ。と云ふ程に、これは、身共が取るぞ。
▲アト「それは、私のでござる。
▲小アト「ならぬぞ、ならぬぞ。
▲シテ「それは、身共のでござる。
▲アト「あの横着者。
▲二人「やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云ひて、二人、追ひ込み入るなり。}
校訂者注
1:底本、ここから「はてしなの人の心や」まで、傍点がある。
2:「入日記(いりにつき)」は、商人が日ごとに記す手控え・帳簿。「園所(ゑんどころ)」は、茶園の所在地。
3:底本、ここから「さ候へばこそ、(二字以上の繰り返し記号)」まで、傍点がある(但し底本は、次の一字「お」にも傍点を付す)。
4:「庫裡(くり)」は寺院の台所を指す。ここでは「寺院のお金」というほどの意か。
5:「今様・朗詠」はともに歌謡の一形式。「撓萩(しほりはぎ)」は歌謡の一曲名。
6:「大腑(おほふ)」は、度胸・大胆の意。転じて、悪漢・極悪非道の者。
7:「下にいたりとへたる」は、意が取り難い。或いは乱れがあるか。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
茶壺(チヤツボ)(二番目)
▲アト「《上》都なれや東山。是も又東の、はてしなの人の心や、あゝ酔たり酔たり、いやといふ者を大盃で三つ、《笑》{*1}、是はいかう酔うた、ちと此処に寝て行かう、ゑいゑいゑい{と云ひて連雀に{*2}右の手を掛け左の手の方をぬき寝る}▲シテ「是は洛中に心のすぐにない者で御座る、此間は打続いて不仕合に御座る、今日は上下の街道{*3}へ参つて仕合せを致さうと存ずる、誠に此中は手に取つた様に存ずる事も、思はぬ妨があつて不仕合に御座る{と云ひてアトに行きあたる}{*4}是は如何な事あれに何者やら正体もなう伏せつて居るちと彼奴にたづさはつて{*5}見やうと存ずる、やいやい若い者、爰は街道{*6}ぢや起きて行け、若い者若い者、むゝ熟柿臭やの熟柿臭やの、したゝか{*7}酒に酔うて居る、其上見れば何やら背負うて居る、あれを此方へちやうぎ致さうと存ずる、やいやい若い者、爰は街道{*8}ぢや、起きて行け、若い者、こりあ若い者是は如何な事、あれほど酒に酔うて居れども、片連雀は屹度肩に掛けて居る、何とした物であらうぞ、いや致しやうが御座る、やいやい若い者、爰は街道{*9}ぢや、起きて行け、若い者、あゝ起きて行かいでな{と云ひて片連雀を掛けて寝る也}▲アト「むゝ寝た事かな寝た事かな、是は如何な事、やいやいやいそこな奴▲シテ「むゝ寝た事かな寝た事かな▲アト「やいやい是は身共が物ぢや▲シテ「是は身共がのぢや▲二人「出合出合▲小アト「あゝこりやこりや是は何事ぢや▲アト「是は私ので御座る▲小アト「汝等がのであらうけれども、是れ一と色にぬしのふたりあらう様がない、理非を聞いて渡さう程に先づ身共に預け▲アト「それならばお前に預けまする、必ずあの横着者にやつて下されな▲小アト「心得た▲シテ「既にしてやられやうとした▲小アト「あゝこりやこりや是は何とする▲シテ「是は私ので御座る▲小アト「汝がのであらうなれども、是れ一色にぬしの二人あらう様がない、理非を聞いて渡さう、先づ身どもに預け▲シテ「それならばお前に預けまする、必ずあの横着者にやつて下されな▲小アト「心得た{と云ひて葛桶を正面に直し}▲小アト「やいやい是は先づ何事を論ずる▲アト「先お前はどなた{*10}で御座る▲小アト「所の目代ぢや▲アト「目代殿ならば急度お礼を申しませう▲小アト「いやいや礼には及ばぬ、何事ぢや▲アト「先づあれは葉茶壺で御座る、私は中国の者で御座る、頼うだ者が茶好きで毎年栂の尾へ茶をつめにやられまする、当年もうまうまと茶をつめさせまして、帰るさに道に存じた所が御座つて、それへ立寄りましたれば、したゝか御酒を強ひられまして、爰を路次とも存ぜず伏せつて居りましたれば、いつのまにやら、あれ、あの横着者が参つて、私が掛けて居る片連尺に手を入れて我が物ぢやと申しまする、あの様な横着者は屹度仰せ付けられて下され▲小アト「扨は汝がのに極まつたか▲アト「成程私ので御座る▲小アト「先づあの者の口をきかう▲アト「お聞きなされませ▲小アト「やいやい是は先づ何事を論ずる▲シテ「先づお前はどなた{*11}で御座る▲小アト「所の目代ぢや▲シテ「目代殿ならば急度お礼を申ませう▲小アト「いやいや礼には及ばぬ、何事を論ずる▲シテ「先づあれは葉茶壺で御座る{是よりシカシカアトの云ふ通りを真似するなり、少しも違はざる也}▲小アト「扨は汝がのに極まつたか▲シテ「おゝおゝ私ので御座る▲小アト「はて両人共に同じやうな事を言ふ、やいやい真あれが汝のならば、定めて入日記に{*12}ゑん所を知つて居るであらう▲アト「傍でつめさせましたに依つてよう存じて居ります、あの者は存じますまい、お尋ねなされませ▲小アト「心得たやいやい真あれが汝のならば入日記に{*13}ゑん所を知つて居るか▲シテ「おゝおゝ傍でつめさせましたに依つてよう存じて居ります、あの者は存じますまい、先づあれから言へと仰せられませ▲小アト「心得た、さあさあ先づ汝から言へ▲アト「畏つて御座る《上》我が物故に骨を折る、我が物故に骨を折る。心の内ぞ可笑しき▲小アト「可笑しき▲アト「さ候へばこそ、さ候へばこそ。おれが主殿は、中国一の法師にて、日の茶をたてぬ{*14}事なし。一族の寄合に、本の茶をたてんと、五十貫のくりを持ち、多くの足を使うて、兵庫の津にも着いたり、兵庫を立つて二日に、栂の尾にも着きしかば、峯の坊、谷の坊、ことにめいよしけるは、あかいの坊のほかぜを、十斤許り買取り兵庫を指して下れば、こや野の宿の遊女が、袖をじつとひかへて、今様朗詠しをりはぎを諷うて、抑へて酒を強ひたり、酒に酔いて寝たるを、日本一のおゝふのあの、古博奕打が来つて、わが物と申すを判断なして、たび給へ、所のけんだん殿さま▲小アト「一段と出かした、さあさあ汝も言へ▲シテ「迚もの事に左右小拍子に懸つて申しませう▲小アト「一段とよからう{是よりシテ我が物右より舞言葉も舞も変ることなし、同断}{*15}一段と出かした、やいやい此度は存ずる仔細がある程に両人連れ舞にせい▲アト「私は舞ませうが、あの横着者も舞はうと申しまするか、お尋ねなされませ▲小アト「心得た、やいやい此度は存ずる仔細がある程に両人連舞にせい▲シテ「私は舞ませうがあの者も舞はうと申しまするか▲小アト「成程あれも舞はうといふ▲シテ「それならば私も舞ませう▲小アト「先づ是へ出よ▲シテ「心得ました▲小アト「さあさあ汝も是へ出よ▲アト「畏つて御座る▲小アト「両人共にそつとでも違ふたらば曲事にいひつける程にさう心得い▲二人「畏つて御座る▲アト「やいおのれは見事舞はうと思ふか▲シテ「やいおのれは見事舞はうと思ふか▲アト「あゝおのれは横着者ぢや▲シテ「あゝおのれは横着者ぢや▲アト「おのれが横着者ぢや{と互に云ひ合ひ手を振り上げ論ずる、目代とめるなり}▲小アト「やいやい両人共に論は無益、急いで舞へ▲二人「畏つて御座る{是より両人連舞あり、兵庫の津にもと言ふ所重ねて云ふ下たにいたりとへたる袖をジツと云ふ所、仕様ありて後の文句二人一つ所に舞ひ連舞すべて色々仕様有口伝{*16}。}▲小アト「扨最前から汝等が舞を見るにそつとも違うた事がない、総じて昔から論ずる物は中からとれといふ程に、是は身共が取るぞ▲アト「それは私ので御座る▲小アト「ならぬぞならぬぞ▲シテ「それは身共ので御座る▲アト「あの横着者▲二人「やるまいぞやるまいぞ{と云ひて二人追込いるなり}
校訂者注
1:底本は、「三つ、笑」。
2:底本は、「連雀右の手を掛け」。
3・6・8・9:底本は、「海道(かいだう)」。
4:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
5:底本は、「関係(たづ)さはつて」。
7:底本は、「確(したゝ)か」。
10・11:底本は、「何方(どなた)」。
12・13:底本は、「入日記ゑん所を」。
14:底本は、「たてん事なし」。打消の「ぬ」を「ん」と書く例は、前の「文山賊」にもある。
15:底本、ここに「▲小アト「」がある(略す)。
16:底本は、「色々仕様口伝有」。
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