成上り(なりあがり)(二番目 三番目)

▲アト「この辺りの者でござる。今日は、初寅でござる。鞍馬へ参らうと存ずる。
{と云ひて、呼び出す。出口も常の如し。}
今日は、初寅ではないか。
▲シテ「誠に、今日(けふ)は初寅でござる。
▲アト「いつもの通り、鞍馬へ参らう。まづ、太刀を持て。
▲シテ「畏つてござる。御太刀、持ちました。
▲アト「さあさあ、来い来い。何と思ふぞ。例年、相変らず参詣するは、めでたい事ではないか。
▲シテ「御意の通り、御供の我等如きまでも、足手息災で参詣致すは、ひとへに多聞天の御蔭と存じまする。
▲アト「何かと云ふ内に、鞍馬ぢや。まづ、御前(おまへ)へ向かはう。
{と云ひて、鰐口打つ。シテは、下に居るなり。}
今夜は、こゝに籠る。汝も、それでまどろめ。
▲シテ「畏つてござる。
{と云ひて、二人とも寝る。この類、同断。}
▲小アト「洛中に、心の直(すぐ)にない者でござる。今日は、初寅ぢや。定めて、鞍馬へ大参りであらう。罷り出でゝ、仕合(しあはせ)を致さうと存ずる。誠にこの間は、打ち続いて不仕合(ふしあはせ)にござる。今日(けふ)は何とぞ、一廉(いつかど)の仕合を致したいものぢや。何かと云ふ内に、御前ぢや。夥(おびたゞ)しい参詣ぢや。
{と云ひて、見つけて、さし足して退(の)き、}
あれに何者やら、正体もなう伏せつて居る。見事な太刀を持つて居る程に、この方(はう)へ調義致さうと存ずる。
{と云ひて、色々仕方あつて後、太鼓座へ行く。青竹を持ち出して、太刀と取り換へる。色々心持ちあるべし。口伝。}
一段の仕合(しあはせ)ぢや。今宵はこの辺りに居て、仕合を致さうと存ずる。
{と云ひて、太鼓座に居る。主人、眼を覚まして、}
▲アト「これはいかな事。東が白うだ。やい、太郎冠者、太郎冠者。東が白うだ。目を覚ませ。
{と云ひて起こし、拝む。シテ、睡眠したるが、}
さあさあ、下向せう。来い、来い。何と、毎年(まいねん)とは云ひながら、大籠りではなかつたか。
▲シテ「いや。私は草臥(くたび)れまして、たつたひと寝入りに致して、何がどうござつたも、覚えませぬ。
▲アト「これはまだ、とくと夜があけぬ。腰の廻りに用心をせい。
▲シテ「畏つてござる。
{と云ひて、太刀を見附けて、驚きて後ろへ隠す。心持ち・仕様、色々あるべし。}
これは、まだ夜の明けるには、間(ま)がござる。路次すがら、面白い話を致しませうか。
▲アト「それは良からう。何なりとも、話して聞かせ。
▲シテ「世間に、成り上がりと申す事がござる。御存じでござるか。
▲アト「それは、位の低い者が官位に進む、めでたい事か。
▲シテ「まづ、その様な事でござる。別して、山の芋が鰻になり、扨、蛙が甲虫(かぶとむし)になり、燕が飛魚(とびうを)になると申す。
▲アト「扨々、こびたものになるなあ。
▲シテ「また、嫁が姑になると申す。
▲アト「それは、次第送りというて、別に珍しからぬ事ぢや。
▲シテ「でも、一生嫁であらうより、姑になれば、成り上がりではござらぬか。
▲アト「何(いづ)れ、それもさうぢや。
▲シテ「熊野の別当の蛇太刀(くちなはたち)と申す事がござる。御存じでござるか。
▲アト「いや、知らぬ。
▲シテ「ある時、別当殿、御狩(みかり)のため、山中に入らせられた。何とかして、太刀を取り忘れさせられた。余の者の眼には、蛇と見えましたが、御内(みうち)の衆が取りに参りたれば、元の太刀であつたと申しまする。
▲アト「扨々、奇特な事ぢやなあ。
▲シテ「それに就いて、頼うだ御方の御太刀も、どうやら成り上がりさうにござる。
▲アト「いやいや。身共が太刀は、重代の業良(わざよ)しぢやによつて、成り上がらうより、やはり元の太刀が良い。
▲シテ「でも、早(はや)成り上がつて、物になりました。
▲アト「何になつた。
▲シテ「この様な青竹になりました。
▲アト「これはいかな事。いつの間(ま)に、その様になつた。
▲シテ「正体もなう伏せつて居まする内に、この様になつたさうにござる。
▲アト「扨も扨も、うつけた奴かな。それは、疑ひもない、いたづら者が来て、すり替へてうせをつたものであらう。まだ、夜もほのぼのとあけて、しかとは人顔(ひとがほ)が見えぬ。いたづら者ならば、この太刀ばかりではあるまい、外の参詣をも目掛けて、この辺を徘徊するであらう。まづ、この木陰に隠れて居て、もし、似た太刀なりとも持つて行く者があらば、捕らへて吟味をせう。そちも、油断をせぬようにせい。随分、気を付けて見よ。
▲シテ「畏つてござる。
{と云ひて、二人、大小のさきに居るなり。}
▲小アト「扨も扨も、夜が明けて見れば、見事な太刀ぢや。これは、金餝(こがねづく)りぢや。この様な仕合(しあはせ)は、ござらぬ。この様な時に、もそつと仕合を致したいものぢやが。
▲シテ「あれへ、太刀を持つて参る。
▲アト「早う捕らへ。
▲シテ「御前、捕らへさせられい。
▲アト「捕つたぞ。
{これより「腥物」の通り、同じ事。少しも変る事なし。}

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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成上り(ナリアガリ)(二番目 三番目)

▲アト「此辺りの者で御座る、今日は初寅で御座る、鞍馬へ参らうと存ずる{と云ひて呼出す出口も{*1}如常}{*2}今日は初寅ではないか▲シテ「誠に今日は初寅で御座る▲アト「いつもの通り鞍馬へ参らう、先づ太刀を持て▲シテ「畏つて御座るお太刀持ちました▲アト「さあさあこいこい、何と思ふぞ、例年相変らず参詣するは目出度い事ではないか▲シテ「御意の通りお供の我等如き迄も、足手息災で参詣致すは、偏に多聞天のお蔭と存じまする▲アト「何彼といふ内に鞍馬ぢや、先づお前へ向はう{と云ひて鰐口打シテは下に居るなり}{*3}今夜は此所に籠る、汝もそれでまどろめ▲シテ「畏つて御座る{と云ひて二人共寝る、此類同断}▲小アト「洛中に心のすぐにない者で御座る、今日は初寅ぢや定めて鞍馬へ大参りであらう、罷り出でゝ仕合せを致さうと存ずる、誠に此間は打続いて不仕合に御座る、今日は何とぞいつかどの仕合を致したい物ぢや、何彼と言ふ内にお前ぢや、夥多しい参詣ぢや{と云ひて見つけて差足してのき}{*4}あれに何者やら正体もなう、伏せつて居る、見事な太刀を持つて居る程に此方へ調義致さうと存ずる{と云ひて色々仕方あつて後、太鼓座へ行く、青竹を持出して太刀と取換る、色々心持ちあるべし、口伝}{*5}一段の仕合ぢや、今宵は此辺りに居て仕合を致さうと存ずる{と云ひて太鼓座に居る主人、眼を覚まして}▲アト「是は如何な事、東が白うだ、やい太郎冠者太郎冠者、東が白うだ目を覚ませ{と云ひて起し拝むシテ睡眠したるが}{*6}さあさあ下向せう、来い来い何と毎年とは言ひながら、大籠ではなかつたか▲シテ「いや私は草臥ましてたつた一と寝入りに致して、何がどう御座つたも覚えませぬ▲アト「是はまだ夙と夜があけぬ、腰の廻りに用心をせい▲シテ「畏つて御座る{と云ひて太刀を見附けて驚きて後へ隠くす、心持ち仕様色々可有}{*7}是はまだ夜の明けるには間が御座る、路次すがら面白い咄しを致しませうか▲アト「それはよからう、何なりとも咄して聞かせ▲シテ「世間に成上りと申す事が御座る、御存じで御座るか▲アト「それは位の低い者が官位に進む{*8}目出度い事か▲シテ「先づその様な事で御座る、別して山の芋が鰻になり、扨、蛙が甲虫になり、燕が飛魚になると申す▲アト「扨々こびたものになるなあ▲シテ「また{*9}嫁が姑{*10}になると申す▲アト「それは次第送りと言ふて別に珍しからぬ事ぢや▲シテ「でも一生嫁で有らうより、姑{*11}になれば成上りでは御座らぬか▲アト「何れそれもさうぢや▲シテ「熊野の別当のくちなは太刀と申す事が御座る、御存じで御座るか▲アト「いや知らぬ▲シテ「或時別当殿御狩のため山中に入らせられた、何とかして太刀を取り忘れさせられた、余の者の眼には蛇と見えましたが、御内の衆が取りに参たれば、元の太刀であつたと申しまする▲アト「扨々奇特な事ぢやなあ▲シテ「それに就て頼うだお方のお太刀も、どうやら成上りさうに御座る▲アト「いやいや身共が太刀は重代の業よしぢやに依つて成上らうより矢張り元の太刀がよい▲シテ「でも早や成上つて物になりました▲アト「何になつた▲シテ「此様な青竹になりました▲アト「是は如何な事、いつの間に其様に成つた▲シテ「正体も無う伏せつて居まする内に、此様に成つたさうに御座る▲アト「扨も扨もうつけた奴かな、それは疑もない徒ら者が来てすりかへてうせおつた物であらう、まだ夜もほのほのとあけてしかとは人顔が見えぬ、いたづら者ならば此太刀計りではあるまい、外の参詣をも目掛て、此辺を徘徊するであらう、先づ此木陰に隠れて居て、若し似た太刀なりとも持つて行く者があらば、捕へて吟味をせう、そちも油断をせぬようにせいずい分気を付けて見よ▲シテ「畏つて御座る{と云ひて二人大小のさき{*12}に入るなり}▲小アト「扨も扨も夜が明けて見れば見事な太刀ぢや、是は金餝りぢや、此様な仕合は御座らぬ、此様な時に最そつと仕合を致したい物ぢやが▲シテ「あれへ太刀を持つて参る▲アト「早う捕へ▲シテ「お前捕へさせられい▲アト「とつたぞ{是より腥物の通り同事少しも変る事なし}

校訂者注
 1:「出口も如常」は、底本のまま。前の「腥物」にも同じ表現がある。
 2・3・6:底本、全て「▲アト「」がある(全て略)。
 4・5:底本、全て「▲小アト「」がある(全て略)。
 7:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 8:底本は、「昇(すゝ)む」。
 9:底本は、「まだ」。
 10・11:底本は、「舅女(しうとめ)」。
 12:底本、「さき」の「さ」の一字、不鮮明。