三人片輪(さんにんかたわ)(三番目 四番目)
▲主「この辺りの者でござる。某(それがし)、さる仔細あつて、片輪者を大勢抱へうと存ずる。まづ、この由を高札(たかふだ)に打たうと存ずる。
{と云ひて、常の如く、シテ柱へ打つなり。}
▲アト「この辺りの者でござる。某、友達どもと寄り合うて、ふと手慰みを致いてござれば、散々不仕合(ふしあはせ)で、後へも先へも参らぬ。何と致さうと存ずる所に、山一つあなたに有徳人(うとくじん)があつて、片輪者を大勢抱へうとの、高札を打たれてござる。某は、生まれ付いての片輪ではござらねども、日頃友達どもが、目の早い者ぢや。と申すによつて、それを引つ違へて、座頭になつて参らうと存ずる。まづ、急いで参らう。誠に、人の異見をなさるゝ時、已めば良うござるに、勝てば面白し、負くれば取り返さう取り返さうとして、ひたもの博奕を打つて、今、迷惑を致す事でござる。何かと云ふ内に、これぢや。まづ、この辺りから、座頭になつて参らう。
{と云ひて、案内を乞ふ。主人出るも、常の如し。}
高札の表に附いて参つた、座頭でござる。
▲主「抱へう程に、かう通れ。
▲アト「それは、ありがたう存じまする。
▲主「どれどれ、手を取つてやらうぞ。
▲アト「これは、慮外でござる。
▲主「扨、汝は、生まれついての座頭か。
▲アト「忰の時分、ふと眼を患ひまして、かやうに盲目となつてござる。
▲主「それは、不憫な事ぢや。それにゆるりと居よ。
▲アト「畏つてござる。
▲小アト「この辺りの博奕打でござる。人の異見を聞かいで、ひたもの博奕を打つてござれば、散々不仕合(ふしあはせ)で、後へも先へも参らぬ。何と致さうと存ずる所に、山一つあなたに有徳人があつて、片輪者を大勢抱へうと、高札を打たれてござる。某は、生まれついての片輪ではござらねども、日頃、友達どもが、不達者(ぶたつしや){*1}な者ぢや。と申すによつて、それを幸ひに、躄(いざり)になつて参らうと存ずる。誠に、有徳な人の分別は、格別でござる。片輪者を大勢抱へて、何にせらるゝ事ぢや知らぬまで。何とぞ、扶持を得れば、良うござるが。いや、何かと云ふ内に、これぢや。さらば、この辺りから、躄になつて参らう。
{と云ひて、橋懸りにて、案内を乞ふ。主人出る、同断。}
高札の表に就いて参つた、片輪者でござる。
▲主「抱へう程に、まづ立て。
▲小アト「いや、立たれませぬ。
▲主「むゝ、躄か。
▲小アト「左様でござる。
▲主「成程、抱へてやらう。かう通れ。
▲小アト「それは、ありがたう存じまする。
▲主「扨、汝は、生まれついての躄か。
▲小アト「生まれついての躄ではござらねども、忰の時分、高い所から落ちまして、かやうに躄になりましてござる。
▲主「それは、不憫な事ぢや。まづ、それにゆるりと居よ。
▲小アト「畏つてござる。
▲シテ「しないたりなりかな。揉む程に揉む程に、ししの角の縄になるほど、揉うでござれば、散々揉み損(そこ)なうて、金銀は申すに及ばず、家財まで打ち込うで、ぱらりさんとなつて、後へも先へも参らぬ。何と致さうと存ずる所に、山一つあなたに有徳な人があつて、片輪者を大勢抱へうと、高札を打たれてござる。某は、生まれついての片輪ではござらねども、日頃、友達どもが、口のまめな者ぢや。と申すによつて、それを引つ違へて、啞(おし)になつて参らうと存ずる。啞といふものは、この様な物を、かう叩いて。
{と云ひて、啞竹を叩き、「をうをう」と、啞の真似する。}
とさへ申せば済むと申す。参つて、扶持を得ようと存ずる。誠に、相撲の果ては喧嘩になり、博奕の果ては盗みになる。と申すが、身共も、盗み同然の仕合(しあはせ)でござる。いや、何かと云ふ内に、これぢや。さらば、この辺りから、啞になつて参らう。
{と云ひて、竹を叩きて、啞の真似するなり。}
▲主「表が、いかう騒がしい。何事ぢや知らぬ。やいやい。汝は、何者ぢや。
{シテ、高札を教ふる。}
むゝ。高札の表に就いて来た、啞か。
{「をうをう」と云ひて、真似する。}
成程、抱へうが、啞は、一芸あるものと聞いた。何も芸はないか。
{「むゝ」と云ひて、弓を射る真似をする。}
弓を射るか。
{「をゝ」と云ふなり。}
まだ、あるか。
{茶を挽く真似をする。}
むゝ。茶を挽くか。
{「をゝ」と云ふなり。}
もう、無いか。
{鎗を遣ふ真似をする。}
鎗を遣ふか。
{「をゝ」と云ふなり。}
扨々、そちは、万能に達した者ぢや。そちには、扶持をくわつと遣らう。
{シテ、「はあゝ」と返事をして、驚く。主も肝をつぶし、脇へ退(の)きて云ふうち、シテ、立ち聞きをするなり。}
これはいかな事。啞がものを云うた。あゝ。今、思ひ出した。啞の一と声。と云うて、一代に一度、ものを云へば、その身の事は云ふには及ばず、隣郷までも富貴する。と申す。いよいよ抱へうと存ずる。やいやい、啞。
{「をゝ」と云ふなり。}
抱へう程に、かう通れ。
{「をゝ、をゝ」と云ふ。}
それにゆるりと居よ。
{「をゝ」と云ふなり。}
片輪者を大勢抱へてござる。用事あつて、山一つあなたへ参る。それぞれに、留守の義を申し付けうと存ずる。やいやい、座頭。
▲アト「はあ。
▲主「身共は、用事あつて、山一つあなたへ参る。そちが前なは、軽物蔵ぢや。汝に預くる。良う番をせい。
▲アト「眼こそ見えませね、御留守の義は、そつともお気遣ひなされますな。
▲主「やがて戻らう。
▲アト「やがて、お帰りなされませ。
▲主「心得た。やいやい、躄。
▲小アト「はあ。
▲主「用事あつて、山一つあなたへ行く。そちが前なは、酒蔵ぢや。汝に預くる。良う番をせい。
▲小アト「臑(すね)こそ立ちませね、御留守の義は、そつともお気遣ひなされますな。
▲主「やがて戻らう。
▲小アト「やがて、お帰りなされませ。
▲主「心得た。やいやい、啞。
{「をゝ、をゝ」と云ふなり。}
用事あつて、山一つあなたへ行く。汝が前なは、銭蔵ぢや。そちに預くる。良う番をせい。
{シテ、「むゝ」と云ひて、鑓を使ふ真似する。}
何ぢや。盗人が入つたらば、鑓で防がう。といふ事か。
{「をゝ、をゝ」と云ふなり。}
良い合点ぢや。やがて戻らうぞ。
{シテ、同断。主、楽屋へ入る。}
▲アト「出られた。
▲小アト「御出あつた。
▲アト「やれやれ、窮屈や、窮屈や。ちと、目をあけう。あゝ。これは、夜があけたやうな。
▲小アト「躄は、楽なものかと思うたれば、足がむりむりする。ちと、立つて見よう。
▲アト「やい、そこな奴。
▲小アト「はあ。
{と云ひて、下に居る。互に顔を見合(みあは)せ、笑ふ。}
えい、誰。
▲アト「誰。
▲小アト「汝は、何として来た。
▲アト「何とゝ云ふ事があるものか。この中(ぢゆう)の不仕合(ふしあはせ)故、来た。
▲小アト「扨々、汝は、ぬからぬ者ぢや。
▲アト「そちも、ぬからぬ者ぢや。
▲小アト「扨、最前から、身共があなたに、何やら呻(うめ)く音がするが、あれは何であらうと思ふ。
▲アト「されば、何であらうぞ。
▲小アト「よそ外の者ではあるまい。
▲アト「大方、仲間の者であらう。
▲小アト「そと、物蔭から見ようか。
▲アト「一段と良からう。
▲小アト「さあさあ、来い来い。
▲アト「心得た。
{と云ひて、二人、さし足して、覗きて見て戻り、笑ふなり。}
▲小アト「さればこそ、誰ぢや。
▲アト「誠に、誰ぢや。
▲小アト「彼奴(きやつ)も、ぬからぬ者ぢや。
▲アト「その通りぢや。
▲小アト「ちと、嚇(おど)さうか。
▲アト「一段と良からう。
{又、二人行きて、}
▲二人「やいやいやい、そこな奴。
{シテ、驚き、竹を叩きて「をうをう」と云ひ、二人笑ふ。}
ありや、何の真似ぢや。
{と云つて笑ふ。}
▲シテ「あゝ、こりあ、こりあ。汝等は、何としてこれへ来たぞ。
▲アト「何とゝ云ふ事があるものか。この中(ぢゆう)の不仕合(ふしあはせ)故に、来た。
▲シテ「あゝ。汝等は、ぬからぬ者ぢや。
▲小アト「いや。汝も、ぬからぬ者ぢや。
▲シテ「扨、誰が態(なり)は、何やら、びらびらした態(なり)ぢやが、何になつて来た。
▲アト「身共は、わごりよ達が、目の早い者ぢや。と云ふによつて、それを引つ違へて、座頭になつて来た。
▲シテ「何(いづ)れこれは、座頭の態(なり)ぢや。
▲小アト「その通りぢや。
▲アト「扨、そちは、何になつて来た。
▲小アト「身共は、汝等が、不達者な者ぢや。と云ふによつて、それを幸ひに、躄になつて来た。
▲アト「これも、尤ぢや。
▲小アト「扨、そちは、何になつて来た。
▲シテ「身共は、汝等が日頃、口のまめな者ぢや。と仰(お)せあるによつて、それを引つ違へて、啞になつて来た。
▲アト「はあ。扨は今のが、啞の真似か。
▲シテ「中々。
▲二人「啞の真似か。
{と云ひて、二人笑ふ。}
▲シテ「あゝ、これ。それに就いて、危ない事があつての。
▲アト「それは、何事であつた。
▲シテ「まづ、これへ来たれば、啞は、一芸はあるものぢや。何も芸はないか。と仰(お)せあつたによつて、当分気に入らうと思うて、弓を射る真似、茶を挽く真似をして見せたれば、もうないか。と仰(お)せあつたによつて、今度は鑓を遣ふ真似をして見せたれば、扨々汝は、万能に達した者ぢや。そちには扶持を、くわつとせう。と仰(お)せあつたによつて、あまりの嬉しさに、はあ。と云うて、返事をしてな。
▲二人「これはいかな事。
▲シテ「さあ、これは何となる事ぢや。と思うて、手に汗を握つて、ぢつと立ち聞きをして居たれば、いや、有徳な人の分別は、格別ぢや。
▲アト「何とぢや。
▲シテ「啞のひと声と云うて、一代に一度物を云へば、その身の事は云ふに及ばず、隣郷までも富貴する。と云うて、抱へられたが、何と、危ない事ではなかつたか。
▲アト「それは、危ない事であつたなあ。
▲小アト「その通りぢや。
▲シテ「扨、わごりよ達は、何も預りはせぬか。
▲アト「身共は、軽物蔵を預つた。
▲シテ「これは、良い物を預つた。
▲アト「躄は、何を預つた。
▲小アト「某は、酒蔵を預つた。
▲アト「これも、良い物ぢや。
▲小アト「扨、啞は何を預つた。
▲シテ「身共は、今始めうと儘な物を、預つた。
▲アト「今始めうと儘な物とは、何であらう。
▲小アト「されば、何であらうなあ。
▲シテ「銭蔵、銭蔵。
▲小アト「こりや、なほ良い物ぢやい。
▲アト「いざ、ひとかたげづゝして、退(の)かうではあるまいか。
▲小アト「一段と良からう。
▲アト「さあさあ、来い来い。
▲小アト「心得た。
▲シテ「あゝ。まづ待て、待て。
▲二人「何と、待てとは。
▲シテ「それは、遅からぬ事ぢや。身共が思ふは、躄を亭主にして、預つた酒蔵を開いて、酒を呑まうぞ。その後、身共が預つた銭蔵を開いて、わごりよ達にも銭を貸して、彼(か)の{*2}を始めうではあるまいか。
▲アト「これは、一段と良からう。
▲シテ「それならば、酒蔵をあけさしめ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「これは、大事の物ぢや。取つて置いておくれあれ。
▲アト「心得た。
{と云ふ内に、躄、酒蔵開ける。仕方あり。「ぴん」と云うて、「ぎい、ぐわらぐわらぐわら」と云ふなり。}
▲シテ「おゝ、あくわ、あくわ。
▲小アト「さあ、あいた。
▲アト「誠に、あいた。
▲小アト「入れ、入れ。
▲シテ「心得た。
▲小アト「何と、夥(おびたゞ)しい酒壺ではないか。
▲シテ「何(いづ)れ、夥しい酒壺ぢや。
▲小アト「扨、これは、どれが良からう。
▲シテ「亭主の物好きが良からう。
▲小アト「それならば、あの、渋紙で覆ひのしたのにせう。
▲アト「これは、一段と良からう。
▲小アト「まづ、蓋を取らう。
▲シテ「まづ、下にお居あれ。
▲アト「心得た。
▲小アト「むりむりむり。
{と云ひて、蓋を取る心なり。}
むゝ。うまい匂ひがするわ。
▲シテ「こゝまでも匂ふわ。
▲小アト「さらば、汲んで呑ませうぞ。
▲シテ「早う呑ませておくれあれ。
▲小アト「さあさあ、お呑みあれ。
▲シテ「おゝ、あるぞ、あるぞ。
▲小アト「座頭もお呑みあれ。
▲アト「心得た。
▲シテ「これは、良い酒ぢや。
▲小アト「何と、良い酒か。
▲アト「その通りぢや。
▲シテ「どれどれ。亭主にも汲んで、呑ませうぞ。
▲小アト「早う呑ませておくれあれ。
▲シテ「さあさあ、お呑みあれ。
▲小アト「おゝ、あるぞ、あるぞ。
▲シテ「座頭も、呑め、呑め。
▲アト「心得た。
▲小アト「誠にこれは、良い酒ぢや。
▲アト「ちと、謡はうか。
▲シテ「一段と良からう。
{と云ひて、小謡「ざんざ」を謡ふ。座頭、酌に立つなり。}
▲アト「ざつと、酒盛になつた。
▲小アト「その通りぢや。
▲シテ「さあさあ、座頭。一つ受け持つた程に、ひとさし、お舞ひあれ。
▲アト「このびらびらした態(なり)で、何と、舞はるゝものぢや。
▲小アト「それが、面白い。平(ひら)に、お舞ひあれ。
▲アト「それならば、舞はう程に、地を謡うておくれあれ。
▲二人「心得た。
{座頭、小舞あり。但し、「小弓」舞ふなり。}
よいや、よいや。
▲アト「不調法をした。
{躄、酌に立つ。小謡あり。但し、「かはらぬ友こそ」謡ふが良し。}
「さあさあ。躄も、お舞ひあれ。
▲小アト「身共も舞はうか。
▲シテ「一段と良からう。
{躄、舞ふ。「兎」良し。}
▲二人「よいや、よいや。
{シテ、酌に立つ。小謡「兎も波を走るか」謡ふが良し。}
▲小アト「さあさあ。啞もひとさし、お舞ひあれ。
▲シテ「身共は、許しておくれあれ。
▲アト「許せと云ふ事があるものか。順ぢや程に、平(ひら)にお舞ひあれ。
▲シテ「それならば、舞はう程に、地を謡うておくれあれ。
▲二人「心得た。
▲アト「もそつと、これへ寄らしませ。
▲小アト「心得た。
{シテの舞、「景清」良し。但し、舞の仕舞より、主、出る。この内に、躄、小謡。但し、「兵の」謡ふが良し。}
▲主「やうやう只今、帰つてござる。さぞ、片輪者が待つて居るでござらう。これはいかな事。座頭が目をあく。躄が立つ。啞が物を云ふ。扨も扨も、憎い事かな。やいやい。戻つたぞ、戻つたぞ。
▲三人「そりや、お帰りなされた。
{この内に、主、肩ぬぐ。}
▲主「扨々、憎い奴かな。
▲アト「あゝ。この様な事であらうと思うた。
▲小アト「扨々、苦々しい事かな。
▲シテ「これは、何としたものであらうぞ。
▲主「やいやいやい、そこな奴。
{座頭、啞の真似する。}
おのれは、座頭ではないか。
▲アト「あゝ、違ひました。
{と云ひて、逃げて入る。主、追ひ込む内、小アト、座頭の杖を見附け、持ち行くを、シテ、見附けて、せり合ふ。}
▲小アト「身共におこせ。
▲シテ「こちへおこせ。
▲主「やいやいやい、そこなやつ。
▲小アト「お帰りなされましたか。
{と云ひて、杖つき、座頭の真似する。}
▲主「おのれは、躄ではないか。
▲小アト「あゝ、忘れました。
{と云ひて、逃げて入る。主、追ひ込む内、シテ、狼狽する。}
▲シテ「身共一人(いちにん)になつた。何としたものであらう。
▲主「やいやいやい、そこな奴。
▲シテ「はあ、お帰りなされましたか。
{と云ひて、ゐざる。}
▲主「おのれは、啞ではないか。
▲シテ「あゝ、違ひました。
▲主「何の、違ひました。
{と云ひて、追ひ込み入るなり。}
校訂者注
1:「不達者(ぶたつしや)」は、「足が弱い者」の意。
2:「彼(かの)」は、博奕を指すのであろう。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
三人片輪(サンニンカタワ)(三番目 四番目)
▲主「此辺りの者で御座る、某、さる仔細あつて片輪者を大勢抱へうと存ずる。先、此由を高札に打たうと存ずる{と云ひて如常シテ柱へ打つ也}▲アト「此辺りの者で御座る、某友達共と寄合うて不図手慰みを致いて御座れば、散々不仕合で後へも先へも参らぬ、何と致さうと存ずる所に、山一つあなたに有徳人があつて、片輪者を大勢抱へうとの高札を打たれて御座る某は生れ付いての片輪では御座らねども、日頃友達共が目の早い者ぢやと申すに依つて、夫れを引違へて座頭になつて参らうと存ずる、先づ急いで参らう、誠に人の異見をなさるゝ時、已めば{*1}よう御座るに勝てば面白し、負くれば取り返さう取り返さうとして、ひたもの博奕を打つて、今迷惑を致す事で御座る、何彼といふ内に是ぢや、先づ此辺りから座頭になつて参らう{と云ひて案内を乞ふ主人出るも如常}{*2}高札の表に附いて参つた座頭で御座る▲主「抱へう程に斯う通れ▲アト「それは有難う存じまする▲主「どれどれ手を取つてやらうぞ▲アト「是は慮外で御座る▲主「扨、汝は生れついての座頭か▲アト「忰の時分不図眼を病ひまして、斯様に盲目となつて御座る▲主「夫は不憫{*3}な事ぢや、それにゆるりと居よ▲アト「畏つて御座る▲小アト「此辺りの博奕打で御座る、人の異見をきかいでひた物博奕を打つて御座れば、散々不仕合で後へも先へも参らぬ、何と致さうと存ずる所に、山一つあなたに有徳人が有つて、片輪者を大勢抱へうと高札を打たれて御座る、某は生れついての片輪では御座らねども日頃友達共が不達者な者ぢやと申すに依つて、それを幸ひに躄になつて参らうと存ずる、誠に有徳な人の分別は格別で御座る、片輪者を大勢抱へて何にせらるゝ事ぢや知らぬ{*4}まで、何卒扶持を得ればよう御座るが、いや何彼と言う内に是ぢや、さらば此辺りから躄{*5}になつて参らう{と云ひて橋懸にて案内を乞ふ主人出る同断}{*6}高札の表に就て参つた片輪者で御座る▲主「抱へう程に先づたて▲小アト「いやたゝれませぬ▲主「むゝ躄{*7}か▲小アト「左様で御座る▲主「成程抱へてやらう、かう通れ▲小アト「夫は有難ふ存じまする▲主「扨、汝は生れついての躄{*8}か▲小アト「生れついての躄{*9}では御座らねども、忰の時分高い所から落ちまして、斯様に躄{*10}になりまして御座る▲主「夫は不憫{*11}な事ぢや、先づ夫にゆるりと居よ▲小アト「畏つて御座る▲シテ「しないたりなりかな、もむ程にもむ程に、ししの角の縄になるほどもうで御座れば、散々揉そこなうて、金銀は申すに及ばず、家財まで打込うでぱらりさんとなつて、後へも先へも参らぬ、何と致さうと存ずる所に、山一つ彼方に有徳な人があつて、片輪者を大勢抱へうと高札を打たれて御座る、某は生れついての片輪では御座らねども、日頃友達共が口のまめな者ぢやと申すに依つて、夫を引違へて啞になつて参らうと存ずる啞と言ふ者は、斯の様な物をかう叩いて{と云ひて啞竹を叩きヲウヲウと啞の真似する}{*12}とさへ申せばすむと申す、参つて扶持を得ようと存ずる、誠に相撲のはては喧嘩になり、博奕の果ては盗みになると申すが、身共も盗み同前の仕合で御座る、いや何彼といふ内に是ぢや、さらば此辺りから啞になつて参らう{と云ひて竹を叩きて啞の真似するなり}▲主「表がいかう騒がしい、何事ぢや知らぬ、やいやい汝は何者ぢや{シテ高札を教ゆる}{*13}むゝ高札の表に就いて来た啞か{ヲウヲウと云ひて真似する}{*14}成程抱へうが、啞は一芸あるものときいた、何も芸はないか{むゝと云ひて弓を射る真似をする}{*15}弓を射るか{ヲゝと云ふなり}{*16}まだあるか{茶を挽く真似をする}{*17}むゝ茶を挽くか{ヲゝと云ふなり}{*18}もう無いか{鎗を遣ふ真似をする}{*19}鎗を遣ふか{ヲゝと云ふなり{*20}}{*21}扨々そちは万能に達した者ぢや、そちには扶持をくわつと遣らう{シテハアゝと返事をして驚く主も肝をつぶし脇へ退きて云ふうち、シテ立聞をする也}{*22}是は如何な事、啞がものを言ふた、あゝ今思ひ出した、啞の一と声と言ふて、一代に一度ものをいへば、其身の事は言ふには及ばず、隣郷までも富貴すると申す、愈々抱へうと存ずる、やいやいおし{ヲゝヲゝと云ふなり}{*23}抱へう程にかう通れ{ヲゝヲゝと云ふ}{*24}それにゆるりと居よ{ヲゝと云ふなり}{*25}片輪者を大勢抱へて御座る、用事あつて山一つあなたへ参る、夫々に留守の義を申付うと存ずる、やいやい座頭▲アト「ハア▲主「身共は用事有つて山一つあなたへ参る、そちが前なは軽物蔵ぢや、汝に預る、よう番をせい▲アト「眼こそ見えませね、お留守の義はそつともお気遣かいなされますな▲主「頓て戻らう▲アト「頓てお帰りなされませ▲主「心得た、やいやい躄{*26}▲小アト「ハア▲主「用事あつて山一つあなたへ行く、そちが前なは酒蔵ぢや、汝に預くる、よう番をせい▲小アト「臑こそ立ちませね、お留守の義はそつともお気遣なされますな▲主「頓て戻らう▲小アト「頓てお帰りなされませ▲主「心得た、やいやい啞{ヲゝと云ふなり}{*27}用事あつて山一つあなたへ行く、汝が前なは銭蔵ぢや、そちに預る、よう番をせい{シテむゝと云ひて鑓を使ふ真似する}{*28}何ぢや盗人が這入たらば鑓で防がうと言ふ事か{ヲゝヲゝと云ふなり}{*29}よい合点ぢや、頓て戻らうぞ{シテ同断、主、楽屋へ入る}▲アト「出られた▲小アト「お出あつた▲アト「やれやれ窮屈や窮屈や、ちと目をあけう、あゝ是は夜があけたやうな▲小アト「躄は楽なものかと思ふたれば、足がむりむりする、ちと立つて見よう▲アト「やいそこな奴▲小アト「ハア{と云ひて下に居る、互に顔を見合せ笑ふ}{*30}えい誰▲アト「誰▲小アト「汝は何として来た▲アト「何とゝ{*31}言ふ事があるものか、此中の不仕合故来た▲小アト「扨々汝はぬからぬ者ぢや▲アト「そちもぬからぬ者ぢや▲小アト「扨最前から身共があなたに、何やら呻く{*32}音がするが、あれは何であらうと思ふ▲アト「されば何んであらうぞ▲小アト「よそ外の者ではあるまい▲アト「大方仲間の者であらう▲小アト「そと物蔭から見ようか▲アト「一段とよからう▲小アト「さあさあ来い来い▲アト「心得た{と云ひて二人差足して覗きて見て戻り笑ふなり}▲小アト「さればこそ誰ぢや▲アト「誠に誰ぢや▲小アト「彼奴もぬからぬ者ぢや▲アト「其通りぢや▲小アト「ちとおどさうか▲アト「一段とよからう{又二人行て}▲二人「やいやいやいそこな奴{シテ驚き竹を叩きてヲウヲウと云ひ、二人笑ふ。}{*33}ありや何んのまねぢや{と云つて笑ふ}▲シテ「あゝこりあこりあ、汝等は何として是へ来たぞ▲アト「何とと言ふ事があるものか、此中の不仕合故に来た▲シテ「あゝ汝等はぬからぬ者ぢや▲小アト「いや汝もぬからぬ者ぢや▲シテ「扨誰がなりは、何やらびらびらしたなりぢやが何になつて来た▲アト「身共はわごりよ達が、目の早い者ぢやと言ふに依つて、それを引違へて座頭になつて来た▲シテ「いづれ是は座頭のなりぢや▲小アト「其通りぢや▲アト「扨、そちは何になつて来た▲小アト「身共は汝等が、不達者な者ぢやと言ふに依つて、それを幸ひに躄になつて来た▲アト「是も尤ぢや▲小アト「扨そちは何になつて来た▲シテ「身共は汝等が、日頃口のまめな者ぢやとおせあるに依つて、夫を引違へて啞になつて来た▲アト「はあ扨は今のが啞の真似か▲シテ「中々▲二人「啞の真似か{と云ひて二人笑ふ}▲シテ「あゝ是、それに就て危ない事があつての▲アト「夫は何事であつた▲シテ「先づ是へ来たれば、啞は一ち芸はあるものぢや、何も芸はないかとおせあつたに依つて、当分気に入らうと思うて、弓を射る真似、茶を挽く真似をして見せたれば、もうないかとおせあつたに依つて、今度は鑓を遣う真似をして見せたれば、扨々汝は万能に達した者ぢや、そちには扶持をくはつとせうとおせあつたに依つてあまりの嬉しさに、はあと言ふて返事をしてな▲二人「是は如何な事▲シテ「さあ是は何となる事ぢやと思ふて、手に汗を握つてぢつと立聞をして居たれば、いや、有徳な人の分別は格別ぢや▲アト「何とぢや▲シテ「啞の一と声と言ふて、一代に一度物を言へば、その身の事は言ふに及ばず、隣郷迄もふつきすると言ふて抱へられたが、何とあぶない事ではなかつたか▲アト「それは危い事であつたなあ▲小アト「其通りぢや▲シテ「扨、わごりよ達は何も預りはせぬか▲アト「身共は軽物蔵を預つた▲シテ「是はよい物を預つた▲アト「ゐざりは何を預つた▲小アト「某は酒蔵を預つた▲アト「是もよい物ぢや▲小アト「扨、啞は何を預つた▲シテ「身共は今始めうと儘な物を預つた▲アト「今始めうと儘な物とは{*34}何であらう▲小アト「されば何で有らうなあ▲シテ「銭蔵銭蔵▲小アト「こりや猶よい物ぢやい▲アト「いざ一とかたげ宛、してのかうではあるまいか▲小アト「一段とよからう▲アト「さあさあ来い来い▲小アト「心得た▲シテ「あゝ先づ待て待て▲二人「何と待てとは▲シテ「夫はおそからぬ事ぢや、身共が思ふは躄を亭主にして、預つた酒蔵を開いて酒を呑うぞ、其後身共が預つた銭蔵を開いて、わごりよ達にも銭を貸して、かのを始めうではあるまいか▲アト「是は一段とよからう▲シテ「夫ならば酒蔵をあけさしめ▲小アト「心得た▲シテ「是は大事の物ぢや、取つて置いておくれあれ▲アト「心得た{と云ふ内に躄、酒蔵開ける仕形ありピンと云ふて、ギイグワラグワラグワラと云ふ也}▲シテ「おゝ開くわ開くわ▲小アト「さああいた▲アト「誠にあいた▲小アト「這入れ這入れ▲シテ「心得た▲小アト「何と夥多しい酒壺ではないか▲シテ「何れ夥多しい酒壺ぢや▲小アト「扨、是はどれがよからう▲シテ「亭主の物好がよからう▲小アト「それならばあの渋紙で掩ひのしたのにせう▲アト「是は一段とよからう▲小アト「先づ蓋を取らう▲シテ「先づ下にお居あれ▲アト「心得た▲小アト「むりむりむり{と云ひて蓋を取る心也}{*35}むゝうまい{*36}匂がするわ▲シテ「爰迄も匂ふは▲小アト「さらば汲んで呑ませうぞ▲シテ「早う呑ませておくれあれ▲小アト「さあさあお呑あれ▲シテ「おゝあるぞあるぞ▲小アト「座頭もお呑あれ▲アト「心得た▲シテ「是はよい酒ぢや▲小アト「なんとよい酒か▲アト「その通りぢや▲シテ「どれどれ亭主にも汲んで呑ませうぞ▲小アト「早う呑ませておくれあれ▲シテ「さあさあお呑みあれ▲小アト「おゝ有るぞ有るぞ▲シテ「座頭も呑め呑め▲アト「心得た
▲小アト「誠に是はよい酒ぢや▲アト「ちと諷はうか▲シテ「一段とよからう{と云ひて小謡ザンザを謡ふ座頭酌に立つなり}▲アト「ざつと酒盛{*37}に成つた▲小アト「其通りぢや▲シテ「さあさあ座頭一つ受持つた程に一とさしお舞あれ▲アト「此びらびらしたなりで何と舞はるゝものぢや▲小アト「夫が面白い平にお舞あれ▲アト「夫ならば舞はう程に地を謡うておくれあれ▲二人「心得た{座頭小舞あり但、小弓舞なり}{*38}よいやよいや▲アト「不調法をした{躄{*39}酌に立つ小謡あり、但しかはらぬ友こそ謡がよし}{*40}「さあさあ躄もおまいあれ▲小アト「身共も舞はうか▲シテ「一段とよからう{躄、舞ウサギ善}▲二人「よいやよいや{シテ酌に立つ小謡兎も波を走るか謡がよし}▲小アト「さあさあ啞も一とさしお舞あれ▲シテ「身共は宥るしておくれあれ▲アト「宥るせと言ふ事がある者か、順ぢや程に平におまいあれ▲シテ「夫ならば舞はう程に地を謡ふておくれあれ▲二人「心得た▲アト「最そつと是へ寄らしませ▲小アト「心得た{シテの舞、景清よし、但し舞の仕舞より主出る、此内に躄小謡、但兵の謡ふが吉}▲主「漸う只今帰つて御座る、嘸、片輪者が待つて居るで御座らう、是は如何な事、座頭が目をあく、躄が立つ、啞が物を言ふ、扨も扨も憎い事かな、やいやい戻つたぞ戻つたぞ▲三人「そりやお帰りなされた{此内に主肩ぬぐ}▲主「扨々憎い奴かな▲アト「あゝ此様な事で有らうと思ふた▲小アト「扨々苦々しい事かな▲シテ「是は何とした物であらうぞ▲主「やいやいやいそこな奴{座頭啞の真似する}{*41}おのれは座頭ではないか▲アト「あゝ違ひました{と云ひて逃て入る主、追込む内、小アト座頭の杖を見附け持ち行くをシテ見附けてせりやう}▲小アト「身共におこせ▲シテ「こちへおこせ▲主「やいやい、やいそこなやつ▲小アト「お帰りなされましたか{と云ひて杖つき座頭の真似する}▲主「おのれは躄ではないか▲小アト「あゝ忘れました{と云ひて逃げて入る、主追込む内、シテ狼狽する}▲シテ「身共一人になつた、何とした物であらう▲主「やいやいやいそこな奴▲シテ「はあお帰りなされましたか{と云ひてゐざる{*42}}▲主「おのれは啞ではないか▲シテ「あゝ違ひました▲主「何の{*43}違ひました{と云ひて追込み入るなり}
校訂者注
1:底本は、「止(や)めば」。
2:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
3・11:底本は、「不便(ふびん)」。
4:底本、「ら」の一字不鮮明。
5・7~10・26・39:底本は、「躄者(いざり)」。
6・30・35:底本、全て「▲小アト「」がある(全て略)。
12:底本、ここに「▲シテ」がある(略す)。
13~19・21~25・27~29・41:底本、全て「▲主」がある(全て略)。
20:底本は、「ヲとゝふな云り」。
31:底本は、「何と言ふ事が」。
32:底本は、「呻叫(うめ)く」。
33・38:底本、全て「▲二人」がある(全て略)。
34:底本は、「今始めうと儘な物は」。
36:底本は、「甘(うま)い」。
37:底本は、「酒宴(さかもり)」。
40:底本、「▲小アト「」とあるが、「▲アト「」の誤りであろう。
42:底本は、「へだる」。
43:底本は、「あの」。
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