鞠座頭(まりざとう)(三番目 四番目)

▲シテ「何勾当でござる。今日は、妙音講の当に当たつてござる。何(いづ)れもへ、人を遣はさうと存ずる。菊市、あるか。
▲アト「はあ。
▲シテ「居たか。
▲アト「御前(おまへ)に。
▲シテ「念なう早かつた。汝呼び出す、別の事でない。今日は、妙音講の当に当たつた。汝は、何(いづ)れもへ行(い)て、もはや時分も良うござる、御出なされい。と云うて、行(い)て来い。
▲アト「畏つてござる。なうなう、嬉しや、嬉しや。今日(こんにち)は、妙音講をお勤めなさるゝ。定めて、各々御出なされたらば、御遊参(ごゆざん)であらう。まづ、どなたへ参らうぞ。いや、誰殿が近い。まづ、あれから参らうぞ。いや、何かと云ふ内に、これぢや。まづ、案内を乞はう。ものもう、案内もう。
▲立頭「表に案内がある。案内とは、誰(た)そ。
▲アト「私でござる。
▲立頭「菊市か。
▲アト「はあ。
▲頭「何として来た。
▲アト「もはや、時分も良うござるによつて、御出なされて下されい。と申し越されました。
▲頭「何(いづ)れも、御出なされうとあつて、皆、これに御揃ひぢや。
▲アト「すれば、御銘々参るには及びませぬか。
▲頭「銘々行くには及ばぬ。追つ付け、同道して行く程に、汝は先へ帰れ。
▲アト「左様ならば、御先へ参りまする。追つ付け、御出なされませ。
▲頭「心得た。
▲アト「申し上げまする。
▲シテ「何事ぢや。
▲アト「誰勾当様へ参つてござれば、早(はや)あれに御揃ひで、追つ付け、これへ御出でござる。
▲シテ「御出なされたらば、この方(はう)へ知らせ。
▲アト「畏つてござる。
▲頭「なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲立衆「これに居ます。
▲頭「只今、当人から呼びに参りました。いざ、参りませう。
▲立衆「一段と良うござらう。
▲頭「さあさあ、御出なされい。
▲各「心得ました。
▲頭「菊市、来たぞ。
▲アト「良う御出なされました。
▲頭「その通りを云へ。
▲アト「畏つてござる。申し上げまする。
▲シテ「何事ぢや。
▲アト「何(いづ)れもの御出でござる。
▲シテ「かうお通りなされい。と云へ。
▲アト「畏つてござる。かうお通りなされい。と申しまする。
▲頭「心得た。菊市、汝に杖を預けるぞ。
▲アト「畏つてござる。
▲立二「某(それがし)も預けう。
▲立三「身共も頼むぞ。
▲アト「心得ました。
▲頭「お当、めでたうござる。
▲シテ「さあさあ、何(いづ)れも、かうお通りなされい。
▲頭「皆、かうござれ。
▲立衆「心得ました。
▲シテ「やれやれ。ようこそ御出なされたれ。扨、何と思し召す。相変らず、妙音講を勤めまするは、ひとへに弁財天の御蔭と存じまする。
▲頭「御意の通りでござる。この上は、何とぞ弁財天の御蔭で、皆、仕合(しあはせ)を致し、出世の義を願ひまする。
▲シテ「扨、今日(こんにち)は、ゆるゆる遊びませう。菊市、御慰みに、盃を持つて来い。
▲アト「畏つてござる。御盃を出しました。
▲シテ「まづ、亭主役に御燗を見ませう。
▲頭「一段と良うござらう。
{シテ、呑んで、立衆へさす。}
▲シテ「それへ進じませう。
▲頭「これへ下されい。
▲シテ「たべ汚(よご)いてござる。
{立頭、受ける。菊市、何(いづ)れもへ酌をする。}
▲頭「扨も扨も、御念が入つたと見えまして、結構な御酒(ごしゆ)でござる。
▲シテ「何とござるぞ{*1}。
▲頭「扨、御次(おつぎ)へ御盃を廻しませう。
▲立二「戴きませう。
{盃の挨拶、常の如し。}
▲シテ「扨、誰殿へ菊市が、かねて御訴訟がござる。
▲頭「それは、何事でござる。
▲シテ「近頃、御苦労ながら、こなたの平家を聴聞致したいと申しまする。一句、語つてお聞かせなされい。
▲頭「この御歴々の中で、私へ御所望は、迷惑でござる。ご許されませ。
▲シテ「いやいや。これは、互に稽古のためでござる。是非とも、御所望申しませう。
▲頭「それならば、不調法ながら、一句申しませう。
▲シテ「菊市、良う聞け。
▲アト「これは、ありがたう存じまする。
{頭、平家語る。}
そもそも、一の谷の合戦破れしかば、源平互に入り乱れ、向かう者の頤(おとがひ)を切らるゝ者もあり、逃ぐる者の踵(きびす)を切らるゝ者もあり。忙(いそが)はしき時の事なれば、頤を取つて踵に附け、踵を取つて頤に附けたれば、生(は)えうず事とて踵に髭が、むくりむくりと生えたりけり。冬にもなれば、切れうず事とて、頤にあかゞりが、ほかりほかりと切られたりけり。
▲各「よいや、よいや。
▲頭「不調法を申しました。
▲シテ「菊市、聞いたか。平家といふものは、あの音(おん)が大事ぢや。
▲アト「左様さうにござりまする。
▲衆「扨、御盃を段々、次へ廻しませう。
{シテより小唄、諷ひ出す。}
▲頭「盃を、暫くそれに置かせられい。何と御亭主、この間(あひだ)に、ひとさし舞はせられぬか。
▲シテ「お慰みになりませうならば、成程、舞ひませう。何(いづ)れも、地を諷うて下されい。
▲各「心得ました。
{と云うて、小舞舞ふ。過ぎて、各、褒める。}
▲各「よいや、よいや。
▲シテ「可笑しい事でござる。
▲頭「何やら、面白さうな事でござるなう。
▲立衆「その通りでござる。
▲シテ「扨、御酒はまづ入れまして、又、後程、料理の上で上げませう。
▲頭「それが良うござらう。
▲シテ「菊市、盃をとれ。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「扨、今日は、何をして遊びませう。お物好(ものずき)を仰せられい。
▲頭「私はあの、碁といふものは、脇から聞いて居れば、ぱちぱちと鳴つて、面白さうなものでござる。どうぞ、あれをして見たうござる。
▲シテ「いやいや。碁といふものは、石数も多し、中々、盲人ばかりでは、白黒が判りますまい。これは、なりますまい。
▲立二「将棋は、何とござらう。
▲シテ「将棋は、駒に印を付けて指す衆がありさうなが、盲人ばかりの寄り合ひには、見物の慰みは少しもござらぬ。これも、なりますまい。
▲立三「双六は、競(きほひ)いがあつて、面白さうなものぢや。双六にさせられい。
▲シテ「これはなほ、なりますまい。
▲頭「何故にでござる。
▲シテ「素人衆のお打ちあるを聞きますれば、今のは目が出たの、いや眼が引つ込うだのと、仰(お)せありまする。中々、私どもの連中には、差し合ひでござる。
▲立三「成程。これは、興(きよう)がつた差し合ひでござる。
▲シテ「私の存ずるは、あの鞠といふものは、面白さうなものぢや。どうぞ、蹴(け)て見たうござる。
▲頭「何(いづ)れ、ぽんぽんと鳴つて、面白さうなものでござる。
▲立二「いや。まづ、待たせられい。蹴るは蹴(け)ませうが、落つる所が知れますまい。
▲シテ「それは、良い仕様がござる。鞠に小さい鈴を付けて、その鈴の鳴る所を聞いて、蹴ませう。
▲頭「これは、御才覚でござる。
▲シテ「菊市、鞠の用意をせい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「皆、用意をさせられい。
▲各「心得ました。
▲アト「さらば、鞠を上げませう。
▲シテ「それならば、私から蹴出しませう。
▲頭「良うござらう。
▲小アト「急ぎの使ひに参る者でござる。まづ、急いで参らう。この内が、いかう賑々(にぎにぎ)しい。何事ぢやぞ。いや、座頭どもが、大勢寄つて鞠を蹴る。少し、なぶつて見よう。
{この間に、各、シテより鞠を蹴出す。鈴の音を聞いて、皆々、「はりや、はりや」と云うて蹴る。小アト、鞠を持つて歩き、角々にて鈴を振り鳴らす。一統に走り寄つて蹴る。躓(つまづ)き、行き当たり、蹴る。小アト、可笑しがりて笑ふ内に、シテ、聞き付けて、}
▲シテ「やいやい、菊市。目あきが来て、なぶるさうな。
▲頭「何(いづ)れ、笑ふ声がしまする。
▲シテ「皆、杖をおこせ。
▲アト「心得ました。
{と云うて、杖を銘々に渡す。}
▲シテ「皆、油断させらるゝな。
▲各「合点でござる。
{と云うて、杖にて追ふ。小アト、その内に、小股を取り、転がして笑ふ。同士打ちなどあり。菊市、シテを打ち、追ひ込み入るなり。}
▲シテ「どれに居をる知らぬ。
▲小アト「こゝぢや、こゝぢや。
▲各「えい、とう、えい、とう。

校訂者注
 1:「何とござるぞ」は、「果たしてどんなものでしょう」という謙辞。

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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鞠座頭(マリザトウ)(三番目 四番目)

▲シテ「何、勾当で御座る、今日は妙音講の当にあたつて御座る、何もへ人を遣さうと存ずる、菊市あるか▲アト「はあ▲シテ「居たか▲アト「お前に▲シテ「念なう早かつた、汝呼出す別の事でない、今日は妙音講の当に当つた、汝は何もへいて、最早時分もよう御座る、御出なされいと云ふて行て来い▲アト「畏つて御座る、喃々嬉しや嬉しや、今日は妙音講をお勤めなさるゝ、定めて各々お出なされたらば御遊参であらう、先づどなたへ参らうぞ、いや誰殿が近い先づあれから参らうぞ、いや何彼と云ふ内に是ぢや、先づ案内を乞ふものもう案内もう▲立頭「表に案内がある、案内とはたそ▲アト「私で御座る▲立頭「菊市か▲アト「ハア▲頭「何として来た▲アト「最早時分もよう御座るに依つて、お出なされて下されいと申越されました▲頭「何もお出でなされうとあつて、皆是にお揃ぢや▲アト「すれば御銘々参るには及びませぬか▲頭「銘々行くには及ばぬ、追付け同道して行く程に汝は先へ帰れ▲アト「左様ならばお先へ参りまする、追付お出なされませ▲頭「心得た▲アト「申上げまする▲シテ「何事ぢや▲アト「誰勾当様へ参つて御座れば、早やあれにお揃ひで追付け是へお出で御座る▲シテ「お出なされたらば此方へ知らせ▲アト「畏て御座る▲頭「なうなう何もござるか▲立衆「是に居ます▲頭「唯今当人から呼びに参りました、いざ参りませう▲立衆「一段とよう御座らう▲頭「さあさあお出なされい▲各「心得ました▲頭「菊市来たぞ▲アト「ようお出なされました▲頭「其通りを言へ▲アト「畏て御座る、申上げまする{*1}▲シテ「何事ぢや▲アト「何ものお出でゞ{*2}御座る▲シテ「かうお通りなされいと言へ▲アト「畏て御座る、かうお通りなされいと申しまする▲頭「心得た、菊市汝に杖を預けるぞ▲アト「畏て御座る▲立二{*3}「某も預けう▲立三「身共も頼むぞ▲アト「心得ました▲頭「お当、目出度御座る▲シテ「さあさあ何もかうお通りなされい▲頭「皆かう御座れ▲立衆「心得ました▲シテ「やれやれようこそお出なされたれ、扨、何と思召す、相変らず妙音講を勤めまするは、偏に弁財天のお蔭と存じまする▲頭「御意の通りで御座る、此上は何卒弁財天のお蔭で、皆仕合を致し出世の義を願ひまする▲シテ「扨、今日はゆるゆる遊びませう、菊市お慰みに盃を持つて来い▲アト「畏つて御座る、お盃を出しました▲シテ「先づ亭主役にお燗を見ませう▲頭「一段とよう御座らう{シテ呑で立衆へさす}▲シテ「夫へ進じませう▲頭「是へ下されい▲シテ「給べよごいて{*4}御座る{立頭うける菊市いづれもへ{*5}酌をする}▲頭「扨も扨も御念が入つたと見えまして結構な御酒で御座る▲シテ「何とござるぞ▲頭「扨、お次へお盃を廻しませう▲立二「戴きませう{盃の挨拶如常}▲シテ「扨、誰殿へ菊市が予て御訴訟が御座る▲頭「夫は何事で御座る▲シテ「近頃御苦労ながら、こなたの平家を聴聞致したいと申しまする、一句語つてお聞かせなされい▲頭「此、御歴々の中で私へ御所望は迷惑で御座る御宥るされませ▲シテ「いやいや是は互に稽古の為で御座る是非共御所望申しませう▲頭「夫ならば不調法ながら一句申しませう▲シテ「菊市ようきけ▲アト「是は有難ふ存じまする{頭、平家語る}抑、一の谷の合戦破れしかば、源平互に入乱れ向う者のおとがひを切らるゝ者もあり、逃ぐる者{*6}の踵を切らるゝ者もあり、忙がはしき時の事なれば、おとがひを取つて踵に附け、踵を取つておとがひに附けたれば、生うず事とて踵に髭が、むくりむくりと生えたりけり、冬にもなれば、切れうず事とておとがひにあかゞりが、ほかりほかりと切られたりけり▲各「よいやよいや▲頭「不調法を申しました▲シテ「菊市聞いたか、平家と云ふ物はあのおんが大事ぢや▲アト「左様さうに御座りまする▲衆「扨、お盃を段々次へ廻はしませう{シテより小唄諷出す{*7}}▲頭「盃を暫く夫に置かせられい何と御亭主此間にひとさし舞はせられぬか▲シテ「お慰みになりませうならば成程舞ひませう、何も地を諷うて下されい▲各「心得ました{と云ふて小舞、まふ過て各ほめる}▲各「よいやよいや▲シテ「可笑事で御座る▲頭「何やら面白さうな事で御座るのう▲立衆「其通りで御座る▲シテ「扨御酒は先づ入れまして、又後程料理の上で上げませう▲頭「夫がよう御座らう▲シテ「菊市盃をとれ▲アト「畏つて御座る▲シテ「扨今日は何をして遊びませう、お物好を仰せられい▲頭「私はあの碁と云ふものは脇から聞いて居れば、ぱちぱちと鳴つて面白さうなもので御座る、どうぞあれをしてみたう御座る▲シテ「いやいや碁と言ふ物は石数も多し、中々盲人計りでは白黒が判りますまい、是はなりますまい▲立二「将棋は何と御座らう▲シテ「将棋は駒に印を付けて、さす衆がありさうなが、盲人ばかりの寄合には、見物の慰みは少しも御座らぬ、是もなりますまい▲立三「双六はきをいが有て面白さうなものぢや、双六にさせられい▲シテ「是はなほなりますまい▲頭「何故にで御座る▲シテ「素人衆のおうちあるを聞きますれば今のは目が出たの、いや眼が、引込うだのとおせありまする、中々私共の連中には差合で御座る▲立三「成程是は、けふがつた差合で御座る▲シテ「私の存ずるは、あの鞠と云ふ物は面白さうな物ぢや、どうぞ蹴て見たう御座る▲頭「何れぽんぽんと鳴つて、おもしろさうな物で御座る▲立二「いや先づ待たせられい、蹴るはけませうが落る所が知れますまい▲シテ「夫はよい仕様が御座る、鞠に小さい鈴を付けて其鈴の鳴る所を聞いて蹴ませう▲頭「是は御才覚で御座る▲シテ「菊市、鞠の用意をせい▲アト「畏て御座る▲シテ「皆用意をさせられい▲各「心得ました▲アト「さらば鞠を上げませう▲シテ「夫ならば私から蹴だしませう▲頭「よう御座らう▲小アト「急の使に参る者で御座る、先づ急いで参らう、此内がいかう賑々敷、何事ぢやぞ、いや座頭共が大勢寄つて鞠を蹴る、少し嬲つて見よう{此間に各シテより鞠をけだす鈴の音を聞て皆々はりやはりやと云ふてける、小アト鞠を持て歩行角々にて鈴を振鳴らす一統に走りよつてけるつまづき行あたりける小アトおかしがりて笑内にシテ聞付て}▲シテ「やいやい菊市目開きが来て嬲るさうな▲頭「何れ笑う声がしまする▲シテ「皆杖をお越せ▲アト「心得ました{と云ふて杖を銘々に渡す}▲シテ「皆油断させらるゝな▲各「合点で御座る{と云ふて杖にて追ふ小アト其内に小股を取り転して笑う同士打抔有菊市シテを打追込入也}▲シテ「どれに居おるしらぬ▲小アト「此処ぢや此処ぢや▲各{*8}「えいとうえいとう。

校訂者注
 1:底本は、「申上けまする」。
 2:底本は、「お出でゝ御座る」。
 3:底本は、「▲立三「」。
 4:底本は、「給べよこいて」。
 5:底本は、「菊市へいづれもへ」。
 6:底本は、「逃ぐるゝ者」。
 7:底本は、「シテより小諷出す」。
 8:底本は、「▲名「」。