曽呂利茶室落語(第十五話)
第二世曽呂利新左衛門 口演
丸山平次郎 速記

〇 線香の立切(たちぎれ)

 へい。申し上げますこれ(本話)は、船場のごたいけ(御大家)の若旦那で、夜ごと日ごとに、お茶屋遊びを繁くなされますので、つひに、当分は二階住まゐとしてございますので、それに脱けつ隠れつして、お茶屋にお出でになります。或る日の事、一け(家)御親類、皆御集まりになつて、いろいろと御相談をしておいでになります。若旦那は、二階に退屈さうに、草双紙か何か見ておいでゞありましたが、
▲若旦那「こら。丁稚。
▲丁稚「へい。
▲若旦那「今、した(階下)にわやわや、さゝやき話がはずんで居るが、どなたかおいでか。
▲丁稚「へえ。秋田のおいへ(家婦)さんと兵庫の旦那さんがお出でなすつて。
▲若旦那「ふーむ。秋田の伯母貴と兵庫の伯父貴が来て居るか。
▲丁稚「はあ。秋田の伯母貴と兵庫の伯父貴が来て居ります。
▲若旦那「おのれが、伯母貴だの伯父貴だのつて云ふ事があるもんか。おほかた、俺の事だらう。
▲丁稚「左様、左様。皆、おのれの事です。
▲若旦那「何をぬ(吐)かすのぢや。おのれと云ふやうな物の云ひ様があるものか。
▲丁稚「親旦那様が、あなたの事を云うてなすつたぜ。かね(金)食ふ虫がわい(発生)た。と。あんた、かね食ふ虫ですか。
▲若旦那「あほぬかせ。
▲丁稚「親旦那様が、うちにもう置いとかん。放り出して仕舞ふ。と仰やつてゞございます。あなたの伯母さんが、まあともかくも、わし(私)のうちへ預かつて置かう。と仰やいました。
▲若旦那「ふーむ。秋田の伯母貴は、わしを預かつてい(帰)なうと云うてたか。伯母貴あ、をなご(婦人)ぢやけれども、胸の広い人ぢや。
▲丁稚「あゝ。私や、行水して居なさる時に見ましたが、胸はひとゝほり(通常)でございました。
▲若旦那「あほ云へ。さうぢや無いわい。あの伯母貴は、をなごでこそあれ、男優りぢや。わしを預かつていなう。と云ふのは、向かうのうちに、不器量の娘がある。俗に、にん(人)三ばけ(化)七。と云うて、人間が三分、化け物が七分と云ふんぞ。もう奇天烈奇体、へんてこな顔ぢや。嫁入りさゝうと云つたからつて、何人も貰ひ手が無い。と云ふ、余程の不器量だ。けども、そこが親のなさけ(情)だ。やはり、それ相応のをとこ(夫)を持たして遣りたい。と云ふ伯母貴の量見で、つれていんで、その不細工な娘とめをと(夫婦)にしよう。と云ふやうな話であらう。うん、さうか。
▲丁稚「何云うて居なさる。そんな旨い事がおますもんか。それならば、余程よいのですけども、このあひだ博労した牛が、ちよつと手荒いよつて、あれをつれて畠に放り出したら、よい加減に角で腹を破られて、ごね(死)るやらう。と云うてはりました。
▲若旦那「伯母貴あ、まるで鬼見たやうな量見だな。いよいよさうか。
▲丁稚「さうしたら、兵庫の旦那様が仰やいますには、そんな事をすると、見る眼がいぢらしいよつて、それよりか、わしのうちへつれて帰らう。と仰やいました。
▲若旦那「ふーむ。成程、さすがは伯父貴は伯父貴だけだ。また、男の量見は違うたもんぢやな。わしをば兵庫へつれて帰つて、北風とか何とか云ふ立派な処へ、お手代奉公にでも当分入れて置かう。と云ふ、伯父貴の量見だ。
▲丁稚「そんなんなら、ゑらい宜しうございますけれども、そやおまへん。
▲若旦那「どうしようと云うてた、伯父貴は。
▲丁稚「和田の明神さんのすぐ前に、一艘、破れ掛かつた船がございます。その船にあなたを乗せて、ちよいと風があらぶ(荒吹)く日に、沖へ指してどーつと突き出して置けば、その暴風のために船が引つくり返つたら、ふか(鮝魚)の餌食にでもなるだらう。と。
▲若旦那「まるで、三しやう(荘)太夫の親戚見たやうな奴ばかり、寄りあがつたんだ。いよいよそれに、話がきまつたのか。
▲丁稚「へえ。番頭さんが仰やるにやあ、そんな事をするのも無益な事ぢやによつて、それより一層、ものもらひ(乞丐)にしてお上げなすつたらどうでございます。と。
▲若旦那「何。ものもらひとは何ぢや。誰が云うた。
▲丁稚「番頭さんが。
▲若旦那「ふーむ。
▲丁稚「そして今、おもよどんが頭陀袋を縫うて居ります。茶碗の割れたんやらお椀の欠けたのと、箸も一膳。そして、あなたのきたな(穢)お寝まき、細帯。ちやんと今、手廻して居ますので、いよいよこんにち(今日)から、あなたはこつじき(乞食)でございます。ちよいとかう見ますと、だいぶあんた、こつじき顔になつて来ましたぜ。まあ往つておくれ。
▲若旦那「あほぬかせ。そつち行きあがれ。
 若旦那は血相変へて、
▲「人間はわづか五十余年。我、ぎやつと生まれた時は裸で、又死ぬ時も裸で死ぬのぢや。うちの死にぞこなひ親爺が、頑固な事ばかりぬかしてけつかる。遂には番頭までが、人をこつじきにするなんて、生意気な事をぬかし居る。
 二階より真赤な顔をして、だんばしご(段階子)をとんとんとんとんと降りて、下のお座敷へ参りましたが、一け(家)親類のお方はこの勢ひに、縁先へ転げて落ちるお方があるやら、おもてへ逃げ出す人もあり、すのこ(簀子)の下へ這うて入る人もあり、片つ端から乱暴にも頭を殴り倒して歩くんですから、みんな散り散りばらばらに、お座敷にはお人が無くなりましたが、さすがに番頭は驚きも致しませず、煙草盆をひか(扣)へて、ぱくりぱくりと煙草を呑んで居ります。
▲若旦那「おい、番頭。貴様はえらいもんぢやな。聞きやあ、わしをばこつじきにしよう。と云うたさうだな。余程面白い。貴様は何程えらいもんじや。貴様は番頭番頭と云うて、番頭と云ふ者は、どのくらゐ権利のあるもんぢや。ね(根)を調べて見たら、貴様は丁稚のかうへ(劫経)たんだらう。おれをこつじきにするなんて、ちよこざいな事を云ふなへ。たとへ放蕩の俺でも、番頭の貴様が俺をこつじきにしようと云ふ、そんな権利があるまい。出来るものなら、さあ、こつじきにせへ。さあせへ。せんかへ。さあしろ。
▲番頭「へゝゝゝ。
▲若旦那「何ぢや。へゝゝゝなんて。さあ、早くさらさんかへ。
▲番頭「若旦那。さらさんかなんのつて、そんなどうも不品行な言葉使ひがございますか。さらせ。と仰やらいでも、もとより私が旦那様より御依頼受けて、あんたをこつじきにするのです。おせ(急)きなさらいでも宜しい。こつじきにして上げます。
▲若旦那「さあせへ。早うさらせへ。
▲番頭「なさけ無い。あなた、さらせの何のと。今します。こら、こども(丁稚)。
▲丁稚「へい。
▲番頭「そこに、若旦那のお寝まき、めんつう(麺桶)、頭陀袋、お椀茶椀の欠けたの、いろいろあるから、こゝへ持つて来い。よしよし、そこへ置け。さあ、若旦那。ちよつとそつちへお向きなさい。
▲若旦那「番頭。こつじきにせんかへ。
▲番頭「しますから、そつちへお向きなさい。
▲若旦那「番頭、どうする。わしの帯に手を掛けて。あれ、帯を解いて。
▲番頭「どうするつて、この帯とおし換へ申して、こつじきにするのです。
▲若旦那「あ、番頭。ほんまにわしをこつじきにするのかへ。番頭、ほんまなら、ちよつと待つておくれ。
▲番頭「そんな卑怯なこと仰やるな。あなた、こつじきにしてくれ。と仰やるし、私やこつじきにしようと思つて居る処で、願うても無い。さあ、ちやつと着物を早く、お脱ぎ遊ばせ。
▲若旦那「番頭、ちよつと待つておくれ。わしあ、こつじきは虫が好かん。
▲番頭「誰だつて、こつじきが虫の好く者があるもんですか。あんまりぱつとした仕事ぢや、ございません。世間の人が、よう諺に云ひますな。こつじき三日すりやあ、忘れられぬ。と。随分、人さんのおあまり(残物)をよばれると云ふのは、ゑらい気の軽いもんださうです。まあ、試しもんだ。三日ぐらゐ遣つてごらう(御覧)じろ。さあさあ、ちやつと着物を着換へ遊ばせ。
▲若旦那「まあ番頭、待つておくれ。今の様に気強う云うたのは、実に私が悪かつた。これから改心して、おとなしうする程に、お前からおとつ(父)さんにさう云うて、堪忍して貰うておくれ。
▲番頭「いえ。もう若旦那、そんな事は、私やあ。仏の顔も三度。と云ひます。千度も万度も聞き飽いて、耳にたこが当たるくらゐです。まあともかくも、たとへ三日でも、こつじきをなさりませ。
▲若旦那「番頭、どうぞ堪忍しておくれ。その代はり、堪忍してくれとばつかりでは、お前がほんとうにすまいよつて、どんな無理でも聞く。眼でかうかう(沢庵)を噛め。と云へば、かうかうでも噛んで見せるよつて。それが何よりの証拠ぢや。と思うて、こつじきにするのを堪忍しておくれ。
▲番頭「成程。そりやどうも、恐れ入りました。こら、こども(丁稚)。
▲丁稚「へい。
▲番頭「かうかうひと切れ、持つて来い。
▲若旦那「番頭。かうかうひと切れ持つて来て、なんするのや。
▲番頭「あなた、眼で噛みますのを、私や、見せて戴きます。
▲若旦那「そんな事をお前、西洋のてづまし(手品師)でも出来るものかへ。
▲番頭「それでもあなた、今、眼でかうかう噛む。と仰やつた。そりや、いつはりですか。
▲若旦那「そりや、物の道理を云うたんだ。
▲番頭「そんな、道理のかな(適)はん道理がありますもんか。
▲若旦那「今云うた通り、お前の云ふ無理は、どんな事でも聞く。どんな無理なと云うておくれ。
▲番頭「成程。すると、私の云ふ事は、何に限らず、いや(否)とは仰やらんな。
▲若旦那「はあ。どんな事でもお前の云ふ事は、私や、そむきはせん。
▲番頭「宜しい。なが(長)うとは申しません。こんにち(今日)より百日間、蔵へお入りなさいまし。
▲若旦那「誰といな。
▲番頭「あんた御一人で。
▲若旦那「そんな無茶あ云ひなへ。百日も蔵の中にたつた一人、淋しうて入つて居られるもんかへ。
▲番頭「入つて居られぬ。と仰やりやあ、仕方がない。それぢやあやつぱり注文通り、こつじきに。
▲若旦那「そんな無茶あ。
▲番頭「そんなら百日、お入りなさいますか。
▲若旦那「それぢやと云うて。
▲番頭「それぢやあ、仕方がない。やつぱりこつじきに。
▲若旦那「百日は酷いなあ。番頭、せめて五十日に負からんか。
▲番頭「私なあ、掛け値が無いので正札です。
▲若旦那「まるで大丸の商ひみたやうに。
▲番頭「百日がいやなら、やつぱりこつじきに致します。
▲若旦那「や、入る入る。もう、お前がそんなに云うてるのなら、百日は愚か二百日でも入ります。
▲番頭「そんなら二百日。
▲若旦那「やつぱり百日に負けて置いて。
▲番頭「その代はり、百日の蔵住まゐの間は、あなたの好きな物を、何不自由無い様に、私が取り寄せてお上げ申します。で、百日だけ御辛抱遊ばせ。
 若旦那は承諾致しましたから、番頭は若旦那をば、一番の蔵へさして案内致しました。蔵の戸前をがらがらがら。若旦那を放り込みまして、ぴしやつ。と、錠前をおろしました。
▲若旦那「番頭、無茶やなあ。こんな湿気臭い処へ放り込まれて、こんな処に百日も居られるものか。
 わあわあと、若旦那は蔵の中で泣いて居ります。番頭は、大きな顔をして、台所に入つて参りました。一け(家)親類のお方は、すのこ(簀子)の下から蜘蛛の巣だらけになつて、這うて出るお方もあれば、縁先の飛び石に頭を打つて、ひたへぐち(額口)にでこぼこを拵へて出てくるお方もあれば、いろいろでございます。
▲一同「番頭どん。あゝ、こなたなればこそ、あれ程までに意見を云つて下すつた。何分、この上ながら番頭どん。お頼み申します。
▲番頭「寄つてたかつて、番頭どん、番頭どん。と、扇でそないにしておくれなさいますと、旦那様。風をひきますわいな。
 親類のお方は、この番頭に、万事頼む。と申して引き取りました。旦那も、大きにこれで、御安心になりましたが、何ゆゑにこの番頭が、若旦那をば、百日も蔵に放り込みましたかと云ふ、その原因は、至つておとなしい若旦那でございましたが、放蕩にはなり易いもので、町内に懇親会がありまして、御町内の息子達に誘はれて、ちよつと遊んで来ようか。と云ふので、難波新地へ遊びに参りまして、あまたげいぎ(芸妓)をよんで、散財を致しました処が、三栄の店から出て居ります、小糸と云ふ十七八のげいぎ(芸妓)が、ふと眼に止まりました。
▲「あゝ。容顔美しいをんなぢやなあ。
 と思つたんです。小糸の方でも、川竹にいい男の役者も沢山あるが、役者にもおさおさ劣らんいゝ男ぢやな。わたし(妾)もつま(褄)持つてる限りには、こんないゝ男と、たとへ一や(夜)でも、添ひ寝がして見たい。と云ふ処から、互ひに深い仲になりました。この小糸のやかた(妓宅)は、相生町でございます。若旦那は、この小糸のおうちをば、我がうちのやうにして、ま(間)がなすき(暇)がな、小糸のうちにばつかり入り込んでおいでありましたが、お茶屋へはな(揚代)を附けといて、そして小糸のうちに遊んで居ると云ふのですから、更に小言を云ふ処も無し。若旦那は、遊びにおいでになりますると、きればなれ(散財)が鮮やかですから、さと(花街)のをなご(妓輩)は申すまでもなく、立つ子いざる子までも、若旦那、若旦那。と、槌で庭掃くやうに申します。その若旦那が一日、ふつゝりお越しがないので、
▲小糸「お母はん。若旦那、昨日いちにちお出でやなかつた。今日もお出でがない。どうしたんであらうな。
▲母「さいな。なぜお越しがないのであらう。何か若旦那にも、手のし(外)けん用事でも出来たのであらう。
▲小糸「それだつて、今日も又お出でがない。お母さん。一本手紙上げたらどうであらう。
▲母「成程。手紙書きでへ。飛脚をよびに遣るよつて。これ、お松。お前、横町へ行つて、○○の店で、どなたぞちよつと来て。と、早うい(行)ておいで。
▲お松「はい。
 と、おちよぼ(少婢)はおもてへ飛び出しました。引つ返して、使ひの者、
▲「へえ。只今は。
▲母「おゝ、使ひの。この手紙、船場の。お前、知つてやらう。若旦那の処へ、お返辞を。と云うて、これ持つて、行つておくれ。
▲使丁「へえ。成程、あの若旦那様まで。へえ。心得まして、お返辞を承つて参ります。
▲母「速うい(行)て来ておくれ。
▲使丁「へえ。畏まりました。
 と、船場の若旦那のたく(宅)へ、出て参りました。番頭は、結界の内らで何か、二一天作。と、そろばんはじゐて居ります処へ、
▲使丁「へえ。こんにち(今日)は。
▲番頭「へい。お前は。
▲使丁「みなみ(南地)の小糸さんのはう(方)から参りました。
▲番頭「はい。何か御用かな。
▲使丁「このお手紙を、若旦那様にお返事を承つて参れ。との事で。
▲番頭「若旦那様は、只今、お留守じや。お帰りなすつたら、渡して置きませう。
▲使丁「なにぶん、宜しう。左様なら。
 番頭は、その手紙をば、帳箱のひきだしの錠前の下りる処へ放り込んで、錠をおろして仕舞ひました。小糸の方では、今に便りがあることか。と待つて居りましたが、翌日になつても何の便りもございませんから、又飛脚に手紙を持たして遣りました。
▲使丁「へえ。こんにちは。どうぞ、このお手紙を若旦那様へ。
▲番頭「はい。今、お留守じや。お帰りなすつたら、渡して置きます。
▲使丁「なにぶん宜しう。左様なら。
 番頭は、又ぞろ、以前の通り仕舞ひ置く。又翌日になつても便りが無いから、又飛脚に手紙を持たして遣る。若旦那はお留守ぢや。帰りになつたら渡して置きます。何べん云うても、こりや同じ事です。が、のつけ(最初)二三にち(日)は、二本か三本の手紙でしたが、十日目あたりになると、十四五本の手紙。二十日目頃になりますると、三十四五本。三十日目には五十四五本六十本。四十日目には七八十本九十本と、だんだんおびたゞしい数になりましたが、八十日目の夕景より、どうした事か、一本の手紙も来ないやうになりましたから、番頭は、
▲「あゝ。で(勤)て居るおこ(妓婦)と云ふものは、実意のあるやうなものでも、無いものぢやな。先様では、百日と云ふかぎり(期限)は御存知あるまいけれども、あゝ、これまで手紙をおこ(寄越)したなれば、もう僅かな日限ゆゑ、続いておこしさうなものぢや。今一つと云ふ処が、不人情なものじやなあ。
 と、申して居りますうちに、はや百日の期限になりました。御両親は申すに及ばず、家内の者まで、ひとかたならぬ大喜びでございました。小豆の入つたおまんま(御飯)をたくやら、そら。おなます(膾)じや。焼き物じや。と云ふので、料理人が入つて、たいへんな御馳走で、番頭は、蔵の戸前をがらりつとあけまして、
▲番頭「へえ、若旦那。こんにちは。
▲若旦那「おゝ、番頭かあゝ。久しいな。
▲番頭「若旦那。こんにち(今日)は、百日のあがり(満期)になりました。ながのあひだの蔵住まゐ、さぞかし御窮屈にいらつしやいましたのでございませう。親旦那様も、たいへんのお喜びでございます。こんにち(今日)は、一同お祝ひ。と云ふので、あなた様にも、氏神様へ御参詣遊ばすやう。もう、只今お風呂も沸きます。とこせい(床清)も来て居ります。散髪も一ぺん揃へてお貰ひ遊ばして、そしてみなみ(南地)の小糸さまの処へも、お出で遊ばしますやう。
▲若旦那「番頭。さうすと、もうけふ(今日)は、百日のあがりか。
▲番頭「御意にございます。
▲若旦那「あゝ。光陰は矢を射るが如く、月日に関守無い。とは、よう云うたもんじや。私がこゝへ入つた二三にち(日)と云ふものは、寝るどころの騒ぎではない。よるひる泣いてばつかり居た。あゝ。これと云ふものも、みんなわしが悪いのじや。我が身をくやんで居たが、けふび(頃日)になつて見ると、浮世の事はすつかり忘れて仕舞うて、結句、蔵のうちの住まゐが閑静で、至極宜しい。番頭、けふ(今日)からもう百日、こゝに居たいよつて。どうじや。お前、百日だけ附き合はんか。
▲番頭「滅相な。それにやあ、及びません。しかし、若旦那へ、みなみ(南地)の小糸さんの方からあんたにさして、お手紙が来てございますので。
▲若旦那「あゝ。もう番頭、もうそんな事云うて。山行け、里行け。もうすつかり、小糸の事を忘れて居たのに、あいつの事を云ひ出だしてくれてやと、寝て居るこどもを起こすやうなものじや。もうそんな事は、少しも云ひつこなし。あゝ、きんじやう(謹請)再拝。
▲番頭「あゝ、いやいや。若旦那、さうじやございません。申さん事は分かりません。あなたをば、蔵へお入れ申したその翌日、小糸さんの方からお手紙が参りました処で、何分に若旦那がお留守でございますゆゑ、お帰りになりましたらお渡し申します。と云うて、その日は飛脚を返しました。又翌日、手紙が参りました。これも、お留守だと云うて返しました処が、来た来た。毎日毎日、何本来ましたか、若旦那。八十日目に至りますまで、来ました手紙の数が、何本とも云へません。帳箱のひきだしに、いつぱいになつて入りませんから、硯箱のひきだしに入れました。又、はんびつ(半櫃)にいつぱい詰めました。まだ入らないで、あきびつ(明櫃)にいつぱい。あのはんぎり(半切)や状袋だけでも、はしたな銭じや、ございません。処が、八十日目の夕景限り、只の一本も手紙が来ません。すつかり、鼬の道切りと云ふ奴で。若旦那。で(勤)て居るおこ(妓)と云ふものは、しん(真)に浮気稼ぎですな。さき(先方)では、百日と云ふかぎり(期限)のあることは、そりや知りますまい。だが、もうはつか(二十日)程の日で、百日の期限になるのに、一本の手紙も寄越さんと云ふは、しん(真)に不実なもんでごあ(御坐)すな。だからもう、若旦那へ。あんまりいろまち(花街)へはふかはま(深陥)りを遊ばさんやうに。月のうち、まづ一度か二度か、ようい(行)て三度くらゐなことに遊ばすやう。
▲若旦那「番頭。わしあ、もういろまち(花街)へ再び行かうとは思はん。もうもう、眼が覚めました。
▲番頭「いえいえ。さうぢや、ございません。いろまち(花街)は、気保養に行く処であります。行くべき処なればこそ、かみ(政府)からも許してある処でございますが、一二度なら、おいで遊ばせ。その節には、番頭、お供を致します。若旦那。まあこの手紙、一本だけごらう(御覧)じませ。
▲若旦那「あゝ、番頭。もうそんなことを云うて。もう、それにや及ばん。
▲番頭「いえ。さうぢやございません。それぢや、私の念が届きません。あれ程までに番頭に頼んであるのに、若旦那に一本の手紙も見せてくれんのか。あゝ、あの番頭は不深切な者や。と云はれても、嫌ですから。まあまあ、どうぞ一本、ごらう(御覧)じなすつて。
▲若旦那「いや(否)いや。
 いや。と云ふ若旦那に、番頭は一本の手紙を突き付けました。その手紙は、あまた来た手紙の中でも、一番最後の日の終はりに来た手紙で、若旦那には、開封して御覧になりますと、いやもう、女の手紙の文句は、大抵お定まりでございます。ひとふで(一筆)しめし参らせ候。左様候へば。と書いて、中程に、この手紙があなたのお手にはいつて、こよひ(今夕)来て下さらなければ、これがこのよ(現世)の別れにならうかも知れぬ。おしき筆とめ候。かしこ。と、読むうちに、若旦那は身の毛がぞつとよだつ(粟生)やうになりました。
▲若旦那「番頭。髪結ひは来て居るか。
▲番頭「参つて居ります。
▲若旦那「うん。湯も沸いてるか。
▲番頭「へい。
▲若旦那「よし。湯に入らう。
 これから若旦那は、お湯にお入りになりまして、散髪をば刈り、ちやんとおみなりをばおこしらへになりまして、
▲若旦那「番頭。そんならわしや、氏神へ参詣して来る。
▲番頭「あゝ。もし、若旦那。氏神さんへ御参詣ならば、どうぞ小糸さんの処へ、ちよつとでもい(行)て上げて下さいまし。さもない時は、私が小糸さんに、何とも申し様がございませんゆゑ、是非い(行)て上げて下さいますやう。
▲若旦那「うん。よし、行きます。
▲番頭「それでは若旦那。お紙入れにお金が入つてございます。こりや、こども(丁稚)。若旦那のお供をして。
▲丁稚「畏りました。
▲若旦那「さあ、こぞう(丁稚)。
 と、若旦那は丁稚をつれて、おもてへさして御出ましになりました。なかなか氏神様へ参詣する気色は、更にございません。もはや、足の地に着いては居りません。すたすたすたと、一散走り。丁稚は、途中から若旦那にはぐれましたやうなことで、若旦那は、みなみ(南地)の小糸のもとへお出でゝございましたが、かう云ふ内気な若旦那でございますから、「お梅、うちかへ」と云うて、ずーつとお入り遊ばさず、庭まで入つて片手で暖簾を上げて、「お梅」と云ふ声に、居眠つて居ましたお梅は、
▲「どなた。はい、どなたです。
▲若旦那「わしぢや。わしぢや。
▲お梅「おや。あなたは若旦那。これ、お竹。お春。お富。起きておくれ。若旦那がお出でだ。
 下女、仲居までも呼び起こされ、若旦那と云ふ声を聞いて、一とき(時)に眼を覚ましました。
▲「おや、若旦那。あれー。くるくるくるくるくる。
▲若旦那「何ぢやい。まるで、くるまき(絞車)ぢや。
▲お梅「まあまあ、若旦那。どうなすつたんですなあ。あんたのやうな、ほんまに分からぬ、聞こえんお方は、ありやしまへん。
▲若旦那「成程、その腹立ちは、もつとも。私が御無沙汰をして、たよりをもせなんだのは、実に悪かつた。これには、段々と様子のある事。まあ、ぼつぼつ話すよつて、ともかくも、小糸はどこへい(行)たか。はな(座敷)にか。むゝー。どこへい(行)た。
▲お梅「はい。ちよいとあの子は。
▲若旦那「あの子がどうした。
▲お梅「ちよいとそこまで。
▲若旦那「どこへお参りしたか。こんぴらさん(琴平山)か、お稲荷さんか、お大師さんか、みやうけん(妙見)さんか。
▲お梅「いえ。
▲若旦那「どこへお参りした。
▲お梅「いえ、あの子は。
▲若旦那「はな(座敷)に行つてるのか。行つてる先あ、分かつて居るだらう。あー、呼んで来い。さあさあ、お梅。どうぢやいな。
▲お梅「いえ、若旦那。あの子は、どこへも行つてゝはありません。うちに居ります。
▲若旦那「髪結うてるのか、体仕舞うて居るのか。お梅、なあこれ。気を揉まさんと置かんか。押入れの中へでも入つて、後ろからそつとびつくりしさすと云ふやうな事は、洒落が古い。感心せぬ。あの子は、どこに居るのぢや。
▲お梅「はい。あの子は、ついそこよ。
▲若旦那「ついそことは、どこに。
▲お梅「若旦那。こゝに居ます。
 と、仏壇を、すーつと開きますと、新しいしらき(白木)の位牌がありまして、おこつい(骨入)れが、ちやんとそばに置いてあります。
▲お梅「あゝ、若旦那。あの子はそこに居ます。
▲若旦那「お梅。そんなつまらないてうぶく(調覆)は、置かんかへ。いかに仏壇の中ぢやつて、位牌だのお骨入れ。そんな面白くもない洒落を、せんと置かんか。
▲お梅「若旦那。あなたは何も、お知りやあしませんなあ。
 と云ひつゝ、お梅はわつ。と泣き伏しまして、
▲「若旦那。あの子はもう、とほ(以前)に死にました。
▲若旦那「げえー。死んだ。お梅、これ。
 と、だしぬけにお梅の胸倉をば取る。
▲お梅「若旦那。そんな無茶しなすつたら、のど(咽)の仏さんがお見舞ひ申しますがな。こゝ、お離し遊ばせ。
▲若旦那「こりや、御梅。死ぬなら死ぬと、何で一ぺんわしの方へ答へて、それから死なんのや。
▲お梅「そんな無茶なこと、仰やる。若旦那、私の方からあなたの方へさして、お手紙上げたのは、何本の事ですか。一日あなたがお出でがないゆゑに、あの子、案じて、お母さん。若旦那は、昨日も一日お出でがなし、今日も又お出でがない。若旦那には、ほかに好きなお方が出来、わたしには愛想尽かしてやつたのやらう。おかあ(母)、どうしませう。お手紙をば、一本上げて見ませう。と云ひますよつて、ともかくも、手紙をお書き。と、あの子に書かせ、○○の飛脚をよびに遣り、渡して遣りました処が、若旦那はお留守ぢや。お帰りになつたら渡して置かう。と云ふ帰り返辞。又翌日も、手紙をば持たせて上げても、やはり同じ返辞。あの子の書いた手紙だけでも、三百八十七本。私の書いた手紙が四百二十六本。お富、お松、お春、お竹は、皆ひとり前三百五六十本づゝ書いて遣り、遊びに来る人寄る人さはる人、のこらず頼んで書いて貰うた手紙は数知れず。なんぼ手紙上げても、いつもながら、お留守ぢや、お留守ぢや。とばかり。それからあの子は、うんうんと気に病んで、遂にはとこ(病床)に就いて、骨と皮とばかりになり、泣いてばつかり居てた。母さん。わたしや、若旦那に見捨てられた。どうしませう。と私ばかりをば、毎日責めます処で、あなたが誂へておくれ遊ばした、比翼紋の三味線を、若村屋から、出来た。と云うて、持つて参りました。それを早速、あの子に見せて遣りました。これ、小糸や。若旦那のお気の変はらぬ証拠。これ、御覧。若村屋から三味線を持つてお出でになつた。これは、若旦那のお気の変はらんと云ふ、何よりの証拠ぢや。私がさう云うて、気休めに、骨と皮とになつて見る蔭もないやうに痩せたその顔に、只嬉しさうとにつこりと笑うたその顔が、若旦那。私や、眼の先に見えるやうでございます。お母さん。その三味線が、弾いて見たい。どうぞ、つ(接)いでおくれ。と、三味をついで糸をかけ、駒を掛けて遣りましたら、いだき起こしてくれ。と云ふので、後ろから、しつかり私がかゝえて起こして遣りました。調子をば、あの子が合はせ掛けましたが。お母さん。耳がぢやんぢやんと云ふので、調子が分からん。お母さん、調子を合はしておくれ。と、あの子が云ひますから、私が調子を合はして遣つて、後ろからかゝえて居ましたが、一つ二つ弾き始めますと、それがこの世の別れ。若旦那。そのまゝあの子は、死にましたわいな。
▲若旦那「さうか。そんな事、夢にも見なんだ。せめて夢になりとも見さうなもの。それと知つたならば、どないなとして来やうに。お梅。私が内を外にしたばつかりで、番頭がおれを、ちようど百日の間の蔵住まゐ。それ故に、いくらか来たその手紙は、みんな番頭が、ちう(中間)で計らうたこと。かう云ふ事と知るならば、たとへどうしてゞも、蔵を押し破り、小糸の死に目に会はうもの。いまはの時に会はなんだのが、わしや、何よりの心残り。お梅。私や、もう帰ります。そのうちに又、訪ねるとして。
▲お梅「あゝ。もしもし、若旦那。このまゝお帰り遊ばすと、折角あなたが来ておくれ遊ばしたのに、私も何やら心残り。今日はちやうど、あの子の三七日。精進物ですけれども、ひとくち飲んで帰つておくれやす。で、あの子のともだちのおこ(妓)二三人、よびに遣りますよつて、一ぺん、そのこ(妓)にも、会うて遣つておくれ。
▲若旦那「さあ、そんならまあ、ともかくも。
▲お梅「若旦那へ、どうぞあの子が居りませいでも、やはり居るやうに思し召して、みなみへん(南地辺)方角へお出での節は、どうぞ是非、お立ち寄りを。
▲若旦那「へい。寄せて貰ひます。
▲お梅「さあ、ひとくち召し上がれ。
 と、精進物で一盃飲んでる処へ、ともだちのげいこ(芸妓)がおもてから、
▲芸〇「はい、ねえさん、こんにちは。
▲芸△「はい、こんにちは。
▲芸●「はい、こんにちは。
▲お梅「おや。ちよねやん、ぼてやん、ぼてづる(鶴)さん。
 わたし(曽呂利)の方のげいこ(芸妓)さんの名前は、皆へんてこな名です。お差しつかへにならん様に、これ(此名)に極めて御座います。三人のこ(妓)が、入つて参りまして、
▲芸〇「ねえやん。お淋しうございます。
▲お梅「毎度大きに。よう訪ねておくんなすつた。今日はな、船場の小糸のあの若旦那が、来てやつたで。
▲芸〇「おや、あの若旦那が。ねえやん、御免やす。
 と、三人は、奥へ指してづかづかと、入つて参りました。
▲芸〇「若旦那。
▲若旦那「ちよねやん。
▲芸△「おや、若旦那。
▲若旦那「ぼてやんか。
▲芸〇「まあまあまあまあ。若旦那、あんたのやうな、分からぬお方はあらしまへんし。小糸やんも、もうもう、あんたの事ばつかり云ひ詰めて、到頭、つひには焦がれ死に。あんた、ほんまに分からんやおまへんか。
▲若旦那「さあ、おまはん方も、あゝ、分からん者やと思うて遣らう。これに就いては、最前からお梅に色々と、まあ長い話をして居た。それは又、追つてお梅からも聞いてくれてやつたら、分かる事。まあ、ともかくも、精進物だけれども、久し振りで、まあひとつ、い(献)かう。
▲芸〇「はい。戴きます。
▲お梅「ちよつと、若旦那。
▲若旦那「お梅、何ぢや。
▲お梅「あんたが、かうやつて来てやつておくんなすつたので、ほとけも大きに悦びます。そこで、あんたから贈つておくれ遊ばした、あの比翼紋の附いた三味線。あれをば、あの子への馳走に、お仏壇に手向けて遣りませう。
▲若旦那「そりや、宜からう。
▲お梅「さすれば、あの子も大きに悦びませう。
▲若旦那「うん。そんなら、さうして遣つておくれ。
 と、これからお梅は、かの三味線をば箱から出しまして、ちやんと三つにつぎ、糸も駒も掛けまして、仏壇にさして供へました。
▲お梅「まあ、若旦那。一つ、つぎませう。
▲若旦那「まあ、一盃ついで。
 若旦那は盃を手に持つて、酒を飲まうと致しますと、どこともなく、てーんててん、てんてん。と、三味線の調子を合はす音が致します。そば(傍)なるげいこ(芸妓)は、
▲〇「ねえはん。どこやらうな、三味線の音は。おや、隣ですか。
▲お梅「あほらしい。隣はあき家やし。あゝ。どこやろ、三味線の音は。
▲芸△「ねえはん。ありや、仏壇の中やないか。
▲お梅「ほんに、ありや、仏壇。あれー。
▲若旦那「しー、しー。
 仏壇の中には、糸よりも細き声にて。ほんに昔の昔のことよ、我が待つ人は我を待ちけん。と、雪の歌をば弾き始めました。胸一ぱい、眼には涙をためながら、
▲若旦那「これ、小糸や。わしや、お前のために、番頭より意見をされ、百日の間の蔵住まゐ。お前のとこから度々手紙をくれたさうやが、わしの手には一本の手紙も入らず。今日は百日のあがり(満期)と云ふので、初めてお前の手紙を見て、早速来て見れば、かくの様子。その代はり、お前の心中立てには、女房は持たぬ程に、これを土産に迷わずと、どうぞ宜い処へい(行)てくれ。
 泣き居る母親のお梅は、
▲「これ、小糸や。今、若旦那の仰やつたこと、お前の耳に通じたかえ。お前故に心中立て、女房持たんと仰やる故、これを土産に迷わずどうぞ、成仏しておくれ。南無阿弥陀仏。
 と、共に母親も泣き入つて居りました。仏壇の中では。凍る襖に泣くね(音)を止めて。と云ふ処で、三味線の音が止まりました。
▲若旦那「これ、お梅。何で三味線、あと(後)弾かんのぢや。三味の糸が切れたのか。あと弾かせ、弾かせ。
▲芸〇「これから小糸さんのいゝ所ぢやな。小糸さん、何で弾かんのや。
▲若旦那「大方、糸が切れたのぢやらう。さあさあ、糸を掛け直して、あとを弾かせえ。
▲お梅「何で小糸、あとを弾いてやないのや。お弾きんかへな。
 と、仏壇の扉をがらりとあけて、
▲お梅「若旦那。もう、あの子は三味線、弾きやあ致しません。
▲若旦那「お梅。何でぢや。
▲お梅「線香が立ち切れでございます。

底本『噺の種』(1891年刊 国立国会図書館デジタルコレクション)

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