第八回
二人は、貰つたれいもつ(礼物)をふところ(懐)に入れて、一旦、山寺へ帰りましたが、支度を致しまして、この山寺をば、和尚の留守中を幸ひに、そつと抜け出だしました。これから南都を見物して帰らうぢやあないか。と出て参りましたが、やがて、奈良の町へ入りまして、猿沢の池の辺りへかゝりました。
▲紛郎「似多。これが、うねめ(采女)の宮ぢや。
▲似多「この宮さん、何であちら向いて居るのぢやあ。
▲紛郎「昔、向かうにあるあの柳は、あれはきぬかけやなぎ(衣掛柳)と云つて、采女のつぼね(局)が、あの柳へ着物をかけて、この池へ身を投げて死んだんや。その時に、お宮が憐れに思うて、ころつとあちらを向いた。と云ふことだ。それで、これを今に采女の宮と云ふ。この松は、ゑてこう(猿猴)の松と云ふ。さあ、おいで。これは、十三がね(鐘)と云うて、昔、おちご(稚子)さんが手習ひをして居た時に、鹿が出て来て草紙をくは(咥)へた。すると、稚子は硯石を取つて、その鹿に打つ付けたさうだ。ところが、鹿はそれがために即死をした。この奈良の掟は、鹿一匹殺せば、いしこづめ(石子詰)の刑罪に行ふ。といふ事がある。かわいさうに、その稚子はこゝへさして、石子詰めになつたさうで。
▲似多「むゝん。どういふもので、これを十三鐘と云ふ。
▲紛郎「朝に六つと暮の六つの間に、たつた一つ鐘を撞く。それでこれを、十三鐘と云ふ。さあ、こちらへおいで。この辺りはすべて、あさぢ(浅茅)ケ原と云ふ。こゝに、浅茅焼きといふ、焼き物の名物がある。これから春日さんへ、御参りにつれて行く。
▲似多「どうも、仰山の灯篭ぢやなあ。
▲紛郎「さあ。灯篭の数と鹿の数ばかりは、読み尽くした者はない。と云ふくらゐだ。それ。これが、蝉の灯篭だ。さあ、おいで。これは、走り元の大黒。これは、春日の若宮ぢや。
それを、こつちへ取つて参りますと、これから三笠山。
▲似多「こゝには何ぞ、名物があるかえ。
▲紛郎「こゝの名物は、火打ち焼き。三條小鍛冶宗近が打つた、小狐丸の名剣。こゝの刀を買ひに入ると、見せてくれる。それから、向かうへ取つて行くと、ほら(洞)のもみぢ(紅葉)。つきひ(月日)の岩。ひむろ(氷室)の旧跡がある。この山を向かうに越えると、鴬の滝。蝙蝠の岩屋。七本杉などがあるが、そこへ廻ると、だいぶんに大儀ぢやよつて、もう今日は、やめて置かう。
▲似多「あゝ。これが、三笠の山と云ふのか。
▲紛郎「さうぢや。阿部仲麻呂が、もろこし(唐土)へ暦を取りに行つて、たかどの(高楼)で詠んだ歌がある。
▲似多「何といふ歌ぢやえ。
▲紛郎「名高いものだ。天の原ふりさけ見れば春日なる、三笠の山にいでし月かも。
▲似多「はゝあ。こゝらにちよいちよいと、茶店があるな。
▲紛郎「むゝ。こりやあ、たむけやま(手向山)の八幡さん。この度は幣も取り敢へず手向山、紅葉の錦神のまにまに。と云ふ、菅公の詠まれた御歌がある。これは、四月堂。これは、三月堂。これは、二月堂の観音さんぢや。
▲似多「あゝ、立派なものぢやな。こゝにあるのは、こりやあ、何ぢやえ。
▲紛郎「それはその、空井戸ぢやが。二月になると、その井戸に水が湧く。と云ふ。若狭からこれへ水が通ふ。若狭の呼び水。と云うて。
▲似多「はゝあ。奈良の水取り。と云ふのは、これか。
▲紛郎「さうぢや。
▲似多「して、この杉は、大きな杉ぢやな。この杉には、何かいは(謂)れがあるかえ。
▲紛郎「こりやあ、りやうべんすぎ(良弁杉)と云うて、昔、せうに(小児)が鷲にさら(攫)はれて、この杉の樹へ落とされた。その子をば出家にして育てたが、これが良弁僧正と云つて、東大寺の開山になつたのぢや。
▲似多「はゝあ。ゑらいものやなあ。
▲紛郎「さあ、おいで。これは、大仏の鐘ぢや。
▲似多「むゝう、成程。だいぶつに大きい鐘ぢやな。
▲紛郎「悪い洒落やなあ。それ、これは、大仏のわらび餅と云ふ名物ぢや。これが、大仏殿。
▲似多「途方もない、大きなものぢやなあ。
▲紛郎「下からかう見て居ると、小さいやうぢやけれども、くわき(花瓶)にさしてある蓮の葉が、さしわたし(直径)一間ある。
▲似多「へえー。ちよいと見ると小さう見えるが、なかなか大きなものぢやなあ。
▲紛郎「それ。この竹で寸を当たるやうに、ちやんとしてある。昔、この大仏様のお目が落ちたことがあるさうだ。
▲似多「はゝあ。すると大仏様は、かため(眇目)になつたのか。
▲紛郎「その時に、その目を元の通りには(嵌)めにやあならぬ。と云ふので、広く入札をした事がある。さうしたらみんな出て来て、まあ五百両くれ。とか、千両くれ。とか、八百両くれ。とかと。何しろ、これを嵌めよう。と云うには、仰山なにんず(人数)がい(要)るから、大勢の人でなければその目を嵌める事は出来ぬ。さうすると、こゝへおやこ(父子)ふたり(二人)が出て来て、その五百両なり八百両なりは、寄附をしませう。と云ふ。一文も要らない。私らがすぐに目を嵌めて上げませう。と申し込んだ。どんな事をするだらう。かれこれ千両もかゝらう。といふ仕事をば、見ればみうす(身薄)いなり(服装)をした奴が、寄附の出来る。と云ふやうな男でもないが、どうしをるだらう。と見て居ると、腰に大きなかなづち(鉄鎚)をば一本さして、大きな釘をば口に咥へて、父子二人は足場もなく這ひ上がつて、目の中へ入つて仕舞つた。暫くすると、二人は目をば担いで、ちやんとそこへ嵌めて、前の穴の所へさして、かんかんと打つて仕舞つた。すると、みんな大勢それを見て居た者は、あいつ、入ることは入つたが、出るのはどこから出るだらう。と見てゐると、中々りこう(怜悧)な奴で、煙草を二三服のむあひだ(間)に、入つた父子の二人は、鼻の穴からは(這)うて出た。なあ、それで今に云うたものぢや。りこう(怜悧)な人は、目から鼻に抜ける。と。
▲似多「はゝあ。そりや、ほんまかえ。
▲紛郎「嘘や。
▲似多「うだうだ云ふなえ。
▲紛郎「この大仏の裏手に、正倉院と云つて、南都の結構なほうもつ(宝物)は、皆この寺にあるのぢや。
▲似多「そいつを一つ見たいなあ。
▲紛郎「なかなかそりやあ、つて(伝手)があつても、容易に見る事は出来ぬ。さあ、お出で。これが、円満院と云ふのぢや。この屋根の、正面の破風の所にある瓦は、にこにこ瓦と云つて、見て居ると、にこにこ笑うてゐるやうぢや。これは、奈良の都の八重桜。と云ふのぢや。いにしへの奈良の都の八重桜、今日九重に匂ひぬるかな。と、百人一首にも出てゐる通り、いせのおほすけ(伊勢大輔)といふお方の歌ぢや。
▲似多「はゝあ。奈良といふところは、いゝ所ぢやな。
▲紛郎「何しろ、元の都であるから。名物は、こゝで名高いのは、奈良漬。菊屋のあられざけ(霰酒)。ならざらし(奈良晒布)。奈良団扇。奈良足袋。
▲似多「さうさう。屁でも、音のいゝのを、おならと云ふ。
▲紛郎「余計な事を云ふなえ。これが、興福寺。これが、金堂。この向かうにあるのが、北円堂。こちらのが、南円堂。これは、西国九番の札所。御詠歌に、春の日は南円堂に輝きて、三笠の山にはるゝ薄雲。これからこゝが、三條通り。しかし、もう日も暮れて来るよつて、今夜こゝで泊まらう。
と、こがたなや(小刀屋)に印判屋といふ、二軒のはたご(旅籠)がございます。この小刀屋善助に、印判屋といふ旅籠屋は、三度の食器が変はるといふ、名代な旅亭でございます。
▲似多「どつちへ泊まるえ。
▲紛郎「さあ。今宵は小刀屋善助かた(方)へ泊まらうかえ。
▲〇「へえ。あなた方、お泊まりぢやあございませんか。私の方は、印判屋でございます。
▲△「私の方は、小刀屋でございます。お泊まりぢやあございませんか。
二人は、小刀屋のうちの方へ、ずつと入つて参りました。
▲「へえ。お二人さんお泊まり。これ、おすゝぎ(洗足水)を持つておいでや。お早うさんでございます。
そこで紛郎兵衛、似多八の両人は、わらじ(草鞋)を解いている。そこへさして、山から這ひで(出)。といふをなごし(下女)が、すゝぎを持つて参りましたが、
▲下女「お客様や。足を出さつせい。おれがお前様のすね(脛)を、洗つてやるだあ。
▲似多「こりやあ、驚いたなあ。すねだつて云やあがる。
▲下女「お客様や。わしがお前様の足を洗つて居ると、国元の事を思ひ出して、ほろりほろりと涙がこぼれるだ。
▲紛郎「おい、似多。をなご(女)泣かしたり何かして居るぜ。いや、似多八の色男。
▲似多「冗談云うてくれなえ。おい、女中。お前は何かえ。俺の足を洗うて、涙がこぼれる。と云ふのは、国元に云ひ交はした男があつて、その男に添ふにも添はれず、やむを得ずこの奈良へ出て来て、小刀屋で奉公するのも、世間の手前でかう奉公してゐるのだらうが、わしの足を洗うて涙がこぼれるといふのは、お前の色男の足に俺の足が似て居る。と云ふのかな。
▲下女「なあに、さうでねえ。おれがくに(故郷)に居る時にやあ、昼間あ畑で仕事をしてからに、うちへ帰つて来ると、おれが牛の足をば洗ひをるのが役ぢやつた。おめへ(前)の足を洗うて涙のこぼれるのは、おれが取り扱うて居た牛の足に、よく似て居るからだ。
▲似多「馬鹿云ふな。牛の足と人間の足と、間違ふ奴があるものか。紛さん、俺を牛にしてけつかる。
▲紛郎「さあ。お前の顔も、どうやら牛に似てゐる。
▲似多「もうー。
▲紛郎「うだうだ云ふなえ。
▲番頭「お客さん。お荷物は、持つて参ります。さあ、どうぞ。奥へお通りを。もうぢきに、お風呂も空きますし、おしたく(御飯)は、ぢきに持つて参ります。しかし、おはたご(旅籠料)のところは。
▲紛郎「なあ、似多八。どうしよう。ふところも乏しいよつて、まあ、なみ(並)にして置かうかえ。
▲似多「さうしよう、さうしよう。
▲紛郎「おい、若い衆。一番安いところです。
▲番頭「いや。心得ましてございます。しかし、お客さん。この頃は、又だうしや(道者)が多うございますので、誠にどうもお気の毒でございますが、座敷は一向ございませんゆゑ、皆さま御一緒に一つ、寝て戴きたうございます。
▲紛郎「あゝ。どうでもだんない。我慢をして居る。
と、これから奥の座敷へさしてからに、来て見ますると、いや、じやこ(女子)もゝうざう(赤子)も一つに居るやうな訳で、こなたの方にはちよつと二三人、酒を飲み始めて居ります。歌を歌うたり三味線を弾いたりして、わいわいと云つて居りまする。暫く致しますると、一にん(人)の男ですな、顔の色を変へて、そこへ駈け込んで参りました。
▲〇「何ぢや。どうしたんぢや。
▲△「あゝ、びつくり致しました。
▲〇「何をびつくりしなすつた。
▲△「今、私やあ、せんち(雪隠)へ入りましたら、雪隠の中に、大きな蜘蛛が居りました。
▲〇「蜘蛛。蜘蛛ぐらゐが、あなた、怖いのですか。
▲△「私やあ、生まれついてより、蜘蛛を見ますと、どんな小さな蜘蛛でもぞつとして、身の毛がよだちますので。
▲〇「はゝあ。蜘蛛ぐらゐで。そりやあ、妙ぢやなあ。
▲◎「いや。そりやあ、どうとも云へませんぜ。
▲〇「左様かな。
▲△「一体、人には必ず何か、怖いものがあるものです。と云ふのは、生まれました時に、ゆか(床)の下へさして、ゑな(胞衣)をうづ(埋)めます。その胞衣の上をば初めて通つた物が、もう一番怖い。と云ひますな。
▲〇「はゝあ。するとこのお方などは、胞衣の上を蜘蛛が通つたんですな。
▲◎「左様。
▲〇「さう仰やると、私やあ、鼠が怖うございますので。
▲◎「さあ。やはり、鼠が胞衣の上を通つたんでせう。
▲〇「成程。
▲◎「あなたも何か、怖いものがございませう。
▲●「私ですか。ございますとも。私は、いたち(鼬)が怖うございます。
▲〇「さうすると、胞衣の上を鼬が通つたんでせう。
▲●「へえー。
▲▲「私は又、げじげじが怖うございます。
▲◎「すると、げじげじが胞衣の上を通つたんですな。あなたは何ぞ、怖いものはありませんか。
▲◇「私だつて、怖いものはあります。私は誠に、馬が怖いので。
▲◎「それも、初めて胞衣の上を、馬が通つたんで。
▲●「冗談なことを。ゆか(床)の下を、馬が通れますものか。
▲◎「まあその時、胞衣をうづ(埋)めてゐる折柄、外を馬が通つた。てなものでせうかえ。あなたは。
▲●「私は、犬ころが怖いので。
▲◎「犬ころ。はゝあ。やはり、胞衣の上を通つたんでせう。あなたは。
▲▲「私は、雷が怖いので。
▲◎「その時にやはり、その上で雷が鳴つた。つてなものですな。
▲●「私は又、借金取りが怖うございます。
▲◎「やはり、借金取りが、胞衣の上をば。
▲⦿「うだうだ云ひなさんな。
▲◎「しかしこの、人間といふものは、怖いものもありますが、好きなものもあるものですな。あなたも、嫌ひなものがありや、好きなものもありませう。
▲〇「へえ。私の好きなものといふのは、二番に酒ですな。
▲◎「へえ。すると一番は。
▲〇「さうです。一番は。
▲◎「何ですね。
▲〇「えらい云ひにくうございますけれども、をなご(女)と一緒に寝る。つてな事が好きです。
▲◎「そりやあ、誰でも好きです。あなたは何がお好きです。
▲〇「私やあ、こうぎやうもの(興業物)が好きです。芝居でも浄瑠璃でもにわか(俄)でもはなし(落語)でも、見いたり聞いたりする事が、至つて好きで。
▲◎「成程。で、あなたは。
▲△「私やあ、釣りが好きです。
▲◎「へえー。あなたは。
▲〇「私やあ、にが(苦)い物が好きです。
▲◎「どうも、妙ですなあ。苦い物が好き。やつぱり、虫が好くのですな。あなたは何がお好きです。
▲▲「私やあ、このからけし(空消炭)が好きでございます。
▲◎「妙なものが好きでございますな。あなたは。
▲●「私やあ又、この寒木。あいつをしがしが、しが(歯噛)んで居たいので。
▲◎「いや。さういふお方もあるものです。あなたはな。
▲似多「私やあ又、壁土が好きです。
▲◎「何が好きです。
▲似多「いえ、壁土が。
▲◎「あの、壁土。へえー。どういふ壁土がお好きなんで。
▲似多「えー、どんなのでも、壁土なら食べたいので。それが私のやまひ(病気)でございます。
▲◎「へえー。妙なものを好きなお方があるものですな。しかし、ほんまならこの壁土、こぼ(毀)つて食べたらどうです。
▲似多「いえ、あなた。そんな事は、出来やあしません。
▲◎「大事ございません。あなたが好きだと云ふなら、私が引き受けます。壁土を毀つて上げますから。
と、きせる(煙管)を以てかたへ(片傍)の壁をば、とんとんと毀ちました。
▲◎「さあ、お上がり。
▲似多「ありがたう。こりやあ、旨い。
調子に乗つて、似多八は、壁土をば食ひ始めました。そばにゐた皆の者は、呆れて見て居りましたが、その夜はころりと寝まして、よくてう(翌朝)あさはん(朝飯)を食べて、紛郎兵衛、似多八の両人は、おもてへさして立ち出でましたが、
▲紛郎「これを西へ行くと、西大寺。尼ケ辻。この方へ行くと、くらがりたふげ(暗峠)の方へ出るのぢやが、南へ廻つて行かう。
と、これをば南へさして出て参りました。
▲紛郎「さあ。これが、きつじ(木辻)ぢや。昔はこゝをば、鬼の辻と云うた。白鳳年間に、時のみかど(御門)がぎやうかう(行幸)あらせられた時に、その頃といふものは、こゝはもう一面の森であつた。白昼でもぬすびと(盗賊)が出るくらゐであるから、どうかせよ。といふみことのり(詔勅)がくだ(下)つた時に、願ひ出して、こゝへ遊女を設けて、それから木の辻と書くやうになつた。こゝで有名な女郎屋といふのは、こめはま(米濱)に、しも(下)の河内屋、かみ(上)の河内屋と云ふのぢや。向かうに見えるのが、あれが瓦堂の芝居や。さあ、おいで。
と、これから西へ取つて参りました。
▲紛郎「これが、大安寺づゝみ(堤)。芝居でする、進藤治郎左衛門が返り討ちに遭うた。つてとこ(所)は、こゝぢや。これが、大安寺餅といふ名物ぢや。これからが、郡山ぢや。
▲似多「はゝあ。郡山で、何ぞ見る所があるかえ。
▲紛郎「これから左へ入つて行くと、とかわ(外川)村。これが、とめ(留)の小川と云ふ。
▲似多「はゝあ。この川は、何ぞ由緒のある所か。
▲紛郎「これはその、婆さんが昔、洗濯に行つた。つてとこ(所)ぢや。ぢゞい(老爺)は山へ柴刈りに、ばゞあ(老婆)は川へ洗濯に。といふ昔話があるだらう。
▲似多「むゝ。けれども、水は流れて居りやあせぬがな。
▲紛郎「さあ。昔はこれでもやつぱり、水は流れて居たんぢや。
▲似多「はゝあ。このお宮さんは、何ぢやえ。
▲紛郎「これは、舌切雀どんの宮ぢや。あれに見えるのは、あれは本多大内記様のおはかしよ(御墓所)だと云ふ。
▲似多「はゝあ。こゝは、何ぢやえ。
▲紛郎「これは、生田伝八の墓ぢや。
▲似多「閻魔さん見たやうぢやなあ。
▲紛郎「これは、閻魔の像ぢやが、この下の台に書いてある。生田伝八之墓。と。
▲似多「成程、違ひない。あんな悪い奴が、何でこんな所に墓があるのぢやらう。
▲紛郎「これは、芝居狂言にする宗禅寺馬場で、治左衛門、喜八郎を返り討ちにした。と云ふ。さうして、この大和へ出て来た。元郡山の家中であつた。で、柳町に餅屋がある。そこのうちに隠れて居たが、どうも、人を殺し、卑怯にも返り討ちにして置いて、身を潜めて居る。と云ふのは本意でない。と云ふので、その餅屋のうちで、伝八は詰め腹をば切らされた。と云ふ。その餅屋のうちからこの墓を建てた。と云ふやうに聞いて居る。
▲似多「で、そこ。観音様見たやうなものがあるが、これは何ぢやえ。
▲紛郎「それは、伝八を育てたうば(乳母)の墓ぢや。
▲似多「むゝ。
▲紛郎「さあ、こちらへお出で。これは、大和の大和の源九郎さん。と云ふ、あの源九郎稲荷さんぢや。
▲似多「そんなら、こゝへ参詣をしよう。
と、御参詣をして、それからこちらへやつて参りました。
▲紛郎「これは、岡町と云ふのぢやが、この郡山の花街。さあ、おいで。こゝは、片桐といふ所ぢや。
▲似多「こゝに何ぞ、名物があるかえ。
▲紛郎「こゝの名物といふのは、生揚げぢやな。
▲似多「土産に買うてい(帰)なうか。
▲紛郎「こんな物を、ひよこひよこ大阪へ提げてもい(帰)なれやあせぬが。
これから出て参りましたが、
▲紛郎「さあ。これが、法隆寺。聖徳太子様の御本山で、これは、七堂伽藍といふつくり(構造)ぢや。大阪の四天王寺は、この伽藍を写したものぢや。これは、竜田川。
▲似多「はゝあ。
▲紛郎「これから秋になると、このりやうぎし(両岸)のもみぢ(紅葉)がこうえふしたところは、実に立派なものぢや。在原業平といふお方の歌に、千早振る神代も聞かず立田川、からくれなゐに水くゞるとは。と詠まれたのは、こゝぢや。これは、竜田の明神。こゝへさして鶏を上げると、めんどり(雌鶏)にとさか(鶏冠)が出来て、皆をんどり(雄鶏)同様になる。と云ふ。
▲似多「はゝあ。妙ぢやな。
これを参詣しまして、ぶらぶらとやつて参りましたが、
▲紛郎「さあ。こゝが、おかとよばし(岡豊橋)。
これから左へ行くと、道明寺の天神さんの方へ行くのですが、これからこの橋を渡ります。柏原、八尾から平野の大念仏をば横に見て、天王寺こぼれぐち(小堀口)へ戻つて来ました。紛郎兵衛、似多八の両人は、やうやうにたく(宅)へ帰りました。その後、ふと似多八は、右の肩へさして小さないぼ(疣)のやうなものが出来ました。そいつを、何ぢやいな。と思つて、引き千切つて仕舞ふ。またその跡へ、ころつと出来る。心持ちが悪いから、遂にはとこ(寝床)に就いて居りましたが、或る日、おもてから紛郎兵衛は、
▲紛郎「似多、うちかえ。
▲似多「おう、紛さん。
▲紛郎「何ぢや。どこか、悪いのか。
▲似多「むゝ。
▲紛郎「どうしたのや。
▲似多「かう、肩へさして、疣が出来たんだ。大きに心持ちが悪いので。
▲紛郎「はゝあ。疣がどうした。
▲似多「千切ると、跡へさして出来、またそいつを千切ると、跡へさして出来るのぢや。
▲紛郎「むゝう。薬を飲んで居てか。
▲似多「別にどこも、悪いといふ事はない。只、気味が悪いよつて寝てるのぢやが、別に薬は飲んで居やあせぬ。
▲紛郎「しかし、養生しないといけないぜ。
と、紛郎兵衛は帰つて仕舞ふ。肩の疣でございます。千切るたんび(度)に、ちくちくと大きうなりますから、遂には似多八は根負けをして、打ち捨てゝ置きましたが、かくて半年程経ちますと、この瘤は、当たり前の人の顔ほどになりまして、目鼻がちやんと出来ました。そのうちに、そろそろと口をきゝかけました。
▲瘤「こりや。
▲似多「えゝーつ。お前さん、何ぢやえ。
▲瘤「俺あ、さいたふ(西塔)の傍らに住んで居た、武蔵坊弁慶といふ者ぢや。
▲似多「へえー。して、弁慶さんが、何で私の肩へさして、出店をなすつたのぢや。
▲弁慶「貴様はこの春、南都の小刀屋善助といふ宿屋へ泊まつた事があるだらう。
▲似多「違ひない。泊まつた事があります。それがどうしたので。
▲弁慶「その時に、貴様は壁土を食つたんじやらう。
▲似多「へえ。壁土を食ひました。それが、どうしたんですね。
▲弁慶「あの壁の中へ、岩佐又兵衛といふゑし(画師)が、俺の姿をば、心を籠めてか(描)きをつた。それをば、いつかあの壁へ塗り込めて仕舞つた。どうかして今ひとたび世に顕れ、源氏のみよ(御世)に翻へさん。と思ふ折柄、貴様が壁土をば食つたによつて、われ(汝)の肩へさして俺が顕れて出て、今日から貴様の体を俺が借りるから。さあ、これから酒も飲むしめし(飯)も食ふし、女郎買ひにもつれて行け。
▲似多「うだうだ云ひなさんな。弁慶の一番勝負と云つて、弁慶といふものは女嫌ひじや。川柳にも云うてありませう。弁慶と小町は馬鹿だなあかゝあ(嬶)。
▲弁慶「そんな事は、昔の弁慶じや。今かうやつて世に顕れるからは、ひめかひ(女郎買)にもつれて行かぬと、俺あ暴れるぞ。
▲似多「こりやあ、驚いたなあ。
似多八は、肩の弁慶めが無理云うて困ります。飯でも、喰はさぬ。と云ふと、己の手でおのれが喰はれぬやうになつて、引つたくつて弁慶が喰つて仕舞ひ、日に三升四升の飯を喰ひ、酒といへば二升三升は飲まにやあ置かぬと云ふ、実にその日のたつき(活計)にも差し支へるやうな事になつて、困つて居りますると、或る日の事、またも紛郎兵衛は訪れました。
▲紛郎「おい、似多。どうじやえ。ちつとは工合がいゝか。
▲似多「いや。困つた事が出来た。
▲紛郎「どうした。
▲似多「まあ俺の、ひとつ、この肩あ見てくれ。
▲紛郎「何じや。えゝーつ。
▲似多「それ。お前と奈良で、小刀屋に泊まつたらう。
▲紛郎「違ひない。
▲似多「あの時に、俺が調子に乗つて、壁土を喰つたな。
▲紛郎「いや。そんな事があつた。
▲似多「その壁土の中へさして、岩佐又兵衛といふ人が、心を籠めて弁慶を描いたが、その描いた弁慶が壁の中へ塗り込まれてあつたのを、それを知らぬで俺あ喰つたんだ。ところが弁慶は、源氏の世に翻へさん。と云ふので、俺の肩へさして出店をして、俺の体あ、こなひだぢう(此間中)から弁慶になつて居るのじやから、酒は二升三升も飲みをるし、飯やあ三升も四升も喰ひをるので、実に困つて居るのじやが、酒や肴をば当てがはんと、ごつんこ(頭打付)をさすので、俺あまあ、頭あ痛うて往生して居る。どうか工夫はあるまいかな。
▲紛郎「そりやあ、飛んだ事が出来たなあ。それじやあ、かうしたらどうだ。これをば瘤だと云つてお拝み申したら役に立たぬが、京都の寺町に蛸薬師といふのがある。それは、さは(沢)からお上がりなすつたお薬師さんで、たく(沢)薬師と云ふのであるが、いつの程にやらあれをば、蛸薬師蛸薬師と云ふが、このお薬師様へさして、蛸を断つてお拝み申すと、どんな疣でも取れるさうだ。なんと、京都の方にお前の親類もあるし、それへさして行つて、向かうから毎日、日参をして祈つたらどうじや。
▲似多「成程、それはありがたい。それじやあ、俺の叔父貴が京都のかまんざ(釜座)といふ所にあるよつて、それへ俺あ、行つて来よう。
と、これから似多八は、ちやんと支度をしまして、八軒屋へやつて来ました。をゝど(大道)を歩くにも、昼間歩くと頭が二つございますので、人が目を着けますから、夜分に被り物をさせて、やうやう八軒屋から三十石に乗つて伏見に上がり、京都の釜座の親類へさしてやつて参りました。こゝにて似多八は厄介になつて、毎日毎日、蛸薬師へ御参詣を致しまする。頭には、ちよいと手拭ひを載せて歩いて居りますと、こちらは鬱陶しいものですから、又しても手拭ひを取つて仕舞ひますから、
▲似多「あなた、さう自由にして貰ふと大きに困りますから。皆人が、頭が二つある。と云つて居ります。伊予の松山に、頭二つの子が出来た。と云ふが、その松山からこの京都へでも来て居るのじやあないか。と。どうか我慢して、被つて居て下さいまし。私が困りますから。
▲弁慶「えゝーつ。ほつとけほつとけ。鬱陶しいや。
やうやうに寺町へ来ますると、丁度夕景になりました。寺々の入相の鐘を撞き出だす。弁慶は血相して、
▲弁慶「亀井、片岡、伊勢、駿河。君の御供して、一の谷へ、急げ急げ。
▲似多「うだうだ云ひなさんな。
▲弁慶「今のは陣鐘ではないか。
▲似多「何を云うてなさるね。あれはあなた、お寺の入相の鐘ですがな。
▲弁慶「あゝ、さうか。
これから蛸薬師へさして御参りを致しまして、寺町へ出ますると、向かうのかた(方)から、堂上方の御仏参の帰りと見えて、
▲「下に、下に。下に居らう。下に、下に。
と、こちらへ乗り物がやつて参りまする。侍は、大手を振つて、
▲武士「下に居らう。無礼者めが。
と咎めますると、例の弁慶は、
▲弁慶「糞でも喰らへ。俺あ、武蔵坊弁慶だ。
と、威張つて大手を振つてやつて参りますから、もはや、おかごわき(御駕籠側)近くになりますと、近従の衆は、
▲「すは、狼藉者。それつ。
と云ふので、いづれも袴の股立ちを高くから(掲)げ、後ろと左右から手を取りました。姿は似多八でございますけれども、何しろ弁慶といふ豪勇ですから、ふたりの者をば引つ外して、どんと投げる。後ろからはがひじめ(羽翼絞)に抱かへる奴をば、これも払うてどん。と投げる、右から来れば左へ投げ、左から来れば右へ投げる。前からかゝつて来る奴をば、腰帯を持つてからに、上へどんと投げられた奴は、宙天の雲に行き当たりまして、下へ落ちて来る。二度目に投げられた奴は、宙天で行き逢ひになつて、
▲「あなた、おのぼりですか。
▲「いや。あなたは、おくだりですか。
といふ騒ぎ。似多八は、ずんずんと進み寄り、駕籠のぼうばな(棒鼻)に手をかけました。
▲侍士「無礼者、待て。なにやつ(何奴)なれば、狼藉を致す。仔細を語れ。
▲弁慶「むゝ。聞きたくば、云つて聞かせん。耳をかつぽじつて、よつく承れ。我を誰ぞと思ふ。あまつこやねのみこと(天津児耶根命)、中関白通隆公の後胤にして、母は二位大納言の娘。熊野参篭の折柄、別当弁正と心をあ(協)はせ、遂に夫婦の契約をなせしが、我が母妊娠となり、十七つき(月)経つてなんししゆつしやう(男子出生)。幼名を鬼若丸と名付け、播州書写山にて成長なし、誕生水別当の屋敷に古跡を遺し、髪をゝろ(剃)し、京都比叡山に登り、観慶阿闍梨の弟子となりしが、その頃、武蔵といへる荒法師あり。この者相果てしのち(後)、跡を継ぎて武蔵となり、父弁正の弁の字と、観慶阿闍梨の慶の字と、これを合はせて武蔵坊弁慶と名付けたり。山をくだつて大原の里に住みしが、五條の天神へ丑の刻詣での折柄、五條のせつけう(石橋)にて牛若丸に出逢ひ、名乗れば源家の御曹司。弁慶、二十余年栄華の夢あとなく覚めて、京都を払ひ、屋島、壇の浦の戦ひに、頼朝義経不和となり、腰越より追つ返され、我は奥州衣川にて立往生。紀伊大納言といは(斎)ひ籠まれるまで、君の御供をなしたるこの弁慶。汝ら如きの下に居ようや。奇怪千万。なゝ、何が、小癪な。
▲主君「乗り物、た(止)て。
▲侍士「はゝーつ。
おかご(御駕籠)の引き戸をがらりと開けられまして、中より、麻のじやうげ(上下)に提げ刀。
▲主君「こりや。その方は、乱心者と相見えたり。予が、これにて手討ちに致すから、左様に心得よ。
▲似多「あゝ、もし。暫くお待ち下さいまし。決して私は、乱心者でも何でもございません。御覧なさる通り、この肩の瘤が、あの様なことを申しましたのでございます。しかし昼間なれば、御乗り物先をば無礼を致しましたのでございますから、御手討ちにしよう。と仰やるのも御もつともでございますが、夜分の事でございますから、どうぞお慈悲に御見遁し下されて、お助けをば願ひまする。
▲主公「いや。昼間なればよいが、夜分のことじやによつて、了簡することは相ならぬ。
▲似多「へえー。それは又、なぜでございます。
▲主公「されば、夜のこぶは、見遁しにならぬのじや。
長々、御退屈でございました。えー、滑稽大和廻りは、まづこれでしまひ(大尾)と致し、かの紛郎兵衛、似多八の両人が、これから播州廻りをしよう。といふ滑稽のお話は、いづれ遠からず、近日口演致しますから、その時は相変はらず、御贔屓に御愛読あらんことを、今より願ひ置きまする。
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