合柿(あはせがき)(三番目)

▲シテ「宇治の乙方(おちかた)の者でござる。今日(こんにち)は、当所の市でござる。罷り出で、柿を商売致さうと存ずる。
{しかじか。}
誠に、この処に於いて、市あまたござれども、別して今日は、一在所の神事でござるによつて、夥(おびたゞ)しい参詣で、いついつよりも賑々(にぎにぎ)しい市でござる。参る程に、市場ぢや。これは皆、店を飾つた。某(それがし)も、店を出さう。なうなう、そこ元へ。合はせ柿を召さぬか。柿が御用ならば、こなたへ仰せられいや。まづ、こゝに居て、商売を致さう。
▲アト「この辺りの者でござる。今日は、この処の神事でござる。何(いづ)れもを同道致し、明神へ参詣致さうと存ずる。なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲立衆「これに居まする。
▲アト「いつもの通り、明神へ参詣致しませうか。
▲立衆「一段と良うござらう。
▲アト「さあさあ、ござれ。
▲立衆「心得ました。
▲アト「何と思し召す。去年の神事を、昨日(きのふ)や今日(けふ)のやうに存ずれば、はや又、祭りになりました。
▲立一「何(いづ)れ、月日の経つは、間のない事でござる。
▲立二「光陰矢の如し。でござる。
▲立三「その通りでござる。
▲アト「何かと申す内に、参り着きました。
▲立衆「何(いづ)れ、神前でござる。
▲アト「いざ、拝を致さう。
▲立衆「一段と良うござらう。
{と云ひて、各々、正面へ座し、扇をひろげて拝む。}
▲アト「これから森へ参つて、市の体(てい)を見物致さう。いざ、ござれ。
▲立衆「心得ました。
▲アト「扨も扨も、毎年(まいねん)とは申しながら、夥しい参詣でござる。
▲立衆「仰せの通り、今日は殊の外、群集でござる。
{と云ひて廻る内、シテ、見合はせ、立つ。}
▲シテ「これへ、歴々と見えて、大勢見えた。さらば、商売を致さう。なうなう、何(いづ)れも。幼稚(をさな)いの土産に、風味の良い合はせ柿を召さぬか。
▲アト「合はせ柿と云ふは、何ぞ風味が違ふか。
▲シテ「されば、格別風味が良いによつて、合はせ柿。と申す。
▲アト「それは又、どうした事ぢや。
▲シテ「御不審、尤でござる。まづ、大和柿・御所柿・美濃柿・蜂屋・久保柿などゝ申して、風味の良い柿が様々ござれども、それを一つに合はせた程風味が良いによつて、合はせ柿。と申す。
▲アト「何(いづ)れ、これは尤ぢや。ちと買うて、宿元へ土産に致しませうか。
▲立衆「一段と良うござらう。
▲アト「どれどれ。
{と云ひて立ち寄り、籠の中を見て、}
▲アト「いや、これは渋さうな。なう、何(いづ)れも。
▲立衆「成程、これは、渋さうな。
▲シテ「扨々、むさとした事を仰せらるゝ。この内に、渋いは一つもござらぬ。皆、甘うござる。
▲アト「いやいや。何程仰(お)せあつても、これは、渋からう。
▲シテ「誠に、渋からう。と思はつしやるならば、一つ喰うて見てから、買はつしやれ。
▲アト「それならば、一つ喰うて見よう。
{と云ひて喰ふ。渋き仕方。但し、半分喰ひて捨てるなり。口伝。}
▲アト「扨も扨も、渋い柿かな。これが何と、喰はるゝものぢや。
▲シテ「渋うはない筈ぢやが。大分ある柿ぢやによつて、一つなど、渋いもござらう。後は皆、甘い。求めさせられい。
▲アト「いやいや。その様な渋い柿は、どうも求められぬ。
▲シテ「お前、求めさせられい。
▲立一「身共は、柿は嫌ひぢや。
▲シテ「それならば、こなた、買はせられい。
▲立二「それならば、身共も一つ喰うて見て、甘くば求めう。
▲シテ「それには及ばぬに。
▲立二「どれどれ。
{と云ひて、喰ひて見て、同じく「渋い」と云ひて捨てる。}
▲シテ「合点の行かぬ事ぢや。渋い筈はないが。はあ。こなた衆は、甘けれども、慰みに、渋い。と云うて、身共をなぶらつしやるか。
▲アト「そちは、渋い柿を人に喰はせて、まだそのつれを云ふか。甘いか渋いか、そち、喰うて見よ。
▲シテ「身共は常に風味を知つて居まするによつて、喰うて見るには及びませぬ。
▲アト「さうであらう。渋いによつて、え喰ふまい。
▲シテ「それならば、喰うて見せうが。さりながら、身共が喰うて甘ければ、このひと籠の柿を皆、買うて貰うぞや。
▲アト「おゝ、買うてやらう。まづ、早う喰うて見よ。
{と云ひて、シテ、籠の柿を撰(よ)る仕方あるなり。}
▲アト「やいやい。その様に撰らずとも、上にあるのを食へ。
▲シテ「はて、商売物ぢやによつて、小さいのを喰はう。と思うて撰るのぢや。
▲アト「いやいや、これを食へ。
▲シテ「これか。
▲アト「中々。
▲シテ「これは、甘いぞや。
▲アト「まづ、喰うて見よ。
▲シテ「食うてみせう。
{と云ひて、渋い柿を、渋うない口元をする処、色々仕様あるべし。}
▲アト「そりやそりや、渋いわ、渋いわ。あの顔を見させられい。
{と云ひて、皆笑ふ。}
▲シテ「うまい、うまい。これ程甘い柿を、何(いづ)れもむさとした事を云はせらるゝ。さあさあ、買はせられい、買はせられい。
▲アト「扨も扨も、あの口元でも、まだあのつれを申す。それならば、渋い柿を喰うては、嘯(うそ)が吹かれぬものぢや。嘯を吹いて見よ。
▲シテ「嘯(うそ)とは何事ぢや。
▲アト「さあさあ。こなた、吹いて見せられい。
▲立衆「心得ました。
{と云ひて、喰はぬ立衆、口笛吹いて聞かすなり。}
▲シテ「むゝ。嘯(うそ)とは、口笛の事か。
▲アト「中々。
▲シテ「吹いて見せう。
{と云ひて、吹いて見る。吹かれず、顔をふくらがす。色々、口伝。}
▲アト「あれあれ、あの口元を見させられい。
▲立衆「可笑しい事でござる。
▲アト「さあさあ、早う吹かぬか。
▲シテ「喧(かしま)しい。今調べてゐる所ぢや。
▲アト「早う吹け。
{又吹けども吹かれずして、色々あり。皆笑ふ。}
▲アト「扨も扨も、横着者でござる。いざ、帰りませう。
▲立衆「ようござらう。
▲シテ「あゝ。まづ、お待ちあれ。
▲アト「何事ぢや。
▲シテ「渋いならば、渋いまでよ。最前からの柿の代はりを、おこさつしやれ。
▲アト「いや、こゝな者が。渋い柿を甘い。と云うて、無理に食はせて、誰が代はりをやるものぢや。
▲シテ「扨は、代はりをおこすまい。といふ事か。
▲アト「又、何やうにやらうぞ。
▲シテ「扨々、憎いやつの。今までは、一時(いつとき)の旦那ぢや。と思うて、色々機嫌を取るやうにした。この上は、足元のあかい内に代はりを置いて行かずば、目に物を見するぞよ。
▲アト「そりや、誰が。
▲シテ「身共が。
▲アト「汝が目に物を見する。と云うて、深しい事はあるまいぞい。
▲シテ「かまへて悔やむなよ。
▲アト「何のやうに悔やまう。
▲シテ「おのれは憎い奴の。
{と云ひて、大勢に取つてかゝる。皆々、扇ふり上げて叩くなり。}
▲アト「憎い奴ぢや。皆寄つて、踏まつしやれ、踏まつしやれ。
{と云ひて、立衆、寄つて打ちこかし、柿の籠を打ちあける心にて、踏む体(てい)をする。扨、取り散らし、皆入るなり。}
▲シテ「扨も扨も、柿を皆あけて、店をさんざんにしられた。扨々、腹の立つ事かな。やいやい。いたづら者ども、返せ、返せ。
{*1}返せ、合はせ柿と、云へども云へども取り残さるゝ、木守りの古(いにしへ)の人丸は、柿の元に住みながら、歌を案じて空うそを、吹かせ給ひしためしもあり。うたてや、我がうその吹かれぬ口を、かきむしり後悔しつゝ、かしらを柿のくしざしにあらねども、拾ひ入れたる柿を持ち、我が宿所にぞ帰りける、我が宿所にぞ帰りける。
南無三宝、しないたり。柿は、柿は。
{と云ひて、留めて入るなり。}

校訂者注
 1:底本、ここ「かへせ合柿と、いへ共」から「我宿所にぞ帰りける」まで、傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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合柿(アハセガキ)(三番目)

▲シテ「宇治の乙方{*1}の者で御座る、今日は当所の市で御座る、罷り出で柿を商売致さうと存ずる、{シカシカ{*2}}誠に、此処に於て、市あまた御座れ共、別して今日は一在所の神事で御座るに依ツて、夥多しい参詣で、いついつよりも賑々敷市でござる、参る程に市場ぢや、是は皆店をかざつた、某も店を出さう、なうなうそこ元へ合柿をめさぬか、柿が御用ならばこなたへ仰せられいや、先づ爰に居て商売を致さう▲アト「此辺りの者で御座る、今日は此処の神事でござる、何れもを同道致し、明神へ参詣致さうと存ずる、なうなう何れも御座るか▲立衆「是に居まする▲アト「毎もの通り明神へ参詣致ませうか▲立衆「一段とよう御座らう▲アト「さあさあ御座れ▲立衆「心得ました▲アト「何と思召す、去年の神事をきのふやけふのやうに存ずれば、早や又まつりになりました▲立一「何れ月日のたつは間のない事でござる▲立二「光陰矢の如しで御座る▲立三「其通りで御座る▲アト「何彼と申す内に参り着ました▲立衆「何れ神前で御座る▲アト「いざ拝を致さう▲立衆「一段とよう御座らう{ト云ひて各正面へ座し扇をひろげて拝む}▲アト「是から森へ参ツて市の体を見物致さう、いざ御座れ▲立衆「心得ました▲アト「扨も扨も毎年とは申しながら、おびたゞしい参詣で御座る▲立衆「仰の通り今日は殊の外群集で御座る{ト云て廻る内シテ見合せ立}▲シテ「是へ歴々と見えて大勢見えた、さらば商売を致さう、なうなう何も幼稚のみやげに、風味のよい合柿をめさぬか▲アト「合柿といふは何ぞ風味が違うか▲シテ「されば格別風味がよいに依ツて、合柿と申す▲アト「夫は又どうした事ぢや▲シテ「御不審尤で御座る、先づ大和柿、御所柿、美濃柿、はちやくぼ柿抔と申して、風味のよい柿が様々御座れ共、夫を一ツにあはせた程風味がよいに依ツて、合柿と申す▲アト「何れ是は尤ぢや、ちと買うて宿元え土産に致しませうか▲立衆「一段とよう御座らう▲アト「どれどれ{ト云て立より籠の中を見て}▲アト「いや、是は渋さうななう何れも▲立衆「成程是は渋さうな▲シテ「扨々むさとした事を仰せらるゝ、此内に渋いは一つも御座らぬ、皆甘う御座る▲アト「いやいや何程おせあつても、是は渋からう▲シテ「誠に渋からうと思はつしやるならば、一ツ喰うて見てから、買はつしやれ▲アト「夫ならば一ツ喰うてみやう{ト云ひて喰う渋き仕形但し半分喰て捨るなり口伝}▲アト「扨も扨も渋イ柿かな、是が何と喰はるゝ物ぢや▲シテ「渋うはない筈ぢやが、大分ある柿ぢやによつて、一ツ抔渋いも御座らう、後は皆甘い求めさせられい▲アト「いやいや其様な渋い柿はどうも求められぬ▲シテ「お前求めさせられい▲立一「身共は柿はきらひぢや▲シテ「夫ならばこなた買はせられい▲立二「夫ならば身共も一ツ喰うて見て、甘くば求めう▲シテ「夫には及ばぬに▲立二「どれどれ{ト云ひて喰て見て同じく渋いと云て捨る}▲シテ「合点の行ぬ事ぢや、渋い筈はないが、はあこなた衆は甘けれ共、慰に渋いといふて、身共をなぶらつしやるか▲アト「そちは渋い柿を人に喰はせて、まだ其つれをいふか、甘いか渋いかそち喰うて見よ▲シテ「身共は常に風味を知つてゐまするに依つて、喰うて見るには及びませぬ▲アト「さうで有らう、渋いに依て得喰うまい▲シテ「夫ならば喰うて見せうが、去乍身共が喰うて、甘ければ此一ト籠の柿を皆買うて貰うぞや▲アト「おゝ買うてやらう、先づ早う喰うて見よ{ト云ひてシテ籠の柿を撰る仕形あるなり}▲アト「やいやい其様に撰らず共、上に有るのを食へ▲シテ「果商売物ぢやに依て小さいのを喰うと思ふて撰るのぢや▲アト「いやいや是を食へ▲シテ「是か▲アト「中々▲シテ「是は甘いぞや▲アト「先づ喰うて見よ▲シテ「食うてみせう{ト云ひて渋い柿を渋うない口元をする処色々仕様可有}▲アト「そりやそりや渋いわ渋いわ、あの顔を見させられい{ト云ひて皆笑ふ}▲シテ「うまいうまい、是程甘い柿を、何れもむさとした事をいはせらるゝ、さあさあ買はせられい買はせられい▲アト「扨も扨もあの口元でも、まだあのつれを申す、夫ならば渋い柿を喰うては嘯が吹れぬ者ぢや、嘯を吹て見よ▲シテ「嘯とは何事ぢや▲アト「さあさあこなた吹いて見せられい▲立衆「心得ました{ト云ひて喰はぬ立衆口笛吹いてきかすなり}▲シテ「むゝうそとは口笛の事か▲アト「中々▲シテ「吹て見せう{ト云ひて吹て見る吹かれず顔をふくらがす色々口伝}▲アト「あれあれあの口元を見させられい▲立衆「可笑しい事でござる▲アト「さあさあ早う吹かぬか▲シテ「かしましい今しらべてゐる所ぢや▲アト「早う吹け{亦ふけどもふかれずして色々あり皆笑ふ}▲アト「扨も扨も、横着者で御座る、いざ帰りませう▲立衆「よう御座らう▲シテ「あゝ先づ御待ちあれ▲アト「何事ぢや▲シテ「渋いならば渋い迄よ、最前からの柿の代りをおこさつしやれ▲アト「いや爰な者が、渋い柿を甘いといふて無理に食はせて、誰が代りをやるものぢや▲シテ「扨は代りをおこすまいといふ事か▲アト「又何やうにやらうぞ▲シテ「扨々憎いやつの、今迄は一ツ時の旦那ぢやと思ふて、色々機嫌を取るやうにした、此上は足元のあかい内に代りを置いて行かずば、目に物を見するぞよ▲アト「そりや誰が▲シテ「身共が▲アト「汝が目に物を見するといふて、深しい事は有まいぞい▲シテ「かまへて悔むなよ▲アト「何の様に悔まう▲シテ「おのれは憎い奴の{ト云ひて大勢に取つてかゝる皆々扇ふり上て{*3}たゝくなり}▲アト「憎い奴ぢや、皆よつてふまつしやれふまつしやれ{ト云ヒて立衆寄つて打こかし柿の籠を打あける心にてふむていをする扨取ちらし皆入るなり}▲シテ「扨も扨も柿を皆あけて店をさんざんにしられた、扨々腹の立事かな、やいやいいたづら者共かへせかへせ、かへせ合柿と、いへ共いへ共、取り残さるゝ、木守りの、古への人丸は、柿の元に住みながら、歌をあんじて空うそを、ふかせ給ひし、ためしもあり、うたてや我がうその、吹かれぬ口を、かきむしり後悔しつゝ、かしらを柿の、くしざしにあらね共、ひろい入れたる柿をもち、我が宿所にぞ帰りける我宿所にぞ帰りける、南無三宝しないたり{*4}、柿は柿は{ト云ひて留て入るなり}

校訂者注
 1:底本は、「落方(おちかた)」。
 2:底本の「シカシカ」は、ト書きと同じ大きさの活字で縦一行書き。
 3:底本は、「ふり上で」。
 4:底本は、「したいたり」。