文蔵(ぶんざう)(初番物 二番目)

▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)、一人(いちにん)召し遣ふ下人が、身に暇も乞はず、何方(いづかた)へやら、参つてござる。聞けば、夜前罷り帰つたとは申せども、未だ某に目見えを致さぬ。今日(こんにち)は、きやつが私宅へ立ち越え、謀(たばかり)り出し、きつと折檻を加へようと存ずる。誠に、憎いやつでござる。身に一言の断りを申してござらば、いか程なりとも暇を遣はさうものを。出し抜いて参つた段、言語道断、憎い仕合(しあは)せでござる。いや。何かと云ふ内に、きやつが私宅はこれぢや。身共が声と聞き知つたらば、定めて留守を遣ふでござらう。作り声をして呼び出さう。と存ずる。ものも、案内もう。
▲アト「やら、奇特や。夜前罷り帰つたを、はやどなたやら御存じあつて、表に案内がある。案内とは誰(た)そ。
▲シテ「物もう。
▲アト「どなたでござる。
▲シテ「しさりをれ。
▲アト「はあ。
▲シテ「俄(にはか)の慇懃、迷惑致す。ちと、御手を上げられい。
▲アト「これは何とも、迷惑に存じまする。
▲シテ「おのれはこの中(ぢゆう)、誰に暇を乞うて、何方(いづかた)へ行(い)た。
▲アト「さればの事でござる。お暇の義を申し上げうと存じてはござれども、一人召し遣はるゝ下人の事でござるによつて、申し上げたりとも、やはか下されまい。と存じて、忍うで京内詣(きやうゝちまうで)を致してござる。
▲シテ「やら、珍しや。一人召し遣ふ下人が京内詣をすれば、主(しゆ)に暇を乞はぬが法ですか。
{と云ひて、小さ刀、そり打つ。詰める、受ける、常の如し。}
憎いやつの。きつと折檻を加へようと思うて、これまでは来たれども、京内詣をした。と云へば、都の事も懐かしい。この度は許す。そこを立て。
▲アト「それは、定(じやう)でござるか。
▲シテ「弓矢八幡、助くるぞ。
▲アト「やら、心安や。
▲シテ「何と、今の間(あひだ)は、窮屈にあつたか。
▲アト「いつもの御気色とは違ひまして、すは、御手討にも合ひませうか。と存じて、身の毛をつめて居りました。
▲シテ「さうであらう。身も、いつもより腹が立つた。以来をたしなめ。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「扨、汝は京内詣をした。と云ふが、何と、都は賑やかな事か。
▲アト「中々賑やかな事でござる。東山の御遊参、西山の花見。などゝ申して、押しも分けられた事ではござらぬ。
▲シテ「何が扨、花の都ぢや。さうなうては叶はぬ事ぢや。扨、何も変つた事もなかつたか。
▲アト「別に変つた事もござらぬが、私は、東福寺の伯父御様の方へ寄りました。
▲シテ「何ぢや。伯父者人(おぢゞやひと)の方へ寄つた。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「やれやれ、お懐かしや。その様な事を知つたらば、言伝(ことづて)をなりとも、せうものを。
▲アト「それは私が、差し心得て{*1}、申してござる。
▲シテ「それは、でかした。扨、あの伯父者人は変つた人で、人をひとり見懸くると、何なりとも珍しい物を振舞ふ人ぢやが、何も喰うては来なんだか。
▲アト「成程、珍しい物を下されました。
▲シテ「何を喰うた。
▲アト「物でござる。
▲シテ「物とは。
▲アト「何やらでござりましたが。
▲シテ「忘れたか。
▲アト「忘れました。
▲シテ「朝であつたか、昼であつたか。
▲アト「朝でござりました。
▲シテ「朝ならば、昆布に山椒を巻いて、梅干しで良い茶を呑うだか。
▲アト「その様なものではござりませなんだ。
▲シテ「それならば、点心(てんじん)の類ではなかつたか。
▲アト「されば、点心の類でござつたか。
▲シテ「点心の類ならば、温飩(うんどん)か、温麦(ぬるむぎ)・熱麦(あつむぎ)・どうじゆ麦、但し、饅頭ではなかつたか。
▲アト「その様なものでもござりませなんだ。
▲シテ「それならば、羹(かん)の類か。
▲アト「まづ、それと仰せられて御覧(ごらう)じませ。
▲シテ「羹にとつては、砂糖羊羹か。
▲アト「いゝや。
▲シテ「魚羹(ぎよかん)。
▲アト「いゝや。
▲シテ「雲鱣羹(うんぜんかん)・もんぜん羹。
▲アト「いゝや。
▲シテ「大羹・小羹{*2}ばし、喰らうたか。
▲アト「いゝや。
▲シテ「しさり居れ。
▲アト「はあ。
▲シテ「扨々、憎いやつの。常々、物覚えが悪いによつて、覚えにくい事は、物によそへてなりとも覚えい。と云ふに。まして、おのれが喰うた物を、忘るゝ。といふ事があるものか。
▲アト「その、物によそへて。と仰せらるゝに付いて、思ひ出してござる。
▲シテ「又、思ひ出ださいでならうか。
▲アト「常々、御前の好いてお読みなさるゝ、ものゝ本の中にある物を、下されました。
▲シテ「常々身共が好いて読むは、源平盛衰記。中にも、石橋山の合戦の所を好いて読むが、もし、その内にある物を喰うたか。
▲アト「成程、その合戦の所を下されました。
▲シテ「扨々、手ひどい所を喰うたなあ。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「惣じて身共は悪い癖で、人にものを問ひ掛けて、問ひ果(おほ)せねば気がゝりな。語らう程に、まづ、その床机をくれい。
▲アト「畏つてござる。
{と云ひて、葛桶持ちて出るなり。}
御床机。
▲シテ「違ひ棚に、盛衰記の書いたものがある。取つて来い。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「あゝ、こりやこりや。この中(ぢゆう)、節々読めば、半巻ばかりは空でも読む。語らう程に、それならばそれ。と答へい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「そもそも石橋山の合戦は、治承四年八月十七日、兵衛之佐頼朝は、北條・蛭ケ小島を打つ立ち給ふ。御勢、三百余騎には過ぎざりけり。こゝに、土肥の杉山は要害良き所とて、城郭を構へ給ふ。又、平家の侍に、大場の三郎と云つし者、三千余騎を三手(みて)につくり、石橋小早川に押し寄せ、陣を取る。源氏の方より三百余騎、平家の方には三千余騎、三千余騎と三百余騎を合はすれば、十分が一分なれども、君の御運のめでたきゆゑ、人の心が一つに揃うて、火花を散らし合戦したる所をばし、喰らうてあるか。
▲アト「いゝや。
▲シテ「しかりとは云へども、昼の間は合戦互角なり。夜軍(よいくさ)になり、相手組を定め給ふ。源氏の方には岡崎の悪四郎が嫡子、真田の与市義貞を撰(え)つて出す。与市がその日の装束には、肌には皆白おつてひと重ね、精好の大口に、副将軍を給はれば、赤地の錦の直垂を、初めてこそは着たりけれ。楊梅桃李(やうばいたうり)の左右の臂鎧(こて)、白檀琢(みが)きの臑当(すねあて)に、緋威の大鎧、同じ毛の五枚錣(しころ)の冑に、鍬形打つてぞ着たりける。一尺三寸の鮫鞘巻の刀をさし、黄金飾(こがねづく)りの太刀を鴎様(かもめやう)に結んでさげ、二拾四さいたる染羽(そめは)の矢、威高(かしらだか)に取つてつけ、重籐の弓の真ん中握り、馬は名を得し白葦毛なる馬に乗り、木戸を開かせ、しづしづと討つて出る。頃は八月廿日余り、まだ宵は闇にて、敵の近づくとも、目にはさやかに見えねども、荻の上葉(うはゞ)を吹く風の、そよとばかりにおとづれて、秋の夜の片われ月の片々も、落ちてぞ水の底にこそ澄め。と云ふこの歌の心を以て、土肥の杉山の高根を出でし月影に、鍬形のひらりひらりと閃(ひらめ)くにぞ、真田なる。とぞ知られける。といふ所をばし、喰らうてあるか。
▲アト「いゝや、そこでもござらぬ。
▲シテ「何ぢや。こゝでもない。
▲アト「はあ。
▲シテ「まつた、平家の方(かた)にも、真田一人(いちにん)討たんとて、坂東に聞こうる兵(つはもの)を、三騎撰つて出す。一人な、大場が舎弟に股野、二人は長尾の新吾・新六なり。股野がその日の装束には、皆白おつてひと重ね、精好の大口に、茶褐(かちん)の鎧直垂の、四つの括りをがんぢと締め、黒革威の大鎧、同じ毛の五枚冑に、高角(たかづの)打つてぞ着たりける。一尺八寸の金餝(こがねづく)りの刀をさし、大中黒(おほなかぐろ)の征矢(そや)を、しまの如くに取つてつけ、塗籠籐の弓の真ん中握り、馬は蜩(ひぐらし)といふ馬に、豹の皮の張り鞍、虎の皮の切付(きつゝけ)、熊の皮の障泥(あふり)をさし、我が身軽(かろ)げにゆらりと乗り、五尺三分をするりと抜き、真つ向にさし翳し、揉みに揉うでぞ駈け合(あは)せける。されども真田は、股野ばかりに目をかけて、物間(ものあひ)近くなりしかば、ふた打ち三打ち打つぞ。と見えしが、寄れ。組まん。尤。と、鎧の袖を引つ違へ、馬の上にてむんずと組み、両馬が間にどうと落つ。所は難義の悪所なれば、下よりも、えいや。と跳ぬればころりと転び、えいや。と跳ぬればころりと転び、たとへば、板家の霰、玉散る如く、ころりころりと転ぶ程に、落ち付く所は股野が上になりしかども、されども真田は力勝りの武者なれば、下よりも、えいや。と云うて跳ね返し、股野を取つて抑へ、甲をばかなぐり捨て、乱れ髪をつかんで上げ、首を掻けども掻かれず、掻けども掻かれず。不思議さよ。と思ひ、雲透きに刀を見てあれば、鮫鞘巻の鞘詰まり、栗形捥(も)げて、鞘ながらあり。口に咥へて抜くべきを、若気の致す所にや、かむりの板に押しあてゝ、丁々と打ちければ、抜けはせずしてこの刀、目釘ぎわよりほつきと折れ、浪打際にさつと入る。天に呆れて居たりし所に、長尾の新五・新六折り合ひ、見れば武者二騎組んであり。上が股野か、下が股野か。と、名乗れ、名乗れ。と云ひければ、下よりも、我こそ股野よ、折り合ひ給へ。と云ふ声に、上なる真田が首を討ち、下なる股野を取つて引つ立て、鎧の塵を打ち払ひ打ち払ひ、三人目と目をきつと見合(みあは)せ、につと笑うて立つたる隙(ひま)に、遥かの空を見れば、老武者一騎、尾花葦毛の馬に乗り、白糸威の腹巻に、白柄の長刀かいこうで、荻・薄をかき分けかき分け、なう、真田殿。与市殿。と呼うで通る。新吾・新六かけ合ひ、おことは誰(た)そ。と尋ぬれば、真田の与市が乳母親(めのとおや)に、文蔵。と答ふる。
▲アト「あゝ、申し。その文蔵を下されました。
▲シテ「何ぢや。文蔵を喰うた。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「文蔵といふは人の名で、中々、汝が歯に当てらるゝやうな物ではないが。はあ。扨は、汝が云ふは、忝くも、釈尊出山(しゆつせん)の御時、霊鷲山(りやうじゆせん)にて、師走八日に聞こし召された、温糟粥(うんざうがゆ)の事であらう。
▲アト「おゝ。その、温糟粥の事でござる。
▲シテ「それは、温糟(うんざう)。これは、文蔵(ぶんざう)。温糟・文蔵のたゞちも知らいで、主に良い骨を折らせをつた。しさりをれ。
▲アト「はあ。
▲シテ「えい。
▲アト「はあ。
{常の如く、入るなり。}

校訂者注
 1:「差し心得」は、「よく承知している」意。
 2:「どうじゆ麦」「もんぜん羹」「大羹・小羹」は、不詳。

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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文蔵(ブンサウ)(初番物 二番目)

▲シテ「此辺りの者で御座る、某一人召遣う下人が、身に暇も乞はず何方へやら参つて御座る、聞けば夜前罷帰つたとは申せ共未だ某に目見えを致さぬ、今日はきやつが私宅へ立ち越え、たばかり出し、屹度折檻を加はへようと存ずる、誠に憎いやつでござる、身に一言の断りを申して御座らば、いか程なり共暇を遣さう物を、出しぬいて参つた段言語道断憎い仕合せで御座る、いや何彼といふ内にきやつが私宅は是ぢや、身共が声と聞知つたらば、定めて留守を遣うで御座らう、作り声をして呼出さうと存ずる、ものも案内もう▲アト「やら奇特や、夜前罷り帰つたを早やどなたやら御存じあつて表に案内がある、案内とはたそ▲シテ「物もう▲アト「どなたで御座る▲シテ「しさりをれ▲アト「はあ▲シテ「俄の慇懃迷惑致す、ちとお手を上げられい▲アト「是は何共迷惑に存じまする▲シテ「おのれは此中誰に暇を乞うて何方へいた▲アト「去ればの事でござる、お暇の義を申上うと存じては御座れ共、一人召遣はるゝ下人の事で御座るに依つて、申上たり共やはか下されまいと存じて、忍うで京内詣を致して御座る▲シテ「やら珍らしや、一人召遣ふ下人が京内詣をすれば、主に暇を乞はぬが法ですか{と云ひて小刀{*1}そり打ツメルウケル如常}{*2}憎いやつの、屹度折檻を加はへようと思うて、是迄は来たれ共、京内詣をした{*3}といへば、都の事もなつかしい、此度はゆるす、そこをたて▲アト「夫は定{*4}で御座るか▲シテ「弓矢八幡助くるぞ▲アト「やら心易や▲シテ「何と今の間は窮屈に有つたか▲アト「いつもの御気色とは違まして、すは御手討にも合ませうかと存じて、身の毛をつめて居りました▲シテ「さうで有らう、身もいつもより腹が立つた、以来をたしなめ▲アト「畏つて御座る▲シテ「扨汝は京内詣をしたといふが、何と都は賑やかな事か▲アト「中々賑やかな事で御座る、東山の御遊参、西山の花見抔と申して、押しも分けられた事では御座らぬ▲シテ「何が扨花の都ぢや、左右なうては叶はぬ事ぢや、扨何もかはつた事もなかつたか▲アト「別に変つた事も御座らぬが、私は東福寺の伯父御様の方へ寄りました▲シテ「何んぢや、伯父者人{*5}の方へよつた▲アト「左様で御座る▲シテ「やれやれお懐かしや、其様な事を知つたらば言伝をなり共せう物を▲アト「夫は私が差し心得て申して御座る▲シテ「夫は出来した、扨あの伯父者人{*6}は変つた人で、人を一人見懸くると、何なり共珍らしい物を振舞う人ぢやが、何も喰うてはこなんだか▲アト「成程珍しい物を被下ました▲シテ「何を喰うた▲アト「物で御座る▲シテ「物とは▲アト「何やらで御座りましたが▲シテ「わすれたか▲アト「わすれました▲シテ「朝であつたか昼であつたか▲アト「朝でござりました▲シテ「朝ならば、昆布に山椒を巻て、梅干でよい茶を呑うだか▲アト「其様な物ではござりませなんだ▲シテ「夫ならば、点心の類ではなかつたか▲アト「さればてんじんのたぐひで御座つたか▲シテ「点心のたぐひならば、温飩かぬる麦あつ麦、どうじゆ麦、但しまんぢうではなかつたか▲アト「其様なものでもござりませなんだ▲シテ「夫ならば羹の類か▲アト「先夫と仰せられて御らうじませ▲シテ「羹に取つてはさとうようかんか{*7}▲アト「いゝや▲シテ「きよかん▲アト「いゝや▲シテ「うんぜんかんもんぜんかん▲アト「いゝや▲シテ「だいかんしやうかんばしくらうたか▲アト「いゝや▲シテ「しさり居れ▲アト「はあ▲シテ「扨々憎いやつの、常々物覚えがわるいに依つて、覚えにくい事は物によそへてなり共覚いといふに、ましておのれが喰うた物をわするゝといふ事が有る物か▲アト「其物によそへてと仰せらるゝに付いて、思ひ出して御座る▲シテ「又思ひ出ださいでならうか▲アト「常々御前のすいてお読み成さるゝ物の本の中に、有物を下されました▲シテ「常々身共がすいてよむは源平盛衰記、中にも石橋山の合戦の所をすいてよむが、もし其内に有る物を喰うたか▲アト「成程其合戦の所を下されました▲シテ「扨々、手ひどい所を喰うたなあ▲アト「左様でござる▲シテ「惣じて身共はわるいくせで、人に物をといかけて、といをおせねば気がゝりな、語らう程に、先づ其床机をくれい▲アト「畏つて御座る{と云ひて葛桶持て出るなり}{*8}御床机▲シテ「違棚に盛衰記のかいた物がある、取つてこい▲アト「畏つて御座る▲シテ「あゝこりやこりや、此中せつせつ読めば半巻ばかりは空でも読む、語らう程に、夫ならば夫と答へい▲アト「畏つて御座る▲シテ「そもそも石橋山の合戦は、治承四年八月十七日、兵衛之佐頼朝は、北條ひるが小島を打つ立ち給ふ、御勢三百余騎には過ぎざりけり、こゝに土肥の杉山は要害よき所とて城郭をかまへ給ふ、又平家の侍に大場の三郎といつし者、三千余騎を三手につくり、石橋小早川に押し寄せ陣を取る、源氏の方より三百余騎、平家の方には三千余騎、三千余騎と三百余騎を合すれば、十分が一分なれ共、君の御運の目出度きゆゑ、人の心が一つに揃うて、火花をちらし合戦したる所をばしくらうて有るか▲アト「いゝや▲シテ「然りとはいへ共、昼の間は合戦ごかくなり、夜軍になり相手組を定め給ふ、源氏の方には岡崎の悪四郎が嫡子、真田の与市義貞をゑつて出す、与市が其日の装束には、はだにはみなじろおつてひとかさね、精好の大口に副将軍を給はれば、赤地の錦のひたゝれを初めてこそは着たりけれ{*9}、楊梅桃李{*10}の左右の臂鎧、白檀琢の臑当{*11}に、緋威の大鎧、同毛の五枚錣{*12}の冑に、鍬形打つてぞ着たりける、一尺三寸の鮫鞘巻の刀をさし、黄金飾りの太刀を鴎様に結んでさげ、二拾四さいたる染羽の矢、威高に取つてつけ、重籐{*13}の弓の真中握、馬は名を得し白葦毛{*14}なる馬に乗り、木戸を開かせしづしづと討つて出る、頃は八月廿日あまり、まだ宵は闇にて、敵の近づく共、目には鮮に見えね共、荻の上葉を吹く風の、そよと斗りにおとづれて、秋の夜の、片われ月の片々も、落ちてぞ水の底にこそすめ、と云ふ此歌の心を持つて、土肥の杉山の高根を出でし月影に、鍬形のひらりひらりとひらめくにぞ、真田成るとぞ知れける、といふ所をばし喰らうて有るか▲アト「いゝやそこでもござらぬ▲シテ「何ぢや爰でもない▲アト「はあ▲シテ「まつた平家の方にも真田一人討たんとて、坂東にきこうる兵を三騎撰つて出す、一人ナ大場が舎弟に股野、二人は長尾の新吾新六なり、股野が其日の装束には、皆白おつて一トかさね、精好の大口に、茶褐の鎧直垂の、四ツのくゝりをがんぢとしめ、黒革威の大鎧、同じ毛の五枚冑に、高角打つてぞ着たりける、一尺八寸の金餝りの刀をさし、大中黒の征矢を、しまのごとくに取つてつけ、塗籠籐{*15}の弓の真中握、馬は蜩といふ馬に、豹の皮の張り鞍、虎の皮の切付{*16}、熊の皮の障泥をさし、我が身かろげにゆらりとのり、五尺三分をするりとぬき、真つ向にさしかざし、揉みにもうでぞ{*17}懸合せける、され共真田は股野斗に目をかけて、物間近くなりしかば、二た討ち三討討つぞと見えしが、よれ組ん尤と、鎧の袖を引違へ、馬の上にてむんずと組み、両馬が間にどうと落つ、所は難義の悪所なれば、下よりもえいやとはぬればころりところび、えいやとはぬればころりところび、たとへば板家のあられ玉ちるごとく、ころりころりところぶ程に、落付く所は股野が上に成りしか共、され共真田は力まさりの武者なれば、下よりもえいやというてはねかへし、股野を取つて抑へ、甲をばかなぐりすて、みだれ髪をつかんで上げ、首{*18}をかけどもかゝれず、かけどもかゝれず、不思議さよと思ひ、雲透に刀を見てあれば、鮫{*19}鞘巻のさやつまり、栗形もげてさやながらあり口にくわへてぬくべきを、若気の致す所にや、かむりの板に押しあてゝ{*20}、ちやうちやうと打ちければ、ぬけはせずして此刀、目釘ぎわよりほつきとをれ、浪打ぎわにさつといる、天にあきれて居たりし所に、長尾の新五新六折合、見れば武者二騎組んであり、上が股野か下が股野かと、名のれ名のれと云ひければ、下よりも、我れこそ股野よ折合給へといふ声に、上なる真田が首を討ち、下なる股野を取つて引つ立、鎧のちりを打ち払ひ打ち払ひ、三人目と目を屹度見合せ、につ{*21}と笑うて立つたる隙に、はるかの空を見れば老武者一騎、尾花あしげの馬にのり、白糸威しの腹巻に、白柄の長刀かいこうで、荻薄をかきわけかきわけ、なう真田殿、与市殿とようで通る、新吾新六かけ合ひ、お事はたそと尋ぬれば、真田の与市が乳母親に文蔵と答ふる▲アト「ああ申其文蔵を下れました▲シテ「何ぢや文蔵を喰うた▲アト「左様で御座る▲シテ「文蔵といふは人の名で、中々汝が歯にあてらるゝやうな物ではないが、はあ扨は汝がいふは、忝も釈尊出山の御時霊鷲山にて、師走八日にきこしめされた、温糟粥の事であらう▲アト「おゝそのうんざうがゆの事で御座る▲シテ「夫はうんざう、是は文蔵、うんざう文蔵のたゞちもしらいで、主によい骨をおらせをつた、しさりをれ▲アト「はあ▲シテ「得い▲アト「はあ{如常入也}

校訂者注
 1:底本は、「少刀」。
 2:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 3:底本は、「京内詣をしたい」。
 4:底本は、「誠(じやう)」。
 5・6:底本は、「伯父や人」。
 7:底本、ここに「さとうかようかんか」。
 8:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
 9:底本は、「着きたりけれ」。
 10:底本は、「揚梅桃李」。
 11:底本は、「臑(すねあて)」。
 12:底本、「錣(じころ)」の字は[革偏に周]。テキストになく、「錣(しころ)」で代用した。
 13・15:底本は、「藤(どう)」。
 14:底本は、「[馬偏に幸]馬(しらあしげ)」。[馬偏に幸]の字はテキストになく、「白葦毛」とした。
 16:底本は、「[馬偏に薦](きつゝけ)」。[馬偏に薦]の字はテキストになく、「切付」とした。
 17:底本は、「揉みにもうてぞ」。
 18:底本は、「頭(くび)」。
 19:底本は、「鮟(さめ)」。
 20:底本は、「押しあて」。
 21:底本は、「和(につ)」。