二千石(じせんせき)(初番目 二番目)

▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)一人(いちにん)召し遣ふ下人が、
{これよりしかじか、作り声して呼び出す。アト、出る。せりふ、皆々「文蔵」の通り、同断。}
▲シテ「扨、別に珍しい事もなかつたか。
▲アト「何も変つた事はござりませぬが、都には謡が流行(はや)りまする。
▲シテ「いや、こゝな者が。天下治まりめでたい御代に、謡の流行るが、何の珍しい事がある。
▲アト「それに就いて、ちと申し上げたい事がござる。
▲シテ「それは、何事ぢや。
▲アト「御前(おまへ)は、所で口をもきかせらるゝによつて、各々御参会。と申せば、上座(しやうざ)をもお詰めなさるゝ。すは乱舞。と申せば、下座(げざ)へ下つて畳の塵をむしつてござるを、蔭ながら見まして、余りお笑止に存じまして、御前に教へませう。と存じまして、都で謡を習うて参りました。
▲シテ「何と云ふぞ。身は所で口をもきくによつて、各々御参会。と云へば上座をも詰める。すは乱舞。と云へば下座へ下つて畳の塵をむしつてゐるを、蔭ながら見て笑止に思ひ、身共に教へうと思うて都で謡を習うて来た。と云ふか。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「それは、でかいた。して、今でも謡ふか。
▲アト「いつなりとも、謡ひませう。
▲シテ「それならばまづ、その床机をくれい。
▲アト「畏つてござる。御床机。
▲シテ「扨、囃子の者でも呼びにやらうか。
▲アト「それは、私が心拍子を以て謡ひませう。
▲シテ「それならば、急いで謡へ。
▲アト「畏つてござる。
《上》{*1}二千石の松にこそ、千歳を祝ふ後(のち)までも、その名は朽ちせざりけり、その名は朽ちせざりけり。
日本一の御機嫌に申し合(あは)せた。もそつと謡はう。
《上》{*2}二千石の松にこそ、千歳を祝ふ後までも、その名は朽ちせざりけり、その名は朽ちせざりけり。
▲シテ「しさりをれ、しさりをれ。
▲アト「はあ。
▲シテ「南無謡の大明神。只今の謡は、某が存じて謡はせたではござらぬ。真つ平、御免あれ。南無謡の大明神。やい、そこなやつ。おのれは、今の謡の仔細を知つて謡うたか。知らいで謡うたか。
▲アト「いや、何をも存じませぬが、都に流行りましたによつて、謡ひました。
▲シテ「いゝや、都に流行りはせまい。おのれが持つて行(い)て、流行らしたものであらう。
▲アト「いや、左様ではござりませぬ。
▲シテ「早速、成敗する奴なれども、謡の仔細をも語らず成敗したらば、後難もいかゞぢや。謡の仔細を語り、その後成敗する程に、さう心得い。
▲アト「それならば、謡ひますまいものを。
▲シテ「まだぬかしをる。つゝと、これへ寄つて聞き居れ。
▲アト「はあ。
▲シテ「《語》扨も、某の親の親は、祖父(おほぢ)よな。
▲アト「祖父御様でござる。
▲シテ「その親の親の、つゝとあなたの代の事にてありし。安倍の貞任、奥州・衣川の城郭に籠り、盛昌、我意に任せらるゝ間{*3}、都より討手の大将を下さるゝ。その時の大将軍は忝くも、八幡殿にてありしよな。
▲アト「はあ。
▲シテ「まづは、攻めも攻め、怺(こら)へも怺へけるぞ、前九年・後三年、合(あは)せて十二年三月と云ふもの、攻めらるゝ。その時、八幡殿に御酒宴の始まりしに、某が先祖の祖父、御酌に参る。大将、たぶたぶと受けて、祝言一つ。とありしかば、鎧の引き合(あは)せより扇を抜き出し、銚子の長柄を丁々と打つて、二千石の松にこそ、千歳を祝ふ後までも、その名は朽ちせざりけり。と、三度まで押し返し謡ふ。大将、なのめに悦うで、三盃干し給ひ、程なく敵を滅ぼし、天下一統の代となし給ふ。その時八幡殿、いで、かの謡の恩賞を与へん。とあつて、宇多の庄といふ大庄(たいしやう)を給はり、曽孫・曽孫、祖父より曽祖父親(ひおほぢおや)である者、今、某に到るまで、活計・歓楽に誇る事も、ひとへにこの二千石の祝言の故なり。いゝや、かやうの大事の謡を、およそにしては悪(あ)しかりなん。と、乾の角(すみ)に壇を築(つ)き、石の唐櫃(からうと)を切つて据ゑ、二千石の御謡を、一つ謡うてはとうど入れ、二つ謡うてはとうど入れ、石の唐櫃の蓋のふうとする程謡ひ入れ、七重に注漣󠄁(しめ)を張り、南無謡の大明神と額を打つて、崇め申す程の御謡を、何ぞや、おのれが暇も乞はず、余所へ失(う)するのみならず、あそこへ行(い)ては二千石、こゝへ行(い)ては二千石。と、祝言を謡ふは、曲事(くせごと)にてあるぞとよ。お直り候へ、成敗致す。
▲アト「それは、定(じやう)でござるか。
▲シテ「弓矢八幡、討つて捨て申す。
{と云ひて、太刀を抜く。アト、泣く。}
扨々、未練なやつの。夫(ぶ){*4}に首を提げられう者が、余人へも仰せ付けられいで、お手討ちに預つて忝い。などゝ云うて、につこと笑うて直りさうなやつが、最期に及うでほゆるは、切つ先・鎺元(はゞきもと)、女子に名残りが惜しいか。真っ直(すぐ)に云へ。
▲アト「切つ先・鎺元、妻子に名残りは惜しうござらねども、昔が思ひ出されて。
{と云ひて泣く。}
▲シテ「何ぢや。昔が思ひ出さるゝ。とは、どうした事ぢや。
▲アト「さればの事でござる。大殿様の御代の時、ある徒然(つれづれ)に、違ひ棚の尺八を取つて来い。と仰せられたを、取つて参る。とて、畳の縁(へり)に躓いて、転うでござれば、不躾(ぶしつけ)なやつぢや。とあつて、かの尺八をおつ取つて、投げ打ちになされた御手元と、今又御前が、直れ、斬らう。と仰せらるゝ御手元が、余り良う似まして、それが哀れで。
{と云ひて泣くなり。}
▲シテ「何と云ふぞ。親者人の御代の時あるつれづれに、違ひ棚の尺八を取つて来い。と仰せられたを、取つて来る。とて畳の縁に躓いて転うだを、不躾なやつぢや。とあつて、かの尺八をおつ取つて投げ打ちになされた御手元と、今身共が直れ、斬らう。と云ふ手元が親者人に似て、それが哀れでほゆる。と云ふか。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「あの、それがや。
▲アト「あゝ。
{と云ひて、二人ともに泣くなり。}
▲シテ「健気な者は最期に及うで、哀れな事を思ひ出す。と云ふが、そちは、哀れな事を思ひ出したなあ。もはや、斬られはせまい。命を助くる。そこを立て。
▲アト「それは、定でござるか。
▲シテ「こりやこりや。太刀も鞘に収むるぞ。
▲アト「大殿様は常々、立て板に水を流す様に仰せられてござる。その様に早う、お腹の癒(い)させらるゝ所は、よう似ましてござる。
▲シテ「これも、似た。と云ふか。
▲アト「中々。
▲シテ「これは重代なれども、汝にやるぞ。
▲アト「この様に物を下さるゝ所は、よう似ました。
▲シテ「これは、わざよしなれども、そちにやるぞ。
▲アト「この様に、お気の広い所は、猶よう似ました。
▲シテ「かう行く姿は。
▲アト「その儘でござる。
▲シテ「戻る姿は。
▲アト「生きの写しでござる。
▲シテ「あまりそちが、似た、似た。と云ふによつて、親者人の事が思ひ出されて。
{と云ひて、二人泣く。}
やい、太郎冠者。
▲アト「やあ。
▲シテ「何と、子が親に似たといふは、めでたい事ではないか。
▲アト「何(いづ)れ、これはおめでたい事でござる。
▲シテ「由(よし)ない事に落涙をした。この様な時は、どつと笑うて退(の)かう。
▲アト「一段と良うござらう。
▲シテ「つゝと、これへ寄れ。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「さあ、笑へ。
▲アト「まづ、お笑ひなされませ。
▲シテ「まづ。
▲アト「まづ。
▲二人「まづ、まづ、まづ。
{と云ひて、二人とも笑ふ。太郎冠者、下に居る。シテより入るなり。}

校訂者注
 1:底本、ここから「其名は朽せざりけり(二字以上の繰り返し記号)」まで、傍点がある。
 2:底本、ここから「其名はくちせざりけり(二字以上の繰り返し記号)」まで、傍点がある。
 3:「盛昌我意に任す」は、「権勢盛んで思いのままに振舞う」意。
 4:「夫」は、「雑兵、戦に動員された人足」の意。

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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二千石(ジセンセキ)(初番目 二番目)

▲シテ「此辺りの者で御座る、某一人召遣う下人が{是よりしかしか作り声して呼出すアト出るセリフ皆々文蔵の通同断}▲シテ「扨別に珍らしい事もなかつたか▲アト「何もかはつた事は御座りませぬが都には謡がはやりまする▲シテ「いや爰な者が、天下納り目出たい御代に、謡の流行るが何の珍しい事がある▲アト「夫に就いてちと申上げたい事が御座る▲シテ「夫は何事ぢや▲アト「お前は所で口をもきかせらるゝに依つて、各々御参会と申せば、上座をもおつめ被成るゝ、すは乱舞と申せば、下座へ下つて畳のちりをむしつて御座るを、影ながら見まして、余りお笑止に存じまして、お前におしへませうと存じまして、都で謡を習うて参りました▲シテ「何といふぞ、身は所で口をもきくによつて、各々御参会といへば、上座をも詰る、すは乱舞といへば下座へ下ツて、畳のちりをむしつてゐるを、影ながら見て笑止に思ひ、身共に教へうと思ふて、都で謡を習うて来たといふか▲アト「左様で御座る▲シテ「それは出来いた、して今でも謡ふか▲アト「何時なりとも謡ひませう▲シテ「夫ならば先ヅ其床机をくれい▲アト「畏ツて御座る、お床机▲シテ「扨囃子の者でも呼びにやらうか▲アト「夫は私が心拍子をもつて謡ひませう▲シテ「夫ならば急いで謡へ▲アト「畏ツて御座る《上》二千石の松にこそ。ちとせを祝ふ後までも。其名は朽せざりけり其名は朽せざりけり。日本一の御機嫌に申し合せた、最卒都謡はう《上》二千石の松にこそ。ちとせを祝ふのちまでも。其名はくちせざりけり其名はくちせざりけり▲シテ「しさりをれしさりをれ▲アト「はあ▲シテ「南無謡の大明神、唯今の謡は某が存じて、謡はせたでは御座らぬ、真平御免あれ、南無謡の大明神、やいそこなやつ、おのれは今の謡の仔細を知ツて謡ふたか、しらいで謡ふたか▲アト「いや何をも存じませぬが、都にはやりましたに依つて謡ひました▲シテ「いゝや都にはやりはせまい、おのれが持ツていてはやらした物であらう▲アト「いや左様では御座りませぬ▲シテ「早速成敗する奴なれ共、謡の仔細をも語らず、成敗したらば後難もいかゞ{*1}ぢや、謡の仔細を語り其後成敗する程に、さう心得い▲アト「夫れならば謡ひますまい者を▲シテ「まだぬかしをる、つつと是へよつて聞き居れ▲アト「はあ▲シテ「《語》扨も某の親の親は祖父よな▲アト「祖父御様で御座る▲シテ「其の親の親のつツとあなた{*2}の代の事にて有りし、安倍の貞任奥州衣川の城郭に籠り、盛昌我意にまかせらるゝ間{*3}、都より討手の大将を下さるゝ、其時の大将軍は、忝なくも八幡殿にて有りしよな▲アト「はあ▲シテ「先づは攻めもせめ、怺へもこらへけるぞ、前九年後三年、合せて十二年三月と云ふもの攻めらるゝ、其時八幡殿に御酒宴の始まりしに、某が先祖の祖父お酌に参る、大将たぶたぶと請けて、祝言一ツと有りしかば、鎧の引合より扇をぬき出し、銚子の長柄を丁々と打ツて、二千石の松にこそ、千とせを祝ふ後迄も、其名はくちせざりけりと、三度迄押し返し謡ふ、大将なのめに悦うで、三盃ほし給ひ、程なく敵をほろぼし、天下一統の代となし給ふ、其時八幡殿、いで彼謡の恩賞をあたへんとあつて、うだの庄といふ大しやうを給はり、曽孫曽孫祖父より曽祖父親である者、今某に到る迄、活計歓楽にほこる事も、ひとへに此二千石の祝言の故なり、いゝや斯様の大事の謡を凡にしてはあしかりなんと、乾の角に壇を築き、石の唐櫃を切つて据ゑ二千石の御謡を、一ツ謡ふてはとうどいれ、二ツ謡ふてはとうどいれ、石の唐櫃の蓋のふうとする程謡ひ入れ、七重に注漣󠄁を張り、南無謡の大明神と額を打ツて、崇め申す程の御謡を、何ぞやおのれが暇も乞はず、余所へ失するのみならず、あそこへいては二千石、爰へいては二千石と、祝言を謡ふは曲事にて有るぞとよ、お直り候へ成敗致す▲アト「夫は定{*4}で御座るか▲シテ「弓矢八幡討て捨て申す{ト云て太刀をぬくアトなく}{*5}扨々未練なやつの、夫{*6}に首をさげられう者が、余人へも仰せ付けられいで、お手討に預ツて忝ない抔といふて、につこと笑ふて直りさうなやつが、最期に及うでほゆるは、切ツ先鎺元、女子に名残りがおしいか、まつすぐにいへ▲アト「切ツ先鎺元、妻子に名残りはおしう御座らね共、昔が思ひ出されて{ト云てなく}▲シテ「何ぢや昔が思ひ出さるゝとは、どうした事ぢや▲アト「さればの事で御座る、大殿様の御代の時ある徒然に、違棚の尺八を取つてこいと仰せられたを、取ツて参るとて畳の縁に躓いて転うで御座れば、不仕付なやつじやと有ツて、彼の尺八をおつ取ツてなげ打になされたお手元と、今又お前が直れ斬うと仰せらるゝお手元が、あまりよう似まして夫があはれで{と云てなく也}▲シテ「何といふぞ、親じや人の御代の時、あるつれづれに違棚の尺八を取ツてこいと仰せられたを{*7}、取ツて来るとて畳のへりにつまづいてころうだを、ぶしつけなやつぢやと有ツて、かの尺八をおつ取ツてなげ打に被成たお手元と、今身共がなほれ斬らうといふ手元が、親じや人に似て、夫が哀れでほゆるといふか▲アト「左様で御座る▲シテ「あの夫がや▲アト「あゝ{ト云て二人ともになくなり}▲シテ「健気な者は最期に及うで、あはれな事を思ひ出すといふが、そちはあはれな事を思ひ出したなあ、最早斬られはせまい、命をたすくるそこをたて▲アト「夫は定{*8}で御座るか▲シテ「こりやこりや太刀も鞘におさむるぞ▲アト「大殿様は常々たて板に水を流す様に仰せられて御座る、其様に早うお腹のいさせらるゝ所は、よう似まして御座る▲シテ「是も似たといふか▲アト「中々▲シテ「是は重代なれ共汝にやるぞ▲アト「此様に物を下さるゝ所はよう似ました▲シテ「是はわざよしなれ共そちにやるぞ▲アト「此様にお気の広い所は、猶よう似ました▲シテ「かう行く姿は▲アト「其儘で御座る▲シテ「戻る姿は▲アト「いきの写で御座る▲シテ「あまりそちが似た似たといふに依ツて、親じや人の事が思ひ出されて{と云ひて二人泣く}{*9}やい太郎冠者▲アト「やあ▲シテ「何と子が親に似たといふは目出たい事ではないか▲アト「何れ是はお目出たい事で御座る▲シテ「よしない事に落涙をした、此様な時はどつと笑ふてのかう▲アト「一段とよう御座らう▲シテ「つつと是へよれ▲アト「畏つて御座る▲シテ「さあ笑へ▲アト「先お笑ひ被成ませ▲シテ「まづ▲アト「まづ▲二人「先々まず{ト云て二人とも笑太郎冠者下に居るシテより入るなり}

校訂者注
 1:底本は、「如何(いかゞ)」。
 2:底本は、「何方(あなた)」。
 3:底本は、「政将我意(せいしやうがい)にまかせらるゝ間(あひだ)」。
 4・8:底本は、「誠(じやう)」。
 5・9:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
 6:底本は、「歩(ぶ)」。
 7:底本は、「仰ぜられたを」。