竹生島詣(ちくぶしまゝいり)(二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。
{これよりしかじか廻る。作り声にて呼び出す。シテ、出る。しかじか、「文蔵」に同断。但し、竹生島詣りをした。といふ事なり。}
▲アト「扨、汝は竹生島詣でをした。と云ふが、何と夥(おびたゞ)しい参詣か。
▲シテ「中々、夥しい参詣でござる。峯から谷へ、谷から峯へ、押しも分けられた事ではござらぬ。
▲アト「何が扨、天夫(てんぷ)の御事ぢや。さうなうては叶はぬ事ぢや。扨、何も変つた事はなかつたか。
▲シテ「別に変つた事もござらぬが、私は只今、雀と烏とは別の鳥か。と存じてござれば、あれは疑ひもない、親子でござる。
▲アト「さう云ふには、何ぞ仔細があるか。
▲シテ「成程、仔細がござる。道に大きな榎の木がござる。その枝に烏がとまつて居りました。又、片枝に雀がとまつて居りました。かの雀が烏の傍へ参つて、ちゝ、ちゝ。と申してござれば、烏が雀をきつと見まして、こかあ、こかあ。と申してござる。あれは疑ひもない、親子でござる。
▲アト「扨々そちは、むさとした事を云ふ。それは、銘々のさへずり様でこそあれ。自然、同じ木にとまつて鳴き合はせたと云うて、それが親子であらう事は。その様な事ではない。何ぞ、もそつと珍しい事はなかつたか。といふ事ぢや。
▲シテ「まだ珍しい事がござつた。
▲アト「それは、何であつた。
▲シテ「神前の傍らに、大きな芝がござる。その芝に、こびた者が集まつて居りました。
▲アト「何が集まつて居た。
▲シテ「まづ、辰。
▲アト「辰。
▲シテ「犬。
▲アト「犬。
▲シテ「猿。
▲アト「ほい。
▲シテ「かいる。
▲アト「はあん。
▲シテ「くちなは。
▲アト「したり。
▲シテ「この者どもが、集まつて居りました。
▲アト「早速、不審がある。総じて昔から、仲の悪いは犬と猿との様な。と云ふが、何も仲の悪い体(てい)はなかつたか。
▲シテ「いかないかな。仲の悪い体はそつともござらいで、何ぞ、ものを談合する体と見えてござる。この者どもが、立ちさまに秀句を云うて立ちました。これが、聞き事でござる。
▲アト「何と云ふぞ。今の者どもが、秀句を云うて立つた。と云ふか。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「それは、面白さうな事ぢや。して汝は、それを覚えて来たか。
▲シテ「成程、覚えて参つてござる。
▲アト「それならば、急いで話して聞かせ。
▲シテ「畏つてござる。まづ、辰が申しまするは、何(いづ)れもは、これにござれ。身共は諸用ござるによつて、このお座敷を辰(たつ)です。と申してござる。
▲アト「辰の秀句に辰です。は、でかしをつたなあ。
▲シテ「でかしました。
▲アト「して、その次は何であつた。
▲シテ「犬が申しまするには、某(それがし)は夜話(よばなし)に参るによつて、このお座敷を往(い)ぬるです。と申してござる。
▲アト「犬の秀句にいぬるです。は、でかしをつたなあ。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「その次は、何であつた。
▲シテ「猿が申しまするには、身共は内客を得ましたによつて、このお座敷を去(さ)るです。と申してござる。
▲アト「きやつは人間半分知恵を持つた。と云ふによつて、秀句程の事を云ひかねもせまいが、猿が所の内客は、誰であらうなあ。
▲シテ「それが、しれものでござる。
▲アト「して、その次は何であつた。
▲シテ「蛙(かいる)が申しまするは、皆お立ちなされたによつて、某もこのお座敷をけ帰(かい)るです。と申してござる。
▲アト「あいつが小さい形(なり)をし居つて、大きな者に負けじ劣らじと、目をしよぼしよぼして、かいる、かいる、かいる。《笑》して、その次は何であつた。
▲シテ「いや、もうござらぬ。
▲アト「まだ、何やらあつたぞよ。
▲シテ「いや、もう何もござらぬ。
▲アト「いやいや。まだ、あつた。それそれ。まだ、くちなはの秀句がある。
▲シテ「誠に、くちなはの秀句がござる。
▲アト「急いで云へ。
▲シテ「暫くお待なされませ。
▲アト「心得た。定めてくちなはの秀句は、生長(なまなが)い事でござらう。
▲シテ「これはいかな事。人の話を承つて、ふと申してござれば、くちなはの秀句には、はつたと詰まつた。何としたものであらうぞ。
▲アト「太郎冠者、太郎冠者。やい、太郎冠者。
▲シテ「やあ。
▲アト「くちなはゝ、何と云うた。
▲シテ「くちなはゝ、でかしました。
▲アト「さうであらう。何と云うた。
▲シテ「まづ、くるりくるりと輪になつて。
▲アト「輪になつて。
▲シテ「鎌首をもつ立て。
▲アト「もつ立て。
▲シテ「このお座敷を立(た)つです。と申してござる。
▲アト「くちなはの秀句に、たつ。いや。これは、辰(たつ)の秀句ぢやぞよ。
▲シテ「帰(かい)る。ではござらぬか。
▲アト「かいる。は、蛙(かいる)の秀句ぢや。くちなはの秀句を急いで云へ。
▲シテ「あゝ。今、思ひ出しました。物と。
▲アト「何と。
▲シテ「物と。
▲アト「何と。
▲シテ「石蔵の中へぬらぬらです。と申してござる。
▲アト「あのやくたいもない。しさりをれ。
{と云ひて、常の如く、留めて入るなり。}
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
竹生島詣(チクブシママイリ)(二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る{是よりしかしか廻る作り声にて呼出すシテ出るしかしか文蔵に同断但し竹生島詣をしたと云ふ事なり}▲アト「扨汝は竹生島詣をしたといふが、何とおびたゞしい参詣か▲シテ「中々おびたゞしい参詣で御座る、峯から谷へ谷から峯へ、押も分られた事では御座らぬ▲アト「何が扨天夫のお事ぢや、さうなうては叶はぬ事ぢや、扨何もかはつた事はなかつたか▲シテ「別にかはつた事も御座らぬが、私は唯今すゞめと烏とは、別の鳥かと存じて御座ればあれはうたがひもない親子で御座る▲アト「さういふには何ンぞ仔細が有か▲シテ「成程仔細が御座る、道に大きな榎の木が御座る其枝に烏がとまつてをりました、又片枝に雀がとまつてをりました、彼雀がからすのそばへ参ツて、ちちちちと申して御座れば、烏が雀を屹度見まして、こかあこかあと申して御座る、あれはうたがひもない親子で御座る▲アト「扨々そちは無差とした事を云ふ、夫は銘々のさへずり様でこそあれ、しぜんおなじ木にとまつて、なき合せたといふて夫が親子であらう事は、其様な事ではない、何ぞ最卒都珍らしい事はなかつたかといふ事ぢや▲シテ「まだ珍らしい事が御座つた▲アト「夫れは何ンであつた▲シテ「神前のかたはらに大きな芝が御座る、其芝にこびた者が集つて居りました▲アト「何が集ツて居た▲シテ「先辰▲アト「辰▲シテ「犬▲アト「犬▲シテ「猿▲アト「ほい▲シテ「かいる▲アト「はあん▲シテ「くちなわ▲アト「したり▲シテ「此者共が集ツて居りました▲アト「早速不審がある、総じて昔から中のわるいは、犬と猿との様なといふが、何も中のわるい体はなかつたか▲シテ「いかないかな中のわるい体はそつとも御座らいで、何ぞ物を談合する体と見えて御座る、此者共がたちさまに秀句をいふてたちました、是がきゝ事で御座る▲アト「何といふぞ、今の者共が秀句をいふてたつたといふか▲シテ「左様で御座る▲アト「夫は面白さうな事ぢや、して汝は夫を覚えて来たか▲シテ「成程覚えて参つて御座る▲アト「夫ならば急いで話てきかせ▲シテ「畏つて御座る、先づ辰が申しまするは、何れもは是に御座れ、身共は諸用御座るに依つて、此お座敷を辰ですと申して御座る▲アト「辰の秀句に辰ですはでかしをつたなあ▲シテ「でかしました▲アト「して其次は何んであつた▲シテ「犬が申しまするには、某は夜ばなしに参るに依つて、此お座敷をいぬるですと申して御座る▲アト「犬の秀句にいぬるですは出かしをつたなあ▲シテ「左様で御座る▲アト「其次は何であつた▲シテ「猿が申しまするには、身共は内客を得ましたに依つて、此お座敷を猿ですと申して御座る▲アト「きやつは人間半分知恵を持つたといふに依つて、秀句程の事をいゝかねもせまいが、猿が所の内客は誰であらうなあ▲シテ「それがしれ物で御座る▲アト「して其次は何で有つた▲シテ「かいるが申しまするハ、皆お立ち被成たに依つて、某も此お座敷をかいるですと申して御座る▲アト「あいつが小さいなりをしをつて、大きな者にまけじおとらじと、目をしよぼしよぼして、かいるかいるかいる、《笑》、して其次は何であつた▲シテ「いやまう御座らぬ▲アト「まだ何やらあつたぞよ▲シテ「いやまう何も御座らぬ▲アト「いやいやまだあつた、夫々まだ口なわの秀句がある▲シテ「誠に口なわの秀句が御座る▲アト「急いでいへ▲シテ「暫らくお待被成ませ▲アト「心得た、定めて口なわの秀句は、なまながい事で御座らう▲シテ「是はいかな事、人のはなしを承つて、ふと申して御座れば、口なわの秀句にははつたとつまつた、何とした者であらうぞ▲アト「太郎冠者太郎冠者やい太郎冠者▲シテ「やあ▲アト「口なわは何といふた▲シテ「口なわは出かしました▲アト「さうで有らう何といふた▲シテ「先くるりくるりと輪になつて▲アト「輪になつて▲シテ「鎌首をもつ立て▲アト「もつ立て▲シテ「此お座敷を立つですと申して御座る▲アト「くちなわの秀句に辰、いや是は辰の秀句ぢやぞよ▲シテ「かいるでは御座らぬか▲アト「かいるはかいるの秀句ぢや、口なわの秀句を急いでいへ▲シテ「あゝ今思ひ出しました、物と▲アト「何と▲シテ「物と▲アト「何と▲シテ「石蔵の中へぬらぬらですと申して御座る▲アト「あのやくたいもない、しさりをれ{ト云て如常留て入るなり}
校訂者注
1:底本の「笑ふ」は、ト書きと同じ大きさの活字で縦一行書き。
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