鐘の音(かねのね)(二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。倅(せがれ)も、やうやう成人致してござるによつて、黄金飾(こがね)りの太刀を、のし附けに作つて遣はさう。と存ずる。まづ、太郎冠者を呼び出し、申し付けうと存ずる。
{と云ひて呼び出す。出るも常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。倅もやうやう成人したによつて、黄金飾りの太刀をのし附けに造つて遣はさう。と思ふが、何とあらう。
▲シテ「御意もなくば、申し上げう。と存じてござる。これは、一段と良うござりませう。
▲アト「それならば汝は、大儀ながら鎌倉へ行(い)て、金(かね)の値(ね)を聞いて来い。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「扨、云ふまではなけれども、所々で値(ね)が違ふ程に、随分念を入れて、良い金(かね)の値(ね)を聞いて来い。
▲シテ「その段は、そつともお気遣ひなされますな。
▲アト「急で行(い)て、やがて戻れ。
{と云ひて、常の如く、詰めるなり。}
▲シテ「これは、火急な事を仰せ付けられた。まづ、急いで鎌倉へ参らう。誠に、あのお子の御誕生なされたを、昨日(きのふ)や今日(けふ)のやうに存じてござるに、はや太刀・刀の御詮索をなさるゝ様になつた。月日の経つは、早いものでござる。いや。何かと云ふ内に、これは早、鎌倉ぢや。扨も扨も、賑やかな事ぢや。則ち、これに寺がある。これは、何といふ寺ぢや知らぬまで。何、寿福寺。扨、鐘楼堂(しゆろうだう)は、どれにある事ぢや知らぬまで。さればこそ、これにある。まづ、この鐘(かね)の音(ね)を聞かう。ゑいゑいゑい。
{と云ひて、鐘木(しゆもく)の縄を持つて、撞(つ)く仕方をする心持ちあるべし。}
じやんもう、じやんもう、じやんもう。これはまづ、大抵の音(ね)ぢや。さりながら、鐘(かね)の音(ね)も、所々で違ふ。と仰せられた。又、外(ほか)の寺へ参つて聞いて見よう。則ち、これが寺町さうな。この通りを真つすぐに参らう。誠に、鎌倉は名所の多い所。と承つてござる。この度を幸ひに、こゝかしこをゆるゆる見物致さう。と存ずる。いや又、こゝに寺がある。これは、何といふ寺ぢや知らぬまで。何、円覚寺。鐘楼堂は、どれにある事ぢや。これにある。又、この鐘の音を聞かう。
{と云ひて、初めの通り、綱を持ち、撞くなり。}
ばあん。扨も扨も、薄(うす)い音(ね)ぢや。この様な薄い音は、お役に立つまい。もそつと、余の寺へ参らう。扨々、頼うだお方は御功者(ごかうしや)な事ぢや。所々で音が違ふ。と仰せられたが、鐘の音も、色々のあるものぢや。又、こゝに寺がある。これは、何といふ寺ぢや知らん。はあ。何やら、これに高札(たかふだ)がある。まづ、読うで見よう。何々。極楽寺境内、禁制の事。まづ、寺の名は極楽寺。一つ、竹木折り取る事。猥りに鐘撞く事、堅く禁制なり。わあ。鐘を撞くな。と書いてある。外の禁制はかまはぬが、鐘を撞くな。には、ほうど困つた。その上、遥々(はるばる)の所を来て、この鐘の音を聞き残す。といふも、残念ぢや。いや。幸ひ、辺りに人もなし。もし咎めたらば、咎めた時の事よ。まづ、この鐘の音を聞かう。ゑいゑいゑい。
{と云つて、急ぎ鐘を撞く。}
じやぐわん、じやぐわん、じやぐわん。こりや、破(わ)れ鐘ぢや。外へは見えぬが、内にひゞりでもあるか知らぬ。この様な破れ鐘が、何の役に立つものぢや。又、外の寺へ参らう。誠に、鐘を撞くな。と書いたこそ、道理なれ。破れ鐘ぢや。あの様な鐘が、何の役に立つものぢや。やあやあ。又あれに、大きな寺がある。いや、なうなう。あの寺の名は、何と申す。何、建長寺。さればこそ、尊い寺は門から見ゆる。と云ふが、鎌倉一番の建長寺ぢや。まづ、内へ入つて見よう。扨も扨も、綺麗な事かな。扨、鐘楼堂は、どれにある事ぢや知らぬ。さればこそ、これにある。さらば、この鐘の音を聞かう。
{と云ひて、以前の如く、「えいえい」と云ひて、撞く。}
こをん。扨も扨も、冴えた良い音(ね)ぢや。最前から聞くうちに、この様な冴えた良い音はない。どれこれと云はうより、この建長寺の鐘に極(きは)めて帰らう。さりながら、念のためぢや。も一度聞いて見よう。ゑいゑいゑい。こをん。聞けば聞く程、良い音(ね)ぢや。とかく、この鐘の音に極めう。まづ、急いで帰らう。誠に、隙(ひま)が入らうか。と存じたに、重畳の鐘(かね)の音(ね)に出合うて、この様な悦ばしい事はござらぬ。頼うだお方へ申し上げたらば、さぞ御満足なさるゝであらう。いや、何かと云ふ内に、戻つた。
{と云ひて、出る。常の如し。}
▲アト「ゑい、太郎冠者。
▲シテ「はあ。
▲アト「戻つたか。
▲シテ「只今帰りました。
▲アト「やれやれ、骨折りや。して、金(かね)の値(ね)を聞いて来たか。
▲シテ「成程、聞いて参つてござる。
▲アト「何と、所々で値(ね)が違はうが。
▲シテ「いやも、夥(おびたゞ)しう違ひまする。
▲アト「して、何程するぞ。
▲シテ「何程致すかは存じませぬが、まづ鎌倉へ参つて、寿福寺の鐘(かね)の音(ね)を聞いて見ましたれば、じやんもう、じやんもう、じやんもう。これは、たいていの音でござる。
▲アト「あれは、何をぬかし居る事ぢや知らぬ。
▲シテ「鐘(かね)の音(ね)も、所々で違ふ。と仰せられたによつて、それから、円覚寺の鐘の音を聞いて見ましたれば、ばあん。それはそれは、薄い音(ね)でござる。
▲アト「呆れもせぬ事をぬかし居る。
▲シテ「この様な薄い音は、お役に立つまい。と存じて、又、極楽寺の鐘の音(ね)を聞いてござる。申し、大事の事の、外へは見えませぬが、内にひゞりでもあるかして、撞くと否や、じやぐわん、じやぐわん、じやぐわん、じやぐわん。《笑》破(わ)れ鐘でござる。
▲アト「どうでもきやつは、気が違うたさうな。
▲シテ「この様な破れ鐘は、何の役に立たぬものぢや。と存じて、今度は、鎌倉一番の建長寺の鐘の音(ね)を聞いて見ましたが、さすが、建長寺でござる。撞きますると、こをん。それはそれは、冴えた良い音(ね)でござる。どれこれと仰せられうより、この建長寺の鐘にお極(きは)めなされませ。
▲アト「何ぢや。どれこれと云はうより、建長寺の鐘に極めい。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「扨々、おのれはうつけたやつの。知らずば、なぜに問うて行かぬ。倅もやうやう成人したによつて、黄金飾(こがねづく)りの太刀を、のし附けに作つて遣はすによつて、鎌倉へ行(い)て、黄金(こがね)の値(ね)を聞いて来い。とこそ云うて遣れ。撞(つ)き鐘(がね)の音(ね)を聞いて来て、何の役に立つものぢや。
▲シテ「はあ。扨は、黄金(こがね)の事でござるか。
▲アト「おんでもない事。
▲シテ「でも、かねのね。とばかり仰せられたによつて、聞いて参りました。
▲アト「まだそのつれをぬかし居る。黄金(こがね)の事ぢや。
▲シテ「お前も又、こがねならばこがねと、初手から云うたが良うござる。
▲アト「扨々、憎いやつぢや。身が内には叶はぬ。出て失(う)せう。
▲シテ「あゝ。
▲アト「おのれ、まだそこに居るか、そこに居るか。
▲シテ「あゝ。ご許されませ、ご許されませ。
▲アト「扨々、腹の立つ事ぢや。
{と云ひて、橋掛かりまで逃げる。主、追ひつめて、笛座上に居るなり。}
▲シテ「これは、以ての外の御機嫌ぢや。いづれ、身共はうつけた者ぢや。黄金飾りの太刀をのし附けに作つて遣はさるゝに、撞き鐘の音の要(い)らうやうがない。これは、身共が誤つた。何としたものであらうぞ。いや、頼うだお方は有興人(うきようじん)ぢや。この体(てい)を謡に作つて謡うて、御機嫌を直さうと存ずる。
{*1}鎌倉に、つゝと入相の鐘、これなり。東門にあたりては寿福寺の鐘、諸行無常と響くなり。南門にあたりては円覚寺の鐘、是生滅法と響くなり。扨、西門は極楽寺、これ又、生滅々已の理(ことはり)。北門な建長寺、寂滅為楽と響き渡れば{*2}、何(いづ)れも鐘の音(ね)聞き澄まし、急いで上る甲斐もなく、さもあらけなき主殿の、素首(そくび)を取つて撞き鐘の、素首を取つて撞き鐘の、響きにはなをや直すらん{*3}。
{この謡の内、主、立つて正面に出で、扇かざし居る。}
▲アト「何でもない事。しさりをれ。
{常の如く、留めて入るなり。}
校訂者注
1:底本、ここから「ひゞきにはなをやなをすらん」まで、傍点がある。
2:「諸行無常」「是生滅法」「生滅々已」「寂滅為楽」は、「涅槃経四句偈」。
3:「響きにはなをや直すらん」は、不詳。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
鐘の音(カネノネ)(二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、忰も漸々成人致して御座るに依つて、黄金飾りの太刀を、のし附に作つて遣はさうと存ずる、先づ太郎冠者を呼出し、申し付けうと存ずる{と云ひて呼び出す出るも如常}{*1}汝呼び出す別の事でない、忰も漸々成人したに依つて、黄金飾りの太刀を、のし附に造つて遣はさうと思ふが何と有う▲シテ「御意もなくば申し上うと存じて御座る、是は一段とよう御座りませう▲アト「夫ならば汝は大儀ながら、鎌倉へいて金の音をきいて来い▲シテ「畏つて御座る▲アト「扨いふ迄はなけれ共、所々で値{*2}が違ふ程に、ずいぶん念をいれて、よい金の値{*3}をきいてこい▲シテ「其段はそつともお気づかひ被成ますな▲アト「急でいて頓て戻れ{と云ひて如常つめるなり}▲シテ「是は火急{*4}な事を仰付られた、先急いで鎌倉へ参らう誠に、あのお子の御誕生被成たを、きのふやけふのやうに存じて御座るに、早太刀かたなの御せんさくを被成るゝ様になつた、月日のたつは早い物で御座る、いや何かといふ内に是は早や鎌倉ぢや、扨も扨も賑やかな事ぢや、則是に寺が有る、是は何といふ寺ぢやしらぬまで、何寿福寺、扨鐘楼堂はどれにある事ぢやしらぬまで、さればこそ是に有る、先此鐘の音をきかう、ゑいゑいゑい{と云ひて鐘木の縄を持つてつく{*5}仕方をする心持有るべし}{*6}じやんもうじやんもうじやんもう、是は先づ大抵{*7}の音ぢや、去り乍ら、鐘の音も所々で違ふと仰せられた、又外の寺へ参つてきいて見う、則ち是が寺町さうな、此通りを真つすぐに参らう、誠に鎌倉は名所の多い所と承つて御座る、此度を幸に、爰かしこをゆるゆる見物致さうと存ずる、いや又爰に寺がある、是は何といふ寺ぢやしらぬまで、何円覚寺、鐘楼堂はどれにある事ぢや、是にある又此鐘の音をきかう{と云ひて初めの通り綱を持ちつく也}ばあん、扨も扨もうすい音ぢや、此様なうすい音はお役に立つまい、最卒つ都余の寺へ参らう、扨々頼うだお方は御功者な事ぢや、所々で音が違ふと仰せられたが、鐘の音もいろいろのある者ぢや、又爰に寺がある、是は何といふ寺ぢやしらん、はあ何やら是に高札がある、先ようでみやう、何々極楽寺境内禁制の事、先づ寺の名は極楽寺、一ツ竹木折取る事、猥りに鐘撞く事堅く禁制なり、わあ鐘をつくなと書いてある、外の禁制はかまはぬが、鐘をつくなにはほうど困つた、其上はるばるの所を来て、此鐘の音を聞き残すといふも残念ぢや、いや幸ひあたりに人もなし、若しとがめたらばとがめた時の事よ、先づ此鐘の音を聞う、ゑいゑいゑい{と云ひて急ぎ鐘をつく}じやぐわんじやぐわんじやぐわん{*8}こりやわれ鐘ぢや、外へは見えぬが、内にひゞりでも有るかしらぬ、此様なわれ鐘が何の役に立つ物ぢや、又外の寺へ参らう、誠に鐘をつくなと書いたこそ道理なれ、われ鐘ぢや、あの様な鐘が何の役に立つものぢや、やあやあ亦あれに大きな寺がある、いやなうなう、あの寺の名は何と申す、何建長寺、さればこそ尊い寺は門から見ゆるといふが、鎌倉一番の建長寺ぢや、先内へはいつて見やう、扨も扨もきれいな事かな、扨鐘楼堂はどれに有る事ぢやしらぬ、さればこそ是にある、さらば此鐘の音をきかう{と云ひて以前の如くえいえいと云ひてつく}こをん、扨も扨もさえたよい音ぢや、最前から聞くうちに、此様なさえたよい音はない、どれこれといはうより、此建長寺の鐘にきはめて帰らう、去り乍ら、念の為ぢや最一度きいて見う、ゑいゑいゑい、こをん、きけばきく程よい音ぢや、兎角此鐘の音に極めう、先づ急いで帰らう、誠に隙が入らうかと存じたに、重畳の鐘の音に出合うて、此様な悦ばしい事は御座らぬ、頼うだお方へ申し上げたらば、嘸御満足被成るゝで有う、いや何かといふ内に戻つた{と云ひて出る如常}▲アト「ゑい太郎冠者▲シテ「はあ▲アト「戻つたか▲シテ「唯今帰りました▲アト「やれやれ骨おりや、して金の値{*9}をきいて来たか▲シテ「成程聞いて参つて御座る▲アト「何と所々で値が違はうが▲シテ「いやもおびたゞしう違ひまする▲アト「して何程するぞ▲シテ「何程致すかは存じませぬが、先鎌倉へ参つて寿福寺の鐘の音をきいて見ましたれば、じやんもうじやんもうじやんもう、是はたいていの音で御座る▲アト「あれは何をぬかし居る事ぢやしらぬ▲シテ「鐘の音も所々で違ふと仰せられたに依つて夫から円覚寺の鐘の音を聞いて見ましたればばあん、夫は夫はうすい音で御座る▲アト「あきれもせぬ事をぬかし居る▲シテ「此様なうすい音はお役に立まいと存じて、又極楽寺の鐘の音を聞いて御座る、もうし大事の事の、外へは見えませぬが、内にひゞりでもあるかして、つくといなやじやぐわんじやぐわんじやぐわんじやぐわん《笑》{*10}われ鐘で御座る▲アト「どうでも{*11}きやつは気が違ふたさうな▲シテ「此様なわれ鐘は何の役に立たぬ物ぢやと存じて、こんどは鎌倉一番の建長寺の鐘の音を聞いて見ましたが、さすが建長寺で御座る、突きますると、こをん、夫は夫はさえたよい音で御座る、どれ是と仰せられうより、此建長寺の鐘にお極め被成ませ▲アト「何ぢやどれ是といはうより、建長寺の鐘にきわめい▲シテ「左様で御座る▲アト「扨々おのれはうつけたやつの、しらずばなぜに問うて行かぬ、忰も漸々成人したに依つて、黄金飾りの太刀をのし附けに作つて遣はすに依つて、鎌倉へいて、こがねのねを聞いて来いとこそいふてやれ、突き鐘の音を聞いて来て何の役に立つ物ぢや▲シテ「はあ扨は黄金の事で御座るか▲アト「おんでもない事▲シテ「でもかねのねとばかり仰せられたに依つて、聞いて参りました▲アト「まだ其つれをぬかし居る黄金の事ぢや▲シテ「お前も亦、こがねならばこがねと、初手からいふたがよう御座る▲アト「扨々憎いやつぢや、身が内には叶はぬ、出てうせう▲シテ「あゝ▲アト「おのれまだそこに居るかそこに居るか▲シテ「あゝ御ゆるされませ御ゆるされませ▲アト「扨々腹の立つ事ぢや{と云ひて橋掛り迄逃げる主追ひつめて笛座上に居る也}▲シテ「是は以ての外の御機嫌ぢや、いづれ身共はうつけた者ぢや、黄金飾りの太刀をのし附けに作つて遣はさるゝに、つき鐘の音のいらうようがない、是は身共があやまつた、何とした物で有うぞ、いや頼ふだお方はうきよう人ぢや、此体を謡に作つて謡うて、御機嫌を直さうと存ずる、鎌倉に津つと。入相の鐘是なり。東門にあたりては。寿福寺の鐘。諸行無常とひゞくなり。南門に当りては。円覚寺の鐘。是生めつばふとひゞくなり。扨西門は極楽寺。是又生めつめつちのことはり。北門な建長寺。じやくめつゐらくとひびき渡ればいづれも鐘の音聞きすまし。いそいでのぼるかいもなく。さもあらけなき主殿の。そくびを取つて撞き鐘のそくびを取つて撞き鐘の。ひゞきにはなをやなをすらん{此謡の内主立つて正面に出で扇かざし居る}▲アト「なんでもない事、しさりをれ{如常留めて入るなり}
校訂者注
1:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
2・3・9:底本は、「直(ね)」。
4:底本は、「過急(くわきふ)」。
5:底本は、「縄を持つてく」。
6:底本は、「▲アト「」。「▲シテ「」の誤り。従つて略す。
7:底本は、「大低(たいてい)」。
8:底本、ここに「▲アト」があるが、「▲シテ」の誤り(略す)。
10:底本の「笑ふ」は、ト書きと同じ大きさの活字で縦一行書き。
11:底本は、「どうても」。
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