口真似(くちまね)(二番目 三番目)

▲アト「この辺りの者でござる。さる方より、樽肴を貰うてござる。ひとりたぶるもいかゞでござるによつて、相手を拵へて面白う一つたべう。と存ずる。まづ、太郎冠者を呼び出し、申し付けう。
{と云ひて、呼び出す。出るも、常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。さる方から、樽肴を貰うた。ひとりたぶるもいかゞぢやによつて、相手を拵へて面白う一つたべう。と思ふが、相手には誰が良からうな。
▲シテ「誰彼と仰せられうより、私になされませ。
▲アト「これはいかな事。そちが様な者が、何と相手になるものぢや。急には思ひ出されぬ。汝が才覚を以つて、酒を一つ、参る様で参らいで、又、参らぬかと思へば、ふと一つ面白う参るお方を、お供して来い。
▲シテ「畏つてござる。
{と云ひて、詰める。受ける。常の如し。}
これはいかな事。難しい事を云ひ付けられた。酒を一つ参る様で参らいで、又参らぬかと思へばふと一つ面白う参るお方をお供して来い。と仰せ付けられた。誰が良からうぞ。いや、誰彼と申さうより、上(かみ)の町(ちやう)の誰殿を呼うで参らう。誠に、内にござれば良いが。内にさへござつたらば、御酒(ごしゆ)好きぢやによつて、定めてお出なさるゝであらう。いや、何かと云ふ内に、これぢや。まづ、案内を乞はう。
{と云ひて、橋掛りへ向きて、案内を乞ふ。小アト、楽屋より出づ。}
▲小アト「表に案内がある。案内とは誰(た)そ。
▲シテ「私でござる。
▲小アト「えい、太郎冠者。何として来た。
▲シテ「頼うだ者、申しまする。さる方から樽肴を貰うてござる。これを料理致しませう程に、お出なされて御酒を一つ上つて下されい。と申し越してござる。
▲小アト「それは、行きたうはあれども、そちの頼うだ者とは、終に近付きにならぬ。それは定めて門違(かどちが)へであらう。
▲シテ「終にお近付きにならぬによつて、この度を幸ひに。とあつて、私をおこされてござる。
▲小アト「その様に御念の入つた事ならば、行(い)てやらうぞ。
▲シテ「それは、忝うござる。いざ、お出なされませ。
▲小アト「案内のため、汝から行け。
▲シテ「左様ならば、お先へ参りませう。
▲小アト「一段と良からう。
▲シテ「さあさあ、お出なされませ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「扨、お出の通りを申してござらば、さぞ頼うだ者が悦ぶでござらう。
▲小アト「身共はお近付きではなけれども、汝が是非と云ふによつて行く程に、汝、良い様に首尾を頼むぞ。
▲シテ「その段は、そつともお気遣ひなされますな。
▲小アト「して、程は遠いか。
▲シテ「いや、何かと申す内に、これでござる。お出の通りを申しませう。暫くそれにお待ちなされませ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「申し、頼うだお方、ござりまするか。
{と云ひて呼び出す。アト出る。常の如し。}
▲アト「えい、太郎冠者。
▲シテ「はあ。
▲アト「戻つたか。
▲シテ「只今帰りました。
▲アト「やれやれ、骨折や。して、誰殿をお供して来た。
▲シテ「誰殿をお供して参つてござる。
▲アト「それは、上の町のか。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「これはいかな事。あれを連れて来るといふ事があるものか。
▲シテ「でも、御酒(ごしゆ)をよう参るによつて、お供致いてござる。
▲アト「まだそのつれを云ふ。あれは、大の酔狂人で、一盃呑うでは一寸抜き、二盃呑うでは二寸抜き、後(のち)には、ずわと抜いて酔狂を召さる。あの様な人を呼うで来るといふ事があるものか。
▲シテ「それならば、追ひ帰しませう。
▲アト「あゝ、こりやこりや。せつかく連れて来て、今さら追ひ帰されはせまい。身共が良い様にあしらうて帰さう程に、云はれぬ汝が才覚をやめて、身共が云ふ様、する様にせい。
▲シテ「扨は、お前の真似をや。
▲アト「まだぬかしをる。かう通しをれ。
▲シテ「心得ました。かうお通りなされませ。
▲小アト「心得た。不案内にござる。
▲アト「初対面でござる。
▲小アト「今日(こんにち)は、太郎冠者を下されて、忝うござる。
▲アト「今日(こんにち)は、さしたる事もござらぬに、お出、忝うござる。太郎冠者、盃を出せ。
{これより太郎冠者、主の云ふ通り、悉く口真似をするなり。}
盃を出せ。とは、おのれが事ぢや。
{シテ、口真似する。小アト、気の毒さうにする。}
いや、最前、身共が云ふ様する様にせい。と申したれば、真似をするさうな。
{シテ、真似する。}
それは、おのれが事ぢや。
{シテ、口真似する。同断。}
おのれを何とせう。
{と云ひて、叩く。シテ、小アトを真似て叩くなり。}
▲小アト「あ痛、あ痛。
▲アト「あゝ、痛みませう。こちへござれ。
▲小アト「苦しうござらぬ。
{シテ、又真似するなり。}
これは、何とする。
▲アト「えゝ、苦々しいやつかな。
{シテ、真似するなり。}
おのれは、物に狂ふか。
{と云ひて、叩く。シテ、又真似して、小アトを叩くなり。}
▲小アト「あ痛、あ痛。
▲アト「あゝ、痛みませう。こちへござれ。
▲小アト「苦しうござらぬ。
{シテ、又真似するなり。}
これは、何とする。
▲アト「やいやい、放しをれ。
{シテ、真似するなり。}
放しをらいでな。
{シテ、真似する。}
こゝなやつに、物を云はせて置けば、方領もない事をぬかしをる。おのれが様なやつは、かうして置いたが良い。
▲小アト「ちと、左様になされたが良うござる。
▲アト「それにゆるりとござれ。追つ付け、お料理を申し付けませう。
▲小アト「これは、お構ひなされますな。
{アト、シテを引き廻し、打ちこかし、小アトへ挨拶して入るなり。シテ、起き上がり、又真似して、小アトを引き廻して打ちこかし、アトの通り云ひて、入るなり。小アト、起き、不承なる顔して入る。}

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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口真似(クチマネ)(二番目 三番目)

▲アト「此辺りの者で御座る、去る方より樽肴を貰らうて御座る、独りたぶるもいかゞで御座るに依つて、相手を拵へて面白う一ツたべうと存ずる、先づ太郎冠者を呼び出し申し付けう{ト云て呼出す出るも如常}{*1}汝呼び出す別の事でない、去る方から樽肴を貰らうた、独りたぶるもいかゞぢやに依つて、相手を拵て面白う一ツたべうと思うが、相手には誰がよからうな▲シテ「誰彼れと仰せられうより、私に被成ませ▲アト「是はいかな事、そちが様な者が何と相手になる物ぢや、急には思ひ出されぬ、汝が才覚をもつて、酒を一ツ参る様で参らいで、又参らぬかと思へば、ふと一ツ面白う参るお方をお供してこい▲シテ「畏ツて御座る{ト云てつめる請る如常}{*2}是はいかな事、六ケ敷い事をいひ付けられた、酒を一ツ参る様で参らいで、又参らぬかと思へば、ふと一ツ面白う参るお方をお供して来いと仰せ付けられた、誰がよからうぞ、いや誰彼れと申さうより、上の町の誰殿をようで参らう、誠に、内に御座ればよいが、内にさへ御座つたらば御酒ずきぢやに依ツて、定めてお出被成るゝで有らう、いや何かといふ内に是ぢや、先づ案内を乞う{ト云て橋掛りへむきて案内を乞ふ小アト{*3}楽屋より出づ}▲小アト「表に案内がある、案内とはたそ▲シテ「私で御座る▲小アト「えい太郎冠者何として来た▲シテ「頼うだ者申しまする、去る方から樽肴を貰らうて御座る、是を料理致しませう程にお出被成て、御酒を一ツ上ツて下されいと申し越て御座る▲小アト「夫は行きたうはあれ共、そちの頼うだ者とは終に{*4}近付にならぬ、夫は定めて門違へで有らう▲シテ「終にお近付にならぬに依つて、此度を幸ひにと有つて私をおこされて御座る▲小アト「其様に御念の入ツた事ならばいてやらうぞ▲シテ「夫は忝けなう御座る、いざお出被成ませ▲小アト「案内のため汝からゆけ▲シテ「左様ならばお先へ参りませう▲小アト「一段とよからう▲シテ「さあさあお出被成ませ▲小アト「心得た▲シテ「偖てお出の通りを申して御座らば、嘸頼うだ者が悦ぶで御座らう▲小アト「身共はお近付ではなけれども{*5}、汝が是非と云ふに依ツてゆく程に、汝よい様に首尾を頼むぞ▲シテ「其段はそつともお気遣い被成ますな▲小アト「して程は遠いか▲シテ「いや何彼と申す内に是で御座る、お出での通りを申しませう、しばらく夫にお待ちなされませ▲小アト「心得た▲シテ「申し頼うだお方御座りまするか{ト云て呼出すアト出る如常}▲アト「えい太郎冠者▲シテ「はあ▲アト「戻ツたか▲シテ「唯今帰りました▲アト「やれやれ骨折や、して誰殿をお供して来た▲シテ「誰殿をお供して参つて御座る▲アト「夫は上の町のか▲シテ「左様で御座る▲アト「是はいかな事、あれをつれて来るといふ事があるものか▲シテ「でも御酒をよう参るに依つてお供致いて御座る▲アト「まだ其つれをいふ、あれは大の酔狂人で、一盃のうでは一寸ぬき、二盃のうでは二寸ぬき、のちにはずわとぬいて{*6}酔狂をめさる、あの様な人を呼うで来るといふ事があるものか▲シテ「夫ならば追ひ帰しませう▲アト「あゝこりやこりや、せつかくつれて来て、今さら追ひ帰されはせまい、身共がよい様にあしらうて{*7}帰さう程に、いはれぬ汝が才覚をやめて、身共がいふ様する様にせい{*8}▲シテ「扨てはお前の真似をや▲アト「まだぬかしをる、かう通しをれ▲シテ「心得ました、斯うお通り被成ませ▲小アト「心得た、不案内{*9}に御座る▲アト「初対面で御座る▲小アト「今日は太郎冠者を下されて忝う御座る▲アト「今日はさしたる事も御座らぬに、お出忝う御座る、太郎冠者盃を出せ{是より太郎冠者主の云ふ通り悉く口真似をするなり}{*10}盃を出せとはおのれが事ぢや{シテ口真似する小アト気の毒そうにする}{*11}いや最前身共がいふやうするやうにせいと申したれば、真似をするさうな{シテ真似する}{*12}夫はおのれが事ぢや{シテ口真似する同断{*13}}{*14}おのれを何とせう{ト云て叩くシテ小アトを真似て叩くなり}▲小アト「あいたあいた▲アト「あゝいたみませうこちへ御座れ▲小アト「苦しう御座らぬ{シテ又真似するなり}{*15}是は何とする▲アト「えゝにがにがしいやつかな{シテ真似するなり}{*16}おのれは物に狂うか{ト云て叩くシテ亦真似して{*17}小アトを叩くなり}▲小アト「あいたあいた▲アト「あゝいたみませうこち{*18}へ御座れ▲小アト「苦敷う御座らぬ{シテ亦真似するなり}{*19}是は何とする▲アト「やいやいはなしをれ{シテ真似するなり}{*20}はなしをらいでな{シテ真似する}{*21}爰なやつに、物をいはせてをけば方領もない事をぬかしをる、おのれが様なやつはかうしておいたがよい▲小アト「ちと左様に被成たがよう御座る▲アト「夫にゆるりと御座れ、追付お料理を申し付けませう▲小アト「是はおかまいなされますな{アトシテを引廻し打こかし小アトへあいさつして入る也シテおき上り又真似して小アトを引き廻して{*22}打こかしアトの通り云て入るなり小アトをきふしやうなる顔して入る}

校訂者注
 1・10~12・14・16・20・21:底本、全て「▲アト「」がある(全て略)。
 2:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 3:底本は、「アト」。
 4:底本は、「終 (一字分印刷カスレ)」。
 5:底本は、「なけねども」。
 6:底本は、「ずわとぬいで」。
 7:底本は、「応答(あしらう)て」。
 8:底本は、「いふ様する様せい」。
 9:底本は、「不案成」。
 13:底本は、「シテ口真似同断する」。
 15・19:底本、全て「▲小アト「」がある(全て略)。
 17:底本は、「シテ亦真似シテ」。
 18:底本は、「此方(こち)へ」。
 22:底本は、「シテおき上り又真似シテ小アトを引き廻シテ」。