狐塚(きつねづか)(二番目 三番目)

▲アト「この辺りの者でござる。当年の様な豊年はござらぬによつて、我人(われひと)、悦ぶ事でござる。又、承れば、狐塚の田を村鳥が荒すと申す。太郎冠者を呼び出し、鳥を追ひに遣はさうと存ずる。
{と云ひて、呼び出す。出るも、常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。何と、当年は十分の世の中ではないか。
▲シテ「御意なさるゝ通り、当年の様な豊年はござらぬ。別して、頼うだお方の田は、畦(あぜ)を限つて穂に穂が咲いて、この様なめでたい事はござりませぬ。
▲アト「扨、それについて、いつも稲に実の入る時分は、村鳥が荒す。汝は太儀ながら、狐塚の田へ行(い)て、鳥を追うてくれい。
▲シテ「畏つてござれども、あの狐塚には狐が大分居て、人を化(ば)かす。と申しまする。これは、ご許されませ。
▲アト「いやいや、それは、所の名でこそあれ。何も狐はゐぬ程に、行(い)てくれい。
▲シテ「扨は、狐は居りませぬか。
▲アト「中々。
▲シテ「左様ならば、畏つてござる。
▲アト「暫くそれに待て。
▲シテ「心得ました。
{主、鳴子を持ちて出る。}
▲アト「やいやい、この鳴子を遣らう程に、これを稲木(いなぎ)に括り付けて、昼の間は鳥を追はうず。夜に入つたらば、猪(しゝ)・猿が出う程に、油断をせぬ様に番をせい。
▲シテ「やあ、あの、猪・猿が出ますか。
▲アト「中々。
▲シテ「畏つてござる。
{詰める。常の如し。}
扨々、苦々しい事を云ひ付けられた。ぢやと云うて、行かずばなるまい。誠に、あの狐塚には狐が大分居て、人を化(ば)かすと云ふは、度々の事ぢや。どうぞ、身共は化かされぬ様にしたいものぢやが。いや、何かと云ふ内に、狐塚ぢや。扨も扨も、どの田もどの田も良う出来た。別して頼うだ人の田は、畦を限つて穂に穂が咲いた。扨も扨も、良う出来た事かな。さらば、鳴子を稲木へ付けう。
{と云ひて、脇柱に鳴子を結ひ付け、床几に腰掛くる。}
あれあれ、余所(よそ)の田にも、鳥を追ふやら、鳴子の音がする。さりながら、人を遣はぬ者は、手が廻らぬによつて、鳥を追ふ田は、少々ならではない。云うても云うても、当年の様な世の中はあるまい。この上は、秋入れに日和さへ良ければ、何を思ふ事もない。わあ、向かうから、まつ黒になつて村鳥が来る。この田を目がけて下(お)るゝ。追はずばなるまい。ほうほう。
{と云ひて、鳴子を引き付け、鳥を追ふ。}
扨も扨も、愚かなものぢや。身共が声と鳴子の音に怖(お)ぢて、皆、余所(よそ)の田へ下りた。さぞ、余所の田主が腹を立てるであらう。何(いづ)れ、頼うだ人が鳥を追ひに行けと仰(お)せあるが尤ぢや。この様に良う出来た田を、むざむざと鳥獣(けだもの)に荒さるゝといふは、口惜(くや)しい事ぢや。わあ、向かうの茂みから、又真つ黒になつて来るぞよ。はあ、森を越すさうな。ありやありや、後(あと)へ戻る。早(はや)、この田へ下りる。ほうほうほう。
{と云ひて、又鳴子を引きて追ひ、笑ふ。}
扨も扨も、愚かな者ぢや。又、余所(よそ)の田へ下りた。扨々、油断をした。はあ、これはいかう暗うなつたが、もはや日が暮るゝか知らぬ。しきりに暗うなつた。あれあれ、ほ、ほ、ほ、南無三宝。こりや、日がずんぶりと暮れた。あゝ、これからが怖物(こはもの)ぢや。やあ、向かうに青う光るは、狐火ではないか、あれあれ、あそこにも光るわ。あゝ、これは気味の悪い事ぢや。この様な時は、声を掛けう。
{と云ひて、鳴子を引き、「ほうほう」と云ひて入るなり。}
▲小アト「太郎冠者が、狐塚の田へ村鳥を追ひに参つた。と申す。日が暮れたによつて、淋しからう。見舞ひに参らうと存ずる。これは、いかう暗うて道が知れぬ。ちと、声をかけて参らう。ほおい、太郎冠者やい。
▲シテ「よう、何やら呼ぶぞよ。大方これは、狐か狸のしわざであらう。惣じて狐は、眉を読うで化(ば)かす。と云ふ。化かされぬ様に、眉を湿しておかう。これは、しきりに呼ぶ。ちと応(こた)へて見よう。ほおい、さう云ふは、誰ぢやいやい。
▲小アト「次郎冠者ぢやわいやい。
▲シテ「これはいかな事。次郎冠者に化けて来をつた。ほおい、次郎冠者は、何しに来たぞいやい。
▲小アト「淋しからうと思うて、見舞ひに来たわいやい。
▲シテ「南無三宝。こゝへ来う。と云ふ。何とせうぞ。いや、良い良い。呼び寄せて、鳴子縄で縛つてくれう。ほおい、次郎冠者ならば、畦を伝うて。ほおい。
▲小アト「暗うて道が知れぬわいやい。
▲シテ「声について。ほおい。
▲小アト「どつちゞや、どつちゞや。
▲シテ「こつちゞや、こつちゞや。
{と云ひて、互に探り寄り、縛るなり。}
捕つたぞ。
▲小アト「こりあ、何とする。
▲シテ「何とゝは。よう失(う)せ居つたな。
▲小アト「こりあこりあ、身共ぢやわいやい。
▲シテ「身共、合点ぢや。
▲小アト「次郎冠者ぢやわいわい。
▲シテ「次郎冠者、合点ぢや。
▲小アト「そちは、気が違ひはせぬか。
▲シテ「こちへ失せをらう。おふおふ、身共は気が違うたとも。扨も、よう化けをつた。その儘の次郎冠者ぢや。まだ、友狐があらう。声を立て居つたらば、打ち殺してのけうぞ。
▲小アト「これは、迷惑な事ぢや。
▲アト「太郎冠者を、狐塚の田へ、村鳥を追ひに遣はしてござる。もはや日が暮れた。きやつは臆病者でござるによつて、見舞ひに参らうと存ずる。これはいかう暗い。このあたりから声をかけて参らう。ほおい、太郎冠者やい。
▲シテ「よう、又呼ぶぞよ。中々これは、五疋や十疋ではないさうな。こりあ、しきりに呼ぶ。又、応(こた)へて見よう。ほおい、さう云ふは、誰ぢやいやい。
▲アト「頼うだ者ぢやわいやい。
▲シテ「又、頼うだ人に化けて来をつた。ほおい、頼うだお方は、何しにお出なされたぞいやい。
▲アト「淋しからうと思うて、見舞ひに来たわいやい。
▲シテ「南無三宝。又、こゝへ来う。と云ふ。良い良い。又、縛つてくれう。ほおい、頼うだお方ならば、畦を伝うて。ほおい。
▲アト「暗うて道が知れぬわいやい。
▲シテ「声について。ほおい。
▲アト「どつちゞや、どつちゞや。
▲シテ「こつちゞや、こつちゞや。
{と云ひて、以前の如く、探り寄り、とらへる。}
▲シテ「捕つたぞ。
▲アト「こりあ、何とする。
▲シテ「何とゝは。おのれ、よう失せをつたなあ。
▲アト「やいやい、身共ぢや。
▲シテ「身共、合点ぢや。
▲アト「頼うだ者ぢやわいやい。
▲シテ「頼うだ者、合点ぢや。
▲アト「おのれ、主を縛つて、罰(ばち)が当たらうぞよ。
▲シテ「罰(ばち)が当たつても、大事ない。こちへ失せをらう。扨も、よう化けをつた。その儘の頼うだ人ぢや。
▲アト「あれは、何をぬかしをる事ぢや。
▲シテ「扨、おのれらを何とせうぞ。いや、青松葉で燻(ふす)べて、化けを顕(あら)はせう。
{と云ひて、後見座へ取りに行く。}
▲アト「やいやい、聊爾をするな。
▲シテ「あゝ、燻(ふす)ぼるわ、燻ぼるわ。扨、どちらから燻(ふす)べうぞ。まづ、次郎冠者狐が先ぢや。次郎冠者狐から燻べう。そりあそりあ。煙たいか、煙たいか。
▲小アト「これは、何とする。煙たい、煙たい。
{と云ひて、苦しがる仕様、色々あるべし。}
▲シテ「煙たくば、尾を出せ、尾を出せ。
▲小アト「何をぬかしをる。煙たいやい。
{シテ、嬉しがりて、笑ふなり。}
▲シテ「煙たくば、わいと云へ、わいと云へ。
▲小アト「わい、わい。
▲シテ「わい、わい。
{と云ひて、笑ふ。}
その儘の次郎冠者なれども、おのれが身が術なければ、わい、わい。
{と云ひて、笑ふ。}
扨、これから、頼うだ人狐の番ぢや。そりあそりあ、煙たいか、煙たいか。
▲アト「あゝ、煙たい。これは、何とする。
▲シテ「煙たくば、尾を出せ、尾を出せ。
▲アト「何をぬかしをる。煙たいわいやい、煙たいわいやい。
▲シテ「煙たくば、こんと云へ、こんと云へ。
▲アト「こん、こん。
▲シテ「こん、こん。
{と云ひて、笑ふ仕方、前の通り。同断。}
仁体の良い頼うだ人なれども、おのれが身が術なければ、こん、こん。
{と云ひて、笑ふ。}
扨、これから、辺り近い所へ行(い)て、鎌を借つて来て、皮を剥(は)いでくれう。おのれら、そこを去りをるな。おのれもそこを去りをるまいぞ。まづ、急いで参らう。
{と云ひて、中入りする。}
▲小アト「これは、迷惑な事ぢや。
▲アト「これは、苦々しい事かな。
▲小アト「それにござるは、頼うだお方ではござらぬか。
▲アト「さう云ふは、次郎冠者ではないか。
▲小アト「左様でござる。
▲アト「何と、汝も縛つたか。
▲小アト「成程、私も縛りました。
▲アト「身共も縛りをつた。何と、そちが縄は、解けさうにはないか。
▲小アト「どうやら、解けさうにござる。
▲アト「どうぞ、解いて見よ。
▲小アト「解いて見ませう。
▲アト「どうぞ、解ければ良いが。
▲小アト「解けました、解けました。
▲アト「それは、一段ぢや。身共がのも、解いてくれい。
▲小アト「畏つてござる。これは、強う縛りました。
▲アト「扨々、腹の立つ事ぢや。
▲小アト「どうでもきやつは、誠の狐ぢや。とがな、存じたものでござらう。
▲アト「あまり憎い事ぢや。何とせうぞ。
▲小アト「只今申しましたは、辺り近い所へ行(い)て、鎌を借つて来て、皮を剥(は)ぐ。と申しました。追つ付け、これへ参るでござらう。お前と私と両人して、きやつを揺りに上げて、腹を癒(いや)しませうか。
▲アト「これは、一段と良からう。まづ、これへ寄つて居よ。
▲小アト「畏つてござる。
{と云ひて、二人とも、大小の前に居る。シテ、右の肩をぬぎて、鎌を持ちて出るなり。}
▲シテ「扨も扨も、鎌の刃が、よう付いた。これから皮を剥(は)いで、引敷(ひきじき)にせう。身は、料理して喰べう。骨は、黒焼きにして、膏薬錬りに売らう。わあ、こりあ、二疋ながら、どれへやら行き居つた。
▲小アト「申し、これへ参りました。
▲アト「ちやつと、とらへ。
▲小アト「お前、とらへさせられい。
▲アト「捕つたぞ。
▲シテ「こりあ、何とする。
▲小アト「とらへさせられたか。
▲アト「次郎冠者、鎌を取れ、鎌を取れ。
▲小アト「心得ました。その鎌を、こちらへおこしをれ。
{と云ひて、引つたくり、後見座へやる。}
▲アト「次郎冠者、足を持て、足を持て。
▲シテ「これは、何としをるぞいやい。
▲小アト「心得ました。
▲アト「良いか。
▲小アト「良うござる。
▲二人「さあさあさあ。
{と云ひて、二人、シテをころばかして、入るなり。}
▲シテ「古狐どもが寄つて、縄誑(なはだら)し{*1}をしをつた。やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云ひて、追ひ込み入るなり。}

校訂者注
 1:「縄誑(なはだら)し」は、「縄抜け」の意。

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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狐塚(キツネヅカ)(二番目 三番目)

▲アト「此辺りの者で御座る、当年の様な豊年は御座らぬに依つて、我れ人悦ぶ事で御座る、又承れば、狐塚の田を村鳥があらすと申す、太郎冠者を呼び出し、鳥を追いに遣はさうと存ずる{ト云て呼出す出るも如常}{*1}汝呼び出す別の事でない、何と当年は十分の世の中ではないか▲シテ「御意被成るゝ{*2}通り、当年の様な豊年は御座らぬ、別して頼うだお方の田は、畦を限つて穂に穂が咲いて、此様な目出たい事は御座りませぬ▲アト「偖夫について、いつも稲に実のいる時分は村鳥があらす、汝は太儀ながら狐塚の田へいて、鳥を追うてくれい▲シテ「畏つて御座れども、あの狐塚には狐が大分居て、人をばかすと申しまする、是はごゆるされませ▲アト「いやいや夫は所の名でこそあれ、何も狐はゐぬ程にいてくれい▲シテ「偖は狐は居りませぬか▲アト「中々▲シテ「左様ならば畏つて御座る▲アト「しばらく夫にまて▲シテ{*3}「心得ました{主鳴子を持て出る}▲アト「やいやい、此鳴子をやらう程に、之をいな木に括り付けて、昼の間は鳥を追はうず、夜に入つたらば猪猿が出う程に、油断をせぬように番をせい▲シテ「やああの猪猿が出ますか▲アト「中々▲シテ「畏つて御座る{つめる如常}{*4}偖て偖てにがにがしい事をいひ付けられた、じやといふてゆかずば{*5}成まい、誠に、あの狐塚には狐が大分居て、人をばかすといふは度々の事ぢや、どうぞ身共はばかされぬやうにしたいものぢやが、いや何彼といふ内に狐塚ぢや、偖も偖もどの田もどの田もよう出来た、別して頼うだ人の田は、畦を限つて穂に穂が咲た、偖も偖もよう出来た事かな、さらば鳴子をいな木へ付けう{ト云て脇柱に鳴子を結つけ床几に腰掛る}{*6}あれあれ余所の田にも鳥を追うやら鳴子の音がする、去ながら人を遣はぬ者は手がまわらぬに依つて、鳥を追う田は少々ならではない、云ふても云ふても、当年の様な世の中は有るまい、此上は秋入に日和さへよければ、何を思ふ事もない、わあ向からまつ黒になつて村鳥がくる、此田を目がけて下る、追はずば成まい、ほうほう{ト云て鳴子を引付鳥を追う}{*7}偖も偖もおろかなものぢや、身共が声と鳴子の音にをぢて、皆余所の田へ下りた、嘸余所の田主が腹を立てるであらう、何れ頼うだ人が鳥を追ひにゆけとおせあるが尤ぢや、此やうによう出来た田を、むざむざと鳥けだものにあらさるゝといふは口惜い事ぢや、わあ、向うの茂みから又真黒に成つて来るぞよ、はあ森を越すさうな、ありやありや後へ戻る、早此田へ下りる、ほうほうほう{ト云て又鳴子を引て追笑ふ}{*8}偖も偖もおろかな者ぢや、又余所の田へ下りた、偖て偖て油断をした、はあ是はいかう暗うなつたが、最早日が暮るゝかしらぬ、しきりに暗うなつた、あれあれ、ほ、ほ、ほ南無三宝、こりや日がずんぶりと暮れた、あゝ是からがこは物ぢや、やあ向うに青う光るは狐火ではないか、あれあれあそこにも光るは、あゝ是は気味のわるい{*9}事ぢや、此様な時は声を掛けう{ト云て鳴子を引ホウホウ{*10}と云て入也}▲小アト「太郎冠者が狐塚の田へ村鳥を追ひに参つたと申す、日が暮れたに依つて淋しからう、見舞に参らうと存ずる、是はいかう暗うて道がしれぬ、ちと声をかけて参らう、ほおい太郎冠者やい▲シテ「よう何やら呼ぶぞよ、大方是は狐か狸のしわざで有らう、惣じて狐は眉をようでばかすといふ、ばかされぬやうに眉をしめして置かう是はしきりに呼ぶ、ちとこたへて見よう、ほおい、さういふは誰ぢやいやい▲小アト「次郎冠者ぢやわいやい▲シテ「是はいかな事、次郎冠者にばけてきをつた、ほおい、次郎冠者は何しに来たぞいやい▲小アト「淋しからうと思ふて、見舞に来たわいやい▲シテ「南無三宝、爰へこうといふ{*11}、何とせうぞ、いや、よいよい、呼びよせて鳴子縄で縛つてくれう、ほおい、次郎冠者ならば畦をつたうてほおい▲小アト「暗うて道が知れぬわいやい▲シテ「声についてほおい▲小アト「どつちぢやどつちぢや▲シテ「こつちぢやこつちぢや{ト云て互にさぐり寄り縛るなり}{*12}捕つたぞ▲小アト「こりあ何とする▲シテ「何とゝはよう{*13}うせ居つたな▲小アト「こりあこりあ、身共ぢやわいやい▲シテ「身共合点ぢや▲小アト「次郎冠者ぢやわいわい▲シテ「次郎冠者合点ぢや▲小アト「そちは気が違いはせぬか▲シテ「こちへ失せおろう、おふおふ{*14}身共は気が違うた共、偖もよう化けをつた、其儘の次郎冠者ぢや、まだ友狐が有らう、声を立て居つたらば打殺してのけうぞ▲小アト「是は迷惑な事ぢや▲アト「太郎冠者を狐塚の田へ村鳥を追ひに遣はして御座る、最早日が暮れた、きやつは臆病者で御座るに依つて、見舞に参らうと存ずる、是はいかう暗らい、此あたりから声をかけて参らう、ほおい、太郎冠者やい▲シテ「よう又呼ぶぞよ、中々是は五疋や十疋ではないさうな、こりあしきりに呼ぶ、又答へて見よう、ほおい、さういふは誰ぢやいやい▲アト「頼うだ者ぢやわいやい{*15}▲シテ「又頼うだ人に化けて来をつた、ほおい、頼うだお方は何しにお出なされたぞいやい▲アト「淋しからうと思ふて見舞に来たわいやい▲シテ「南無三宝、又爰へこうといふ、よいよい、又縛つてくれう、ほおい、頼うだお方ならば畦を伝うてほおい▲アト「暗うて道が知れぬわいやい▲シテ「声についてほおい▲アト「どつちぢやどつちぢや▲シテ「どつちぢやどつちぢや{*16}{ト云て以前の如さぐり寄とらへる}▲シテ「捕つたぞ▲アト「こりあ何とする▲シテ「何とゝはおのれよう失せをつたなあ▲アト「やいやい身共ぢや▲シテ「身共合点ぢや▲アト「頼うだ者ぢやわいやい▲シテ「頼うだ者{*17}合点ぢや▲アト「おのれ主を縛つてばちがあたらうぞよ▲シテ「ばちがあたつても大事ない、こちへ失せをらう、偖もよう化けおつた、其儘の頼うだ人ぢや▲アト「あれは何をぬかしをる事ぢや▲シテ「偖おのれらを何とせうぞ、いや青松葉でふすべて{*18}、化けをあらはせう{ト云て後見座へ取に行}▲アト{*19}「やいやいりやうじをするな▲シテ「あゝふすぼるはふすぼるは、偖どちらからふすべうぞ、先次郎冠者狐が先ぢや、次郎冠者狐からふすべう、そりあそりあ、けむたいかけむたいか▲小アト「是は何とする、けむたいけむたい{ト云てくるしがる仕様色々あるべし}▲シテ「けむたくば尾を出せ尾を出せ▲小アト「何をぬかしをるけむたいやい{シテ嬉しがりて笑ふなり}▲シテ「けむたくばわいといへわいといへ▲小アト「わいわい▲シテ「わいわい{ト云て笑ふ}{*20}其儘の次郎冠者なれども、おのれが身がじゆつなければ、わいわい{ト云て笑ふ}{*21}扨是から{*22}頼うだ人狐の番ぢや、そりあそりあ、けむたいかけむたいか▲アト「あゝけむたい是は何とする▲シテ「けむたくば尾を出せ尾を出せ▲アト「何をぬかしをるけむたいわいやいけむたいわいやい▲シテ「けむたくばこんといへこんといへ▲アト「こんこん▲シテ「こんこん{ト云て笑ふ仕方前の通り同断}{*23}仁体のよい頼うだ人なれども、おのれが身がじゆつなければ{*24}、こんこん{ト云て笑ふ}{*25}偖是から辺り近い所へいて、鎌をかつて来て皮をはいでくれう、おのれらそこを去りをるな、おのれもそこを去りをるまいぞ、先づ、急いで参らう{ト云て中入する}▲小アト「是は迷惑な事ぢや▲アト「是はにがにがしい事かな▲小アト「夫に御座るは頼うだお方では御座らぬか▲アト「さういふは次郎冠者ではないか▲小アト「左様で御座る▲アト「何と汝も縛つたか▲小アト「成程私もしばりました▲アト「身共も縛りをつた、何とそちが縄はとけさうにはないか▲小アト「どうやらとけさうに御座る▲アト「どうぞ解いて見よ▲小アト「といて見ませう▲アト「どうぞとければよいが▲小アト「とけましたとけました▲アト「夫は一段ぢや、身共がのもといてくれい▲小アト「畏つて御座る、是はつよう縛りました▲アト「偖々腹の立つ事ぢや▲小アト「どうでもきやつは、誠の狐ぢやとがな存じたもので御座らう▲アト「あまり憎い事ぢや、何とせうぞ▲小アト{*26}「唯今申しましたは、辺り近い所へいて鎌をかつて来て皮をはぐと申しました、追付け是へ参るで御座らう、お前と私と両人してきやつをゆりに上げて、腹を癒ませうか▲アト「是は一段とよからう、まず是へよつて居よ▲小アト「畏つて御座る{ト云て二人共大小の前に居るシテ右の肩をぬぎて鎌を持て出るなり}▲シテ「扨も扨も鎌の刃がよう付いた、是から皮をはいで引敷にせう、身は料理してたべう、骨は黒焼にして膏薬錬に売らう、わあこりあ二疋ながらどれへやらゆき居つた▲小アト「申し是へ参りました▲アト「ちやつととらへ▲小アト「お前とらへさせられい▲アト「とつたぞ▲シテ「こりあ何とする▲小アト「とらへさせられたか▲アト「次郎冠者鎌をとれ鎌をとれ▲小アト「心得ました、其鎌をこちらへおこしをれ{ト云て引たくり後見座へやる}▲アト「次郎冠者足をもて足をもて▲シテ「是は何としをるぞいやい▲小アト「心得ました▲アト「よいか▲小アト「よう御座る▲二人「さあさあさあ{ト云て二人シテをころばかして入るなり}▲シテ「ふる狐共がよつて縄だらしをしをつた、やるまいぞやるまいぞ{ト云て追込入るなり}

校訂者注
 1:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
 2:底本は、「御意被成る通り」。
 3:底本は、「▲ツテ「」。
 4・6~8・12・20・21・23・25:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
 5:底本は、「ゆかずは」。
 9:底本は、「気味のわい事ぢや」。
 10:底本は、「ホウホカ」。
 11:底本は、「爰へこういふ」。
 13:底本は、「何とゝはよやううせ居つたな」。
 14:底本は、「おふ々」。
 15:底本は、「頼うだ者ぢやいやい」。
 16:底本は、「どつちぢや(二字以上の繰り返し記号)」。
 17:底本は、「頼う者」。
 18:底本は、「炉(ふ)すべて」。
 19:底本、ここに「▲アト「」はない。
 22:底本は、「是かう」。
 24:底本は、「じゆつなれば」。
 26:底本は、「▲小アシ「」。