長刀応答(なぎなたあしらひ){*1}(三番目)
▲アト「この辺りの者でござる。この春思ひ立つて、参宮を致さう。と存ずる。さりながら、近所の若い衆が、常にさへ節々(せつせつ)、話(はなし)に見ゆる。殊に、只今は庭の桜が盛りぢやによつて、各々、お出であらう。太郎冠者に留守の儀を申し付けう。と存ずる。
{と云ひて、呼び出す。出るも、常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。思ひ立つて、参宮をする。よう、留守をせい。汝も供に連れて参らせたけれども、花の時分ぢやによつて、何(いづ)れもがお出であらう。それ故、汝を残し置く。とても、身共が内に居る様には、えあしらふまい。せめて、長刀あしらひになりとも、しておけ。
▲シテ「その段は、お心安う思し召して、めでたうやがて、お下向なされませ。
▲アト「心得た。随分、留守を大事にせい。追つ付け行くぞ。
{と云ひて、楽屋へ入る。}
▲シテ「誠に某(それがし)も、今日(けふ)は抜けうか、明日(あす)は抜けて参らうか。と思うたれども、その時節もなかつた。人が参宮する。と聞けば、ひとしほ羨ましい。この度などは、別して残り多い。さりながら又、御留守も大事ぢや。身共は留守も仕兼ねまいもの。と見込まれた所が、過分な。惣じて昔から、大事の留守は鎗・長刀でする。と申すが、今、思ひ当つた。いつもの衆がござつたりとも、長刀応答にしておけ。と申し付けられた。これは、尤ぢや。盗人がよそながら聞いても、いや、あそこには、亭主は留守なれども、太郎冠者といふ強者(こはもの)が、知音(ちいん)の衆さへ長刀応答にする。と云へば、中々恐れて、盗人もえ入(はい)り得まい。これにつけても、頼うだ人は分別者ぢや。まづ、御留守を守らう。と存ずる。
▲客「この辺りの者でござる。懇意な人の方に、良い庭を持たれてござる。花が盛りぢや。と申す程に、参つて見物致さう。と存ずる。誠に、山林の花は打ち開いて面白く、又、庭の花は、亭主の心を思ひやられて、結句楽しみが優る事でござる。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。出るも、常の如し。}
亭主は内にか。
▲シテ「物詣(ものまうで)を致されて、留守でござる。
▲客「かつて知らなんだ、何と、花は咲いたか。
▲シテ「今が盛りでござる。
▲客「苦しうなくば、通つて見物せうか。
▲シテ「成程、お通りなされませ。
▲客「心得た。扨々、見事、見事。まづは、庭の掃除の奇麗さ。ひとしほ、花の位(くらゐ)が上がつた。
{と云ふ内、後ろより長刀にてあしらふ。「やれ、危ない」と云ひて、逃げるなり。}
▲シテ「頼うだ者が申し付けました。御馳走でござる。
▲客「あゝ、まづ、待て待て。心得ぬ事なれども、怪我をせぬ前(さき)に、まづ帰らう。
{と云ひて、入るなり。シテ、笑ふ。}
▲シテ「申し申し、お遊びなされませ。扨も扨も、埒のあいたものかな。頼うだお方が内にござつたらば、茶よ、酒よ。と云うて、埒があくまいに、長刀を見せたれば、早速帰られた。この後(のち)、誰が見えたりとも、この通りにあしらはう。と存ずる。
▲客「この辺りの者でござる。近所の庭に花がござる。もはや盛りぢや。と申す。知音でござる。見舞ひがてら、参らう。と存ずる。いづれ、亭主がまめな人で、常々木を育つる事を好かるゝによつて、いつも花の時分は見事にござる。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。出るも、常の如し。}
花が盛りであらう。と思うて見物に来たが、亭主は内にか。
▲シテ「四、五日他国致されて、留守でござる。
▲客「それは、淋しからう。留守の内、花見客があらう。
▲シテ「それは、私に委細、申し付けて置かれました。まづ、お通りなされませ。
▲客「それならば、通らうか。
▲シテ「つゝと、お通りなされて御覧なされませ。
▲客「扨も扨も、当年は別して見事ぢや。咲きも残らず散りも始めず。と云ふが、今ぢや。
▲シテ「又、お客がわせた。さらば、あしらはう。
{と云ひて、長刀を持ち出て、}
扨、頼うだ者が内に居ましたらば、相応の御馳走も致しませうが、只今申す通り留守で、何も御馳走もござりませぬ。せめてこれなりとも、お上がりなされて下され。
▲客「あゝ、こりあこりあ。これは、何とする。
▲シテ「これは、頼うだ人の申し付けた御馳走でござる。
▲客「あゝ、まづ、待て待て。心得ぬ事なれども、まづ、急いで帰らう。
{と云ひて入る。シテ、笑ふ。}
▲シテ「これは、気味の良い事ぢや。これは、頼うだお方の御内(みうち)にござる時も、客あしらひは、この通りが良さゝうなものぢや。さりながら、花見が大勢見えて、あしらひに隙(ひま)がない。
{と云ひて、下に居る。内より、初めの客二人に、立衆付きて出るなり。}
▲客一「なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲各「これに居まする。
▲客一「太郎冠者が狂気致したと見えて、長刀を閃(ひらめ)かして、人を追ひまする。
▲客二「私も参つたれば、長刀を閃かして追つかけました。
▲客一「もし、留守の内に怪我でもあれば、悪うござる。何(いづ)れも参つて、長刀を奪ひ取りませうか。
▲客二「これは、一段と良うござらう。
▲客一「それならば、何(いづ)れも花見の体(てい)で、先へ入(はい)らつせあれ。長刀を持つて出る所を、大勢寄つて、長刀を取りませう。ぬからせらるゝな。
▲客二「これは、良うござらう。それならば若い衆、先へござれ。
▲各「心得ました。
{と云ひて、案内乞ふ。出るも、常の如し。}
身共らぢや。
▲シテ「これは、ようお出なされました。
▲各「花が盛りぢや。と聞いて、見物に来た。通つても苦しうないか。
▲シテ「只今が、真つ最中でござる。つゝと、お通りなされませ。
▲衆「心得た。さあさあ、何(いづ)れもござれ。
▲各「心得ました。
▲シテ「これは、大勢ぢや。又、あしらはずばなるまい。
{と云ひて、長刀を持ち出て、}
扨、何も御馳走はござりませぬ。これなりとも、お上がりになりませ。
{と云ひて、長刀を振り廻すなり。}
▲客一「捕つたぞ。
▲シテ「こりあ、何とする。
▲客一「さあさあ、長刀を早う取らつせあれ。
▲客二「心得ました。
{と云ひて、引つたくり、立衆へ渡すなり。}
▲客一「足を持たつせあれ、持たつせあれ。
{と云ひて、小股を取り、打ちこかし、皆々入るなり。}
▲シテ「あゝ、これこれ。その長刀を取られては、重ねて客への御馳走がござらぬ。返して下され。
{と云ひて、追ひ込み入るなり。}
校訂者注
1:「長刀応答(なぎなたあしらひ){」は、「相手に適当に応対すること」。
底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.)
長刀応答(ナギナタアシライ)(三番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、此春思ひ立つて参宮を致さうと存ずる、乍去近所の若い衆が常にさへ節々咄に見ゆる、殊に唯今は庭の桜が盛りぢやに依つて、各々お出で有らう、太郎冠者に留守の義を申し付けうと存ずる{ト云て呼出す出るも如常}{*1}汝呼び出す別の事でない、思ひ立つて参宮をするよう留守をせい、汝も供につれて参らせたけれ共、花の時分ぢやに依つて何れもがお出で有らう夫ゆへ汝を残し置く、迚も身共が内に居るやうには得あしらふ{*2}まい、責て長刀あしらいになり共してをけ▲シテ「其段はお心易う思召して、目出度う頓てお下向被成ませ▲アト「心得た、随分留守を大事にせい追付ゆくぞ{ト云て楽屋へ入}▲シテ「誠に某もけふはぬけうか、あすはぬけて参らうかと思ふたれども、其時節もなかつた、人が参宮すると聞けば一入浦山しい、此度抔は別して残り多い去ながら、又御留守も大事ぢや、身共は留守も仕兼まいものと見こまれた所が過分な、惣じて昔から大事の留守は、鎗長刀ですると申すが今思ひ当つた、毎もの衆が御座つたりとも、長刀応答にしてをけと申し付けられた、是は尤ぢや、盗人がよそながら聞いても、いやあそこには亭主は留守なれ共、太郎冠者といふ強者が、知音の衆さへ長刀応答にするといへば、中々恐れて盗人も得這入り得まい、是につけても頼うだ人は分別者ぢや、先づ御留守を守らうと存ずる▲客「此辺りの者で御座る、懇意な人の方によい庭をもたれて御座る、花が盛りぢやと申す程に、参つて見物致さうと存ずる、誠に、山林の花は打ひらいて面白く、又庭の花は亭主の心を思ひやられて結句たのしみがまさる事で御座る、何彼といふ内に是ぢや{ト云て案内乞出るも如常}{*3}亭主は内にか▲シテ「物詣を致されて留守で御座る▲客「曽て知らなんだ、何と花は咲いたか▲シテ「今が盛りで御座る▲客「くるしうなくば通つて見物せうか▲シテ「成程お通り被成ませ▲客「心得た、偖々見事見事、先づは庭の掃除のきれいさ、ひとしを花のくらいが上つた{ト云内うしろより長刀にて応答やれあぶないと云てにげるなり}▲シテ「頼うだ者が申し付けました、御馳走で御座る▲客「あゝ先づまてまて、心得ぬ事なれども、けがをせぬさきに先づ帰らう{ト云て入也シテ笑ふ}▲シテ「申し申し、お遊び被成ませ、偖も偖も埒のあいたものかな、頼うだお方が内に御座つたらば、茶よ酒よといふて埒があくまいに、長刀を見せたれば早速帰られた、此後誰が見へたりとも、此通りに応答はうと存ずる▲客「此辺りの者で御座る、近所の庭に花が御座る、最早盛りぢやと申す、知音で御座る見舞がてら参らうと存ずる、いづれ亭主がまめな人で、常々木をそだつる事をすかるゝに依つて、いつも花の時分は見事に御座る、何彼といふ内に是ぢや{ト云て案内乞出るも如常}{*4}花が盛りで有らうと思ふて見物に来たが、亭主は内にか▲シテ「四五日他国致されて留守で御座る▲客「夫は淋しからう、留守の内花見客が有らう▲シテ「夫は私に委細申し付けておかれました、先づお通り被成ませ▲客「夫ならば通らうか▲シテ「つツとお通り被成て御覧被成ませ▲客「偖も偖も当年は別して見事ぢや、咲も残らず散りもはじめずといふが今ぢや▲シテ「又お客がわせた、さらば応答はう{ト云て長刀を持出て}{*5}偖て頼うだ者{*6}が内に居ましたらば、相応の御馳走も致しませうが、唯今申す通り留守で何も御馳走も御座りませぬ、責めて是なりともお上りなされて下され▲客「あゝこりあこりあ、是は何とする▲シテ「是は頼うだ人の申し付けた御馳走で御座る▲客「あゝ先づまてまて、心得ぬ事なれども先づ急で帰らう{ト云て入るシテ笑ふ}▲シテ「是は気味のよい事ぢや、是は頼うだお方の御内に御座る時も、客応答は此通りがよささうなものぢや、去ながら花見が大勢みへて応答に隙がない{ト云て下に居る内より初の客二人に立衆付て出るなり}▲客一「なうなう何れも御座るか▲各「是に居まする▲客一「太郎冠者が狂気致したと見へて、長刀をひらめかして人を追ひまする▲客二「私も参つたれば、長刀をひらめかして追つかけました▲客一「もし留守の内にけがでもあればわるう御座る、何れも参つて長刀をうばい取りませうか▲客二「是は一段とよう御座らう▲客一「夫ならば何れも花見のていで、さきへ這入らつせあれ、長刀をもつて出る所を大勢よつて、長刀を取りませうぬからせらるゝな▲客二「是はよう御座らう、夫ならば若い衆さきへ御座れ▲各「心得ました{ト云て案内乞出るも如常}{*7}身共らぢや▲シテ「是はようお出被成ました▲各「花が盛りぢやと聞いて見物に来た、通つても苦敷うないか▲シテ「唯今が真最中で御座る、つツとお通り被成ませ▲衆「心得た、さあさあ何れも御座れ▲各「心得ました▲シテ「是は大勢ぢや、又あしらはずばなるまい{ト云て長刀を持出て}{*8}偖何も御馳走は御座りませぬ、是成共お上りに成ませ{ト云て長刀を振廻す也}▲客一「捕つたぞ▲シテ「こりあ何とする▲客一「さあさあ長刀を早うとらつせあれ▲客二「心得ました{ト云て引たくり立衆へ渡すなり}▲客一「足をもたつせあれもたつせあれ{ト云て小またを取り打こかし皆々入るなり}▲シテ「あゝ是々、其長刀を取られては、重て客への御馳走が御座らぬ返して下され{ト云て追込入なり}
校訂者注
1:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
2:底本は、「得応答(あしらふ)まい」。
3・4:底本、全て「▲客「」がある(全て略)。
5・8:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
6:底本は、「頼うが者」。
7:底本、ここに「▲各「」がある(略す)。
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