瓢の神(ふくべのしん)(二番目 三番目)

▲シテ「これは、太郎と申す鉢叩きでござる。某(それがし)、不仕合せなによつて、鉢叩きを罷め、外の商売を致したう存ずる。それについて、松の尾の明神は、氏(うぢ)の神(しん)でござる程に、まづあれへ参り、祈誓申さう。と存ずる。誠に、随分精をだせども、とかく不仕合せにござる。何とぞ明神の御蔭で、楽しうなりたい事ぢや。いや、何かと云ふ内に、お前ぢや。まづ、拝を致さう。
{と云つて、下に居て拝む。舞台真ん中。}
私、只今参るは別の事でもござらぬ。随分精を出しますれども、不仕合せにござるによつて、余の商売を致したう存ずる。何とぞ楽しうなる様に護らせられて下され。松の尾の明神、松の尾の明神。
{と云ひながら、拝をし、扇畳むなり。}
扨、今宵は通夜を致さう。
{と云ひて、まどろむ。}
▲瓢神「かやうに候ふ者は、当社・松の尾の明神の末社・瓢の神にて候ふ。只今罷り出づる事、余の儀にあらず。こゝに、太郎といふ鉢叩きがある。その身貧しいによつて、鉢叩きを罷め、外の商売をしたい。と云うて、当社明神に祈誓をかけた。それについて、今までの通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴に守つてとらせうず。又、外の商売をするならば、いよいよ貧しからうずる間、急ぎ、某に参り、この由知らせ申せ。とのお事ぢや。まづ、あれへ行かばや。と存ずる。
{と云ひて、シテ柱の先へ出、見廻し、見付けるなり。}
扨、太郎はどれに居る事ぢや。いや、あれに居る。さらば、申し渡さう。
{と、立ちながら云ふなり。}
いかに太郎、確かに聞け。これは、当社明神の末社・瓢の神なるが、汝、家貧しいによつて鉢叩きを罷め、外の商売をしたう思へども、余の商売をするならば、いよいよ貧しからうず。これまでの通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴になる様に守つてとらせう。とのお事ぢや。則ち、この衣(ころも)・瓢箪を下さるゝ程に、いよいよこの後は、念仏堅固に申し候へ。その分、心得候へ、心得候へ。
{と云ひて、入るなり。}
▲シテ「あら、ありがたや。松の尾の明神、松の尾の明神。扨々、あらたな御霊夢を蒙つた。とかく、外の商売をするは悪い。今までの通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴になる様に守つてとらせう。とある御霊夢を蒙つた。扨も扨も、ありがたい事かな。
{と云ふ内に、二品を見付け、}
さればこそ、これに衣・瓢箪がある。あらありがたや、松の尾の明神、松の尾の明神。
{と云ひて、二品を頂くなり。}
この様な事があらうか。この上は御夢想に任せて、いよいよ大切に鉢叩きを勤めう。まづ、この衣を着よう。と存ずる。
{と云ひて、笛座の上へ入り、水衣着るなり。}
▲小アト「やあやあ、何と云ふぞ。太郎が、その身貧しいによつて鉢叩きを罷め、外の商売をしたい。と云うて、松の尾の明神に祈誓をかけた。と云ふか。扨々、訳もない事かな。
{と云ひて、楽屋へ向き、呼び出す。}
なうなう、いづれもお居あるか。
▲立衆「何事でおりある。
▲小アト「別の事でもない。聞けば、太郎が鉢叩きをやめ、外の商売をしたい。と云うて、松の尾の明神に祈誓をかけた。と云ふが、何とお聞きあつたか。
▲立頭「いゝや、知らぬ。何と皆、お聞きあつたか。
▲立二「いゝや、聞かぬ。
▲立三「身共も知らぬ。
▲皆「扨々、それは気の毒ぢやなう。
▲小アト「身共が思ふは、聞き捨てにはなるまいによつて、孰(いづ)れも云ひ合(あは)せて、止めに行かう。と思ふが、何とあらう。
▲頭「いか様、聞き捨てにはならぬ。一段と良からう。
▲立二「これが、聞き捨てになるものか。
▲小アト「それならば、さあさあ来さしめ。
▲皆「心得た。
▲小アト「何と思はします。太郎は、聊爾な者ではないか。
▲頭「仰(お)せある通り、まづ、某どもに相談もせいで、この様な聊爾な事はおりない。
▲二「仲間の名折れといひ、苦々しい事でおりある。
▲三「訳もない事ぢや。
▲皆「その通りぢや。
▲小アト「いや、何かと云ふ内に、松の尾ぢや。どれにゐる、尋ねさしませ。
▲皆「心得た。太郎、太郎、太郎。
▲二「大方、神前に居るであらう。尋ねさしませ。
▲皆「心得た。太郎、太郎。
{と云ひて、目付柱の方へ尋ね出るなり。}
▲シテ「誰やら某を呼ぶが。ゑい、孰(いづ)れも。
▲小アト「ゑい、太郎。
▲シテ「やれやれ、これは、皆お揃ひぢや。これはまづ、何として参らしました。
▲小アト「何とゝ云ふ事があるものか。聞けば、おぬしは鉢叩きを罷め、外の商売をしたい。と云うて、当社明神に祈誓をかけた。と聞いたによつて、皆、云ひ合(あは)せて止めに来た。
▲頭「某どもに談合もせいで、その様な訳もない事があるものか。
▲シテ「成程、尤ぢや。孰(いづ)れもようこそ来ておくれあつたれ。それについて、ありがたい事がある。
▲小アト「それは、何事ぢや。
▲シテ「お前に通夜をして居たれば、こち衆の常々信仰する瓢の神のお出なされて、余の事をするならばいよいよ貧しからうず。今までの通り鉢叩きを勤むるならば次第に富貴になる様に護つてとらせう。とのお事で、明神よりこの衣・瓢箪を下されたが、何とありがたい事ではないか。
▲小アト「扨々、それはありがたい事ぢや。何と奇特な事ではないか。
▲頭「今に始めぬ明神の御利生、申すも中々おろかな事ぢやなう。
▲二「その通りぢや。
▲三「この様な奇特な事はあるまい。
▲皆「この上は、云ふまではないが、皆云ひ合(あは)せて、いよいよ信心をするであらう。
▲シテ「それは、一段と良からう。扨、明神に御苦労をかけた事なり。孰(いづ)れも来てくれさしましたこそ幸ひなれ。申し合(あは)せて御礼に、踊り念仏を申したいが、何とあらう。
▲小アト「これは、一段と良からう。
▲シテ「それならば、孰(いづ)れもその用意をしておくれあれ。
▲皆「心得た。
{と云ひて、大小前にて拵へる。}
▲シテ「何と、孰(いづ)れも用意は良うおりあるか。
▲皆「良うおりある。
▲シテ「それならば、あれへ出さしませ。
▲皆「心得た。
{と云ひて、両方に立ち並ぶ。シテ、脇座。小アト、目付柱。}
▲シテ「{*1}良き光りぞと影頼む。
▲同音「《上》世の光りぞと頼む、茶のきよは、仏のきよへうむ。御寺たつふね、きよへうむ。あひ津の里に、むつの国あり。
《イロ》きよへうむ。
{*2}瓢箪瓢に緒を付けて、折々風の吹く時は、へうへうらへうむ。
▲シテ「いやあ。
▲同音「{*3}四大寺の風の寒きさ
《イロ》にあり、
{*4}ていとうていとう打ち鳴らす。三界を家と走り廻る鉢叩きが、生々覚に掛けて後生を願はゞ、などか仏にならざらむ。《上》きよへうむ。《上》なう、五郎・三郎。田舎へお下りあらうずるには、瓢なりとも置いて行け。小瓢なりとも置いて行け。それはや上臈、易き間の事なるが、諸国をや上臈。でづくでんづでむと叩かうずるには、瓢なうてはお笑止。
▲シテ「よしや君たゞ。
▲同音「寝ても覚めても忘るなよ。たゞ一念は念仏なりけり。思へば浮き世は夢の世ぞかし。栄花はこれ皆春の花。名利の心を止(と)どむべし。それ一代の、釈迦如来の仏法には、華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・法相・律宗などゝ云へる、小難し事ども、我等が様なる愚痴・無智・鈍なる者は、思ひも寄らず。
▲シテ「あなたの門ではへう。
▲小アト「こなたの門ではたん。
▲同音「たんたんからり、ころりとうち叩いて、願ふ後生は茶筌召せ、茶筌召せ。
▲シテ方同音「仏法あれば世法あり。
▲小アト方同音「煩悩あれば菩提あり。
▲同音「柳は緑、花は紅の色々なれば、急いで浄土を願ふべし。
なもだなもだ、なもだなもだ、南無阿弥陀仏やなもだ。はるひたはつぱいと。
▲シテ「茶筌。
{と止めて、皆々同音。座の方へ立ち並ぶ。シテ一人舞うて、拍子にて留めるなり。}
{*5}神の恵みの深ければ、輪廻の迷ひ振り捨てゝ、本の寺にぞ帰りける。これもひとへに我頼む、元祖空也の御誓ひ。法の力ぞありがたき、法の力ぞありがたき。

校訂者注
 1:底本、ここから「むつの国あり」まで、傍点がある。
 2:底本、ここから「おりおり風の吹く時は、へう(二字以上の繰り返し記号)らへうむ」まで、傍点がある。
 3:底本、「四大寺の風のさむきさ」に、傍点がある。
 4:底本、ここから「急いで浄土を願ふべし」まで、傍点がある。
 5:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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瓢の神(フクベノシン)(二番目 三番目)

▲シテ「是は太郎と申す鉢叩きで御座る、某不仕合せなに依つて鉢叩きを罷め、外の商売を致したう存ずる、夫に就て松の尾の明神は氏の神で御座る程に、先づあれへ参り祈誓申さうと存ずる、誠に、随分精をだせ共兎角不仕合せに御座る、何卒明神の御蔭で楽しう成たい事ぢや、いや何彼といふ内にお前ぢや、先づ拝を致さう{と云つて下に居て拝む舞台真中}私唯今参るは別の事でも御座らぬ、随分精を出しますれ共、不仕合せに御座る{*1}に依つて、余の商売を致したう存る、何卒楽しうなる様に護らせられて下され、松の尾の明神松の尾の明神{と云ひながら拝をし扇たゝむ也}扨今宵は通夜を致さう{と云ひてまどろむ}▲瓢神「斯様に候者は、当社松の尾の明神の末社瓢の神にて候、只今罷出る事余の儀にあらず、爰に太郎といふ鉢叩きがある、其身貧しいに依つて、鉢叩きを罷め、外の商売を仕度ひと言ふて、当社明神に祈誓をかけた、夫に就て、今迄の通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴に守つてとらせうず、又外の商売をするならば、弥貧しからうずる間、急ぎ某に参り此由知らせ申せとのお事ぢや、先づあれへ行かばやと{*2}存ずる、{と云ひてシテ柱の先へ出見廻し見付けるなり}扨太郎はどれに居る事ぢや、いやあれに居る、さらば申し渡さう{と立ながら云ふ也}いかに太郎慥に聞け、是は当社明神の末社瓢の神なるが、汝家貧しいに依つて鉢叩きを罷め、外の商売をしたう思へ共、余の商売をするならば、弥貧しからうず、是迄の通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴になる様に守つてとらせうとのお事ぢや、則ち此衣瓢箪を下さるゝ程に、いよいよ此後は念仏堅固に申し候へ、其分心得候へ心得候へ{と云ひて入るなり}▲シテ「荒有難や松の尾の明神松の尾の明神、扨々あらたな御霊夢を蒙つた、兎角外の商売をするはわるい、今迄の通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴になる様に守つてとらせうとある御霊夢をかうむつた、扨も扨も有難い事かな{と云ふ内に二品を見付}さればこそ是に衣瓢箪がある、あら有難や松の尾の明神松の尾の明神{と云ひて二品をいたゞく也}此様な事が有らうか、此上は御夢想にまかせて、弥々大切に鉢叩きを勤めう、先づ此衣を着ようと存ずる{と云ひて笛座の上へ入り水衣きる也}▲小アト「やあやあ何といふぞ、太郎が其身貧しいに依つて鉢叩きを罷め、外の商売を仕度いといふて、松の尾の明神に祈誓をかけたといふか、扨々訳もない事かな{と云ひて楽屋へ向き呼出す}なうなういづれもお居あるか▲立衆「何事でおりある▲小アト「別の事でもない、聞けば太郎が鉢叩きをやめ、外の商売をしたいといふて、松の尾の明神に祈誓をかけたといふが何とお聞きあつたか▲立頭「いゝや知らぬ、何と皆お聞きあつたか▲立二「いゝやきかぬ▲立三「身共も知らぬ▲皆「扨々夫は気の毒ぢやなう▲小アト「身共が思ふは聞き捨にはなるまいに依つて、孰れも言ひ合せて止に行かうと思ふが何と有らう▲頭「いか様聞き捨にはならぬ、一段とよからう▲立二「是が聞き捨になる物か▲小アト「夫ならばさあさあ来さしめ▲皆「心得た▲小アト「何と思はします、太郎は聊爾な者ではないか▲頭「おせある通り先づ某共に相談もせいで、此様な聊爾な事はおりない▲二「仲間の名おれといひ苦々敷い事でおりある▲三「訳もない事ぢや▲皆「其通りぢや▲小アト「いや何彼といふ内に松の尾ぢや、どれにゐる尋ねさしませ▲皆「心得た{*3}太郎太郎太郎▲二「大方神前に居るであらう尋ねさしませ▲皆「心得た、太郎太郎{と云ひて目付柱の方へ尋ね出るなり}▲シテ「誰やら某を呼ぶが、ゑい孰れも▲小アト「ゑい太郎▲シテ「やれやれ是は皆お揃ひぢや、是は先づ何として参らしました▲小アト「何とゝいふ事がある物か、聞けばおぬしは鉢叩きを罷め、外の商売をしたいといふて当社明神に祈誓をかけたと聞いたに依つて、皆言ひ合せて止に来た▲頭「某共に談合もせいで其様な訳もない事がある物か▲シテ「成程尤ぢや、孰れもようこそ来ておくれあつたれ、夫に就て有難い事がある▲小アト「夫は何事ぢや▲シテ「お前に通夜をして居たれば、こち{*4}衆の常々信仰する瓢の神のお出なされて、余の事をするならば弥々貧しからうず、今迄の通り鉢叩きを勤むるならば、次第に富貴になる様に護つてとらせうとのお事で、明神より此衣瓢箪を下されたが、何とありがたい事ではないか▲小アト「扨々夫は有難い事ぢや、何と奇特な事ではないか▲頭「今に始めぬ明神の御利生、申すも中々愚な事ぢやなう▲二「其通りぢや▲三{*5}「此様な奇特な事はあるまい▲皆「此上はいふ迄はないが、皆言ひ合せて弥々信心をするであらう▲シテ「夫は一段とよからう、偖明神に御苦労をかけた事なり、孰れも来て呉れさしましたこそ幸ひなれ、申し合せて御礼に、踊り念仏を申したいが何とあらう▲小アト「是は一段とよからう▲シテ「夫ならば孰れも其用意をしておくれあれ▲皆「心得た{と云ひて大小前にて拵る}▲シテ「何と孰れも用意はようおりあるか▲皆「ようおりある▲シテ「夫ならばあれへ出さしませ▲皆「心得た{と云ひて両方に立並ぶシテ脇座小アト目付柱}▲シテ「よき光りぞと影たのむ▲同音「《上》よの光りぞとたのむ茶のきよは仏のきよへうむ、御寺たつふねきよへうむ、あひ津の里に、むつの国あり《イロ》きよへうむ、瓢箪瓢に緒をつけて、おりおり風の吹く時は、へうへうらへうむ▲シテ「イヤア▲同音「四大寺の風のさむきさ《イロ》にあり、ていとうていとう打ち鳴らす、三界を家と走り廻る鉢叩きが、生々覚に掛て、後生を願はば、などか仏にならざらむ{*6}、《上》きよへうむ《上》なう五郎三郎、田舎へお下りあらうずるには、瓢なりともおいてゆけ、小瓢なりともおいてゆけ、それは、や上臈、易き間の事なるが諸国をや上臈、でづくでんづでむとたゝかうずるには、瓢なうてはお笑止▲シテ「よしや君たゞ▲同音「寝ても覚めても忘するなよ、たゞ一念は念仏なりけり、思へば浮き世は夢の世ぞかし、栄花は是皆春の花、名利の心をとゞむべし、夫一代の、釈迦如来の仏法には、華厳阿含方等般若、法華涅槃、法相律宗などゝいへる、小むつかし事共我等が様なる愚痴無智鈍なる者は、思ひもよらず▲シテ「あなたの門ではへう▲小アト「こなたの門ではたん▲同音「たんたんからり、ころりとうちたゝいて、願う後生は茶筌めせ茶筌めせ▲シテ方同音「仏法あれば世法あり▲小アト方同音「煩悩あれば菩提あり▲同音「柳は緑花は紅{*7}のいろいろなれば、急いで浄土を願ふべし、なもだなもだなもだなもだ南無阿弥陀仏や{*8}なもだ、はるひた、はつぱいと▲シテ「茶筌{と止めて皆々同音座の方へ立並ぶシテ一人舞ふて拍子にて止るなり}{*9}神の恵の深ければ、輪廻{*10}の迷ひふり捨て、本の寺にぞ帰りける、是も偏に我頼む、{*11}元祖空也の御誓ひ、法の力ぞありがたき法の力ぞありがたき。

校訂者注
 1:底本は、「御座に依つて」。
 2:底本は、「行かばやつと」。
 3:底本、ここに「▲皆「」がある(略す)。
 4:底本は、「此方(こち)」。
 5:底本は、「▲二「」。
 6:底本は、「ならさらむ」。
 7:底本は、「柳は緑色は紅」。
 8:底本は、「南無阿弥仏(なむあみぶつ)や」。
 9:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 10:底本は、「綸迴」。
 11:底本、ここに一字分のスペースがあり、「、」はない。