八句連歌(はつくれんが)(二番目)

▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)、誰殿と申すお方に、金子を少々、借用致してござる。久々になれども、未だ返弁致さぬ。以前は連歌の友でござつた故か、この事においては、終に一度のお使ひにも預からぬ。この延びるについて、次第に敷居が高うなつて、おのづから不沙汰を致す。今日は参り、せめて言葉のお断りをなりとも申して帰らう。と存ずる。誠に、家貧にしては親知少なく、身賤しうしては故人疎(うと)し。と申すが、身上ならねば、何方(いづかた)へも不沙汰を致す事でござる。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。}
▲アト「表に案内がある。あれは、確かに何某(なにがし)の声ぢや。又何ぞ、無心に参つたものであらう。逢うてはなるまい。留守を使はう。と存ずる。案内とは誰(た)そ。
▲シテ「何某でござるが、誰殿は、御内(みうち)にござりますか。
▲アト「留守でござる。
▲シテ「はあ。さう仰せらるゝはどなたでござる。
▲アト「隣の者が、留守を預かつて居ます。
▲シテ「左様ならば、宜しう仰せられて下され。誰でござりまする。余り久しうお見舞ひ申しませぬによつて、今日(こんにち)はお見舞ひ申してござれども、お留守でござるによつて、帰りまする。又その内、お見舞ひ申ませう。と、宜しう仰せられて下され。
▲アト「心得ました。
▲シテ「必ず頼みまするぞや。
▲アト「あゝあゝ。さればこそ、誰であつた。逢うたらば、良いものか。
▲シテ「扨も扨も、せつかく思うて参つたにお留守で、えお目にかゝらなんだ。又その内参つて、お目にかゝらう。
{と云ひて、ワキ柱の方を見て、}
はゝあ、咲いたり、咲いたり。こりあ、お坪の内の花が、まつ最中ぢや。扨も扨も、見事ぢや。咲きも残らず散りも始めず。と云ふが、この事ぢや。この花を見るに付けても、以前、勝手ともかうも致いた時分は、この花の本へ召し寄せられ、御酒(ごしゆ)をたべ、連歌など致した事もあれど、今は身上ならねば、この花がいつ咲くやら、いつ散るやらも存ぜぬ。これは、何とかありさうなものぢやが。いや、思ひ出した。お好きぢや程に、申し置いて帰らう。申し申し、最前のお方、ござるか。
▲アト「これはいかな事。又、参つたさうな。これに居まする。
▲シテ「只今帰るさに、お坪の内の花を見ましたれば、あまり見事に咲いてござつたによつて、昔を思ひ出しまして、花盛り、ごめんあれかし松の風。と致してござる。お帰りなされたらば、この通りを宜しう仰せられて下され。
▲アト「心得ました。
▲シテ「必ず頼みまするぞや。
▲アト「あゝあゝ。
▲シテ「あなたもお好きぢやによつて、お宿にござつたらば、悦ばせられうに。残り多い事ぢや。花盛り、ごめんあれかし松の風。我が句ながらも、出来たか。と存ずる。
▲アト「これはいかな事。無心に参つたか。と存じたれば、何やら口ずさみを申す。呼び戻し、逢うて遣はさう。と存ずる。
{と云ひて、橋掛りへ行き、呼び戻すなり。}
ほをい、誰々。
▲シテ「これは、お帰りなされましたか。
▲アト「今戻つておりある。
▲シテ「これは、良い所でお目にかゝりました。
▲アト「まづ、かう通らしめ。
▲シテ「畏つてござる。扨、この間は久しうお見舞ひも申し上げませぬが、まづは御機嫌さうで、おめでたう存じまする。
▲アト「成程、身共も随分息災な。そなたもまめさうで、一段でおりある。
▲シテ「忝う存じまする。
▲アト「扨、只今は、何やら云ひ置かれたげなが。何であつた。
▲シテ「いやも、お聞きなさるゝ様な事ではござらぬ。
▲アト「いやいや、いかう面白さうな事であつた。早う云うて聞かしませ。
▲シテ「左様ならば、申し上げませう。帰るさに、お坪の内の花を見ましたれば、あまり見事に咲いてござつたによつて、昔を思ひ出しまして。花盛り、ごめんあれかし松の風。と致してござる。これがな、お耳に入りましたものでござりませう。
▲アト「成程、それであつた。扨々、久しう聞かぬ内に、いかう連歌が上がつておりある。
▲シテ「左様に仰せられずとも、悪い所があらば、お直しなされて下されい。
▲アト「いかないかな、そつとも悪い所はない。花盛り、ごめんあれかし。それならば、ちと云うても見ようか。
▲シテ「どこでござります。
▲アト「この、ごめんあれかし。が、耳に障(さは)つて悪い。これをお直しあつたらば、良からう。
▲シテ「成程、御尤には存じまするが、私は又この、ごめんあれかし。で持つた句か。と存じまするによつて、ならう事ならば、御免あれかし、御免あれかし。とも申したうござる。
▲アト「それならば、ともかくもぢや。身共が脇を致さう。
▲シテ「これは、お出来なさるゝでござりませう。
▲アト「かうもあらうか。
▲シテ「お句ばし、何と。
▲アト「桜になせや雨の浮き雲。
▲シテ「したり。天神もならせられまい。扨々、面白い事でござる。
▲アト「あゝ、これこれ、その様に云はずとも、悪い所があらば、直しておくれあれ。
▲シテ「いかないかな、桜になせや。左様ならば、ちと申し上げて見ませうか。
▲アト「どこでおりある。
▲シテ「私はこの、なせや。が耳に障(さは)つて気味が悪うござる。これをどうぞ、なさじ。などゝはなりますまいか。
▲アト「身共は又この、なせや。で持つた句か。と存ずるによつて、願はくは、なせや、なせ、なせ。などゝも云ひたうおりある。
▲シテ「左様ならば、是非に及びませぬ。私、第三を致しませう。
▲アト「一段と良からう。
▲シテ「幾度も、霞に佗びん月の暮れ。
▲アト「又、悪い。
▲シテ「どこでござる。
▲アト「その、佗びん。が悪い。
▲シテ「それならば、佗びぬ。に致しませう。
▲アト「早速直つた。四句目を致さう。
▲シテ「良うござりませう。
▲アト「恋せめかくる入相の鐘。
▲シテ「あゝ、忙(せは)しなや。忙(せは)しなや。鶏も、せめて別れは延べて鳴け。
▲アト「延べずとも鳴かせたいものを。
▲シテ「折々は、延べたも良いものでござる。
▲アト「人目漏らさぬ恋の関守。
▲シテ「名の立つに、使ひなつけそ忍び妻。
▲アト「お立ちあれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「やあら、そなたは聞こえぬ人ぢや。少々金子の出入りもあれども、おふしい{*1}事でないと思うて、ついに一度も使ひを遣つた事もないに、いつ身共がその様に、名の立つ程使ひを付けた事があるぞ。
▲シテ「これは、迷惑でござる。前句が恋の御句でござつたによつて、総じて恋路の使ひは、口をまめに申してはいかゞ。と存じまして、名の立つに、使ひな告げそ忍び妻。と致いてござる。これがあながち、お耳に障(さは)りさうな事ではござりませぬ。
▲アト「はあ。扨は、告げそ。でおりあるか。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「それならば、仮名の誤りぢや。暫くそれにお待ちあれ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「これはいかな事。段々、佗び句を致す。おふしい{*2}事でないによつて、赦して遣はさう。と存ずる。なうなう、お居あるか。
▲シテ「これに居ります。
▲アト「扨、最前から、七句か。と存ずる。めでたう表八句に致さう。
▲シテ「これは、良うござりませう。
▲アト「この度は、そなたの悦ぶ句ぢや。
▲シテ「それは、何とでござる。
▲アト「あまり慕へば文を取らする。
▲シテ「これは、どれへぞ持つて参る御状でござるか。
▲アト「いやいや。それは、わごりよの召された借状ぢや。今日(けふ)の連歌が、あまり良う出来たによつて、そなたへ褒美にやるぞ。
▲シテ「あの、これを私に下されますか。
▲アト「中々。
▲シテ「まづ以て、ありがたう存じまする。さりながら、この義も段々延引致してござる。何とぞ才覚致して、近日には返弁仕(つかまつ)りませう。まづそれまでは、お預け申しませう。
▲アト「いやいや。それは、いらぬ辞儀ぢや。平(ひら)に取つてお行きあれ。
▲シテ「これは、どうござらうとも、御斟酌を申しませう。
▲アト「はて、身共が志ぢや程に、取つておかしめ。
▲シテ「幾重にも、お断りを申しまする。
▲アト「はあ、扨は、嫌でおりあるか。
▲シテ「あゝ、嫌ではござりませぬ。
▲アト「それならば、取つておかしめ。
▲シテ「左様ならば、頂いて置きませう。
▲アト「それが良からう。
▲シテ「{*3}優しの人の心や。いつなれぬ花の姿の色現れて、この殿の借り物を許さるゝ。類(たぐひ)なの人の心や。
めでたう済みました。
▲アト「ようおりあつた。
▲シテ「はあ。
{と云ひて、留めて、シテより入るなり。}

校訂者注
 1・2:「おふしい」は、不審。文脈は「大したことはない」の意だが、ふさわしい語がない。
 3:底本、ここから「かり物をゆるさるゝたぐいなの人の心や」まで、傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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八句連歌(ハツクレンガ)(二番目)

▲シテ「此あたりの者で御座る、某誰殿と申お方に、金子を少少借用致して御座る、久久になれ共未だ返弁致さぬ、以前は連歌の友で御座つたゆへか、此事においては終に一度のお使にも預らぬ、此のびるについて次第に敷居が高うなつて、おのづから不沙汰を致す、今日は参り、責て言葉のお断りをなり共申して帰らうと存ずる、誠に家貧にしては親知すくなく、身賤うしては故人うとしと申すが、身上ならねば何方へも不沙汰を致す事で御座る、何彼といふ内に是ぢや{ト云て案内乞}▲アト「表に案内がある、あれは慥に何某の声ぢや、又何んぞ無心に参つたもので有らう逢ふては成るまい留守をつかはうと存ずる、案内とはたそ▲シテ「何某で御座るが、誰殿は御内に御座りますか▲アト「留守で御座る▲シテ「はあさう仰せらるゝはどなたで御座る▲アト「となりの者が留守を預つて居ます▲シテ「左様ならば宜敷う仰せられて下され、誰で御座りまする、余り久しうお見舞申しませぬに依つて、今日はお見舞申して御座れ共、お留守で御座るに依つて帰りまする、又其内お見舞申ませうと、宜敷う仰せられて下され▲アト「心得ました▲シテ「必ず頼みまするぞや{*1}▲アト「あゝあゝ、さればこそ誰であつた、逢ふたらばよいものか▲シテ「偖も偖もせつかく思ふて参つたに、お留守で得お目にかゝらなんだ、又其内参つてお目にかゝらう{ト云てワキ柱の方を見て}{*2}はゝあ咲いたり咲いたり、こりあお坪の内の花がまつ最中ぢや、偖も偖も見事ぢや、咲きものこらず散りも始めずといふが此事ぢや、此花を見るにつけても、以前勝手兎もかうも致いた時分は、此花の本へ召し寄せられ、御酒をたべ連歌抔致した事もあれど、今は身上ならねば、此花がいつ咲くやら、いつちるやらも存ぜぬ、是は何とかありさうなものぢやが、いや思ひ出した、おすきぢや程に、申し置いて帰らう、申し申し、最前のお方御座るか▲アト「是はいかな事、又参つたさうな、是に居まする▲シテ「唯今帰るさに、お坪の内の花を見ましたれば、あまり見事{*3}に咲いて御座つたに依つて、昔を思ひ出しまして、花ざかり、ごめんあれかし松の風と致して御座る、お帰り被成たらば此通りを宜敷う仰せられて下され▲アト「心得ました▲シテ「かならず頼みまするぞや▲アト「あゝあゝ▲シテ「あなたも御すきぢやに依つて、お宿に御座つたらば悦ばせられうに、残りおゝい事ぢや、花ざかり、ごめんあれかし松の風、我が句ながらも出来たかと存ずる▲アト「是はいかな事、無心に参つたかと存じたれば、何やら口ずさみを申す、呼戻し逢て遣はさうと存ずる{ト云て橋掛へ行呼戻すなり}{*4}ほをい誰誰▲シテ「是はお帰り成れましたか▲アト「今戻ておりある▲シテ「是はよい所でお目にかゝりました▲アト「先づ斯う通らしめ▲シテ「畏つて御座る、偖此間は久敷うお見舞も申し上げませぬが、先づは御機嫌さうでお目出たう存じまする▲アト「成程身共も随分息災な、そなたもまめ{*5}さうで一段でおりある▲シテ「忝う存じまする▲アト「偖只今は何やらいひ置かれたげなが何であつた▲シテ「いやもお聞きなさるゝ様な事では御座らぬ▲アト「いやいやいかう面白さうな事であつた、早ういふて聞かしませ▲シテ「左様ならば申し上げませう、帰るさにお坪の内の花を見ましたれば、あまり見事{*6}に咲いて御座つたに依つて、昔を思ひ出しまして、花盛り、ごめんあれかし松の風と致して御座る、是がなお耳に入ましたもので御座りませう▲アト「成程夫であつた、偖々久敷うきかぬ内に、いかう連歌が上つておりある▲シテ「左様に仰せられずとも、わるい所があらばお直し成されて下されい▲アト「いかないかなそつともわるい所はない、花盛り、ごめんあれかし、夫ならばちといふても見ようか▲シテ「どこで御座ります▲アト「此御めんあれかしが耳にさわつてわるい、是をお直しあつたらばよからう▲シテ「成程御尤には存じまするが、私は又此御めんあれかしで持つた句かと存じまするに依つて、ならう事ならば御免あれかし御免あれかしとも申したう御座る▲アト「夫ならば兎も角もぢや、身共が脇を致さう▲シテ「是はお出来被成るゝで御座りませう▲アト「かうもあらうか▲シテ「お句ばし{*7}何と▲アト「桜になせや雨の浮雲▲シテ「したり、天神もならせられまい、偖々面白い事で御座る▲アト「あゝ是々、其様にいはず共、わるい所があらば直しておくれあれ▲シテ「いかないかな桜になせや、左様ならばちと申し上げて見ませうか▲アト「どこでおりある▲シテ「私は此なせやが耳にさわつて気味がわるう御座る、是をどうぞ、なさじ抔とはなりますまいか▲アト「身共は又此なせやでもつた句かと存ずるに依つて、願くはなせやなせ、なせ抔ともいひたうおりある▲シテ「左様ならば是非に及びませぬ、私第三を致しませう▲アト「一段とよからう▲シテ「幾度も、霞に佗びん月の暮▲アト「又わるい▲シテ「どこで御座る▲アト「そのわびんがわるい▲シテ「夫ならば佗ぬに致しませう▲アト「早速直つた四句目を致さう▲シテ「よう御座りませう▲アト「恋せめかくる入相の鐘▲シテ「あゝせはしなやせはしなや、鶏も、せめて別れはのべて啼け▲アト「のべずともなかせたいものを▲シテ「折々はのべたもよいもので御座る▲アト「人目もらさぬ恋の関守▲シテ「名のたつに、使なつけそ忍び妻▲アト「おたちあれ▲シテ「はあ▲アト「やあらそなたはきこゑぬ人ぢや、少々金子の出入もあれ共、おふしい事でないと思ふて、ついに一度も使をやつた事もないに、いつ身共が其様に名のたつ程使をつけた事があるぞ▲シテ「是は迷惑で御座る、前句が恋の御句で御座つたに依つて、総じて恋路の使は口をまめに申してはいかゞと存じまして、名のたつに、使なつげそ忍び妻と致いて御座る、是があながちお耳に障りさうな事では御座りませぬ▲アト「はあ偖はつげそでおりあるか▲シテ「左様で御座る▲アト「夫ならば仮名のあやまりぢや、しばらくそれにおまちあれ▲シテ「畏つて御座る▲アト「是はいかな事、段々佗句を致す、おふしい事でないに依つて、赦して遣はさうと存ずる、なうなうお居あるか▲シテ「是に居ります▲アト「偖最前から七句かと存ずる、目出度う表八句に致さう▲シテ「是はよう御座りませう▲アト「此度はそなたの悦ぶ句ぢや▲シテ「夫は何んとで御座る▲アト「あまりしたへば文をとらする▲シテ「是はどれへぞ持つて参る御状で御座るか▲アト「いやいや、夫はわごりよの召された借状ぢや、今日の連歌があまりよう出来たに依つて、そなたへほうびにやるぞ▲シテ「あの是を私に下されますか▲アト「中々▲シテ「先づ以て有難う存じまする去ながら、此義も段々延引致して御座る、何卒才覚致して近日には返弁仕りませう、先づ夫迄はお預け申しませう▲アト「いやいや夫はいらぬじぎぢや、ひらにとつておゆきあれ▲シテ「是はどう御座らう共御しんしやくを申しませう▲アト「果身共が志ぢや程に取つておかしめ▲シテ「幾重にもお断りを申しまする▲アト「はあ偖はいやでおりあるか▲シテ「あゝいやでは御座りませぬ▲アト「夫ならば取つておかしめ▲シテ「左様ならばいたゞいて置きませう▲アト「それがよからう▲シテ「やさしの人の心や、いつなれぬ花の姿の、色あらわれて此とのゝ、かり物をゆるさるゝたぐいなの人の心や、目出度う済ました▲アト「ようおりあつた▲シテ「はあ{ト云て留てシテより入るなり}

校訂者注
 1:底本は、「頼みまするそや」。
 2:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 3・6:底本は、「美事」。
 4:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
 5:底本は、「健(まめ)」。
 7:底本は、「お句ばやし何と」。