昆布売(こぶうり)(初番 二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。今日は、北野のお手水の夜でござるによつて、参らう。と存ずる。誠に、某(それがし)は、人数多(あまた)召し遣ふ者なれども、今日(けふ)は方々へ遣はして、一人も宿に居らぬ。それ故、自身、太刀を持つてござる。いや、これまで来たれば、草臥(くたび)れた。この所に暫く休らうで、似合(にあは)しい者も通らば言葉を掛けて、この太刀を持たせて参らう。と存ずる。
▲シテ「これは、若狭の小浜の昆布売りでござる。毎年(まいねん)、昆布を商売に持つて上(のぼ)る。当年も相変らず持つて上らう。と存ずる。誠に、商売人と申すは、浅ましいものでござる。天気の良いにも悪(あ)しいにも、持つて上らねばならぬ事でござる。
▲アト「いや、これへ一段の者が参つた。言葉を掛けう。なうなう、これこれ。
▲シテ「この方の事でござるか。
▲アト「いかにも、そなたの事ぢや。わごりよは、どれからどれへお行きある。
▲シテ「私は、若狭の小浜の昆布売りでござる。毎年(まいねん)、都へ昆布を商売に持つて上りまする。当年も相変らず、今持つて上る事でござる。
▲アト「言葉を掛くるも別の事でない。何と、同道召さるまいか。
▲シテ「見ますれば、御仁体でござる。お連れには似合ひませぬ。お先へ参りませう。
▲アト「あゝ、これこれ。連れには、似合うたもあり、又似合(にあは)ぬもあるものぢや。是非とも同道致さう。
▲シテ「扨は、是非ともでござるか。
▲アト「中々。
▲シテ「左様ならば、畏つてござる。
▲アト「何と、お行きあるまいか。
▲シテ「何が扨、お出なされませ。
▲アト「それなら、身共から行かう。さあさあ、おりあれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「扨、ふと言葉をかけたに同心召されて、この様な悦ばしい事はない。
▲シテ「お連れには似合ひませねども、是非。と仰せらるゝによつて、参る事でござる。
▲アト「扨、その昆布は、大分売るゝ事か。
▲シテ「大分売るゝ事もござり、又、かつて売れぬ事もござる。
▲アト「何が扨、商売の習ひぢや。さうなうては叶はぬ事ぢや。扨、初めて逢うて馴れ馴れしけれども、ちと無心があるが、聞いておくれあるまいか。
▲シテ「私づれに御用はござりますまいなれども、似合ひました御用ならば、承りませう。
▲アト「何しに似合はぬ用を云はうぞ。似合うた用ぢや程に、聞いておくれあれ。
▲シテ「左様ならば、畏つてござる。
▲アト「無心を云はう。と云へば、聞いてくれう。とあつて、満足致す。まづ、一礼申す。
▲シテ「これは、御用も仰せ付けられぬ先にお礼とあつて、迷惑致す。まづ、その御用を仰せ付けられませ。
▲アト「きつと一礼申しておりあるぞや。
▲シテ「はあ。
▲アト「無心といつぱ、余の儀でない。某は、人数多(あまた)召し遣ふ者なれども、今日は方々へ遣はして、一人も宿に居らぬ。それ故自身、太刀を持つた。この太刀が持つて貰ひたい。と云ふ事ぢや。
▲シテ「その様な結構なお太刀は、つひに見ました事もござらず、まして持つた事もござらぬ。これは、ご許されませ。
▲アト「いやいや、結構な。と仰(お)せあれば、迷惑致す。随分粗相な太刀ぢや程に、持つておくれあれ。
▲シテ「これは、どうござらうとも、ご許されませ。
▲アト「扨は、おのれは、諸侍に一礼まで云はせて、しかとお持ちあるまいか。
{と云つて、太刀のそり打ち、詰める。この類、常の如し。}
《笑》これは、戯言(ざれごと)ぢや。気にかけずとも、持つておくれあれ。
▲シテ「あゝ、お前のお戯言は、怖いお戯言でござる。
▲アト「さあさあ、おりあれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「おりあるか。
▲シテ「参りまする。
▲アト「これはいかな事。それは、昆布の片荷ぢや。手に持つておくれあれ。
▲シテ「手があきませぬ。
▲アト「それそれ。こちらの手があいてあるぞや。
▲シテ「これは、かう、肩を替へる時に要ります。
▲アト「それそれ。又、こちらの手があく。
▲シテ「これもかう、肩を替ふる時に要ります。
▲アト「扨は、その昆布があるによつて、何のかのと仰(お)せある。昆布は身共が買うてやらうぞ。
▲シテ「それは、忝うござる。
▲アト「さあさあ、昆布は身共が買うた程に、手に持つておくれあれ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「さあさあ、おりあれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「おりあるか。
▲シテ「参りまする。
{と云つて、両の手にさし上げて行く。}
▲アト「これはいかな事。それは、進上太刀の持ち様ぢや。身に引つ添へて、持つておくれあれ。
▲シテ「身に引つ添へてな。
▲アト「中々。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「さあさあ、おりあれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「おりあるか。
▲シテ「参りまする。
▲アト「これはいかな事。身に引つ添へ。と云へば、悉皆、子を抱いた様な持ち様を召さる。扨は、そなたは真実、太刀の持ち様を知らぬと見えた。ついでながら、教へてやらうぞ。
▲シテ「それは、忝うござる。
{これまでシテ、太刀を抱きたる様にて、両の手にて抱き居るを、アト取つて、}
▲アト「総じて、自身の太刀は左に持つ。主の太刀は右に持つものぢや程に、右に持つておくれあれ。
▲シテ「私はお前のうちの者ではござらぬ。
▲アト「うちの者ではなけれども、頼む上からぢや程に、持つておくれあれ。
▲シテ「左様ならば、かうでござるか。
▲アト「おゝ、最前の粗相とは違うて、いかう持ち振りが上がつておりある。
▲シテ「いや、さうもござらぬ。この上は、お前のうちの者の様に云うて呼ばせられい。答へませうぞ。
▲アト「それは、過分な。身が遣ふ者は、太郎冠者と云ふ。太郎冠者。と云うて呼ばゞ、答へておくれあれ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「稽古のため、路次すがら呼うで行かう程に、答へておくれあれ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「やいやい、太郎冠者。
▲シテ「はあ。
▲アト「来るか。
▲シテ「はあ。
▲アト「引つ付いて来い。
{と云つて、笑ひ、嬉しがる内、}
▲シテ「扨々、腹の立つ事ぢや。いや、致し様がござる。
{と云つて、右の肩をぬぎ、太刀を抜く。}
がつきめ、やらぬぞ。
▲アト「あゝ、これは、何とする。
▲シテ「何とゝは。最前から、身共を色々となぶつたが、良いか。たつたひと討ちにせう。
▲アト「あゝ、まづ、待て待て。
▲シテ「何と待てとは。
▲アト「所詮、その太刀を汝に持たせて置くによつてぢや。こちらへ返せ。
▲シテ「何の、返せ。
{と云つて、振り上げる。}
▲アト「あゝ、危ないわいやい。
▲シテ「その、おのれがさいて居るひと腰を、この方へをこせ。
▲アト「諸侍がひと腰を、放して良いものか。
▲シテ「おのれ、おこすまいか。
▲アト「あゝ、やるわいやい、やるわいやい。
▲シテ「早うおこせ。
▲アト「そりや。
{と云つて、小さ刀の柄を持つて出す。}
▲シテ「柄の方と取り直しておこせ。
▲アト「やり様が気に入らずば、おかうまでよ。
▲シテ「早うおこせ。
▲アト「そりや。
▲シテ「どりや。
{と云つて、太刀にて切り取り、持つて入り、昆布を持つて出て、}
やいやい、この昆布を売れ。
▲アト「諸侍が昆布を売つた事はない。
▲シテ「おのれ、お売りあるまいか。
▲アト「あゝ、売るわいやい、売るわいやい。
▲シテ「早う売れ。
▲アト「扨々、気の短いやつぢや。やいやい、昆布買へ、昆布買へ。
▲シテ「やい、そこなやつ。
▲アト「何ぢや。
▲シテ「その様に云うて、誰(た)が召すものぢや。昆布召され候へ、昆布召され候へ。若狭の小浜の召しの昆布を、召し上げられ候へ、召し上げられ候へ。と、いかにも慇懃に売れ。
▲アト「さう売つたらば、太刀も刀も返すか。
▲シテ「まづ売れ。
{アト、シテの通り云つて、売るなり。}
▲アト「さあさあ、返せ、返せ。
▲シテ「何の、返せ。
▲アト「あゝ、危ないわいやい、危ないわいやい。
▲シテ「今度は、謡節に売れ。
▲アト「売らいで叶はずば、売つて聞かせ。
▲シテ「売つて聞かせうぞ。
{*1}昆布召せ、昆布召せ、お昆布召せ。若狭の浦の召しの昆布、若狭の浦の召しの昆布。
と売れ。
▲アト「さう売つたらば、太刀もかたなも返せ。
▲シテ「まづ売れ。
{アト、シテの通りに売る。}
▲アト「さあさあ、返せ、返せ。
▲シテ「何の、返せ。
▲シテ「これは、何とする。
▲シテ「今度は、浄瑠璃節に売れ。
▲アト「その様な事は知らぬ。
▲シテ「知らずは売つて聞かせう。つれてんつれてんてれてれてん。
▲アト「そりや、何ぢや。
▲シテ「まづ、三味線の心得ぢや。
▲アト「はて、こびたものぢやな。
▲シテ「{*2}昆布召せ召せ召せ、お昆布召せ。若狭の小浜の召しの昆布。
つれてんつれてんてれてれてん。と売れ。
▲アト「似はせまいけれども、売つて見ようぞ。
▲シテ「早う売れ。
▲アト「つれてんつれてんてれてれてん。かうか。
▲シテ「まづ、その様なものぢや。
{アト、又売るなり。シテの通り。同断。}
▲アト「さあさあ、返せ、返せ。
▲シテ「何の、返せ。
▲アト「危ないわいやい、危ないわいやい。
▲シテ「今度は踊り節に売れ。これも、売つて聞かせうぞ。
▲アト「迷惑な事ぢや。
▲アト「迷惑な事ぢや。
▲シテ「{*3}昆布召せ、昆布召せ、お昆布召せ。若狭の小浜の召しの昆布、召しの昆布。
このしやつきしや、しやつきしや、しやつきしやつきしやつきしや。と売れ。
▲アト「心得た。
{と云つて、シテの通り、踊り節に売る。シテ、面白がりて、うつる。「器用なやつぢや」などゝ云つて笑ふ。}
さあさあ、返せ、返せ。
▲シテ「何の、返せ。
▲アト「あゝ、これは、何とするぞいやい。
▲シテ「二字蒙つた者を、いつまでなぶらうぞ。身共が行く末繁昌。と売つたらば、太刀も刀も返さうぞ。
▲アト「それは誠か。
{と云つて、常の如く、詰める。}
▲アト「{*4}やらやら、数知らずの君が御代の、よろ昆布や。
▲シテ「何と、悦ぶと。返すまいぞ。この太刀、これが欲しいか。
▲アト「それは、身共がのぢや。こちへ返してくれい。
▲シテ「ならぬぞ、ならぬぞ。
▲アト「あの横着者、やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云つて、追ひ込み、入るなり。}
校訂者注
1:底本、ここから「若狭の浦のめしの昆布」まで、傍点がある。
2:底本、ここから「若狭の小浜のめしの昆布」まで、傍点がある。
3:底本、ここから「若狭の小浜のめしの昆布めしの昆布」まで、傍点がある。
4:底本、ここから「何と悦ぶと」まで、傍点がある。
底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.)
昆布売(コブウリ)(初番 二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、今日は北野のお手水の夜で御座るに依つて参らうと存ずる、誠に、某は人あまた召し遣う者なれ共、今日は方々へ遣はして、一人も宿に居らぬ、夫故自身太刀を持つて御座る、いや是迄来たればくたびれた、此所に暫らく休らうで、似合しい者も通らば言葉を掛けて、此太刀を持たせて参らうと存ずる▲シテ「是は若狭の小浜の昆布売で御座る、毎年昆布を商売に持つて上る、当年も相かはらず持つて上らうと存ずる、誠に、商売人と申すは、浅間しい者で御座る、天気のよいにもあしいにも、持つて上らねばならぬ事で御座る▲アト「いや是へ一段の者が参つた、言葉を掛う、なうなう是々▲シテ「此方の事で御座るか▲アト「いかにもそなたの事ぢや、わごりよはどれからどれへおゆきある▲シテ「私は若狭の小浜の昆布売で御座る、毎年都へ昆布を商売に持つて上りまする、当年も相変らず今持つて上る事で御座る▲アト「言葉を掛るも別の事でない、何と同道めさるまいか▲シテ「見ますれば御仁体で御座る、おつれには似合ひませぬお先へ参りませう▲アト「あゝ是々、つれには似合うたもあり又似合ぬもある者ぢや、是非共同道致さう▲シテ「扨は是非共で御座るか▲アト「中々▲シテ「左様ならば畏つて御座る▲アト「何とお行きあるまいか▲シテ「何が扨お出被成ませ▲アト「夫なら身共から行かう、さあさあ{*1}おりあれ▲シテ「はあ▲アト「扨ふと言葉をかけたに同心召されて、此様な悦ばしい事はない▲シテ「おつれには似合ひませね共、是非と仰せらるゝに依つて参る事で御座る▲アト「扨其昆布は大分売るゝ事か▲シテ「大分売るゝ事も御座り、又曽て売れぬ事も御座る▲アト「何が扨商売の習ひぢや、さうなうては叶はぬ事ぢや、扨始めて逢うて馴々しけれ共、ちと無心があるがきいておくれあるまいか▲シテ「私づれに御用は御座りますまいなれ共、似合ひました御用ならば承りませう▲アト「何しに似合はぬ用を云はうぞ、似合うた用ぢや程にきいておくれあれ▲シテ「左様ならば畏つて御座る▲アト「無心を云はうといへばきいてくれうとあつて満足致す、先づ一礼申す▲シテ「是は御用も仰せ付けられぬ先にお礼とあつて迷惑致す、先づ其御用を仰せ付けられませ▲アト「急度一礼申しておりあるぞや▲シテ「はあ▲アト「無心といつぱ余の儀でない、某は人あまた召遣う者なれ共、今日は方々へ遣はして一人も宿に居らぬ、夫故自身太刀を持つた、此太刀が持つて貰い度いと云ふ事ぢや▲シテ「其様な結構なお太刀はついに見ました事も御座らず、況て持つた事も御座らぬ、是は御許されませ▲アト「いやいや結構{*2}なとおせあれば迷惑致す、随分粗相な太刀ぢや程に持つておくれあれ▲シテ「是はどう御座らう共御許されませ▲アト「扨はおのれは、諸侍{*3}に一礼まで云はせて、しかとお持ちあるまいか{ト云つて太刀のそりうちつめる此類常の如し}{*4}《笑》是は戯言ぢや、気にかけず共持つておくれあれ▲シテ「あゝお前のお戯言は、こわいおざれごとで御座る▲アト「さあさあおりあれ▲シテ「はあ▲アト「おりあるか▲シテ「参りまする▲アト「是はいかな事、夫は昆布の片荷ぢや、手に持つておくれあれ▲シテ「手があきませぬ▲アト「夫々こちらの手があいてあるぞや▲シテ「是はかう肩をかへる時に要ります▲アト「夫々又こちらの手があく▲シテ「是もかう肩をかゆる時に要ります▲アト「扨は其昆布があるに依つて何のかのとおせある、昆布は身共が買うてやらうぞ▲シテ「夫は忝う御座る▲アト「さあさあ昆布は身共が買うた程に、手に持つておくれあれ▲シテ「畏つて御座る▲アト「さあさあおりあれ▲シテ「はあ▲アト{*5}「おりあるか▲シテ{*6}「参りまする{ト云つて両の手にさし上げて行く}▲アト「是はいかな事、夫は進上太刀の持ちやうぢや、身にひつそへて持つておくれあれ▲シテ「身に引つそへてな▲アト「中々▲シテ「畏つて御座る▲アト「さあさあおりあれ▲シテ「はあ▲アト「おりあるか▲シテ「参りまする▲アト「是はいかな事、身に引つそへといへば、しつかい子をだいた様な持やうを召さる、扨はそなたは真実太刀の持様を知らぬと見えた、ついでながら教えてやらうぞ▲シテ「夫は忝う御座る{是迄シテ太刀をだきたる{*7}様にて、両の手にていだき{*8}居るをアト取つて}▲アト「総じて自身の太刀は左に持つ、主の太刀は右に持つ者ぢや程に、右に持つておくれあれ▲シテ「私はお前のうちの者{*9}では御座らぬ▲アト「うちの者{*10}ではなけれ共、頼む上からぢや程に持つておくれあれ▲シテ「左様ならば斯うで御座るか▲アト「おゝ最前の粗相とは違うて、いかう持振が上つておりある▲シテ「いやさうも御座らぬ、此上はお前のうちの者{*11}のやうに云うて呼ばせられい、答へませうぞ▲アト「夫は過分な、身が遣う者は太郎冠者と云ふ、太郎冠者と云うてよばゞ答へておくれあれ▲シテ「畏つて御座る▲アト「稽古のため、路次すがら呼うでゆかう程に、答へておくれあれ▲シテ「心得ました▲アト「やいやい太郎冠者▲シテ「はあ▲アト「くるか▲シテ「はあ▲アト「ひつ付いてこい{ト云つて笑嬉がる内}▲シテ「扨扨腹の立つ事ぢや、いや致やうが御座る{ト云つて右の肩をぬぎ太刀をぬく}{*12}がつきめやらぬぞ▲アト「あゝ是は何とする▲シテ「何とゝは{*13}最前から身共を種々となぶつたがよいか、たつた一と討にせう▲アト「あゝ先まてまて▲シテ「何とまてとは▲アト「所詮其太刀を汝にもたせて置くに依つてぢや、こちらへかへせ▲シテ「なんのかへせ{ト云つて振上げる}▲アト「あゝあぶないわいやい▲シテ「其おのれがさいて居る一と腰を此方へをこせ▲アト「諸侍が一と腰をはなしてよい者か▲シテ「おのれおこすまいか▲アト「あゝやるわいやいやるわいやい▲シテ「早うおこせ▲アト「そりや{ト云つて小刀{*14}の柄を持つて出す}▲シテ「柄の方と取直しておこせ▲アト「やり様が気に入らずばおかう迄よ▲シテ「早うおこせ▲アト「そりや▲シテ「どりや{ト云つて太刀にて切取り持つて入り、昆布を持つて出て}{*15}やいやい此昆布を売れ▲アト「諸侍が昆布を売つた事はない▲シテ「おのれお売りあるまいか▲アト「あゝ売るわいやい{*16}売るわいやい▲シテ「早う売れ▲アト「扨々気の短いやつぢや、やいやい昆布かへ昆布かへ▲シテ「やいそこなやつ▲アト「何ぢや▲シテ「其様に云うてたが召す者ぢや、昆布召され候へ昆布召され候へ、若狭の小浜のめしの昆布を、召し上げられ候へ召し上げられ候へ、といかにもいんぎんに売れ▲アト「さう売つたらば太刀も刀もかへすか▲シテ「先づ売れ{アトシテの通り云つて売るなり}▲アト「さあさあかへせかへせ▲シテ「何のかへせ▲アト「あゝあぶないわいやいあぶないわいやい▲シテ「今度は謡節に売れ▲アト「売らいで叶はずば売つてきかせ▲シテ「売つてきかせうぞ、昆布めせ昆布めせお昆布めせ若狭の浦の召の昆布若狭の浦のめしの昆布とうれ▲アト「さう売つたらば太刀もかたなも返せ▲シテ「先づ売れ{アトシテの通りに売る}▲アト「さあさあ返えせ返えせ▲シテ「何の返えせ▲シテ「是は何とする▲シテ「今度は浄瑠璃節に売れ▲アト「其様な事は知らぬ▲シテ「知らずは売つて聞かせう、つれてんつれてんてれてれてん▲アト「そりや何ぢや▲シテ「先づ三味線の心得ぢや▲アト「果こびた者ぢやな▲シテ「昆布めせめせめせ、お昆布召せ、若狭の小浜のめしの昆布、つれてんつれてんてれてれてんと売れ▲アト「似はせまいけれ共売つて見ようぞ▲シテ「早う売れ▲アト「つれてんつれてんてれてれてんかうか▲シテ「先づ其様な者ぢや{アト亦売るなりシテの通り同断}▲アト「さあさあ返せ返せ▲シテ「何の返せ▲アト「あぶないわいやいあぶないわいやい▲シテ「今度は踊りぶしに売れ、是も売つて聞かせうぞ▲アト「めいわくな事ぢや▲シテ「昆布召せ昆布召せお昆布めせ、若狭の小浜のめしの昆布めしの昆布、此しやつきしや、しやつきしや、しやつきしやつきしやつきしやと売れ▲アト「心得た{ト云つてシテの通り踊りぶしに売{*17}、シテ面白がりてうつるきようなやつぢや抔{*18}と云つて笑ふ}{*19}さあさあ返せ返せ▲シテ「なんの返せ▲アト「あゝ是は何とするぞいやい▲シテ「二字蒙つた者をいつ迄なぶらうぞ、身共が行く末繁昌と売つたらば太刀も刀も返さうぞ▲アト「夫は誠か{ト云つて常の如くつめる}▲アト「やらやら数しらずの君が御代のよろ昆布や▲シテ「何と悦ぶと、返すまいぞ此太刀、之がほしいか▲アト「夫は身共がのぢや、こちへ返してくれい▲シテ「ならぬぞならぬぞ▲アト「あの横着者やるまいぞやるまいぞ{ト云つて追込入るなり}
校訂者注
1:底本は、「さう(二字以上の繰り返し記号)」。
2:底本は、「結講(けつかう)」。
3:底本は、「諸待」。
4・19:底本、全て「▲アト「」がある(全て略)。
5:底本は、「▲シテ「」。
6:底本は、「▲アト「」。
7:底本は、「たぎだる」。
8:底本は、「いたゞき」。
9~11:底本は、「従者(うちのもの)」。
12・15:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
13:底本は、「何とは」。
14:底本は、「少刀」。
16:底本は、「売るわいや」。
17:底本は、「踊りぶし売」。
18:底本は、「杯」。
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