謀生種(ほうじやうのたね)(二番目)

▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)、山一つあなたに、伯父を一人持つてござる。節々(せつせつ)行き、見舞ひを致すに、異な癖で、嘘の噺を上手に召さるゝ。癖とは申しながら、余り度々騙さるゝ。と存ずれば、腹が立つ。それ故、何とぞ身共も、嘘の噺を作つて、伯父に云ひ勝たう。と存じて、昼夜思案を致いて、やうやうと二つ三つ、嘘の噺を拵へてござる。今日参つて、伯父に云ひ勝つて参らう。と存ずる。いづれ、名誉な人でござる。節々の事ぢやによつて、同じ様な事も云はれさうなものを、つひに似た様な事も申されぬ。さりながら、身共も随分珍しい噺を作つた程に、今度ばかりは負けう。とは存ぜぬ。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。出るも、常の如し。}
▲アト「えい、誰。この中(ぢゆう)は、久しう見えなんだが、何として見えなんだぞ。
▲シテ「されば、その事でござる。私もこの間、富士詣でを致いて、それ故、お見舞ひも申しませなんだ。
▲アト「扨々、それは奇特な事ぢや。何と、道中も賑やかな事か。
▲シテ「中々。道中も賑々しうござり、扨、承つたよりは、大きな山でござる。
▲アト「三国一の名山ぢや。と云ふ程に、さうなうては叶はぬ事ぢや。扨、何も珍しい事はなかつたか。
▲シテ「されば、珍しい事を見ました。まづ、甲斐の国へかゝりまして、扨、富士の裾野に泊まりましたが、何が、大勢の道者でござるによつて、色々の咄を致いてござる。中にも、屈強な若い者が申すは、富士の山に紙袋をきせて見せう。と申しました。その時、皆申すは、扨も扨も、訳もない事を仰(お)せある。あの大山(たいさん)に、何と紙袋がきせらるゝものぢや。と申してござれば、成程、きせて見せう。と申して、大勢の若い者が、まづ両の手足口、この五つ所に竹べらを持つて、続飯(そくい){*1}を練る程に練る程に、少しの間に山の如く、続飯を練つてござる。扨、伊豆・駿河中の紙を取り寄せて、袋を致す事か。と存じてござれば、さはなうて、富士の裾野から、紙に続飯を付けて、ひたもの、上へ継ぎ登りに致して、見て居る内に、富士の山に紙袋をきせてござるが、何と珍しい事ではござらぬか。
▲アト「その様な事も、あるまいとは云はれぬ。又、それより大きな事がある。去年、某が用事あつて江州へ参つた時、近江の湖を茶に立てゝ、呑み干したを見ておりある。
▲シテ「又、嘘を仰せらるゝ。あの湖が、何と茶に立てゝ呑み干さるゝものでござる。
▲アト「まづ、お聞きあれ。湖を茶に立てゝ呑み干さう。と云うて、近江一国の者が集まつて、五畿内より茶の善悪をかまはず、夥(おびたゞ)しう取り寄せて挽く程に挽く程に、刹那が内に、三上山(みかみやま)程引きため、扨、その茶を湖へ打ち込うで、柄の三十間ばかりもある鍬箒を持つて、かき廻しかき廻し、大勢寄つて泡をふつと吹きのけては、づゝと呑み、泡をふつと吹きのけては、づゝと呑み、つひに湖を呑み干した。その時の泡の塊りが、粟津ケ原と云うてあるわ。
▲シテ「扨々、良い加減な事を仰せらるゝ。あれは、木曽義仲の軍(いくさ)物語にある、粟津ケ原でござる。
▲アト「いや、その脇に、新粟津ケ原と云うて、出来ておりある。
▲シテ「それともに、嘘でござる。
▲アト「嘘と思し召さば、今からでも見ておりあれ。
▲シテ「その様に仰せらるれば、是非がござらぬ。私はこの前、播州へ参つた時、播磨の印南野(いなみの)に寝てゐて、淡路島の草を喰うた牛を見ましたが、何と、あの海川山を隔てゝ、淡路島の草を喰ふ。と云ふは、何と大きな牛ではござらぬか。
▲アト「いや。それも、あるまい。とは云はれぬ。某が先年関東へ下つた時、三里四方ある大鼓を見ておりある。
▲シテ「扨々、偽りを仰せらるゝ。尤、胴は、木を曲げてなりとも、継ぎ合(あは)せてなりとも致さうが、三里四方ある大鼓に張る皮がござるまい。
▲アト「さうは仰(お)せあるな。今、そなたの仰(お)せあつた、播磨の印南野に寝てゐて淡路島の草を喰うた牛の皮であつたも、知つてこそ。
▲シテ「南無三宝。又、喰はされた。何を隠しませう、あまりこなたが嘘の噺を上手にせらるゝが憎さに、今日は是非云ひ勝たう。と存じて参つたれども、中々こなたには勝たれませぬ。何として、その様に上手に云はせらるゝぞ。
▲アト「いかないかな。その様な事で、身共には云ひ勝たう。とは、思ひも寄らぬ事ぢや。余人には云はねども、そなたぢやによつて、云うて聞かす。これには、嘘の種がある。
▲シテ「何といふ種でござる。
▲アト「謀生の種といふものぢや。望みならば、一粒やらうか。
▲シテ「どうぞ、一粒下されい。
▲アト「暫くそれにお待ちあれ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「扨々世には、うつけた者がござる。嘘の種をくれい。と申す。さんざんなぶつてやらう。と存ずる。なうなう、謀生の種をやらうぞ。
▲シテ「これへ下され。
▲アト「いや、手へ渡す物ではない。庭に埋(うづ)んで置いた。やらう程に、さあさあ、おりあれ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「扨々、そなたは愚かな人ぢや。その様な事で、中々身共に云ひ勝たう。とは、思ひも寄らぬ事ぢや。
▲シテ「云ひ勝たぬこそ道理なれ。その様な事でござるものを。
▲アト「さりながら、この種を所持すれば、いかなる者にも負くる事ではおりない。
▲シテ「それは、悦ばしい事でござる。
▲アト「これこれ、こゝに埋んで置いた。掘つて見さしませ。
▲シテ「心得ました。
{と云ひて、扇にて掘るなり。仕様、口伝。}
▲アト「あるか、あるか。
▲シテ「こゝにはござらぬ。
▲アト「それそれ。この飛び石の傍(そば)に生(い)けて置いた。こゝを掘つてお見あれ。
▲シテ「こゝでござるか。
▲アト「中々。
▲シテ「心得ました。
{と云ひて、掘るなり。}
▲アト「あるか、あるか。
▲シテ「いゝや、ござらぬ。
▲アト「はて、もそつと深う掘らしめ。
▲シテ「何程掘つてもござらぬ。
▲アト「ないか。
▲シテ「中々。
▲アト「やい、うつけ。
▲シテ「何と、うつけとは。
▲アト「そのないを、則ち、謀生の種と云ふわいやい。
▲シテ「扨は、これも、嘘でござるか。
▲アト「あのやくたいもない。とつとゝ、お行きあれ。
▲シテ「面目もおりない。
{と云ひて、入るなり。又、追ひ込むもあり。その時は、アト、「うつけよ、うつけよ」と云ひて入り、シテは「あの嘘云ひの横着者」と云ひて追ひ込むなり。又、アトを打ちこかし、入りたるもあり。何(いづ)れ、当代工夫し、舞台・留め、然(しか)るべし。但し、アトをシテにすることもあり。}

校訂者注
 1:「続飯(そくい)」は、「飯粒をへら等でつぶして作る糊」。

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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謀生種(ホウジヤウノタネ)(二番目)

▲シテ「此辺りの者で御座る、某山一ツあなたに伯父を一人持つて御座る、せつせつ行き見舞を致すに異な癖{*1}で、うその話しを上手にめさるゝ、くせとは申しながら、余りたびたびだまさるゝと存ずれば腹が立つ、夫ゆへ何卒身共も、うその噺を作つて伯父にいひ勝うと存じて、昼夜思案を致いて、漸と二ツ三ツうその噺を拵へて御座る、今日参ツて伯父にいひ勝つて参らうと存ずる、いづれ名誉な人で御座る、せつせつの事ぢやに依つて、同じ様な事もいはれさうなものを、ついに似たやうな事も申されぬ去ながら、身共も随分珍らしい噺を作つた程に、今度{*2}ばかりは負うとは存ぜぬ、何彼といふ内に是ぢや{ト云て案内乞出るも如常}▲アト「えい誰、此中は久敷う見えなんだが、何として見えなんだぞ▲シテ「されば其事で御座る、私も此間富士詣を致いて、夫ゆへお見舞も申しませなんだ▲アト「偖々夫は奇特な事ぢや、何と道中も賑やかな事か▲シテ「中々道中も賑々敷う御座り、偖承つたよりは大きな山で御座る▲アト「三国一の名山ぢやといふ程に、さうなうては叶はぬ事ぢや、偖何も珍敷い事はなかつたか▲シテ「去れば珍らしい事を見ました、先づ甲斐の国へかゝりまして、偖富士の裾野にとまりましたが、何が大勢の道者で御座るに依つて、色々の咄しを致いて御座る、中にも屈きやうな若い者が申すは、富士の山に紙袋をきせて見せうと申しました、其時皆申すは、偖も偖も訳もない事をおせある、あの大山に何と紙袋がきせらるゝものぢやと申て御座れば、成程きせて見せうと申して、大勢の若い者が、先づ両の手足口此五ツ所に竹べらを持ツて、そくいをねる程にねる程に、すこしの間に山の如くそくいをねつて御座る、偖伊豆駿河中の紙を取よせて袋を致す事かと存じて御座れば、さはなうて、富士の裾野から紙にそくいをつけて、ひた物上へつぎのぼりに致して、見て居る内に富士の山に紙袋をきせて御座るが、何と珍敷い事では御座らぬか▲アト「其様な事も有まいとはいはれぬ{*3}、又夫より大きな事がある去年某が用事あつて江州へ参つた時、近江の湖水を茶に立てゝ呑ほしたを見ておりある▲シテ「又うそを仰せらるゝ、あの水海が何と茶に立てゝ呑ほさるゝもので御座る▲アト「先お聞あれ、水海を茶に立てゝ呑ほさうといふて、近江一国の者があつまつて、五畿内{*4}より茶の善悪をかまはず、夥しう取よせて挽く程に挽く程に、せつなが内に三上山程引ため偖其茶を水海へ打込うで、柄の三十間斗もある鍬箒を持ツて、かきまわしかきまわし、大勢よつて泡をふつと吹のけてはづゝと呑み、泡をふつと吹のけてはづゝと呑み、ついに湖を呑ほした、其時の泡のかたまりが、粟津ケ原といふてあるは▲シテ「偖て偖てよい加げんな事を仰せらるゝ、あれは木曽義仲の軍物語にある粟津ケ原で御座る▲アト「いや其脇に新粟津ケ原といふて出来て{*5}おりある▲シテ「夫共にうそで御座る▲アト「うそと思召さば、今からでも見ておりあれ▲シテ「其様に仰らるれば是非が御座らぬ、私は此前、播州へ参ツた時、播磨の印南野に寝てゐて、淡路島の草を喰ふた牛を見ましたが、何とあの海川山を隔て、淡路島の草を喰ふといふは、何と大きな牛では御座らぬか▲アト「いや夫もあるまいとはいはれぬ、某が先年関東へ下ツた時、三里四方ある大鼓を見ておりある▲シテ「偖々偽りを仰らるゝ、尤胴は木をまげてなり共つぎ合てなり共致さうが、三里四方ある大鼓に張る皮が御座るまい▲アト「さうはおせあるな、今そなたのおせあつた、播磨の印南野に寝てゐて、淡路島の草を喰うた牛の皮で有つたも知ツてこそ▲シテ「南無三宝又くわされた、何をかくしませう、あまりこなたがうその噺を上手にせらるゝが憎さに、今日は是非いひ勝うと存じて参ツたれ共、中々こなたにはかたれませぬ、何として其様に上手に云はせらるゝぞ▲アト「いかないかな、其様な事で身共にはいひ勝うとは思ひもよらぬ事ぢや、余人にはいはねども、そなたぢやに依つていふて聞かす、是れにはうその種がある▲シテ「何といふ種で御座る▲アト「謀生の種といふ物ぢや、望ならば一粒やらうか▲シテ「どうぞ一粒下されい▲アト「しばらく夫におまちあれ▲シテ「心得ました▲アト「偖々世にはうつけた者が御座る、うその種をくれいと申すさんざんなぶつてやらうと存ずる、なうなう謀生の種をやらうぞ▲シテ「是へ下され▲アト「いや手へ渡す物ではない、庭に埋んで置いたやらふ程にさあさあおりあれ▲シテ「心得ました▲アト「偖々そなたは愚な人ぢや、其様な事で中々身共にいひ勝うとは思ひもよらぬ事ぢや▲シテ「いひかたぬこそ道理なれ、其様な事で御座るものを▲アト「去ながら此種を所持すれば、いかなる者にも負くる事ではおりない▲シテ「夫は悦ばしい事で御座る▲アト「是々爰に埋んでおいた掘{*6}ツて見さしませ▲シテ「心得ました{ト云て扇にて掘{*7}なり仕様口伝}▲アト「あるかあるか▲シテ「爰には御座らぬ▲アト「夫々此飛石のそばにいけておいた、爰を掘{*8}ツてお見あれ▲シテ「爰で御座るか▲アト「中々▲シテ「心得ました{ト云てほる也}▲アト「あるかあるか▲シテ「いゝや御座らぬ▲アト「果もそつと深うほらしめ▲シテ「何程掘{*9}つても御座らぬ▲アト「ないか▲シテ「中々▲アト「やいうつけ▲シテ「何とうつけとは▲アト「其ないを則ち謀生の種といふわいやい▲シテ「偖は是もうそで御座るか▲アト「あのやくたいもない、とつとゝおゆきあれ▲シテ「面目もおりない{ト云て入なり亦追込もあり其時はアトうつけようつけよと云て入シテはあのうそ云の大ちやく者と云て追込なり又アト{*10}を打こかし入たるもあり何れ当代工夫舞台留め可然但しアトをシテにすることもあり}

校訂者注
 1:底本は、「僻」。
 2:底本は、「此度(こんど)」。
 3:底本は、「いなれぬ」。
 4:底本は、「五幾内(きない)」。
 5:底本は、「出来で」。
 6~9:底本は、「堀(ほ)」。
 10:底本は、「あと」。