庵の梅(いほりのうめ)(二番目)

{庵の作り物出し、大小の前に直す。直(すぐ)に次第。但し、シテ、庵中へ入りて出る。}
▲女「{*1}雪間の風も春なれや、雪間の風も春なれや。梅の匂ひを尋ねん。
これは、住吉(すみよし)の里に住む女にて候ふ。辺り近き庵に、お寮様がござる。その庵に、美しい梅の花が盛りぢや。と申す。友達の舞女を語らひ、お寮の庵へ参らばや。と思ひ候ふ。
▲アト「{*2}住み馴れし、角(すみ)に雀の巣をかけて、角に雀の巣をかけて、さこそ雀も住吉の、松にはあらで梅が枝の、庵の軒に着きにけり。
何かと申す内に、これでござる。柴の戸がさしてござる。何と致しませう。
▲立二「いやいや。由(よし)あるお寮様と聞いてござる。暫く御機嫌を見合(みあは)せたらば、良うござらう。
▲アト「これは、げにもでござる。それならば、暫し、かう寄らせられい。
▲立衆「心得ました。
▲シテ「{*3}世に遠く遁れ果てぬる宿りにも、春だにくれば梅の花、人待ち顔に咲く故に、昔に帰る心かな。
▲アト「さればこそ、お声が聞こえますれ。まづ、案内を申しませう。
▲立衆「良うござらう。
▲アト「いかに、御寮様。御内(みうち)にござりますか。
▲シテ「この庵の外面(とのも)に音するは、誰(た)そら。
▲女「これは、住吉の里の者でござる。お庭の梅が盛りと聞きまして、大勢、花見に参りましてござる。何とぞ、見せて下されい。
▲シテ「佗しきお寮が庵、恥づかしや、恥づかしや。外から見て、とう帰らしめ。
▲アト「遥々(はるばる)参り、殊に竹筒(さゝえ)なども用意致してござる。只、お情(なさけ)に、少し見せて下され。
▲シテ「よしよし。何かと云へば、おくがましい。どりあどりあ、戸をあけませう。おゝ、腰痛(こしいた)や。ざらざらざら。扨も扨も、大勢の御寮(ごりよん)たちや。良うござつたなう、良うござつたなう。さあさあ、かう通らせられい。
▲アト「何(いづ)れも、ござれ、ござれ。扨も扨も、聞き及びましたより、見事でござるなう。
▲立二「これは、玉の緒の絶ゆる事はあらぬ。と思ふ程の、慰みでござる。
▲立三「心が伸び伸びと致して、浮き立つ様にござる。
▲シテ「以前は見事に咲きましたが、今は年が寄つて、梅の花も、あまりあつあつとは咲きませぬ。その筈でござる。お寮が年と、この木とが同じ年でござる。木も老い、又、お寮が腰も屈(こゞ)みました。
▲アト「いやいや。見事に咲いた梅が枝でござりまする。
▲シテ「まづ、ゆるゆると遊ばせられい。お寮も今日(けふ)は、共に遊びませう。何と、口ずさみもござらぬかの。
▲アト「恥づかしながら、かうも申されませうか。
▲シテ「どれどれ。扨も、優しや、優しや。面白う遊ばした。
▲立二「これも、御覧なされて下され。
▲立三「その序(ついで)に、妾(わらは)もお目にかけませう。
▲シテ「やれやれ。何(いづ)れも、しほらしう、よう遊ばした。いざ、梅が枝に付けませう。
▲アト「それは、許されたうござる。
▲シテ「それは、何(いづ)れもお引け{*4}でござらう。梅の花に、猶更勢ひが増して、面白うござる。
▲立頭「いざ、竹筒を開かせられい。
▲立「妾(わらは)、お酌に立ちませう。
▲アト「一段と良うござらう。
▲立「お寮様、お始めなされませ。
▲シテ「お志ぢや。お寮が始めませう。これは、あいたてない盃でござる。扨も、良い九献(くこん)やの、良い九献やの。念が入つたやら、おいしい酒(さゝ)でござる。御寮(ごりよん)達へ、上げませう。
▲アト「頂きませう。
▲シテ「ちと、諷(うた)はせられい。皆、殿達の好かせらるゝ程あつて、酒盛りは、面白い事でござるなう。
▲アト「お寮様へ上げませう。
▲シテ「これへ下され。
▲アト「たべよごしてござる。
▲シテ「扨、この内に、舞を舞はせらるゝお方があらう。ひとさし、舞はせられい。
▲立頭「さあさあ、舞はせられい。
▲立二「それならば、舞ひませうか。
▲シテ「上手やの、上手やの。扨も、面白い事の。さりながら、今のはあまり短うござつて、見足りませぬ。もそつと長い事を、連れ舞にさせられい。
▲立「それならば、此方(こなた)と連れ舞に致しませう。
▲立「心得ました。
▲シテ「どれもどれも、器用な姫御前(ひめごぜ)達や。このお肴で、妾もひとしほ給(た)べませう。今のお骨折りに、さしませう。
▲立「頂きませう。
▲アト「近頃申しかねましたが、お寮様も、ひとさしお舞ひなされて下されい。
▲シテ「恐ろしや、恐ろしや。このお寮は、舞とやらは、夢にも知り候はぬ。
▲アト「いやいや。舞はせられぬ。といふ事は、ござるまい。是非とも御所望でござる。
▲シテ「その様に仰せらるれば、嫌とも云はれず。酒(さゝ)にも酔うた程に、昔を思ひ出して、舞ひませう。何(いづ)れも、地を諷うて下されい。
▲立「心得ました。
▲立「良いや、良いや。
▲シテ「恥づかしや、恥づかしや。このお寮が舞を舞うたと、人に云うて下さるゝなや。
▲アト「おしほらしい事でござりました。
▲シテ「何の、しほらしい事がござらう。
▲アト「扨、日も西に傾きました。何(いづ)れも、お暇申しませう。
▲シテ「何(いづ)れ、日が暮れては、女中ばかり帰らせらるゝは、怖からう。ともかくも遊ばせ。どれどれ、お土産(みや)を上げませう。
▲アト「夥(おびたゞ)しうお土産を下されて、忝うござる。
▲シテ「腰が屈(かゞ)うで、上へは手が届かぬ。皆寄つて、枝を折らせられい。
▲立「それならば、皆貰ひませう。
▲アト「わやんな{*5}事をさせらるゝな。
▲シテ「{*6}盃の。
▲立衆「巡る日影や梅の花。今日(けふ)の名残を惜しむらん。
▲シテ「とりどり梅のかざしゝて、とりどり梅のかざしゝて、殿子を持たぬ酒宴には、三々九度の名も可笑しうて、汲み交はす酒の、色に酔ひし花に酔ひして日も傾けば、お暇申さんと云ふ人心、へつらひもなく、人の心にへつらひもなくて、眠蔵(めんざう)にぐすと入(はい)りけり。

校訂者注
 1:底本、ここから「梅のにほひを尋ん」まで、傍点がある(。但し底本、「これは住吉の里に住む女にて候」にも傍点がある)。
 2:底本、ここから「庵の軒に着にけり」まで、傍点がある。
 3:底本、ここから「昔に帰る心かな」まで、傍点がある。
 4:「お引け」は、不詳。
 5:「わやんな」は、不詳。或いは「わやくな(無理な)」の転か。
 6:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.

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庵の梅(イホリノウメ)(二番目)

{庵の作り物出大小の前になをす直に次第但シテ庵中ゑ入て出る}▲女「雪間の風も春なれや雪間の風も春なれや梅のにほひを尋ん、是は住吉の里に住む女にて候、あたり近き庵りにお寮さまが御座る、其庵に美しい梅の花が盛ぢやと申す、友達の舞女をかたらひ、おりやうの庵へ参らばやと思ひ候▲アト「住馴しすみに雀の巣をかけて住馴しすみに雀の巣をかけてさこそ雀も住吉の松にはあらで梅が枝の{*1}庵の軒に着にけり{*2}何かと申す内に是で御座る、柴の戸が{*3}さして御座る、何と致しませう▲立二「いやいやよしあるお寮様と聞て御座る、暫く御機嫌を見合せたらばよう御座らう▲アト「是は実もで御座る、夫ならばしばしかうよらせられい▲立衆「心得ました▲シテ「世に遠くのがれ{*4}果ぬる宿りにも春だにくれば梅の花人待顔に咲ゆへに昔に帰る心かな▲アト「去れば{*5}こそお声が聞へますれ、先づ案内を申しませう▲立衆「よう御座らう▲アト「いかに御寮様御内に御座りますか▲シテ「此庵りの外面に音するはたそら▲女「是は住吉の里の者で{*6}御座る、お庭の梅が盛りと聞きまして、大勢花見に参りまして御座る、何卒見せて下されい▲シテ「佗敷きお寮が庵、はづかしやはづかしや、外から見てとう帰らしめ▲アト「はるばる参り、殊にさゝゑ抔{*7}も用意致て御座る、唯おなさけに少しみせて下され▲シテ「よしよし何かといへばおくがましい、どりあどりあ戸を明ませう、おゝ腰いたや、ざらざらざら、扨も扨も大勢の御りよんたちや、よう御座つたのふよう御座つたのふ、さあさあかう通らせられい▲アト「何れも御座れ御座れ、偖も偖も聞き及びましたより、見事{*8}で御座るのふ▲立二「是は玉の緒のたゆる事は、あらぬと思ふ程の慰みで御座る▲立三「心がのびのびと致して、浮き立つやうに御座る▲シテ「以前は見事{*9}に咲きましたが、今は年が寄つて梅の花も、あまりあつあつとは咲きませぬ、其筈で御座る、おりやうが年と此木とが同じ年で{*10}御座る、木も老い又お寮が腰も屈みました▲アト「いやいや見事に咲た梅が枝で{*11}御座りまする▲シテ「先づゆるゆると遊ばせられい、おりやうもけふは共に遊びませう、何と口ずさみも御座らぬかの▲アト「恥しながらかうも申されませうか▲シテ「どれどれ、偖もやさしややさしや、面白う遊ばした▲立二「是も御覧被成て下され▲立三「其序に妾もお目にかけませう▲シテ「やれやれ何れもしほらしうよう遊ばした、いざ梅が枝{*12}に付けませう▲アト「夫はゆるされたう御座る▲シテ「夫は何れもおひけで御座らう、梅の花に猶更勢ひが増して{*13}面白う御座る▲立頭「いざ竹筒をひらかせられい▲立「わらわお酌に立ちませう▲アト「一段とよう御座らう▲立「おりやう様お始め被成ませ▲シテ「お志ぢや、お寮が始めませう、是はあいたてない盃で御座る、偖も良いくこんやのくこんやの、念が入つたやらおいしいさゝで御座る、御りよん達へ上ませう▲アト「いたゞきませう▲シテ「ちと諷はせられい、皆殿達のすかせらるゝ程有つて酒盛{*14}は面白い事で御座るのふ▲アト「お寮様へ上げませう▲シテ「是へ下され▲アト「たべよごして{*15}御座る▲シテ「偖此内に、舞をまはせらるゝお方が{*16}有らう一とさし舞はせられい▲立頭「さあさあ舞はせられい▲立二「夫ならば舞ひませうか▲シテ「上手やの上手やの、偖も面白い事の、去ながら、今のはあまり短う御座つて見足りませぬ、最そつと長い事を連舞にさせられい▲立「夫ならば{*17}此方とつれ舞に致しませう▲立「心得ました▲シテ「どれもどれもきような姫御前達や、此お肴でわらはも一入給べませう、今のお骨折にさしませう▲立「いたゞきませう▲アト「近頃申かねましたが、お寮様も一とさしお舞被成て下されい▲シテ「恐ろしや恐ろしや、此おりようは舞とやらは、夢にも知り候はぬ▲アト「いやいやまはせられぬと云ふ事は御座るまい、是非共御所望で御座る▲シテ「其様に仰せらるればいやともいはれず、さゝにも酔うた程に、昔を思ひ出して舞ませう、何れも地を諷うて下されい▲立「心得ました▲立「よいやよいや▲シテ「恥しや恥しや、此お寮が{*18}舞をまうたと、人に云ふて下さるゝなや▲アト「おしほらしい事で御座りました▲シテ「何のしほらしい事が御座らう▲アト「偖日も西に傾きました、何れもお暇申しませう▲シテ「いづれ日が暮れては、女中ばかり{*19}帰らせらるゝはこわからう、兎も角も遊ばせ、どれどれおみやを上げませう▲アト「夥敷うお土産を下されて忝う御座る▲シテ「腰がかごうで上へは手がとゞかぬ、皆よつて枝をおらせられい▲立「夫ならば{*20}皆もらひませう▲アト「わやんな事をさせらるゝな▲シテ「盃の▲立衆「めぐる日影や梅の花、けふの名残を惜むらん▲シテ「とりとり梅のかざし{*21}して、とりとり梅のかざしして、殿子をもたぬ酒宴には、三々九度の名も可笑て{*22}、汲かはす酒の、色にゑいし花にゑいして日もかたむけば、お暇申さんといふ人心へつらいもなく、人の心にへつらいもなくて、めんそうにぐすとはいりけり

校訂者注
 1・12:底本は、「梅か枝」。
 2:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
 3:底本は、「柴の戸か」。
 4:底本は、「のかれ」。
 5:底本は、「去れは」。
 6:底本は、「者て」。
 7:底本は、「杯」。
 8・9:底本は、「美事(みごと)」。
 10:底本は、「年て」。
 11:底本は、「梅が枝て」。
 13:底本は、「勢ひか増まして{」。
 14:底本は、「酒宴(さかも)り」。
 15:底本は、「給へよごして」。
 16:底本は、「お方か」。
 17・20:底本は、「夫ならは」。
 18:底本は、「此お寮か」。
 19:底本は、「女中はかり」。
 21:底本は、「梅のかさし」。
 22:底本は、「お可笑て」。