六人僧(ろくにんそう)(二番目 三番目)
▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)、後世(ごせ)一大事と存ずるによつて、諸国仏詣の大願を起こしてござる。外に二人、同行がござる。かねて今日、出立の筈に契約致いた。誘ひ合うて、直(すぐ)に旅立を致さう。と存ずる。誠に、この世はわづかの事でござる。永い来世を安楽に致したう存じて、かやうに思ひ立つてござる。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。アト、一人出る。常の如し。}
私でござる。
▲アト「ゑい、こゝな。これは、いかうお早うござつた。
▲シテ「お拵へが良うござらば、同道致して、誰殿へ誘ひに参りませう。
▲アト「いや、最前からこれへ来て、待つてゐられまする。なうなう、誰殿。何某(なにがし)殿が見えました。
▲小アト「これは、お出でござるか。
▲シテ「さぞ、お待遠にござらう。
▲小アト「左様にもござらぬ。
▲シテ「追つ付け参らう。さあさあ、ござれ。
▲二人「心得ました。
▲シテ「扨、只今もひとり言に申してござる。現世は暫くの事でござる。未来往生極楽のため、かやうに諸国を巡ると申すは、ありがたい事でござる。
▲アト「中々。三人の者どもは、一蓮托生疑ひない事でござる。
▲小アト「いづれ三人ともに、仏意に相叶うた。と申すものでござる。
▲シテ「この上は、かりにも怒る心などは、持たぬが良うござる。
▲アト「それは、凡夫でござるによつて、かう参る道すがらも、心安だてに戯言(ざれごと)などを申すまいものでもござらぬ。互に、心にかけぬが良うござる。
▲小アト「とかく、何事でも随分堪忍して、腹を立てぬ様にしませう。
▲シテ「いかさま、これは尤でござる。さりながら、誰殿の云はせらるゝ通り、凡夫の事なれば、何程嗜うだりとも、戯言を云ふまいものでもなし、もとより腹を立てまいものでもござらぬ。たとへ、どの様な事なりとも、腹を立てまい。といふ誓ひを立てませう。
▲アト「これは、一段と良うござらう、なう。
▲小アト「なるほど、誓ひを立てませう。
▲シテ「それならば、もし私が腹を立てたらば、忽ち口がとぢついて、唖(おし)になる法もあれ、腹を立てますまい。
▲アト「某は、もし腹を立てたらば、目が潰れて盲目となる法もあれ、腹を立てますまい。
▲小アト「身共が腹を立てたらば、腰が抜けて一生立居のならぬ法もあれ、腹を立てますまい。
▲シテ「ありがたい事でござる。さあさあ、ござれ。
▲二人「心得ました。
▲シテ「とにかくに、三人の者どもは、弥陀弘誓の舟に打ち乗つて苦の海を離れ、彼(か)の岸に到らん事は、今の間の事でござる。
▲アト「仰せの通り、只頼もしいは、仏の本願でござる。
▲小アト「結構な身の上になりました。
▲シテ「扨、今朝から余程の道でござる。この辻堂に、ちと休みませう。
▲アト「良うござらう。休ませられい。
▲小アト「いざ、休みませう。
▲シテ「朝早う出た故、殊の外眠たうなりました。ちと横になりませう。
▲アト「何(いづ)れ日限を定めて、いつの幾日(いつか)に行かねばならぬといふ旅ではなし、身共も横になりませう。
▲小アト「これは、良うござらう。
▲シテ「扨も、楽やの、楽やの。心がゆるりとなりました。
▲アト「一物(いちもつ)も胸の内にござらぬによつて、横になつたれば、心が清(す)んで、眠たうござらぬ。
▲アト「一物(いちもつ)も胸の内にござらぬによつて、横になつたれば、心が清(す)んで、眠たうござらぬ。
▲小アト「目が覚めました。
▲アト「誰殿は物を云はれぬが、寝入られたか。誰殿、誰殿。
▲小アト「いかさま、これは寝入られたさうな。その様にゆるりとしてはならぬ。起こしませう。
▲アト「起こしませう。誰殿、誰殿。
▲小アト「目が覚めませぬか。
▲アト「暫くの内に、強う寝入り込うだ。誰殿、誰殿。いかないかな、ゆすつても抱へても、目があきませぬ。
▲小アト「帋捻(こより)をして鼻の穴へ入れて、嚏をさせて目を覚まさせませうか。
▲アト「まづ、待たせられい。きやつが鬢(びん)の髪を剃り落として、坊主にせう。
▲小アト「これは、興(きよう)がつた事を云はつせある。その様な事をしたらば、目を覚まして、良いとは云ふまいぞ。
▲アト「いや、そのために最前、腹を立てまい。といふ誓ひを立てゝ置いた。物の試しに、とかく剃つて見よう。
▲小アト「いや、身共はあまり、同心にないぞよ。
▲アト「さあさあ、手伝うてたもれ。
▲小アト「これは、強戯言(こはざれごと)ぢやぞや。
{と云ひて、笑止がりながら、手伝ふなり。頭巾歪めて、片鬢出し、きせて置く。}
▲アト「気の弱い事を云はずとも、手伝はしめ。
▲小アト「あまり、むごい事ぢや。
▲アト「まづ、片鬢は剃つた。どうど寝返りをさせねば、下の方が剃られぬ。
▲小アト「いや、耳の穴へ水を入るれば、寝返りをするであらう。いざ、水を入れて見さしめ。
▲アト「これは、面白い事を仰(お)せある。水を取つて来て、入れう。
{と云ひて、扇をひろげ、水を汲む心にて、扨、耳へ水を入れる体(てい)をする。シテ、うなり、寝返りする。ちやつと二人とも寝る。}
▲アト「これは、一段の首尾ぢや。さあさあ、この方も剃らう。
{と云ひて、頭巾を真直にきせる。肩衣とり、腰帯を残し、十徳きせるなり。}
▲アト「うまうまと剃つた。この上は、きやつがひとり目をあくまで、寝てゐよう。
▲小アト「一段と良からう。
▲アト「必ず寝入つた様にしてゐさしめ。
▲小アト「心得た。
{と云ひて、二人とも寝る。}
▲シテ「扨も、よう寝た事かな。これはいかな事。両人の衆も、よう寝てゐらるゝ。晩の泊りまでは、余程の道ぢや。起こして道を急がう。なうなう。二人とも、もはや起きさしめ、起きさしめ。
▲アト「扨も、よう寝た事かな。
▲小アト「たつたひと寝入りにした。
▲シテ「身共もひと寝入りにしました。
▲アト「わあ、そなたは、いつの間に法体をした。
▲シテ「何の事ぢや。
▲小アト「これはいかな事。まづ、つむりを撫でゝ見さしめ。
▲シテ「わあ。これは、いつの間に誰がした。いや、そなた衆の顔付きが、合点が行かぬ。扨は、そなた衆がおしあつたか。
▲アト「これは、迷惑ぢや。身共はかつて知らぬ。
▲小アト「某も、たつたひと寝入りにして、夢にも知らぬ。
▲シテ「そなた衆が知らいで、誰が知るものぢや。
▲アト「よし、身共等がしたにもせよ、何事でも腹を立てまい。といふ誓を立てたれば、堪忍を召されたが良い。
▲シテ「これが、何と堪忍がなるものぞ。もはや、生きても死んでもぢや、堪忍致さぬぞ。
▲アト「腹を立てまい。と云うて、誓ひをお立ちあつたを、お忘れあつたか。
▲シテ「誠に、これには困つた。何も腹は立てまい。さりながら、身共一人この様になつては、何とやら隔心な。身共はひとまづ故郷へ戻らう。両人ばかり、仏詣して来さしめ。
▲アト「気の毒なれども、後生の道に、何も遠慮はない。身共らは行く程に、随分息才で居さしめ。
▲シテ「残り多いが、これで別れるぞ。
▲二人「かう行くぞ。
▲三人「さらば、さらば。
▲アト「さあさあ、おりあれ。高野山へは、もそつとぢや。道を急がしめ。
▲小アト「心得た、心得た。
{と云ひて、楽屋へ入る。}
▲シテ「何程誓ひを立てゝも、こればかりは堪忍がならぬ。故郷へ戻つて、致し様がある。誠に、胴欲な事をしをつた。さりながら、今に思ひ知らせうぞ。首尾良うし果(おほ)すれば良いが。何かと云ふ内に、在所ぢや。則ち、誰が留主へ案内を乞はう。
{と云ひて、案内乞ふ。女、楽屋より出る。}
▲女「表に聞き馴れた声で案内がある。案内とは誰(た)そ。
▲シテ「身共でおりある。
▲女「これはいかな事。そなたは様を変へさせられて、何として、戻らせられた。
▲シテ「存じも寄らぬ事で、戻つた。扨、誰の内儀を、どうぞ呼びにやつて下され。
▲女「幸ひ、妾(わらは)を見舞ひに、この方へ参つて居られまする。
▲シテ「それならば、これへお出である様に、云うて下され。
▲女「心得ました。なうなう、誰殿のかみ様。これへ出させられい。
▲二女「何事でござる。
▲女「変つた人が見えました。まづ、出させられい。
▲二女「わあ。そなたは、何として様(さま)を変へて戻らせられた。
▲シテ「今更、そなた衆に仔細を云ふも面目ないが、云はねば済まぬ事ぢや。云はう程に、必ず心をはつたりとして、聞いてたもれ。
▲女「どうやら心元ない様子ぢや。まづ、早う様子を仰せられい。
▲シテ「この度、三人云ひ合せて、修行の旅に趣く所に、高野の道に、紀の川といふ大河がある。三人、手と手を組み合うて渡つたが、身共は俄(には)かに胸騒ぎがして、渡りかねて後(あと)へ戻つた内に、俄かに瀬が変つて、水が高う早うなつて、二人の衆は、石がすべり足が立たいで、一間ばかり泳いで見たれども、難なく転んで、瓜などの流るゝ様に、ころりころりと、浮きぬ沈みぬ、つひに姿が見えぬ。某も同行に別れ、生きては居られぬ。ともに川へ飛び込まう。としたれども、いやいや、こゝは大事の所ぢや。この様子を、せめてそなた衆に、身共ならで知らす者はない。某ともに死んだらば、わごりよ達の迷ひにならう。と思うて、面目ない命を永らへて、戻つた事でおりある。
▲女「これは、興のさめた事を聞きました。それは、定(ぢやう)でござるか。
{と云ひて、泣く。}
▲二女「扨も扨も、いとしい事をしました。旅立に暇乞ひをしたが、一生の別れになりました。
▲シテ「尤ぢや、尤ぢや。
{と云ひて、空泣きする所、隠し笑ひ、色々あるべし。}
泣け、泣け。
▲女「もはや、身も世もあられぬ事ぢや。この奥の淵へ身を投げて、死にませう。
▲二女「妾も、永らへる心はござらぬ。ともに手を引き合うて、死にませう。
▲シテ「まづ、お待ちあれ、扨も扨も、そなた衆は、うろたへた事を云ふ。汝衆が今死んで、両人の後(あと)は、誰が弔ふものぢや。この上は、両人ともに尼になつて、夫(をつと)の菩提を弔はう。とは、思はしませぬか。
▲女「これは、そなたの云はるゝ通り、こち衆が身を投げたと云うて、あの衆が活(い)き返る事もござるまい。妾は尼になりませう。
▲二女「妾も一緒に姿を変へませう。
▲シテ「それは、良い合点ぢや。云うても某は、仏の姿になつてゐる者ぢや。某が、両人の髪をおろしてやらう。これへ寄らしめ。
{大小の前にて尼にする。但し、美男(びなん)の上に、花の帽子きせる。}
奇特に思ひ立たれて、殊勝にこそあれ。両人の鬢(びん)の髪を、これより直(すぐ)に、高野山へ納めて来て進ぜう。やがて帰るまで、息災でゐさせられい。
▲女「御苦労でござる。やがて戻らせられい。
▲シテ「心得ました。
{二人の女、楽屋へ入る。}
ざつと済んだ。又、致し様がある。両人の者が後(あと)を慕うて参らう。大方、高野山に逗留して、やうやう麓へ下る時分ぢや。何とぞ逢ひたいものぢやが。
▲アト「さあさあ、ござれ。話に聞いたより、高野山は結構な事でござる。
▲小アト「誠に、ありがたいお山でござる。
▲シテ「ゑい。これは、良い所で逢うた。
▲アト「そなたはどれへ行く。
▲シテ「そち衆に別れて、在所へ行(い)たらば、興(きよう)がつた事があつた程に、迎へがてら、日数(ひかず)を込めて来た。追つ付け、語つて聞かせう。
▲アト「心元ない。早う語らしめ。
▲シテ「この度、そち衆や身共が仏詣する。と云ふは嘘で、三人ともに、心良しを拵へて置いて、それらを連れて上方へ上り、昼夜遊山して、三人の女房は置き去りに出合うた。と、誰云ふともなく讒言(ざんげん)をした者がある。第一、某の妻が腹を立て、夜に日を継いで上方へ尋ね上つたげな。又、わごりよ達両人の妻は、とかくこの世では思ふ様にならぬ。自害して、蛇身となつてそち等を取り殺さう。と云うて、狂ひ死にゝ両人刺し違へて、お死にあつたわ。
▲アト「こゝな者は、身共らに坊主にしられた意趣返しに、悪口を云ふとも、欺(だま)さるゝ事ではないなあ。
▲小アト「おゝ。その様な事を云うても、驚く事ではないぞ。
▲シテ「疑ふは、尤ぢや。真(ま)つかうあらう。と思うて、証拠のため、両人の髪を取つて来た。これを見さしめ。
▲アト「どれどれ。誠に、この赤い所の交つたは、女共の髪ぢや。
▲小アト「いか様(さま)、この縮んだ髪は、某が女共の髪に違ひはない。これは、不憫な事ぢや。
{と云ひて、泣く。アトも泣くなり。}
▲アト「さぞ、某を恨むるであらう。はかない浮世とはいひながら、正真の夢といふは、この事ぢや。
{と云ひて、二人泣く。}
▲シテ「尤ぢや、尤ぢや。
{と云ひて、空泣きする。隠し笑ひ、色々あるべし。}
悔やむ所は尤なれども、よう思案を召され。某が女共は、この世に居るによつて、尋ね出し、この姿を見せて、委細を話して聞かせばざつと済むが、そち衆の内儀は死んだによつて、蛇身となつて仇(あだ)をするに極(きは)まつた事ぢや。左様に迷ふ所が不憫な。両人ともに出家して、二人の女の後を弔うてやらしませ。
▲アト「いづれ、この度は後生の道に入らう。と思うて出た事ぢや。則ち、菩提の種として、某は出家致さう。
▲小アト「身共とても、その通りぢや。共に出家して、仏道に入りませうぞ。
▲シテ「それならば、いよいよ三人、同行にならう。扨、髪は身共が剃つてやらう。これへ寄らしめ。
▲二人「心得た。
{大小の前にて、二人ともに剃る体(てい)をして、頭巾きせ、肩衣取り、十徳を二人とも着る。相応のしかじか云ふ。「呂蓮」の心に同じ。色々あり。工夫して云ふ。}
▲シテ「両人ともに、良う似合うた。
▲アト「扨、この鬢の髪は、夫婦ともに高野の山へ納めう。と思ふが、何とあらう。
▲小アト「一段と良からう。
▲シテ「身共が思ふは、まづ在所へ戻つて、銘々のお頼みある寺へ行(い)て、内儀達の墓処へ一つに葬つたらば、良からう。
▲アト「これは、尤ぢや。その通りにせう。
▲小アト「いかにも、それが良からう。
▲シテ「さあさあ、来さしめ。
▲二人「心得た。
▲シテ「誠に、両人の衆は、妻に別れて力落としであらう。これと云ふも、ひとへに仏の御催促ぢや。と思はしめ。
▲アト「何(いづ)れ、何としても煩悩は已(や)み難(がた)い愚痴の凡夫ぢやによつて、かやうの事であらう。
▲小アト「さうさへ思へば、いよいよ御本願がありがたうおりある。
▲女「今日(けふ)も又、お寺へ参つて法事を致しませう。
▲二女「一段と良うござらう。
▲女「さあさあ、ござれ。
▲二女「心得ました。
▲シテ「いや、両人の衆。どれへ行かします。
▲アト「そなた衆は、生きて居るか。
▲女「そなた衆も、生きてゐさせらるゝか。
▲シテ「やつと、参つたの。
▲アト「こゝなやつは。よう騙したな。
▲女「憎うはあれども、そなた衆の顔を見て、悦びまする。
▲アト「四人の者に、肝をつぶさせをつた。おのれ、只置かうと思ふか。
▲シテ「こりやこりや。腹を立てまい。と云うて、恐ろしい誓ひを立てゝ置いたではないか。
▲小アト「それは、事によつたものぢや。
▲シテ「罰(ばち)が恐ろしうなくば、存分にせい。
▲アト「これこれ、そなた衆。あの者の内へ行(い)て、女房が内に居るならば、連れて来さしめ。
▲小アト「何とさつせある。
▲アト「腹いせに、きやつを尼にせう。
▲シテ「身共は誓ひを立てたによつて、どの様な事をしても腹は立たぬ。
▲女「さあさあ、行きませう。
▲二女「心得ました。
▲三女「なうなう。皆、待たせられい、待たせられい。
▲アト「やあ、これはどうぢや。
▲三女「最前から、様子を聞きました。妾も、かねて後生の道に入りたう思ひまして、この姿になりました。必ず必ず、互に堪忍をさせられい。
▲シテ「まづ、放さしめ。これも、ひとへに仏の御方便ぢや。この上は、三人の尼は勝手次第に修行を召され。こち衆三人は、いよいよ同行になつて、西国・四国・坂東八ケ国の霊仏を巡つて拝まう。と思ふが、何とあらうぞ。
▲アト「これは、一段と良からう。
▲シテ「早(はや)、これまでぞ。お暇申す。
▲尼三人「あら、名残惜しや。
▲シテ「こなたも名残り惜しけれども、あの日を御覧(ごらう)ぜ。
▲五人「{*1}山の端にかゝつた。
▲シテ「西方に落日紅(くれなゐ)。
▲六人「我らを助けてたび給へと、只一念に南無阿弥陀仏、只一心に南無阿弥陀仏、念仏申して別れけり。
{と云ひて、留めて入るなり。節にかゝると、三人の女、大小の前に立ちて居る。シテは、シテ柱より真中にて留める。右六義の外、文句・仕方、別にあり。口伝。}
校訂者注
1:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。
底本:『和泉流狂言大成 第四巻』(山脇和泉著 1919年刊 国会図書館D.C.)
六人僧(ロクニンソウ)(二番目 三番目)
▲シテ「此あたりの者で御座る、某後世一大事と存ずるに依つて、諸国仏詣の大願をおこして御座る、外に二人同行が御座る、予て今日出立の筈に契約致いた、誘ひ合うて直に旅立を致さうと存ずる、誠に、此世はわづかの事で御座る、永い来世を安楽に致したう存じて、斯様に思ひ立つて御座る、何彼といふ内に是ぢや{ト云て案内乞アト一人出る如常}{*1}私で御座る▲アト「ゑい爰な、是はいかうお早う御座つた▲シテ「お拵が{*2}よう御座らば同道致して、誰殿へ誘ひに参りませう▲アト「いや最前から是へ来て待つてゐられまする、なうなう誰殿、何某殿が見へました▲小アト「是はお出で御座るか▲シテ「嘸お待遠に御座らう▲小アト「左様にも御座らぬ▲シテ「追付参らう、さあさあ御座れ▲二人「心得ました▲シテ「偖只今も独り言に申して御座る、現世は暫の事で御座る、未来往生極楽のため、斯様に諸国をめぐると申すは有難い事で御座る▲アト「中々三人の者共は、一蓮托生うたがいない事で御座る▲小アト「いづれ三人共に、仏意に相叶うたと申すもので御座る▲シテ「此上はかりにも、怒る心抔はもたぬがよう御座る▲アト「夫は凡夫で御座るに依つて、かう参る道すがらも心易だてに、戯言抔{*3}を申すまいものでも御座らぬ、互に心にかけぬがよう御座る▲小アト「兎角何事でも随分堪忍して、腹を立ぬ様にしませう▲シテ「いかさま是は尤で御座る去ながら、誰殿のいわせらるゝ通り、凡夫の事なれば何程たしのふだり共、戯言をいふまいものでもなし、本より腹を立てまいものでも御座らぬ、仮令どの様な事なりとも、腹を立てまいといふ誓ひを立てませう▲アト「是は一段とよう御座らうのふ▲小アト「なるほど誓ひを立てませう▲シテ「夫ならば若し私が腹を立てたらば、忽ち口がとぢついて唖{*4}になる法もあれ、腹を立てますまい▲アト「某はもし腹を立てたらば、目が潰ぶれて盲目となる法もあれ、腹を立てますまい▲小アト「身共が腹を立てたらば、腰がぬけて一生立居のならぬ法もあれ、腹を立てますまい▲シテ「有難い事で御座る、さあさあ御座れ▲二人「心得ました▲シテ「とにかくに三人の者共は、弥陀弘誓の舟に打乗つて苦の海をはなれ、彼の岸に到らん事は、今の間の事で御座る▲アト「仰せの通り、唯たのもしいは仏の本願で御座る▲小アト「結構な身の上に成ました▲シテ「偖今朝から余程の道で御座る、此辻堂にちと休みませう▲アト「よう御座らう休ませられい▲小アト「いざ休みませう▲シテ「朝早う出たゆへ殊の外眠むたう成ました、ちと横に成ませう▲アト「何れ日限を定めて、いつの幾日に行かねばならぬといふ旅ではなし、身共も横に成ませう▲小アト「是はよう御座らう▲シテ「偖もらくやのらくやの、心がゆるりと成ました▲アト「一物も胸の内に御座らぬに依つて、横に成つたれば心が清で眠むたう御座らぬ▲小アト「目がさめました▲アト「誰殿は物をいはれぬが寝入られたか、誰殿誰殿▲小アト「いかさま是は寝入られたさうな、其様にゆるりとしてはならぬ起しませう▲アト「おこしませう、誰殿誰殿▲小アト「目がさめませぬか▲アト「しばらくの内に強う寝入りこうだ、誰殿誰殿、いかないかな、ゆすつても抱へても目があきませぬ▲小アト「帋捻をして鼻の穴へいれて、嚏をさせて目をさまさせませうか▲アト「先づまたせられい、彼奴が鬢の髪を剃落して坊主にせう▲小アト「是はきようがつた事をいわつせある、其様な事をしたらば、目をさましてよいとはいふまいぞ▲アト「いや其ために最前、腹を立てまいといふ誓ひを立てをいた、物のためしに兎角剃つて見よう▲小アト「いや身共はあまり同心にないぞよ▲アト「さあさあ手伝うてたもれ▲小アト「是はこわ戯言ぢやぞや{ト云て笑止がりながら{*5}手伝ふなり頭巾歪めて片びん出しきせて置く}▲アト「気の弱い事をいはずとも手伝はしめ▲小アト「あまりむごい事ぢや▲アト「先づ片びんは剃つた、どうど寝返りをさせねば、下の方がそられぬ▲小アト「いや耳の穴へ水を入るれば寝がへりをするで有らう、いざ水を入れて見さしめ▲アト「是は面白い事をおせある、水を取つて来ていれう{ト云て扇をひろげ水を汲心にて偖耳へ水を入る体をするシテうなり寝返りするちやつと二人共寝る}▲アト「是は一段の首尾ぢや、さあさあ此方も剃らう{ト云て頭巾を真直にきせる肩衣とり腰帯を残し十徳きせるなり}▲アト「うまうまと剃つた、此上は彼奴が独り目をあく迄寝てゐよう▲小アト「一段とよからう▲アト「必ず寝入つたやうにしてゐさしめ▲小アト「心得た{ト云て二人共寝る}▲シテ「偖もよう寝た事かな、是はいかな事、両人の衆もよう寝てゐらるゝ、晩の泊り迄は余程の道ぢや、起して道を急がう、なうなう二人共最早おきさしめ、おきさしめ▲アト「偖もよう寝た事かな▲小アト「たつた一ト寝いりにした▲シテ「身共も一ト寝入りにしました▲アト「わあ、そなたはいつのまに法体をした▲シテ「何の事ぢや▲小アト「是はいかな事、先づつむりを撫て見さしめ▲シテ「わあ、是はいつの間に誰がした、いやそなた衆の顔つきが合点がゆかぬ、偖はそなた衆がおしあつたか▲アト「是は迷惑ぢや、身共は曽て知らぬ▲小アト「某もたつた一ト寝入にして夢にもしらぬ▲シテ「そなた衆がしらいで誰がしるものぢや▲アト「よし身共等がしたにもせよ、何事でも腹を立てまいといふ誓を立たれば、堪忍を召されたがよい▲シテ「是が何と堪忍がなるものぞ、最早いきても死んでもぢや、堪忍{*6}致さぬぞ▲アト「腹を立まいといふて、誓ひをおたちあつたをお忘れあつたか▲シテ「誠に是にはこまつた、何も腹は立まい去ながら、身共一人此様に成つては、何とやら隔心な、身共は一ト先づ故郷へ戻らう、両人ばかり仏詣してきさしめ▲アト「気の毒なれ共、後生の道に何も遠慮はない、身共らはゆく程に随分息才で居さしめ▲シテ「残りおゝいが是で別れるぞ▲二人「かうゆくぞ▲三人「さらばさらば▲アト「さあさあおりあれ、高野山へは最そつとぢや道を急がしめ▲小アト「心得た心得た{ト云て楽屋へ入る}▲シテ「何程誓ひを立ても、是ばかりは堪忍がならぬ、故郷へ戻つて致し様がある、誠に、胴欲な事をしをつた去ながら、今に思ひしらせうぞ、首尾ようしおゝすればよいが、何彼といふ内に在所ぢや、則誰が留主へ案内を乞う{ト云て案内乞女楽屋より出る}▲女「表に聞馴た声で案内がある、案内とは誰そ▲シテ「身共でおりある▲女「是はいかな事、そなたは様をかへさせられて、何として戻らせられた▲シテ「存じもよらぬ事で戻つた、偖誰の内儀をどうぞ呼びにやつて下され▲女「幸ひ妾{*7}を見舞に此方へ参つて居られまする▲シテ「夫ならば是へお出である様にいふて下され▲女「心得ました、なうなう誰殿のかみ様、是へ出させられい▲二女「何事で御座る▲女「かはつた人が見へました、先づ出させられい▲二女「わあ、そなたは何として様をかへて戻らせられた▲シテ「今更そなた衆に仔細をいふも面目ないが、云はねばすまぬ事ぢや、言はう程に必ず心をはつたりとして聞ひてたもれ▲女「どうやら心元ない様子ぢや、先づ早う様子を仰せられい▲シテ「此度三人云ひ合せて、修行の旅に趣く所に、高野の道に紀の川といふ大河がある、三人手と手を組合うて渡つたが、身共は俄にむなさわぎがして渡り兼て後へ戻つた内に、俄に瀬がかはつて、水が高う早うなつて、二人の衆は石がすべり足が立いで、一間ばかりおよいで見たれ共、なんなくころんで、瓜抔{*8}の流るゝ様に、ころりころりと、浮ぬ沈みぬついに姿が見へぬ、某も同行にわかれ、生ては居られぬ、共に川へとびこまうとしたれども、いやいや爰は大事の所ぢや、此様子を責てそなた衆に、身共ならで知らす者はない、某共に死んだらば、わごりよ達の迷ひに成らうと思ふて、面目ない命をながらへて、戻つた事でおりある▲女「是は興のさめた事を聞きました、夫は定{*9}で御座るか{ト云てなく}▲二女「偖も偖もいとしい事をしました、旅立に暇乞をしたが、一生の別れに成ました▲シテ「尤ぢや尤ぢや{ト云て空泣する所かくし笑色々あるべし}{*10}泣け泣け▲女「最早身も世もあられぬ事ぢや、此奥の淵へ身をなげて死ませう▲二女「妾もながらへる心は御座らぬ、共に手を引き合うて死にませう▲シテ「先づおまちあれ、偖も偖もそなた衆はうろたへた事をいふ、汝衆が今死んで、両人の後は誰が弔うものぢや、此上は両人共に尼になつて、おつとの菩提をとむらはう{*11}とはおもはしませぬか▲女「是はそなたのいはるゝ通り、こち衆が身を投げたといふて、あの衆が活帰る事も御座るまい、妾は尼に成ませう▲二女「妾も一つ所に姿をかへませう▲シテ「夫はよい合点ぢや、いふても某は、仏の姿になつてゐる者ぢや、某が両人の髪をおろしてやらう是へよらしめ{大小の前にて尼にする但しびなんの上に花の帽子きせる}{*12}奇特に思ひたゝれて殊勝にこそあれ、両人のびんの髪を、是より直に高野山へ納てきて進ぜう{*13}、頓て帰る迄息災でゐさせられい▲女「御苦労で御座る、頓て戻らせられい▲シテ「心得ました{二人の女楽屋へ入}{*14}ざつとすんだ、又致し様がある、両人の者が後を慕うて参らう、大方高野山に逗留して、やうやうふもとへ{*15}下る時分ぢや、何卒あいたいものぢやが▲アト「さあさあ御座れ、話しに聞たより、高野山は結構な事で御座る▲小アト「誠に有難いお山で御座る▲シテ「ゑい是はよい所で逢うた▲アト「そなたはどれへゆく▲シテ「そち{*16}衆に別れて、在所へいたらば、きやうがつた事があつた程に、迎へがてら日数をこめて来た、追付語つて聞かせう▲アト「心元ない早う語らしめ▲シテ「此度そち{*17}衆や身共が、仏詣するといふは嘘で、三人共に心よしを拵ておいて、夫らをつれて上方へ上り、昼夜遊山して、三人の女房は置去りに出合うたと、誰いふともなくざん言をした者がある、第一某の妻が腹を立て、夜に日をついで上ミ方へ尋ね上つたげな、又わごりよ達両人の妻は、兎角此世では思ふやうにならぬ、自害して蛇身となつて、そち{*18}等を取殺さうといふて、狂ひ死に、両人刺違へてお死にあつたは▲アト「爰な者は、身共らに坊主にしられた意趣返しに、悪口をいふとも欺さるゝ事ではないなあ▲小アト「おゝ其様な事をいふても、おどろく事ではないぞ▲シテ「疑うは最ぢや、まつかう{*19}有らうと思ふて、証拠のため、両人の髪を取つて来た、之を見さしめ▲アト「どれどれ、誠に此赤い所の交つたは、女共の髪ぢや▲小アト「いか様此ちゞんだ髪は、某が女共の髪に違いはない、是は不憫な事ぢや{ト云て泣くアトも泣くなり}▲アト「さぞ某を恨るで有らう、はかない浮世とはいひながら、正真の夢といふは此事ぢや{ト云て二人泣く}▲シテ「最ぢや最ぢや{ト云て空泣する隠笑{*20}色々有べし}{*21}悔む所は最もなれ共、よう思案を召され、某が女共は此世に居るに依つて尋出し、此姿を見せて、委細を話して聞せばざつとすむが、そち{*22}衆の内儀は死んだに依つて、蛇身と成つて仇をするに極つた事ぢや、左様に迷う所が不憫な、両人共に出家して、二人の女の後を弔らうてやらしませ▲アト「いづれ此度は、後生の道に入らうと思ふて出た事ぢや、則菩提の種として某は出家致さう▲小アト「身共迚も其通りぢや、共に出家して仏道に入ませうぞ▲シテ「夫ならばいよいよ三人同行に成らう、偖髪は身共が剃つてやらう是へよらしめ▲二人「心得た{大小の前にて二人共に剃体をして頭巾きせ肩衣取り十徳を二人共着る相応のしかじか云ふ呂蓮の心に同じ色々あり{*23}工夫して云ふ}▲シテ「両人共によう似合うた▲アト「偖此びんの髪は、夫婦共に高野の山へ納めうと思ふが何と有らう▲小アト「一段とよからう▲シテ「身共が思ふは、先づ在所へ戻つて、銘々のお頼ある寺へいて、内儀達の墓処へ一つに葬つたらばよからう▲アト「是は最ぢや其通りにせう▲小アト「いかにも夫がよからう▲シテ「さあさあ来さしめ▲二人「心得た▲シテ「誠に、両人の衆は妻に別れて力落しで有らう、是といふも偏に仏の御さいそくぢやと思はしめ▲アト「いづれなんとしても煩悩{*24}はやみがたい愚痴の凡夫ぢやに依つて、斯様の事で有らう▲小アト「さうさへ思へば、弥々御本願が有難うおりある▲女「けふも又お寺へ参つて法事を致しませう▲二女「一段とよう御座らう▲女「さあさあ御座れ▲二女「心得ました▲シテ{*25}「いや両人の衆どれへゆかします▲アト「そなた衆は生て居るか▲女「そなた衆{*26}もいきていさせらるゝか▲シテ「やつと参つたの▲アト「爰なやつはようだましたな▲女「憎うはあれども、其方衆の顔を見て悦まする▲アト「四人の者に肝をつぶさせをつた、おのれ唯置かうと思ふか▲シテ「こりやこりや、腹を立まいといふて、おそろしい誓ひを立ておいたではないか▲小アト「夫は事によつたものぢや▲シテ「罰がおそろしうなくば存分にせい▲アト「是々そなた衆、あの者の内へいて、女房が内に居るならばつれて来さしめ▲小アト「何とさつせある▲アト「腹いせにきやつを尼にせう▲シテ「身共は誓ひを立たに依つて、どの様な事をしても腹は立たぬ▲女「さあさあ行きませう▲二女「心得ました▲三女「なうなう皆またせられいまたせられい▲アト「やあ是はどうぢや▲三女「最前から様子を聞きました、妾も予て後生の道に入たう思ひまして此姿になりました、必ず{*27}必ず互に堪忍をさせられい▲シテ「先づはなさしめ、是もひとへに仏の御方便ぢや、此上は三人の尼は勝手次第に修行を召され、こち{*28}衆三人は、いよいよ同行に成つて、西国四国坂東八ケ国の霊仏をめぐつておがまふと思ふが、何と有らうぞ▲アト「是は一段とよからう▲シテ「はや是迄ぞお暇申す▲尼三人「あら名残おしや▲シテ「こなたも名残りおしけれども、あの日を御らうぜ▲五人「山の端にかゝつた▲シテ「西方に落日くれない▲六人{*29}「我らをたすけてたび給へと、唯一念に南無あみだぶつ唯一心に南無阿弥陀仏、念仏申して別れけり{ト云て留て入るなり節にかゝると三人の女大小の前に立て居るシテはシテ柱より真中にてとめる右六義の外文句仕方別にあり口伝}
校訂者注
1・10・12・14・21:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
2:底本は、「お拵だ」。
3・8:底本は、「杯(など)」。
4:底本、[おし]は[口偏に亞]。
5:底本は、「笑止がりなから」。
6:底本は、「堪心」。
7:底本は、「童(わらわ)」。
9:底本は、「誠(じやう)」。
11:底本は、「とむららう」。
13:底本は、「進せう」。
15:底本は、「やうやうもとへ」。
16・17・22:底本は、「其方(そち)」。
18:底本は、「汝等(そちら)」。
19:底本は、「真斯(まつかう)」。
20:底本は、「隠泣」。
23:底本は、「色々ある」。
24:底本は、「煩脳」。
25:底本は、「▲ジテ「」。
26:底本は、「此方(そなた)衆」。
27:底本は、「必す(二字以上の繰り返し記号)」。
28:底本は、「此方(こち)」。
29:底本、ここに「▲六人「」はない。
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