雪打合(ゆきうちあひ)

▲一のアド「これは、この辺りに住居(すまひ)致す者でござる。この節は、いつとは申しながら、夜前は殊の外なる大雪が降り積もりたれば、通り道を掃き分けう。と存じ、罷り出でた。さらば、掃きませう。扨も扨も、冷たい事かな。これはこれは、某(それがし)の秘蔵の柿の木、藪の竹が、雪で折れさうな。かち落とさうよ。はう。冷たいわ、冷たいわ。
▲二のアド「罷り出でたる者は、こゝに住む者でござる。夜前は、夥(おびたゞ)しく雪が降つて、通り道が知れぬ。雪まろこかしにして、道をあけう。扨も扨も、降つたり、降つたり。いつもとは申しながら、当年は、雪年(ゆきどし)さうにござるよ。いや、何右衛門殿、出られたよ。何と何と、これは、殊の外降り積もつたの。
▲一のアド「いや。そなたも、雪を掃きにお出やつたか。なうなう、冷たい事でおぢやるよ。
▲二のアド「いや、これこれ。その様に、こなたに掃きおこさずとも、面々の軒下へ、掃き集めやれよ。
▲一のアド「こなたの雪は、そなたへ掃きやる程に、そなたは又、隣の方へ掃きやらしませよ。
▲二のアド「いやいや、これ。それは、理不尽な事ぢや。昔より、雪を掃く法がある。その様にはさせぬぞ。
▲一のアド「やあら、そなたは改まった事を云ふ。次第次第に掃きやるに、誰が何と云ふ者があらう。その上、雪を掃く法とは、いかやうな事ぞ。ちと、聞きたうおぢやるよ。
▲二のアド「されば、雪は、銘々の街道の雪を掃き集めて、それをまろめて、我が家の軒下に置くこそ、昔よりの法でおりやるよ。
▲一のアド「その様な冷たい事は、某はえせぬ程に、そなた、式法の通りに丸めて、そなたの軒下に置かしませ。
▲二のアド「これこれ。そなたは、某に掃きかけるな。
▲一のアド「そなたにかけう。と思うて、かけはせぬが。少し又、かゝつたらば、良いわ扨。
▲二のアド「いや。人に雪をかけて良くば、そなたにもかけてやらうぞ。
▲シテ「これは、この辺りに住居(すまひ)致す出家でござる。今朝(けさ)は、旦那方へ斎(とき)に参る約束致したれども、夜前、大雪が降りまして、早朝より参りかね、只今、罷り出でた。まづ、急いで参らう。まことに、世に有徳な方は、歌を詠み、詩を作り、雪を寵愛なさるれども、われ等体(てい)の貧僧は、斎非時に参るに、雪が降れば、難儀に存ずるよ。いや。これはこれは。何事を召さるゝ。まづ、待て待て。何とて、これは聊爾な事を召さるゝ。
▲二のアド「これは、良い所へござつた。まづ、聞いて下され。殊の外の大雪ぢやによつて、街道の雪を、掃き分けに出でゝおぢやれば、あの者が、街道の雪をこなたへ掃き越すによつて、銘々の軒下に掃き集めて置け。と云へば、あまつさへ、某に雪を掃きかくるによつて、只今の通りぢや。聞き分けて下され。
▲シテ「これは、あの者が悪い。愚僧が意見の致さう。まづ、お待ちやれ。やあら、そなたは理不尽な事を召さるゝ。昔より、雪は面々の軒下に掃き集め置くが法ぢやに、そなたは、我が儘といふものでおりやるぞ。
▲一のアド「いやいや、さうではおりない。こなたの雪をあの方(はう)へ掃きやらば、又その隣へ掃きやつて、次第次第に掃きやれ。と云へども、聞き分けずして、あまつさへ、某に雪を掃きかくるによつて、只今の通りでござる。何(いづ)れが無理でござるぞ。
▲シテ「さては、次第次第に掃き送れぢやまで。これは、そなたが云ふ通りぢや。あの者が悪い。愚僧が意見のせう。これは、そなたが悪いわ。あの者が云ふ通りに、次第次第に掃き送れば、何の申し分もない。これは、そなたが我が儘といふものぢや。
▲二のアド「いやいや、さうでない。昔より、法がござる。我が家の前な雪は、丸めて我が軒下に置く法の事でござる。
▲シテ「いか様(やう)にも、そなたが云ふ通りぢや。愚僧が意見の致さう。これこれ。そなたが云ふ通り、次第次第に掃きやりたいものなれども、掃きやるも丸めるも同じ事なれば、法まかせで、丸めて置きやれの。
▲一のアド「思うても見させられ。この大雪が、そもやそもや冷たうて、丸めらるゝものでござらうか。次第次第に掃き送るに、誰が何と申す者がござらうぞ。某は、いやでもおうでも、掃きやりまするぞ。
▲シテ「いかにも。これは冷たうて、そもやそも丸められはせまい。これは、次第送りに掃いたがまし。掃きやれ掃きやれ。なうなう、そなたも掃きやらしませ、掃きやらしませ。
▲二のアド「やあら、御坊は、某が申すを聞き分けて、尤さうに合点のして居て、あの理不尽な者の贔屓をして、掃きやれ掃きやれ。と、方人(かたうど)召さるゝわ。それは、御坊には似合はぬ事でおぢやるよ。
▲シテ「はて、次第次第にあの者が掃きやらば、又そなたも隣の方へ、次第次第に掃きやらしませ。掃きやれ掃きやれ。この冷たいに、そもやそも、この雪が丸めらるゝものか。
▲二のアド「むう。それそれ、その筈ぢや。御坊のあの者が贔屓する筈。それそれ、思ひ出した、えい。よしない者どもと雪論をした。それそれ、その筈があるもの。
▲シテ「いや。そなたは何とやらん、面白いものゝ云ひ様、召さる。あの者が贔屓{*1}とては、何も致さぬよ。その筈とは、どうした事ぢや。
▲二のアド「その筈がある。こゝで云うたらば、御坊に恥を与ふる。あの者が居るによつて、申しはせぬ。
▲一のアド「やあら、某がこゝに居ればとて、御坊の恥な事があらうか。聞いて居れば、云ひたい儘な事を云ふ。おのれが様な者には、雪をはましたが良い。
▲二のアド「いや。おのれは、推参な奴の。
▲シテ「これこれ、当てい、当てい。
▲女「なうなう。何と仰(お)しやるぞ。妾(わらは)が子が喧嘩をして、雪打合をして居る。これは、これは。辺りの衆、それ、取り分けて下され、取り分けて下され。これこれ。御坊様は、こゝに居ながら、見て居さしますか。なまぬかつた。常々、いとしいの、かあいゝのと、誰が事でおぢやるぞ。妾(わらは)が事ではないか。
▲シテ「やいやい。人が聞くわ。黙れ、黙れ。扨々、苦々しい事かな。
▲女「そなたと妾が事、誰が知らぬ者があらうぞ。
▲シテ「まだ云ふか。それは、内証の事ぢや。こゝで云ふものか。扨々、おぬしは。黙れ。と云ふに。まづ、雪を当てい。やいやい。
▲二のアド「人の云ふを、誠か説(せつ)かと思うたれば、これは、可笑しい事ぢや。
▲三人「やれ、当てい、当てい。
▲二のアド「おのれは、大勢して雪を打つとも、負けはせまいぞ。なんぼう大勢して雪を打つとも、それ、そこな御坊とは、夫婦(めうと)よ、夫婦(めうと)よ。ご夫婦(めうと)ぢやわ。
▲三人「やるまいぞ、やるまいぞ。

校訂者注
 1:底本は「あの者 贔屓」。

底本『狂言五十番』(芳賀矢一校 1926刊 国立国会図書館デジタルコレクション

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