瞽女座頭(ごぜざとう)

▲ごぜ「《次第》住み荒らしたる我が宿の、住み荒らしたる我が宿の、妻戸のなきぞ寒けれ。
妾(わらは)は、この辺りに住む瞽女(ごぜ)でござるが、お恥づかしい申し事なれども、この歳になりましても、夫(つま)を持ちませぬ。それにつき、清水の観音は、夫定(つまさだ)めをなされ、利生あらたな。と申しまする程に、只今思ひ立ち、参篭致し祈誓を掛けませう。と存ずる。まづ、そろそろと参らう。かやうの事は、親兄弟に談合もならず、いか程心安いお方ぢや。と申しても、女の身にて語られも致されず。只ひとりの思ひ立ちでござる。いや、何かと申す内に、これは早(はや)、参り着いたよ。これが、本堂ぢや。まづ、拝をして、ゆるりと籠りませう。南無観世音菩薩、妾に似合ひの夫(つま)を授けさせ給へ。南無観世音、南無観世音。大方、こゝ元が良さゝうなに、こゝに籠りませう。
▲シテ「《次第》我が臥す床(とこ)は枕にて、我が臥す床は枕にて、女のなき閨(ねや)そ淋しき。
これは、こゝ元に住居(すまひ)致す座頭でござる。某、いまだ妻がござないによつて、あなたこなたと頼みまするに、あるはいやなり、思ふはならず。かれこれと極(きはま)りませぬ程に、この上は仏神(ぶつじん)に祈誓申さう。と存ずるところに、さる方の仰せらるゝは、清水の観世音は、妻定めの御仏なれば、参篭申し候はゞ、御利生あらうずる。と仰せらるゝ程に、まづ清水へ参らう。と存ずる。扨々、疾(と)くより御祈誓致さうものを。さりながら、この様に思ひ立つも、これひとへに観音のお計らひか。とも存ずる事ぢや。早(はや)、これぢやよ。まづ、拝を致さう。南無観世音菩薩、某の願ひ、叶へさせ給へ。南無大慈大悲の観世音菩薩、観世音菩薩。今宵{*1}は仏前に参篭の人も多し。観音の御納受ある様に、平家を一句、語りませう。ばらり、ばらり。
《平家》そもそも津の国一の谷にて、山川(さんせん)に水出で、朽ち木流れたり。どぶりどぶりと流れたり。小猿取り付き流れたり。蕗といふも草の名、茗荷といふも草の名。富貴自在徳ありて、冥加あらせおはしませ。
▲ごぜ「扨も扨も、殊勝な事かな。妾もひと節、ごはうらい{*2}を申さう。たゝほゝたほゝ。それ、神の代すでに十二代、人王の始まりは神武天皇。と申し奉る。今この御代に至るまで、豊かに栄えおはしまし、国土万民寿命長遠、福徳自在円満と、めでたき御代こそ久しけれ。おれが殿御はお茶山に、おれが殿御はお茶山に。縁な尽きせぬこの茶縁、縁な尽きせぬこの茶縁、茂り茂れる葉も茂れ。ふたり隠れて見えぬ程に、ふたり隠れて見えぬ程に。
▲シテ「いや。殊の外喧(かしま)しいに、某は、ちと休みませう。
▲ごぜ「いや。夜が更けたやら、籠りの衆も静かになりました。妾も、ちと休みませう。
▲シテ「はあはあ。扨も、これはありがたい事かな。御夢想を蒙つた。一の西門(さいもん)へ参れ。汝が妻になる者に出逢ふ。とのお告げでござるに、まづ、急いで西門へ参らう。
▲ごぜ「はあはあ。嬉しや、嬉しや。御夢想を蒙りました。早う西門へ参らう。
▲シテ「西門は、大方こゝ元ぢやが。
▲ごぜ「これは、大方西門ぢやが。これは、これは。大方、杖にて推量致した。
《節》妾が杖柱とも頼むべき人にては候はぬか。
▲シテ「こなたも大方、推量申した。
《節》夜を込め契る竹の杖。扨、方々(かたがた)は、主(ぬし)ある人か、主なき人か。
▲ごぜ「《節》{*3}夫(つま)ぞなき憂きひとりは唐衣、袖を片敷きひとり寝ぞする。
▲シテ「《節》扨は主(ぬし)なき唐衣の、咎むべき人のなき身とや。
▲ごぜ「《節》妾は夢想の告げにより、こゝまで尋ね来たりけり。
▲シテ「《節》我等も同じつげの櫛、さし来る人を尋ね来て。
▲ごぜ「《節》互に見えぬ中なれども。
▲シテ「《節》縁な尽きせぬ。
▲ごぜ「《節》{*4}契りの末。
▲二人「《節》{*5}千歳(ちとせ)の田鶴(たづ)・万世(ばんぜい)の亀の代々(よゝ)までも、契りを込めて諸共に、夫婦(ふうふ)となるぞ嬉しき、夫婦となるぞ嬉しき。
▲シテ「《詞》なうなう。そなたと某とは五百八十年。
▲ごぜ「七廻(なゝまは)り添ひまするぞ。
▲シテ「めでたい、めでたい。いざ、こちへ来さしませ。
▲ごぜ「心得ました、心得ました。

校訂者注
 1:底本は、「今夜(こよひ)」。
 2:「ごはうらい」は、不詳。或いは「御奉礼(ごほうらい)」か。
 3~5:底本に、「《節》」はない。

底本『狂言五十番』(芳賀矢一校 1926刊 国立国会図書館デジタルコレクション

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