瓜盗人(うりぬすびと)
▲アド「これは、田舎に住居(すまひ)致す者でござる。某(それがし)、田畑(たはた)を数多(あまた)持ちてござるが、この中(ぢゆう)は、久しう見舞ひませぬ程に、今日(けふ)は見舞はう。と存じて罷り出でた。まづ、そろりそろりと参らう。世間に田畑を数多持つた衆もござれども、中にも某の畑(はた)の様に、毎年(まいねん)良う出来るはない。とあつて、皆の褒め物に致さるゝ事でござる。いや。参る程に、即ちこれが身共の畑でござる。扨も扨も、久しう見舞はぬ内に、殊の外よう成長致いた事かな。いや。瓜もよう色付いてござる程に、鳥獣(とりけもの)の付かぬ様に、垣を結(ゆ)ひ、案山子を拵へて置かう。と存ずる。見たところが、一段と良い。又明日(みやうにち)見舞はう。と存ずる。
▲シテ「これは、この辺りの者でござる。今晩さる方(かた)より、夜話(よばなし)に参れ。とあつて、人を越されてござる程に、参らう。と存じて罷り出でた。まづ、急いで参らう。遠路(ゑんろ)と申し、その上、野道を掛けて参るは、斟酌にはござれども、思ひ寄つて人を越された事でござるによつて、かやうに参る事でござる。定めて皆、若い衆の待ち兼ねてござらう程に、急いで参らう。と存ずる。いや。これに、見馴れぬ垣が結(ゆ)うてあるが、何畑ぢや知らぬ。まづ、ちとのぞいて見ませう。扨も扨も、良い香が致す。瓜畑さうな。これは、幸ひな事ぢや。これを一つ二つ取つて、今晩のもてなしに致したいものぢやが。やあら、何とせうぞ。いや。やうやう日も晩ずるにより、まづ、何かは知らず、この垣を破りませう。まづ、結(ゆ)ひ目を切らうず。かゝゝ。さらば、垣を破りませう。めりめり、ぐはさぐはさぐはさ、めりめりめり。扨も扨も、夥(おびたゞ)しう鳴つた事かな。誰も聞き付けはせぬか知らぬ。人が居たならば咎めうが、誰も人は居ぬ。と見えた。某は、うろたへた事を致いた。誰ぞ咎めうか。と思うて、思はず知らず、口を塞いでござる。《笑》扨も扨も、うろたへた事を致いた。まづ、垣を越えませう。いや、えい。扨も扨も、夥しい事かな。どれに致さうぞ。いや、これに致さう。いや、これに致さう。これは、枯れ葉ぢや。どれに致さうぞ。これなどは、良さゝうにござる。これも、枯れ葉ぢや。はて、合点の行かぬ事でござる。何とした事ぢや知らぬ。いや、今思ひ出いた。夜分の瓜を取るには、ころびを打つて取るが良い。と申す。さらば、ころびを打つて取りませう。いや、えい。早(はや)、これにござる。扨も扨も、これは、見事な瓜でござる。いや、えい。これにもござる。《笑》これなどは、別して見事にござる。最前から、かやうに致せばようござつたものを。何程取らうと、儘な事ぢや。いや、えい。はあはあはあ。真つ平(ぴら)、ご許されませい。私は、瓜盗人ではござりませぬ。道に踏み迷うて参つてござる。真つ平ご許されませい。申し、申し。その様にふすべ{*1}させられたものではござりませぬ。許す。となりと、許すまい。となりとも、有無を仰せられて下されませい。や、申し。その様に黙つてござつては、何とも迷惑にござる。この上は、七重の膝を八重(やへ)に折りましても、お詫びを申さねばなりませぬ。真つ平ご許されて下されませい。や、申し、申し、申し。これはいかな事。人か。と存じたれば、あれは案山子でござる。扨も扨も、腹の立つた事かな。よしない案山子に降参を致いた。憎さも憎し、致し様がござる。まづ、この案山子を打ち崩いてのけう。瓜蔓をも、かう引きかなぐつてのけう。これこれ。これでこそ、腹が居(ゐ)たれ。いやいや。かやうの所に、長居はいらざるものぢや。定めて、いづれも待つてござらう。急いで参らう。と存ずる。はて扨、よしない事に手間を取つてござる。
▲アド「今日(けふ)も畑へ見舞はう。と存ずる。これはいかな事。何者やら、垣を破つて置いた。合点の行かぬ事ぢや。これはいかな事。瓜蔓も引きかなぐつてあり、殊にこれは、案山子まで引き崩いて置いた。扨も扨も、憎い事かな。定めてこれは、鳥類・畜類の業(わざ)ではござるまい。瓜盗人が入(はい)つたものでござらう。扨も扨も、腹の立つ事でござる。何とぞして、この盗人を見顕はしたいものぢやが。何とせうぞ。いや、思ひ出いた。かやうのものは、また重ねても参るものでござる程に、今度は某の案山子になつて、きつと見顕はさう。と存ずる。扨も扨も、腹の立つ事でござる。今度参つたならば、きつと見顕はして、只置く事ではござらぬ。これこれ。これで一段とようござる。
▲シテ「急いで罷り帰らう。と存ずる。それについて、夜前、瓜を持参致いてござれば、亭主をはじめ、いづれも、殊の外風味の良い瓜ぢや。とあつて、褒め物に致されてござる程に、また戻りにも一つ二つ取つて、宿への土産に致さう。と存ずる。いや、何かと申す内に、これは早(はや)、夜前の畑でござる。まだ瓜主が見舞はぬ。と見えて、垣もその儘ござり、瓜蔓もその儘ござる。これはいかな事。瓜主が見舞うたやら致いて、また案山子が設(しつら)うてある。はて扨、性懲りもない者がござる。殊に、これは上手の作つた案山子でござる。さながら、正真(しやうじん)の人の様にござる。いや。あの案山子が人に似たについて、思ひ出いた。重ねての狂(くるひ){*2}には、鬼が罪人(ざいにん)を責むる体(てい)もあり、その外、色々の学び{*3}をして遊ばう。と仰せられた。自然、某が鬼の役に当たるまいものでもござらぬ程に、あの案山子を罪人の心に致し、某が鬼になつて、ひと責め責めて見ませう。さりながら、この辺りに竹杖はないか知らぬまで。幸ひ、これに竹杖がござる。これを鉄棒の心に致いて、ひと責め責めて見ませう。いかに罪人、急げとこそ。《笑》何程責めても人形ぢやによつて、責め力(ぢから)がない。また、鬮取(くじと)りの事なれば、自然、某が罪人の役に当たるまいものでもござらぬ程に、今度はこの案山子を鬼に致し、某が罪人になつて、責められて見ませう。あら、悲しや。これ程参り候ふ程に、さのみな御責め候ひそ。行かんとすれば引き止(と)むる。止(と)まれば杖で丁(ちやう)と打つ。これはいかな事。止まれば杖で丁と打つ。と謡うたれば、謡に合(あは)いて丁と打つたが。合点の行かぬ事でござる。風(かぜ)の設(しつら)ひでもござるか。引けば俯(うつむ)く、緩むれば仰向(あふむ)く。引けば俯く、緩むれば仰向く。引けば俯く、緩むれば、仰向く。《笑》扨も扨も、上手の作つた案山子でござる。これでは、丁と打つたも道理でござる。今一度、責められて見ませう。行かんとすれば引き止むる。止まれば杖で丁と打つ。
▲アド「がつきめ、逃がすまいぞ。
▲シテ「南無三宝、騙された。真つ平(ぴら)、許いてくれい、許いてくれい、許いてくれい。
▲アド「おのれは憎い奴の。よう某の瓜を取つたな。横着者、どちへ行くぞ。人はないか、捕らへてくれい。やるまいぞ、やるまいぞ。
校訂者注
1:「ふすぶ」は、「いじめる。苦しめる」意。
2:「狂(くるひ)」は、中世の芸能と思われるが、不詳。この語は「唐薬」にも見える。
3:「学(まな)び」は、「まね」の意。
底本『狂言五十番』(芳賀矢一校 1926刊 国立国会図書館デジタルコレクション)
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