月見座頭(つきみざとう)

▲シテ「これは、下京に住居(すまひ)致す勾当でござる。今宵は月見とやらありて、いづれも寄り合ひて慰ませらるゝが、某(それがし)は盲目の事なれば、月を見て慰まう様もござらぬ。とかく、我等如きの者は、野辺へ出て虫の音(ね)を聴くが、何よりの慰みでござる程に、野辺へ参らう。と存じて罷り出でた。まづ、そろりそろりと参らう。まことに、眼の良い衆は、月を見ては歌を詠み、詩を作り、色々の慰みをして遊ばせらるゝ。さぞ、面白い事でござらう。いや。これは早(はや)、里離れやら、眼には見えねども、心がわつさりとなつた。さて、どこ元へ行かうぞ。いや。あれに、虫の音(ね)が致す。あれへ参つて承らう。はゝあ、鳴くわ、鳴くわ。松虫か、鈴虫か。何ぢや、騒がしい鳴き様ぢやが。あれは、轡虫(くつわむし)でがな、あらう。ほ、轡虫ぢや、轡虫ぢや。それぞれに、よう名を付けたものぢや。いや。あれに、人声がする。申し、申し。こなたはどれから御出なされてござる。何と、五條辺りぢや。と仰せらるゝか。定めて月見に御出なされたでござらう。これは、良いお慰みでござる。や。またこちらにも、人声がする。はゝあ。これは、酒宴をして遊ばせらるゝ。羨ましい事かな。あゝ、これこれ。方々(かたがた)は、いかに面白い。と云うて、その様に喧(かしま)しう謡はせらるゝな。月を見るに構ひは致すまいが、虫の音(ね)を聴くに、邪魔になりまする。何。構ふな。と仰(お)しやるか。ようござる。はて、構はぬ事ならば、身共も謡ひませう。
{小謡「ざゞんざ」。}
やゝ、何ぢや。歌を詠むに邪魔になる。それ、お見やれ。こなたが嫌ならば、人も嫌はう。と思はしませ。《笑》いや、お困りやつたか。ぐつとも返事がない。ほ。また鳴き出いたわ、鳴き出いたわ。扨も扨も、面白い事ぢや。
▲アド「これは、上京に住居致す者でござる。今宵は名月なれば、野辺へ参り、月を見て慰まう。と存ずる。いや。あれに、座頭が居る。あれは眼も見えぬに、月を見る事か知らぬ。某等、ちとあれへ参つて慰まう。と存ずる。いや、なうなう。そなたは、洛中の人か、洛外の人か。
▲シテ「いや。私は、下京の者でござるが、こなたはどれから御出なされてござる。
▲アド「身共は、上京の者でおりやる。
▲シテ「上京と仰せらるれば、心恥づかしうござる。扨、こなたは今宵、何をして慰ませらるゝ。私は、盲目の事でござれば、月は見られず、虫の音(ね)を聴いて慰む事でござる。
▲アド「これは、尤でおりやる。扨、そなたは歌を詠ましますか。
▲シテ「いや。私は、歌とやらは、詠うだ事はござりませぬ。こなたには、上京ぢや。と仰せらるゝ程に、さぞ遊ばす事でござりませう。
▲アド「少しばかりは詠むよ。
▲シテ「今宵は名月なれば、定めてお詠みなされたでござらう。ちと承りたうござる。
▲アド「かうもあらうか。
▲シテ「お早うござる。
▲アド「歌の一首や二首は、つい詠む事でおりやる。
▲シテ「まづは、お達者な事でござる。さあさあ、承りませう。
▲アド「秋風に。
▲シテ「秋風に。
▲アド「たなびく雲の絶え間より。
▲シテ「絶え間より。
▲アド「洩れ出づる月の影のさやけさ。
▲シテ「扨も扨も、面白い事でござる。
▲アド「何と、出来(でけ)たでおりやらう。
▲シテ「いや、申し。この様な珍しいお歌は、今が聞き始めでござる。
▲アド「何と、珍しい歌とは。
▲シテ「はて、今日(けふ)聞き始めぢや。と申す事でござる。
▲アド「扨、そなたも何ぞ、詠ましませ。
▲シテ「上京のお方の前で、歌を詠むは恥づかしうござれども、ちと詠うでも見ませう。
▲アド「さあさあ、お詠みやれ。
▲シテ「かうもござりませうか。
▲アド「何とでおりやる。
▲シテ「月見れば。
▲アド「月見れば。
▲シテ「ちゞに物こそ悲しけれ。
▲アド「悲しけれ。
▲シテ「我が身一つの秋にはあらねど。
▲アド「これは、古歌でおりやる。
▲シテ「いや。こなたのも、古歌でござる。
《二人笑》
▲アド「扨、なう。竹筒(さゝえ)を持つた程に、一つ呑ましませ。
▲シテ「まづは、忝うござる。一つ下されませう。
▲アド「まづ、竹筒(さゝえ)をひらかう。さあさあ、一つ呑ましませ。
▲シテ「まづ、こなたから始めさせられい。
▲アド「しからば、身共が始めておまさう。さあさあ、呑ましませ。
▲シテ「それならば、下されませう。おゝ、恰度(ちやうど)あるさうにござる。扨も扨も、これは、良い御酒(ごしゆ)でござる。
▲アド「上京は、酒が良うおりやる。
▲シテ「扨、こなたへ上げませう。
▲アド「まづ押さへて、今一つ呑ましませ。
▲シテ「それならば、重ねませう。おゝ、また一つあるさうにござる。扨、申し。一つ受け持つてござる程に、肴にちと謡はせられませぬか。
▲アド「何が扨、謡はうとも。
{小謡。}
▲シテ「やんや、やんや。上京と承れば、謡までが格別に聞こえまする。
▲アド「いや、さうもおりない。
▲シテ「扨、この盃を、こなたへ上げませう。
▲アド「中々。一つたべう程に、和御料(わごれう)も、何ぞ肴をさしませ。
▲シテ「何が扨、心得ました。
▲アド「扨も扨も、面白い事ぢや。とてもの事に、立ち姿が見たうおりやる。
▲シテ「盲人に立ち姿とは、珍しいお好みでござる。
▲アド「珍しいによつて、所望致すよ。
▲シテ「それならば、舞ひませう。地を謡うて下されい。
▲アド「やんや、やんや。扨も扨も、面白い事ぢや。扨、そなたへさゝう。
▲シテ「中々。下されませう。おゝ、ござりまする、ござりまする。扨、申し。また受け持つてござる程に、こなたにもお立ちなされて下されうならば、忝うござる。
▲アド「盲人の、舞を所望。とは、珍しうおりやる。
▲シテ「珍しいによつて、所望致す事でござる。
▲アド「それならば、舞はう。地を謡うておくりやれ。
▲シテ「心得ました。{*1}やんや、やんや。いかう面白さうに思はれまする。
▲アド「何と、面白うおりやらう。
▲シテ「いかにも、面白う思はれまする。扨、こなたへ上げませう。
▲アド「いやいや。もはや、呑むまい。
▲シテ「それならば、納めに致しませう。
▲アド「それが、良うおりやらう。さて、某はお暇申さう。
▲シテ「もはや、お帰りなされまするか。とても、上京と下京なれば、お連れにはなりますまい。
▲アド「その通りでおりやる。
▲二人「さらば、さらば。
▲アド「扨も扨も、良い慰みを致してござる。いや、良い事を思ひ出いた。座頭をちとなぶつて遊ばう。
▲シテ「やれやれ、面白うござつた。どりやどりや。夜の更けぬ内、罷り帰らう。と存ずる。あ痛、あ痛。これは、何者なれば、この眼の見えぬ者に行き当たつた。
▲アド「いや。汝が行き当たつた。
▲シテ「むゝ。扨は、和御料(わごれう)は、酒にがな酔うたものであらう。
▲アド「酒に酔うたと。おのれは憎い奴の。帰す事ではないぞ。
▲シテ「帰らうと、戻らうと、和御料(わごれう)の構うてこそ。
▲アド「おのれ、まだその様な事を云ふか。只置く事ではないぞ。いやあ、いやあ、いやあ。覚えたか。
▲シテ「これは、何とするぞ、何とするぞ。
▲アド「《笑》扨も扨も、可笑しい事かな。これでは、東西も知れいで、帰る事はなるまい。足元の明るい内、急いで罷り帰らう。
▲シテ「あ痛、あ痛、あ痛。これは、したゝかな目に遭うた。西も東も知れぬ様になつたが、何としたものであらうぞ。誰ぞ人に尋ねたいものぢやが。いや、申し、申し。下京は、どちでござるぞ。はあ。皆、もうお帰りやつたさうな。いや。あれに、水の流るゝ音が致す。あれへ参り、水の流れさへ知れたならば、我が宿も知らるゝ事ぢや。まづ、この竹の杖を流いて見ようわ。あゝ、こちへ流るゝ。しからば、こちが下京ぢや。あら、連れもなや、我ひとり、馴れにし杖を力にて、我が家をさして帰りけり、我が家をさして帰りけり。や。遠くで人の騒ぐ音がするが。何、人噛み犬ぢや。と云ふか{*2}。はて、気味の悪い事ぢや。やあやあ、これへ来たさうな。なう、悲しや、悲しや。あちへ行け、あちへ行け。なうなう、うたてや。誰ぞ人はないか。この犬を追うてくれい。あゝ、悲しや。助けてくれ。許せ、許せ、許せ、許せ。

校訂者注
 1:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 2:底本は、「と云ふが」。

底本『狂言五十番』(芳賀矢一校 1926刊 国立国会図書館デジタルコレクション

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