栄螺(さゞえ)
▲ワキ「《次第》行方(ゆくへ)も知らぬ修行者を、行方も知らぬ修行者を、誰か哀れと思ふらん。
《詞》これは、備中の国・下津浦(しもつのうら)に住む者なるが、さる仔細あつて都に上(のぼ)り、霊仏霊社を拝み廻り、とあるお寺にて、ありがたき法談を聴聞致し、不思議の教化(けうげ)によつて、かやうの姿となつてござる。それより東国修行致し、年月(としつき)を送りしが、この程は、故郷懐かしく候ふ間、只今故郷へと急ぎ候ふ。
《道行》色は匂へど散りぬるを、色は匂へど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ。身をかへごろも肩に掛け、やうやう急ぎ行く程に、貝殻浜に着きにけり、貝殻浜に着きにけり。
《詞》急ぐ程に、これは早(はや)、いづくともなく、知らぬ浜に着いてござる。また、これなる浜辺を見れば、貝殻の数多(あまた)ある中に、珍しく大きなる栄螺の殻の候ふ。これは、波に打ち上げたるか。但し又、人の料理致し、捨て置いたるか。これを見るにつけても、せまじき事は殺生にて候ふ。願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道。
▲シテ「なうなう。それなる御僧なう。只今読誦し給ふ皆共成仏(かいぐじやうぶつ)の御声に、我、得脱の身となれば、近頃尊く思ふなり。と。
▲地「云ひ捨てゝ失せにけり。波間にこそは入りにけり。
▲ワキ「あら不思議や。只今の者を見失うて候ふ。あまりに不思議なる事にて候ふ間、里近くへ行き、こゝの様子を尋ねう。と存ずる。こゝの人のおりやるか。
▲間「こゝの者。とは、誰でござるぞ。
▲ワキ「これは、この所初めて一見の者なるが、あれなる浜辺を見れば、夥(おびたゞ)しい貝殻のある中に、大きなる栄螺の殻の候ふ。いか様(さま)、謂(いは)れのなき事は候ふまじ。仔細のあらば、語つてお聞かしやれ。
▲間「中々。あれにつき、仔細のあるを語つて聞かせませう。惣じてこゝは、浜近き在所なれば、営む業(わざ)のなき故、この浦にて漁を致し、渡世を送りしが、去年の秋の頃、大きなる栄螺、網にかゝりしを、若い者寄り合ひ、即ちあの浜にて、貝焼きといふものにして料理致したるが、それよりかの栄螺の精魂、日暮るればあの浜へ出づる由(よし)申す間、こゝの女わらんべども、怖ろしく存じ、七つ過ぐればあの浜へ出づる者もなく候ふ。見れば修行の御僧と見え申す間、日の暮れぬ内に、急いであの浜を御通りあれかし。と存ずる。
▲ワキ「懇ろに御物語、祝着致した。さあらば、日の暮れぬ内に、急ぎ浜辺を通り申さうずる。
▲間「何にても御用の事あらば、仰せられいや。
▲ワキ「中々。頼みませう。
▲間「心得てござる。
▲ワキ「当所の人の物語を聞くにつけても、最前の化(け)したるものは、いよいよ不思議なるものにて候ふ間、元の浜辺へ立ち越え、様子を見届け申さうずる。
この浜辺の貝殻石を拾ひ上げ、貝殻石を拾ひ上げ、妙(たへ)なる法(のり)の御経を、一字書き付けこの海の、波間に沈め弔はん、波間に沈め弔はん。
▲後シテ「それ地獄遠きにあらず。うゐの奥山けふ越えて、あさき夢見し甲斐ありて、浮かみ出でたるありがたさよ。
▲ワキ「不思議やな。眼(まなこ)は栄螺の蓋の如く。
《詞》舞ひ上がりたる顔(かんばせ)の、疑ふところなきぞとよ。とてもの事に甲斐甲斐しき、最後のあり様(さま)語り給へ。後(あと)をば訪(と)うて参らせん。
▲後シテ「さあらば、その時の有様(ありさま)語り候ふべし。後を訪うて賜り候へ。扨も、我この浦に住む事、かひとつて数百歳なり。一家(いつけ)一族眷属の栄螺ども、或ひは取られ、或ひは網にかゝりしが、この浦にての楽しみこそ甲斐ぞなき。されども我、栄ゆる文字を戴きたれば、いやましにこそ栄えけれ。心にかゝる雲もなく、波静かなる折節は、岩のはざまに立ち出でて、貝平楽を舞ふべし。
《詞》心静かに慰みしに、海の漁師は天気良しとて、悦びの笑(ゑ)みを含み、わらんべどもをかり集め、岩間を伝ひ捜しけり。
▲地「すはや、かづきの海人(あま)どもよ。とて、皆我先にと栄螺どもは、岩の狭間(はざま)に吸ひ付きたり。
▲シテ「無慙や、暫しもあらでむしり取られ。
▲地「或ひは打ち割り塩をさゝれて、悲しむ声は猛火(みやうくわ)となつて、消え消えとなりけるが、程なく我も網にかゝり、引き上げられて炭火に焙られ、角(つの)をもがるゝ苦しみなるを、今ありがたき御法(みのり)を受くる角栄螺、曲がりの心を打ち捨てゝ、直(すぐ)なる道に引かれ引かれ、直なる道に引かれ引かれて、栄螺殻とぞなりにける。
底本『狂言五十番』(芳賀矢一校 1926刊 国立国会図書館デジタルコレクション)
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