仏師(ぶつし) 大蔵流本
▲アト「これは片田舎に住居致す者でござる。某、志の深い者でござつて、一間四面の持仏堂を建立致いてござるが、田舎の事でござれば、御仏を作つて貰ひたうても仏師がござらぬによつて、今から都へ上り仏師を頼み、御仏を作つて貰はうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に私も内々都を見物致したい見物致したいと存じてござるが、この度は良きついでゞござる。こゝかしこを走り廻り、ゆるりと見物致さうと存ずる。都近うなつたやら、賑やかになつた。さればこそ、早都へ上り着いた。又田舎とは違うて、家建ちまでも格別な。あれからつゝとあれまで、軒と軒とをひつしりと建て並べた程にの。これはいかな事。仏師殿はどの様な人で、又どこ元にござるをも存ぜぬ。遥々問ひには戻られまいが。何としたものであらうぞ。はゝあ。さすが都ぢや。かう見るに、知れぬ事は呼ばゝつて歩けば知るゝと見えた。さらば某もこの辺りから呼ばゝつて参らう。仏買はう。仏買ひす。なうなう。それに仏師殿のお宿はござらぬか。ぢやあ。こゝ元ではないさうな。さらば他へ参らう。仏買はう。仏買ひす。いやこれこれ。その辺りに仏師殿のお宿はござらぬか。ぢやあ。こゝ元でもないさうな。これからちと上京へ参らう。仏買はう。仏買ひす。なうなう。それに仏師殿のお宿はござらぬか。
▲シテ「これはこの辺りに住居致す、心も直にない者でござる。あれへ田舎者と見えて、何やらわつぱと申す。ちと当たつて見ようと存ずる。なうなう。しゝ申し。
▲ア「やあやあ。こちの事でござるか。何事でござるぞ。
▲シ「いかにもそなたの事ぢや。この広い洛中をその様にわつぱと云うてお歩きやつたならば、定めて人が目を抜かう。
▲ア「目を抜かれてはなりませぬ。
▲シ「そなたは何事を云ふぞ。
▲ア「こなたは目を抜くとは仰せられぬか。
▲シ「いやいや。さうではない。総じて真(ま)でもない物をさうぢやと云うて売り付くるを、目を抜くと申す。
▲ア「すれば両目の事ではござらぬか。
▲シ「構へて両目の事ではおりない。扨、今仰しやつたは何事ぞと申す不審でおりやる。
▲ア「只今申した事の。
▲シ「中々。
▲ア「私は片田舎の者でござるが、つゝと志の深い者で、この度一間四面の持仏堂を建立致いてござるが、田舎の事なれば、御仏を作りたうても頼まう仏師もござらぬ程に、この度都へ上り、仏師を頼うで御仏を作つて貰はうと存じ、それを呼ばゝつて歩きまする。
▲シ「扨その仏師を知つてお尋ねあるか。但し知らいでお尋ねやるか。
▲ア「これは都人のお言葉とも覚えませぬ。存じて居れば、つゝかけて参れども、存ぜぬによつてかやうに呼ばゝつて歩きまする。
▲シ「これは身共が誤つた。すればそなたは仕合せな人ぢや。
▲ア「いや。仕合せと申しても、見えた向きの者でござる。
▲シ「いやいや。身についた仕合せではない。洛中に人多いといへども、真仏師は某でおりやる。
▲ア「なう。恐ろしや恐ろしや。必ずこの方へ寄らせらるゝな。
▲シ「そなたは何事を云ふぞ。
▲ア「でもこなたは蝮とは仰せられぬか。
▲シ「それもそなたの聞き様が悪しい。蝮ではない。真仏師と申す事でおりやる。
▲ア「仏師ならば仏師で良さゝうなものを。真仏師と仰せらるゝには{*1}、仔細でもござるか。
▲シ「中々。仔細がある。昔から運慶・湛慶・安阿弥と云うて、仏師が三流ある。某は中にも安阿弥の流れぢやによつて、それ故真仏師と申す事でおりやる。
▲ア「仔細を承れば尤でござる。扨御仏を作つて貰ひたうござるが、作つて下されうか。
▲シ「中々。何なりとも作つておまさうが、何が望みでおりやる。
▲ア「一間四面の持仏堂でござるによつて、これに相応な御仏を作つて貰ひたうござる。
▲シ「それならば何が良からうぞ。
▲ア「何が良うござらうぞ。
▲シ「仁王は何とあらうぞ。
▲ア「はあ。仁王と申すは、堂宮の門に立つてござる、いかめな御仏でござるか。
▲シ「中々。
▲ア「これはなりますまい。私は子どもがあまたござるによつて、余の御仏を作つて下されい。
▲シ「それならば天邪鬼は何とあらう。
▲ア「天邪鬼と申すは、御仏に踏まへられてござる、窮屈さうな御仏でござるか。
▲シ「中々。
▲ア「たまたま御仏を作るとて、その様な窮屈さうな御仏は嫌でござる。
▲シ「扨々そなたは仏にやうがましい人でおりやる。
▲ア「やうがましうはござらねども、私の存ずるは、現世後生を守らせらるゝ柔和忍辱な御仏が、作つて貰ひたうござる。
▲シ「むゝ。それならばこゝに、毘沙門の妹に吉祥天女というて、現世後生を守らせらるゝ柔和忍辱な御仏がある。これを作つておまさう。
▲ア「それならばそれを作つて下されい。
▲シ「中々。作つておまさう。扨お丈はいか程にするぞ。
▲ア「それも一間四面でござるによつて、それ相応に作つて下されい。
▲シ「それならば、余り高う作つて、この様にして拝むも腰が痛からう。又余り低う作つて、この様にして拝むも窮屈にあらう程に、只つるつると行てちよつと拝む様に、某が背頃合ひに拵へておまさう。
▲ア「いかさま。こなたの背頃合ひが良うござりませう。扨いつ頃出来まするぞ。
▲シ「お急ぎならば明日の今時分。お急ぎでなければ来年の今時分までにも出来かぬる事でおりやる。
▲ア「はあ。来年の今時分と明日の今時分とは、抜群の相違でござるが、それにも仔細ばしござるか。
▲シ「中々。仔細がある。最前も云ふ通り、身共は安阿弥の流れで弟子があまたある程に、汝は御手を作れ。汝は又御頭を作れと云へば、その儘明日の今時分作り済まいて、某が前へ持つて出る処で、膠をまんまと練り済まし、片端よりちよつちよつちよつと付けて廻れば、その儘明日の今時分に出来る。又来年の今時分と云ふは、何事も某が一つ細工{*2}にするによつて、来年の今時分にも出来かぬる事もおりやる。
▲ア「これも仔細{*3}を承れば尤でござる。それならば同じくはこなたの一つ細工{*4}が望みにはござれども、何を申すもこの度は急ぎまする{*5}によつて、明日の今時分作つて下されい。
▲シ「何が扨それならば、明日の今時分作つておませう。
▲ア「扨こなたのお宿はどこ元でござる。
▲シ「身共が宿と云うても、方々より御仏を受け取つて忙しい。和御料は五條の因幡堂を知つておりやるか。
▲ア「中々。存じて居りまする。
▲シ「それならばあの後ろ堂で渡さう程に、明日の今時分あれへ取りにおりやれ。
▲ア「それならば明日の今時分因幡堂へ取りに参りませう。扨私はもうかう参りまする。
▲シ「もはやおりやるか。
▲ア「さらばさらば。
▲シ「ようおりやつた。
▲ア「はあ。《太鼓座へ着く》
▲シ「扨も扨も、某は大胆な者でござる。生まれてこの方、楊枝を一本も削つた事もなうて、したゝかな御仏を受け取つてござる。これと申すも下心あつての事でござる。いや。やうやう田舎のが見ゆる時分でござる。迎ひに参らうと存ずる。
▲ア「いや。やうやう御仏の出来時分でござる。あれへ参らうと存ずる。扨も扨も、都は調法な事でござる。昨日誂へた御仏が今日は早出来ると申す。
▲シ「いゑ。田舎の。
▲ア「いゑ。仏師殿。どれへござるぞ。
▲シ「和御料が遅いによつて、迎ひに参つた。
▲ア「して御仏は出来ましてござるか。
▲シ「中々。出来ておりやる。まづこれを真つ直に行て左へひつ通れば、荒薦が垂れてある。それを上げて拝ましめ。
▲ア「畏つてござる。
▲シ「扨又、膠が乾かぬによつて、余り傍へは入らぬものでおりやる。
▲ア「心得ました。
▲シ「それならばあれへおりやれ。
▲ア「畏つてござる。扨も扨も早い事かな。早出来させられたと申す。まづこれを真つ直に行て左へひつ通れば。さればこそ{*6}これに荒薦が垂れてある。さらばこれを上げて拝まう。扨も扨も良う出来させられた。この辺りはその儘の人ぢや。や。温かな。はあ。その上見れば御印相が気にいらぬ。直いて貰はう。申し。仏師殿仏師殿。
▲シ「何事でおりやる。
▲ア「扨々良う出来ましてござる。
▲シ「何と気に入つたかの。
▲ア「殊の外柔和で気に入りまして{*7}ござる。その上いらうて見ましたれば、未だ人肌でござつた。
▲シ「それお見やれ。それ故傍へは入らぬものぢやと云ふに。
▲ア「その上御印相が気に入りませぬ。何とぞ直いて下されい。
▲シ「易い事。直いておまさう。あれへ廻らしめ。
▲ア「あれへ廻れば直りまするか。
▲シ「中々。直る事ぢや。早う廻らしめ。
▲ア「心得ました。はて、合点の行かぬ。廻れば直ると仰しやつたが。直る事か知らぬ。はゝあ。さればこそ直つた。扨も扨も奇特な事ぢや。さりながら、物欲しさうな御印相で気に入らぬ。又直いて貰はう。申し申し。仏師殿仏師殿。
▲シ「やあやあ。
▲ア「誠に良う出来ました。さりながらあれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シ「心得た。廻らしめ。
▲ア「又廻りまするか。
▲シ「中々。
▲ア「又廻る内に直るか知らぬ。さればこそ又直つたが、これも気に入らぬ。直いて貰はう。仏師殿仏師殿。
▲シ「やあやあ。
▲ア「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シ「又廻らしめ。
▲ア「私の存じまするは、とかくこなたをあれへ同道致いて、こゝが悪しいかしこが悪しいと申して、直いて貰ひたうござる。
▲シ「それはならぬ事でおりやる。
▲ア「なぜにでござる。
▲シ「最前も云ふ通り、某は安阿弥の流れで、方々から細工を受け取つて居るによつて、そなたの仏にばかりかゝつて居てはならぬ。悪しい所があらば幾度なりとも仰しやれ。某が印一つで直いておまさう。
▲ア「やあやあ。こなたの印一つで直りまするか。
▲シ「中々。直るとも。
▲ア「はあ。とかく今日は何とやら物がちらちらと致す様にござる。
▲シ「何もちらちらする事はない。仏と云へば仏。又仏師と仰しやれば某が出る。別にちらちらする事はおりやるまいがの。
▲ア「それならば仏でござるぞや。
▲シ「中々。心得た。
▲ア「ちと早う廻りませう。
▲シ「いかやうになりともさしめ。
▲ア「仏々々々。これも気に入らぬ。仏師殿仏師殿。
▲シ「やあやあ。
▲ア「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シ「廻らしめ。
▲ア「仏々々々。これは人を突き倒しさうな御印相ぢや。仏師殿仏師殿。
▲シ「やあやあ。
▲ア「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シ「廻らしめ。
▲ア「仏々々々。これは人を打擲する様な御印相ぢや。仏師殿仏師殿。
▲シ「やあやあ。
▲ア「あれも気に入りませぬ。
▲シ「廻らしめ。《幾つも右の如く云うて、印相も色々して、仕舞ひに余り急ぎて、面を横へ着て出るを見て》
▲ア「おのれは仏師ではないか。
▲シ「仏。
▲ア「仏がものを云ふものか。
▲シ「仏。
▲ア「何の仏。あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
▲シ「あゝ。許いてくれい許いてくれい許いてくれい。
校訂者注
1:底本は、「仰せらるには」。
2:底本は、「一細仔にする」。
3:底本は、「〇細」。
4:底本は、「こなたのは一つ細工」。
5:底本は、「急ぎます」。
6:底本は、「されこそ」。
7:底本は、「気に入りさして」。
底本:『狂言全集 上巻』「巻の三 十 仏師」(国立国会図書館D.C.)
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