連歌毘沙門(れんがびしやもん) 大蔵流本

▲アト一「罷り出でたる者はこの辺りに住居致す者でござる。今日は初寅でござるによつて、鞍馬へ参詣致さうと存ずる。それに付き、毎年申し合はせて参る人がござる。これへ誘ひ引きて参らうと存ずる。かう参つても内に居らるれば良うござるが。例年の事でござる程に、定めて忘れは致されまいと存ずる。いや。参る程にこれぢや。まづ案内を乞はう。物申。案内申。
▲アト二「いや。表に物申とある。案内とは誰そ。どなたでござる。
▲ア一「私でござる。
▲ア二「いゑ。こなたの御出を待つて居りました。
▲ア一「定めて左様でござらうと存じました。それならば追つ付けて参りませう。
▲ア二「それが良うござらう。
▲ア一「まづこなたからござれ。
▲ア二「先次第にござれ。
▲ア一「先と仰せらるゝによつて、私から参りませう。
▲ア二「それが良うござる
▲ア一「さあさあ、ござれござれ。
▲ア二「参りまする。
▲ア一「扨何と思し召すぞ。毎年毘沙門を信仰致し、初寅には必ず参詣致しますれば、次第次第に富貴になる様にござる。
▲ア二「仰せらるゝ通り、毘沙門天を信仰致いてより、段々楽しうなる様にござる。
▲ア一「いや。何かと申す内に、これは早お前でござる。
▲ア二「誠にお前でござる。
▲ア一「これへ寄つて拝ませられい。
▲ア二「心得ました。
▲ア一「いつ参つても森々と致いて、殊勝なお前ではござらぬか。
▲ア二「中々。殊勝なお前でござる。
▲ア一「さらば通夜を致しませう。
▲ア二「一段と良うござらう。《両人とも寝る》
▲ア一「はあはあ。あらありがたや。多聞天よりお福を下された。
▲ア二「申し申し。何事でござる。
▲ア一「只今多聞天より福ありの実を下されてござる。
▲ア二「それはめでたい事{*1}でござる。さらば私へも配分なされて下されい。
▲ア一「いや。私へ下されたお福でござるによつて、配分致す事はなりませぬ。
▲ア二「これはいかな事。私も例年申し合はいて歩みを運ぶ事でござるによつて、私へも下されぬ事はござるまい。是非とも配分なされて下されい。
▲ア一「それならば連歌を致いて、その上ではいかやうとも致しませう。
▲ア二「それが良うござらう。
▲ア一「まづこなたから発句をなされい。
▲ア二「まづこなたからなされい。
▲ア一「それならば出合ひに致しませう。
▲ア二「それが良うござらう。
▲ア一「何とでござらうぞ。
▲ア二「何とが良うござらうぞ。
▲ア一「かうもござりませうか。
▲ア二「早出ましたか。
▲ア一「毘沙門の。
▲ア二「毘沙門の。
▲ア一「福ありの実と聞くからに、と致しませう。
▲ア二「それならば、くらまぎれにてむかで喰ひけり、と付けませう。
▲ア一「これは一段と良うござる。ちと吟じて見ませう。
▲ア二「良うござらう。
▲ア一「毘沙門の福ありの実と聞くからに。
▲ア二「くらまぎれにてむかで喰ひけり。
▲二人「いや。御殿の内が震動致し、霊香薫じ只ならぬ体でござる。
▲ア一「これへ寄つてござれ。
▲ア二「心得ました。
▲シテ一セイ「毘沙門の光を放つて所から、くらまぎれより顕はれたり。
▲二人「これへきらびやかに出で立たせられたは、いか様なお方でござるぞ。
▲シ「汝はえ知らぬか。
▲二人「何とも存じませぬ{*2}。
▲シ「これは毘沙門天なるが、毎年毎年奇特に歩みを運ぶによつて、楽しうなしてとらせうと思ひ福ありの実を与へたれば、我取らう彼取らうと争ひ連歌をしたが優しさに、配分をして取らせうと思ひ、多門天これまで顕はれ出でゝあるぞとよ。
▲二人「これはありがたうござる。まづかう御来臨なされて下されい。
▲シ「心得た。床机をくれい。
▲ア一「畏つてござる。急いで床机を上げさせられい。
▲ア二「心得ました。はあ。お床机でござる。
▲シ「両人ともこれへ出い。
▲二人「畏つてござる{*3}。
▲シ「扨汝らは毎年毎年奇特に歩みを運ぶなあ。
▲二人「はあ。
▲シ「さらば最前の福ありの実を配分をして取らせう。これへおこせい。
▲ア一「いや。私の方にはござりませぬ。
▲シ「それならばそちにあらう。これへ出せ。
▲ア二「いや。私の方ではござらぬ。
▲シ「身共が前でさへその如く争ふ。確かに汝に渡いた程に、これへおこせい。
▲ア一「それならば上げませう。はあ。ありの実でござる。
▲シ「これへおこせい。
▲ア一「畏つてござる。
▲シ「扨も扨も、見れば見る程見事なありの実ぢや程に、やる事はならぬ。
▲二人「これはいかな事。折角下された物を取り返させらるゝと申す事があるものでござるか。何とぞ配分をなされて下されい。
▲シ「これは戯れ事。配分をして取らせうが、何ぞ刃物があるか。
▲ア一「いや。何もござりませぬ。
▲シ「汝は持たぬか。
▲ア二「私も持ちませぬ。
▲シ「扨々汝らは不嗜みな者ぢや。それならば是非に及ばぬ。この鉾で割つて取らせうが、鉾で割つたならば定めて錆びるであらうが、その時分に研ぎ賃は出すか。
▲二人「研ぎ賃程の事は出しませう。
▲シ「これも戯れ事。これは南蛮の鉾と云うて、錆びる鉾ではないやい。
▲二人「はあ。
▲シ「いでいで。ありの実を割らんとして、なんばの鉾を取り直し、真ん中よりさつくり。はゝあ。二つになつた。まづ汝取れ。
▲ア一「畏つてござる。
▲シ「さあさあ。そちも取れ。
▲ア二「畏つてござる。
▲シ「余り見事なありの実で、酢がたまつた。これが毘沙門が徳分に致さう。扨最前の連歌はいかにいかに。
▲二人「毘沙門の毘沙門の、福ありの実と聞くからに、くらまぎれにてむかで喰ひけり。
▲シ「毘沙門、連歌の面白さに。《舞。働き》毘沙門、連歌の面白さに。悪魔降伏打ち払ふ。鉾を汝に取らせけり。
▲ア二「あらあら。けなりやけなりやな。我にも福をたび給へ。
▲シ「欲しがる事こそ尤なれ。欲しがる事こそ尤なれとて。兜を脱いで汝に取らせ。これまでなりとて毘沙門天は。これまでなりとて毘沙門天は、この所にこそ納まりけれ。

校訂者注
 1:底本は、「たい目出事」。
 2:底本は、「存じませせぬ」。
 3:底本は、「畏つて座る御」。

底本:『狂言全集 中巻』「巻の一 一 連歌毘沙門」(国立国会図書館D.C.

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