瓜盗人(うりぬすびと) 大蔵流本
▲アト「これはこの辺りに住居致す耕作人でござる。某当年は瓜を作つてござるが、一段と見事に出来て、この様な満足な事はござらぬ。今日は瓜畑へ見舞うて様子を見ようと存ずる。まづそろりそろりと参らう。総じて瓜が色付いてからは、人が取りたがるものでござる程に、案山子をも拵へ、垣をも念を入れて結うて置かうと存ずる。参る程にこれぢや。扨も扨も当年程瓜の見事に出来た事はござらぬ。これは余程色付いた。や。これはいかな事。人の取つた跡がある。扨々憎い事でござる。良い良い。今日は案山子を作つて、盗まれぬ調儀を致さうと存ずる。《と云うて、大臣柱の方へ案山子を作る。腰桶の上へ鞨鼓を置き、うそぶきの面を着せ、梨子打烏帽子{*1}を着せて、杖を横に通し、水衣を着せ、右の方に杖に作り、緒を付けて持たせ置く》
一段と良い。はあ。その儘の人ぢや。遠くから見たならば番をして居ると思うでござらう。扨垣をも念を入れて結うて置かう。《「えいえい」と云うて、竹を挿す真似して》
一段と良うござる。又明日見廻りに参らうと存ずる。
▲シテ「これはこの辺りに住居致す者でござる。昨日さる方へ参るとて、瓜畑の側を通つてござるが、余り見事な瓜でござるによつて、二つ三つ取つてさる方へ進上致いてござれば、扨々これは風味の良い瓜ぢや。手作か、と仰せられた処で、いかにも手作の瓜でござる、と申してござれば、手作ならば今少しくれい、と仰せられてござる。初め手作ぢやと申して、今さら手作ではござらぬとは申されず、畏つた。進上致さう、とお約束致いてござる。是非に及ばぬ。今から取りに行かずばなるまいが、何と致さう。いや。人遠い所ぢや程に、苦しうござるまい。その上もはや暮れかゝつた程に、畑主も見舞ひは致すまい。まづそろりそろりと参らう。かやうの事を致せば面白うなつて、後には本のものになると申すが、私は中々左様の事ではござらぬ。いや。参る程にこの畑であつた。はあ。昨日参つた時よりも垣に念を入れてせられた。さりながら、この垣の分は飛び越えて参らう。やつとな。はあ。扨も扨も昨日参つた時よりも、一夜の事でこれは良う色付いた。さらば取らう。これはいかな事。これは枯れ葉ぢや。いや。これに良い瓜がある。これを取らう。これはいかな事。これも又枯れ葉ぢや。扨々苦々しい事かな。日が暮れたによつて、枯れ葉その儘の瓜に見ゆる。これでは中々取る事はならぬが{*2}、何とせうぞ。おう。それそれ。夜瓜を取るには、転びを打つが良いと申す。さらば転びを打たう。えいえい。やつとな。《シテ柱の辺りより人形の方へ転び行く》さればこそ、早これにあるわ。扨も扨も見事な瓜かな。さらば取らう。《取つて懐へ入れる》何事もゝのをば承つて置かうものでござる。最前からかやうに致いたならば、今時分は余程取つてあらうものを{*3}、残念な事を致いた。やつとな。はあ。又これにあつた。これも一段と見事な。むゝ。旨い匂ひがする。《又取つて懐へ入れて、又転びては取り転びては取り、案山子の傍へ転び行く》
あゝ。悲しや悲しや悲しや。真つ平許いて下されい。私は取るまいと申してござれども、是非とも取つてくれいと申す人がござつて、是非なう参りました。深しう取りは致しませぬ。何とぞ許させられて下されい。申し申し。それならば二つ三つ取つた瓜を返上致しまする程に、何とぞ許いて下されい。申し申し。瓜を返しまする上は、御損もござらぬ事でござる程に、何とぞ許すと只一言仰せられて下されい。申し申し。なぜにものを仰せられぬぞ。ものを仰せられいでは迷惑にござる。これ程までに降参致すに、ものを仰せられぬはかへつて御卑怯でござる。申し申し申し。これはいかな事。ものを云はぬこそ道理なれ。人かと思うたれば、あれは人形ぢや。扨々腹の立つ。何としてくれうぞ。おゝ。それそれ。再び参らうではなし。瓜蔓を引つ立てゝのけう。えい。めりめりめり。えい。めりめりめり。《と云うて、三所程も蔓を引つ立つる》腹も立つ。くねをも引き抜いてやらう。えい。くわらくわらくわら。えい。くわらくわらくわら。これこれ。これで一段と良い。急いで戻らう。これはいかな事。せっかく骨を折つて取つた瓜を、すでに忘れうと致いた。さらばこれを持つて帰らうと存ずる。《と云うて、瓜を拾ひ集め、懐へ入れ、楽屋へ入る》
▲ア「昨日瓜畑へ見舞うてござれば、人の取つた跡がござつたによつて、案山子を拵へ、垣をも念を入れて結うてござる。心元ない程に、参つて見ようと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に当年は豊年とは申せども、某が瓜の様によう出来た瓜はござらぬ。せっかく出来たものを人に取らるゝと申すは、近頃残念な事でござる。いや。参る程にこれぢや。これはいかな事。昨日念を入れて結うた垣を、散々に引き抜いた。南無三宝。瓜蔓をも皆引き立てた。扨々憎い奴でござる。瓜を盗むのみならず、瓜蔓まで引き立つるといふは、扨々腹の立つ事でござるが、何と致さう。いや。それそれ。瓜盗人は又参るものぢやと申すによつて、今夜は某が案山子になつて居て、参つたならば捕らへて、散々に打擲致さうと存ずる。《と云うて人形を毀し、その如く取り繕うて腰掛けて居る》
▲シ「あゝ。かりそめな事を致さう事ではござらぬ。夜前の瓜を進上致いてござれば、とかくこの様な風味の良い瓜はない程に、明日は私の方へ御出なされて召し上がられう程に、随分たくさんに取つて置け、との事でござる。又今夜も取りに行かずばなるまい。はあ。余り度々の事ぢやによつて、参るはこはものなれども、是非に及ばぬ事でござる。やうやう時分も良うござる。まづそろりそろりと参らう。この様な事も度重なれば顕はるゝと申すが、今夜は何とやら後ろから掴み立てらるゝ様に、しきりに恐ろしい心が出たが。あゝ。何事もなければ良いが。気味の悪い事ぢや。いや。参る程にこれぢや。なうなう。嬉しや。まづ落ち着いた。畑主が見舞はぬと見えて、畝がその儘ある。これで安堵致いた。扨案山子もその儘あるか知らぬ。《人形を見て》
はあ。さればこそこれにつゝくりとして居る。やい。夜前よう某に肝を潰させたな。夜前こそ怖じたれ、案山子などに怖づる身共ではないゝやい。《笑うて》いや。又知らぬ者は肝を潰すまいものでもござらぬ。この畑主は殊ない細工利きと見えて、その儘の人ぢや。扨あの案山子をようよう見れば、何やらによう似たが、何にてあつたか知らぬ。おう。それそれ。罪人の作り物にその儘ぢや。いゑ。それについて思ひ出いた。近日村の祭礼でござるが、当年は鬼が罪人を責むる作り物を致さうと申してござるが、いつも役は鬮取りにするによつて、自然某が鬼の役に当たらないものでもござらぬ。幸ひ人通りはなし、あの人形を罪人にして、ひと責め責めて見よう。いや。これにくね竹がある。これを杖にして、さらば稽古致さう。
いかに罪人、急げとこそ。《一段責め》
へ。何を云うても人形ぢや処で、責め力がない。まづこれで鬼の稽古は済んだが、又自然、罪人の鬮に当たるまいものでもない。今度はあの案山子を鬼にして、罪人の稽古を致さう。幸ひこれに良い綱がある。さらばこれを持つて責められて見よう。
あら悲しや。これ程参り候ふに、さのみな御責め候ひそ。行かんとすれば引きとゞむ。止まれば杖にて丁と打つ。《アト、杖にてシテの肩を叩く》
あゝ。痛々々。やいやいやいやい。この畑には人が居るぞ。聊爾に飛礫を打つないやい。《方々見廻して》はて合点の行かぬ。人音もせぬに、どちから飛礫を打つたか知らぬ。今一度稽古して見よう。《と云うて、綱を引き杖を上ぐる》はゝあ。この綱を引けば杖が上がる。又緩むれば打つ。はあ。すれば、身共が綱を引いて又緩めたによつて、この杖で打つたものであらう。扨々この畑主は細工利きぢや。殊の外良いからくりぢや。余り面白い。今一度引いて見よう。引けば上がる緩むれば打つ。引けば上がる緩むれば打つ。引けば上がる緩むれば打つ。引けば上がる緩むれば打つ。《笑うて》扨も扨も面白い事ぢや。今一度稽古して見よう。
罪人よ罪人よ。因果の綱に繋がれて、行けど行かれぬ死出の山。行かんとすれば引きとゞむ。止まれば杖にて丁と打つ。《アト、謡の内に面を脱ぎて》
▲ア「がつきめ、やるまいぞ。《と云うて、杖にて叩く》
▲シ「おのれは人形ではないか。
▲ア「何の人形。よう瓜を取つたな。
▲シ「あゝ。許いてくれい許いてくれい許いてくれい。
▲ア「あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
校訂者注
1:底本は、「きせなし、折烏帽子」。岩波文庫本(『能狂言』1945刊)に従い改めた。
2:底本は、「なぬが」。
3:底本、「を」の一字はカスレ、判読困難。
底本:『狂言全集 中巻』「巻の二 十 瓜盗人」(国立国会図書館D.C.)
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