三人片輪(さんにんかたわ) 大蔵流本
▲主「これはこの辺りに住居致す者でござる。某存ずる仔細あつて、片輪{*1}者を抱へうと存ずる。まづこの由を高札に打たう。《シテ柱へ扇にて打つ》
一段と良うござる。
▲座頭「しなしたるなりかな。辺りの若い者どもと寄り合ひ、手慰みを致いてござれば、散々仕合せが悪うござつて、身の周りまで打ち込うでござる。何とがな致さうやれと存ずる所に、山一つあなたに大有徳なお方がござつて、何者にはよるまい、片輪{*2}者に御扶持なされうと高札を打たれたと申すによつて、某も生まれ付いた片輪{*3}ではござらねども、日頃皆の者が目早な目早なと申すによつて、引つ違へて座頭になつて参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。かう参つても御扶持をなされて下さるればようござるが。御扶持を下されぬ時は参つた詮もない事でござる。いや。参る程にこれに高札がある。この辺りから座頭の体で案内を乞はう。物申。案内申。
▲主「表に物申とある。案内とは誰そ。どなたでござる。
▲座「これは高札の表に付いて参つた座頭でござる。
▲主「何ぢや。高札の表に付いて来た座頭ぢや。
▲座「中々。
▲主「扶持をして取らせう。かう通れ。
▲座「それはありがたうござる。
▲主「つゝと通れ。
▲座「心得ました。
▲主「それにとうど居よ。
▲座「はあ。
▲躄「これはこの辺りに住居致す者でござる。辺りの若い者どもと寄り合つて手慰みを致いてござれば、散々仕合せが悪しうござつて、金銀は申すに及ばず、女共が手道具までも打ち込うでござる。何とがな致さうやれと存ずる所に、山一つあなたに有徳人がござつて、何者にはよるまい、片輪{*4}者に御扶持をなされうと高札を打たれたと申す。某も生まれついた片輪{*5}ではござらぬが、日頃皆の者どもが不達者なと申すによつて、それを幸ひに躄になつて参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に世話にも申すが如く、相撲の果ては喧嘩になり、博奕の果ては盗みをするより他はないと申すが、今思ひ当たつてござる。いや。参る程にこれに高札がある。人に見付けられぬ内、躄になつて案内を乞はう。《常の如く》
私は高札の表について参つた片輪者でござる。
▲主「扶持をして取らせう。まづ立て。
▲躄「私はゐざりでござる。
▲主「何ぢや。ゐざりぢや。
▲躄「中々。
▲主「扨々、良い若い者ぢやが、さぞ不自由にあらうなあ。
▲躄「はあ。殊の外不自由にござる。
▲主「扶持をせう。かう通れ。
▲躄「ありがたうござる。
▲主「つゝと通れ。
▲躄「畏つてござる。
▲主「それにとうど居よ。
▲躄「はあ。
▲啞「名誉の是者でござる。辺りの若い者どもと寄り合つて、鹿の角を揉む程に揉む程に、縄になふ程致いてござれば、散々仕合せが悪しうござつて、身の周りは申すに及ばず、家一跡をも打ち込うでござるによつて、宿へ戻る事もならず、ほうど行き当たつて迷惑致す処に、天道人を殺さずとはよう申したものでござる。山一つあなたに大有徳な人がござつて、何者にはよるまい、片輪{*6}者を抱へうと高札を打たれたと申す。私も生まれついた片輪ではござらねども、日頃皆の者どもが口不調法なと申すによつて、それを幸ひに啞になつて参らうと存じ、啞の用意を致いた。総じて啞と申すものは、この様な物をかう致いて、おゝさへ申せば済む事でござる。まづそろりそろりと参らう。誠に良い置きしほもござつたれども、又取らう取らうと大欲にかゝつて、こちの物をあちへ取られてござる。いや、参る程にこれに高札がある。さらばこの辺りから啞の体で案内を乞はう。《啞竹取り出し、「おゝんおゝんおゝん」と云うて叩く》
▲主「いや。表がうめくが何事ぢや知らぬ。いや。汝は何者ぢや。《啞竹にて書いて見する》
何ぢや。高札の表について来た啞ぢや。
▲啞「おんおん。《と云ふ》
▲主「啞といふものは芸のあるものぢやが、汝は何も芸はないか。《啞竹にて弓を射る真似、鑓を使ふ真似、茶を挽く真似する》
扨々、万能な奴ぢや。くわつと扶持をして取らせうぞ。
▲啞「あゝ。《と云ふ》
▲主「これはいかな事。啞がものを申した。それそれ。啞のひと声と云うて、一代に一度ものを云へば、その身の事は扨置き、所まで富貴致すと申す。めでたい事でござる。急いで抱へうと存ずる。やいやい。扶持をして取らせう。かう通れ。《啞、「おんおん」と云ふ》
つゝと通れ。《「おんおん」と云ふ》
それにとうど居よ。《「おんおん」と云ふ》
大方、片輪{*7}者を抱へてござる。銘々に役を申し付けうと存ずる。やいやい。座頭。
▲座「はあ。
▲主「何と窮屈なか。
▲座頭「左様にもござらぬ。
《三人ともに、同様に逗留の事を云ふべし》
▲主「扨、某は二三日の逗留に山一つあなたへ行く。則ち汝が前にあるは軽物蔵ぢや。そちに預くる程に、盗人の入らぬ様に番をせい。
▲座「目こそ見えませずとも、すは盗人と申さば、わつぱと申して追ひ走らかしませう。
▲主「頼むぞや。
▲座「はあ。
▲主「やいやい。躄。
▲躄「はあ。
▲主「何と窮屈なか。
▲躄「左様にもござらぬ。
▲主「そちが前にあるは酒蔵ぢや。これを汝に預くる程に、よう番をせい。
▲躄「お気遣ひなされまするな。もし盗人とも申さば、すねこそ立ちませね{*8}、声でなりとも追ひ出いてやりませう。
▲主「お。頼むぞや。
▲躄「畏つてござる。
▲主「やいやい。啞。《啞、「おんおんおん」と云ふ》
何と退屈なか。《啞、又「おんおんおん」と云ふ》
汝が前にあるは鳥目蔵ぢや。そちに預くる程に、よう番をせい。《啞竹にて鑓を使ふ真似をする》
何ぢや。盗人とも云はゞ、鑓で仕留めう。《「おんおんおん」と云ふ》
則ち、次の間に鑓を掛けて置いた。あれで仕留めてくれい。《「おんおんおん」と云ふ》
頼むぞや。《「おんおんおん」と云ふ。主、太鼓座へ引つ込む》
▲座「もはや頼うだ人は行かれたか知らぬ。頼うだ人。頼うだお方。早行かれたさうな。さらば、ちと開いて見よう。はあ。夜の明けた様な。いや。隣にも誰やら声がする。覗いて見よう。《立つて後ろから見て》
はあ。あれは誰ぢや。ちとおどさう。《躄も座頭の如く云ふ。「扨々、躄といふものは良いものかと思うて躄になつて来たれば、すねが折れる様な。さらばちよつと立つて見よう」と云うて、すねを伸ばし、さすりて立つ処を座頭見付けて》
やいやいやいやい。《と云ふ。躄、肝を潰し下に居、座頭を見て》
▲躄「えい。和御料ならば肝を潰すまいものを。何としてこゝへは来たぞ。
▲座「何としてと云ふ事があるものか。この間の不仕合せ故、参つた。
▲躄「某もその通りぢや。扨、身共が隣でも何やらうめく声がするが、定めて余の者ではあるまい。見て参らう。
▲座「それが良からう。
▲躄「こちへ渡しめ。
▲座「心得た。
▲躄「さればこそ誰ぢや。
▲座「きやつも来たわ。
▲躄「ちとおどいてやらう。
▲座「一段と良からう。
▲二人「やいやいやいやい。《と云うて拍子を踏む。啞、肝を潰し「おんおんおん」と云うて、両人を見て》
▲啞「扨も扨も和御料達ならば肝を潰すまいものを。何としてこれへは来たぞ。
▲座「何としてと云ふ事があるものか。この間の不仕合せ故参つた。
▲啞「身共とても{*9}その通りぢや。扨、そなたは{*10}何になつて来た。
▲座「身共がなりは興がつた体ぢや程に、合点が行くまい。
▲啞「中々。合点が行かぬ。
▲座「日頃そなた達の、目早な目早なと仰しやるによつて、引つ違へて座頭になつて参つた。
▲啞「これは良いものぢや。扨、そなたは又何になつて来た。
▲躄「身共は常のなりぢやによつて知れまい。
▲啞「何とも知れぬ。
▲躄「かねがね和御料達の、不達者な不達者なと仰しやるによつて、それを幸ひに躄になつて参つた。
▲啞「これは只居て良いものぢや。
▲躄「扨又そなたは最前からうめくが、何になつて来たぞ。
▲啞「某は道具もある。合点が行くまい。
▲躄「何とも合点の行かぬ体ぢや。
▲啞「常々そなた達の、口不調法なと仰しやるを幸ひに、啞になつて参つた。
▲躄「これはものを云はいで良いものぢや。
▲啞「扨それについて、最前危ない事があつての。
▲躄「それは何とした。
▲啞「これへ来たれば、頼うだ人の仰せらるゝは、啞といふものは芸はあるものぢやが、汝は何と芸はないかと仰せられたによつて、弓を射る真似、鑓を使ふ真似、茶を挽く真似などをしたれば、万能な奴ぢや。くわつと扶持をして取らせう、と云はれた処で、余り嬉しさに、あつと返事をしての。
▲躄「それは危ない事であつた。扨何とした。
▲啞「さすが有徳な人の分別は違うたものぢや。啞のひと声と云うて、一代に一度物を云へば、その身の事は扨置き、所まで富貴栄華に栄ゆる、と云うて、悦うで抱へられた。
▲躄「扨々それは仕合せな事ぢや。今からそちは仕合せが直るであらう。
▲啞「その様な事もあらう。扨座頭。和御料は何も預りはせぬか。
▲座「某は結構なものを預つた。
▲啞「結構なものは何であらうぞ。
▲躄「されば何であらうぞ。
▲座「軽物蔵を預つた。
▲啞「いかさま。これは結構なものぢや。
▲座「躄は何を預つた。
▲躄「某は当座良いものを預つた。
▲座「当座良いものは何であらうぞ。
▲躄「酒蔵を預つた。
▲座「誠にこれは当座良いものぢや。
▲躄「又啞は何を預つた。
▲啞「身共はある重宝なものを預つた。
▲躄「重宝は何であらうぞ。
▲座「されば何であらうぞ。
▲啞「鳥目蔵を預つた。
▲躄「これは誠に一重宝なものぢや。
▲啞「扨それにつき、座頭。相談がある。
▲座「それはいかやうな事ぢや。
▲啞「まづこれから躄が所へ行て一つ呑うで、扨その上にて身共が鳥目をくわらりくわらりと出いて、今ひと勝負を始めうではないか。
▲座「これは一段と良からう。躄。蔵の戸をあけさしめ。
▲躄「心得た。
▲啞「面々その道具が大事ぢや。これへおこさしめ。
▲座「心得た。
▲躄「くわらくわらくわら。扨も扨も夥しい壺数ではないか。
▲座「誠に夥しい壺数ぢや。
▲躄「扨これはどれに致さう。
▲座「これは亭主の物好きが良からう。
▲躄「それならば幸ひこゝに蓋の取り掛けたがある。これに致さう。
▲座「それが良からう。
▲躄「さらば蓋を取らう。やつとな。むゝ。旨い匂ひがするわ。
▲座「誠に旨い匂ひがする。
▲躄「まづ一つ汲んで。これは座頭から呑まさう。
▲座「身共に呑まするか。
▲躄「中々。
▲座「恰度ある。
▲躄「恰度ある。
▲座「さらば和御料も呑ましめ。
▲躄「心得た。
▲座「今度は身共が酌に立たう。
▲躄「ちと謡はしめ。
▲座「心得た。《小謡》
▲躄「扨一つ受け持つた程に、何ぞ舞はしめ。
▲座「何とこの興がつたなりで舞はるゝものぢや。許いてくれさしめ。
▲躄「いやいや。その興がつたなりが面白からう。平に舞はしめ。
▲座「それならば舞はうか。
▲躄「それが良からう。《「あんの山」を舞ふ》
やんやゝんや。さらば又、身共が酌に立たう。《躄つて小謡》
▲座「扨、今度は某が受け持つた程に、躄。舞はしめ。
▲躄「某こそ許いておくりやれ。
▲座「身共もゝはや舞うた。平に舞はしめ。
▲躄「それならば舞はうか。
▲座「それが良からう。《「漕ぎ出でゝ」を舞ふ》
やんやゝんや。
▲啞「舞うておりやる。今度は身共が酌に立たう。《啞、立つて小謡》
▲二人「又両人とも受け持つた程に、啞も一つ舞はしめ。
▲啞「某こそ許さしめ。
▲二人「いやいや。順の舞ぢや。平に舞はしめ。
▲啞「それならば舞はう程に、謡うてくれさしめ。
▲二人「心得た。《「景清」か「鵜飼」を舞ふ》
やんやゝんや。
▲躄「されば、又身共が酌に立たう。《躄、立ち「ざゞんざ」を謡ふ》
▲啞「これは上々の酒盛になつた。
▲躄「誠に上々の酒盛になつた。
▲啞「頼うだ人はこの様な事は知らいで、ゆるりと慰うで居らるゝであらう。
▲躄「仰しやる通り、ゆるりと慰うで居らるゝであらう。《シテの舞済むと、主立ち出で、「ゆるりと用事を仕舞うて{*11}ござる。定めて片輪{*12}者が待つて居るでござらう。急いで罷り帰らうと存ずる。はて、合点の行かぬ。酒盛の音がする」と云つて、見て》
▲主「や。座頭が目をあき、躄が立ち、啞が物を云ふ。これはすつぱであらう。やいやいやいやい。
▲三人「そりや。帰らせられた。《と云うて、狼狽へて笛の上へ逃げ、座頭は啞竹を持つて「おんおんおん」と云うて出づるを、主、「座頭ではないか」と云ふ》
▲座「私は啞でござる。
▲主「啞が物を云ふものか。
▲座「あゝ。真つ平許させられい。《と云うて逃げ入る。主追ひ込む》
▲主「扨、残りの者は何とした知らぬ。《と云うて廻る処へ、躄、杖をつき出づる》
おのれは躄ではないか。
▲躄「私は座頭でござる。
▲主「あの横着者。どちへ行くぞ。
▲躄「あゝ。許させられい。《と云うて逃げ入る。この内啞、笛の上へ行き、初め道具を置いた所を見て》
▲啞「南無三宝。大切の道具を取られた。何と致さう。《と云うて正面へ廻る時》
▲主「今一人の者は何としたか知らぬ。やい。おのれは啞ではないか。
▲啞「私は物でござる。
▲主「物とは。
▲啞「躄でござる。《と云うて下に居る》
▲主「何と躄。あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
▲啞「あゝ。許させられい許させられい許させられい。
校訂者注
1~7・12:底本は、「支離」。
8:底本は、「立ちませぬ」。
9:底本は、「身共達も」。岩波文庫本(『能狂言』1945刊)により改めた。
10:底本は、「そなたには」。
11:底本は、「仕廻ふて」。
底本:『狂言全集 中巻』「巻の五 八 三人片輪」(国立国会図書館D.C.)
コメント