連歌盗人(れんがぬすびと) 大蔵流本

▲シテ「これはこの辺りに住居致す者でござる。某、いやしくも和歌の道に好き、辺りの若い衆と寄り合うて連歌の初心講を取り結んでござれば、近日、頭に当たつてござる。私の事でござれば、この度の頭を営まう様がござらぬ。私ばかりでもござらぬ。今ひとり相頭がござるによつて、今日はあれへ参り相談を致さうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。かう参つても、お宿にござれば良うござるが。もしお宿にござらぬ時は、参つた詮もない事でござる。いや。参る程にこれぢや。さらば案内を乞はう。《常の如く》
▲アト「何と思し召しての御出でござるぞ。
▲シ「只今参るも別なる事でもござらぬ。扨、頭も近々になりましてござる。
▲ア「誠に近日になりましてござる。定めてこなたには御用意が出来たでござらう。
▲シ「私も用意致さぬではござらぬ。かいしきなどがいらうと存じて、南天や杉の葉を七八十人前も用意致いてござる。
▲ア「かいしき。いちいる物でござる。扨、何でござる。
▲シ「まづこれまでゞござる。
▲ア「早それまでゞござるか。
▲シ「中々。こなたは定めて色々用意なされたでござらう。
▲ア「私も用意致さぬでもござらぬが、杉楊枝などがいらうかと存じて、七八十人前も用意致いてござる。
▲シ「杉楊枝。いちいる物でござる。扨、何でござる。
▲ア「早これまでゞござる。
▲シ「いや。申し。この度の頭が、杉楊枝やかいしきなどでは営まれますまい。
▲ア「仰せらるゝ通り、杉楊枝やかいしきなどでは営まれますまいが、何と致いて良うござらうぞ。
▲シ「扨、今日参るも別なる事でもござらぬ。それにつき御相談があつて参りましたが、こゝ元はつゝと端近にござる。何と奥へ通りませうか。
▲ア「誠に最前から心づきませなんだ。つゝと通らせられい。
▲シ「心得ました。それならば通りませう。
▲ア「つゝと通らせられい。
▲シ「心得ました。
▲ア「それにゆるりとござれ。
▲シ「扨、こゝ元は人遠い所でござるか。
▲ア「中々。つゝと人遠い所でござる。扨、御用と仰せらるゝは、いかやうの事でござるぞ。
▲シ「別なる事でもござらぬが、この事を申し出いて、こなたの御承引あれば良うござるが、もし御承引ない時は、私の迷惑致す事でござる。
▲ア「これは改まつた仰せられ様でござる。あひ頭の事でござれば、承引致さぬと申す事がござらうか。平に仰せられて御らうぜられい
▲シ「それならば申しませうが、もし御承引ない時は、当座の笑ひ草になされて下されい。
▲ア「何が扨、笑ひ草に致しませう程に、早う仰せられい。
▲シ「それならば申しませう。あの下の町の。《笑うて》中々申さるゝ事ではござらぬ。
▲ア「これはいかな事。なぜに左様に仰せらるゝぞ。相頭の事でござれば、良い事は良い、悪しい事は悪しいと申しませう程に、是非とも仰せられい。
▲シ「それならば、もし御承引なき時は、必ず当座の笑ひ草でござるぞや。
▲ア「中々。もし悪しい事ならば、笑ひ草に致しませう。
▲シ「それならば申して見ませう。あの下の町の誰殿。《又笑うて》いかないかな。申さるゝ事ではござらぬ。
▲ア「扨々こなたは聞こえぬお方でござる。なぜに左様に心を置かせらるゝぞ。思ひ切つて云うて見させられい。
▲シ「それならばこの度こそ思ひ切つて申しまする程に、もし御承引なくば、必ず当座の笑ひ草でござるぞや。
▲ア「いかにも。笑ひ草でござるとも。
▲シ「あの下の町の誰殿をご存じでござるか。
▲ア「あれは大有徳人でござる。
▲シ「その有徳についての事でござる。
▲ア「とは耳よりにござる。それは又いかやうな事でござるぞ。
▲シ「さればその事でござる。私の存じまするは、最前も申す通り、この度の頭が中々杉楊枝やかいしきの類では営まれますまい程に、今夜こなたと私と致いてあれへ参り、何ぞ道具のひと色ふた色も案内なしにそつと。《笑うて》これは戯れ事でござる。
▲ア「あゝ。皆まで仰せらるゝな。私も内々は左様の方便ならではござるまいと存じてござる。
▲シ「扨は御同心でござるか。
▲ア「いかにも同心でござる。
▲シ「誠に、相頭なれば心までが一つでござる。
▲ア「左様でござる。
▲シ「扨、この様な事は宵からつけたが良いと申すによつて、いざ参りませう。
▲ア「こなたはいかう御功者でござる。
▲シ「扨々むざとした事を仰しやる。まづ和御料からおりやれ。
▲ア「いや。まづそなたから行かしめ。
▲シ「それならば身共から参らうか。
▲ア「それが良からう。
▲シ「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲ア「参る参る。
▲シ「何と思はしますぞ。そなたや某が朝夕の煙さへ立てかぬる身代で、連歌に好くといふは、片腹痛い事ではないか。
▲ア「仰しやる通り、片腹痛い事でござる。
▲シ「さりながら、追つ付け天神の御納受ない事はあるまいぞ。
▲ア「中々。御納受ない事はあるまいとも。
▲シ「いや。なうなう。参る程にこれでおりやる。
▲ア「誠にこれぢや。
▲シ「扨も扨も用心厳しい体かな。これでは中々這入る事はなるまい。
▲ア「中々。忍び入る事はなるまい。
▲シ「それにつき、下心あつてこの間裏道を通りて見たれば、まだ塀の手の合はぬ所があつた。いざ裏道へ廻らう。
▲ア「一段と良からう。
▲シ「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲ア「心得た心得た。扨々そなたはどれからどれまでも気の付いた人ぢや。
▲シ「むざとした事を仰しやる。さればこそこの葦垣一重ぢや。
▲ア「誠に葦垣一重である。
▲シ「これを切りあくれば則ち表の座敷ぢや。和御料は何ぞ刃物を用意したか。
▲ア「いや。身共は何も用意せぬ。
▲シ「扨々、不嗜みな人ぢや。身共はこの様な事もあらうかと思うて、鋸を用意した。
▲ア「扨々良い心掛けぢや。
▲シ「又むざとした事を仰しやる。扨、某はこれを切りあくる程に{*1}、和御料は辺りを気を付けてくれさしめ。
▲ア「心得た。
▲シ「ずかずかずか。ずかずかずか。ずかずかずかずか。ずつかり。なうなう。これを引きめくらう。
▲ア「一段と良からう。
▲シ「これへ寄らしめ。
▲ア「心得た。
▲シ「めりゝめりゝめりゝめりゝめりゝ。鳴つたり鳴つたり。したゝかな鳴り様であつた。はあ。某はうろたへた。人に聞かすまいと思うて、我が耳をちやつと塞いだ。扨、今一人の者は何としたか知らぬ。定めてきやつも肝を潰いたでござらう。
▲ア「扨も扨も夥しい鳴り様かな。誰ぞ聞き付けはせぬか知らぬ。扨、今一人の者はいづ方へ逃げたか。きやつも定めてうろたへたでござらう。
▲シ「ゑい。こゝな者。
▲ア「和御料か。
▲シ「そなたか。扨、今のは夥しい鳴り様ではなかつたか。
▲ア「仰しやる通り、したゝかな鳴り様であつた。
▲シ「身共はうろたへた。人に聞かすまいと思うて、我が耳をちやつと塞いだ。
▲ア「身共とてもその通りぢや。
▲シ「まづ人は聞き付けぬと見えた。
▲ア「中々。聞き付けぬと見えた。
▲シ「さらばこれをくゞらう。
▲ア「一段と良からう。
▲シ「はあ。しつけぬ事をすれば胸がだくめく。
▲ア「仰しやる通り、胸がだくめく。
▲シ「いや。これが則ち表の座敷ぢや。
▲ア「誠にさう見えた。
▲シ「身共が戸をあけて参らう。
▲ア「それが良からう。
▲シ「さらさらさら。
▲ア「何とした。
▲シ「灯がともつてある。
▲ア「誠に灯がともつてある。
▲シ「まづ落ち着いた。
▲ア「落ち着いたとは。
▲シ「はて、人が居るならば取つて出でうが、人は居らぬと見えた。
▲ア「さりながら、だますかも知れぬ。
▲シ「こは物ながら、見届けて参らう。
▲ア「早う見て渡らしめ。
▲シ「心得た。なうなう。人は居らぬぞ。
▲ア「何ぢや。人は居らぬ。
▲シ「中々。さらさらさら。はあ。扨も扨も結構な普請かな。又有徳人の普請は違うたものではないか。
▲ア「誠に、どれからどれまでも手の込うだ普請でおりやる。
▲シ「あの欄間の透かしなどは、扨々良い細工ではないか。
▲ア「誠に見事な事でおりやる。
▲シ「いや。何かと云ふ内に、早これに何やら道具が取り散らいてあるわ。
▲ア「誠に何やら取り出いてある。
▲シ「はゝあ。これは茶の湯の道具ぢや。
▲ア「その通りぢやが。風炉・釜・茶碗・茶入れ。
▲シ「はゝあ。この釜は定めて芦屋であらう。
▲ア「誠に芦屋であらう。
▲シ「この茶碗は高麗であらう。
▲ア「いかさま。高麗であらう。
▲シ「扨又この茶入れの姿形のしほらしさ。これは何を取つても、この度の頭は楽々と営まるゝと云ふものぢや。
▲ア「誠に宝の山へ入つたといふものぢや。
▲シ「はゝあ。武具。馬具。
▲ア「鞍。鎧。
▲シ「扨も扨もきらびやかな事ぢや。いや。なうなう。
▲ア「何事ぢや。
▲シ「この床に懐紙がある。
▲ア「読うで見さしめ。
▲シ「心得た。十月ひと日。水に見て月の上なる木の葉かな。この葉かな。これは先月わたましがあつたが、その時の発句であらう。
▲ア「いかさま。その時の発句であらう。
▲シ「扨身共が思ふは、そなたや某が分として、この様な結構な座敷で連歌をする事はなるまい程に、これに添へ発句をせうではあるまいか。
▲ア「これは一段と良からう。
▲シ「それならばまづ下におりやれ。
▲ア「心得た。
▲シ「まづそなた発句をさしめ。
▲ア「まづ和御料からさしめ。
▲シ「それならば出合ひに致さう。
▲ア「それが良からう。
▲シ「何とであらうぞ。
▲ア「されば何とが良からうぞ。
▲シ「かうもあらうか。
▲ア「早出たか。
▲シ「梢散り。
▲ア「梢散り。
▲シ「顕はれやせん下紅葉。と致さう。
▲ア「《吟じて》この間に承らぬ発句でおりやる。
▲シ「その様に云はずとも、身共が初心な事ぢやによつて、悪しい処があらば直いてくれさしめ。
▲ア「さう仰しやるによつて、云うても見ようか。
▲シ「それが良からう。
▲ア「この発句には差し合ひがある。
▲シ「発句に差し合ひはおりやるまいがの。
▲ア「中々。発句に差し合ひはなけれども、今夜これへ来て、顕はれやせん。が何とやら心掛かりな。
▲シ「これは尤ぢや。それならば、顕はれやせぬ下紅葉。と直さう。
▲ア「せぬ下紅葉。
▲シ「中々。
▲ア「一段と良う直つた。それならば脇を致さう。
▲シ「それが良からう。
▲ア「何とが良からうぞ。
▲シ「されば何とであらうぞ。
▲ア「かうもあらうか。
▲シ「早出たか。
▲ア「時雨の音を盗む松風。と致さう。
▲シ「《吟じて》これは、この間に承らぬお脇でおりやる。
▲ア「身共も稽古の事ぢやによつて、悪しい処があらば云うてくれさしめ。
▲シ「さう仰しやるによつて、云うても見ようか。
▲ア「それは尚々ぢや。
▲シ「今夜こゝへ来て、盗む。が耳に立つ様な。
▲ア「いや。未だ楊枝を一本盗まぬによつて、苦しうあるまい。
▲シ「いかさま。苦しうあるまい。それならば第三を致さう。
▲ア「それが良からう。
▲シ「何とであらうぞ。
▲ア「何とが良からうぞ。《この間に亭主聞き付けて、立つて》
▲亭主「表の座敷に人影が差すが。誰も行かぬか。何ぢや。誰も行かぬ。それならば盗人であらう。《と云うて肩を脱ぎ、太刀を持つて》
やいやい。盗人は大勢ぢや。裏へも門へも人を廻せ。こゝは某が受け持つた。出合へ出合へ出合へ。
▲シ「これはいかな事。聞き付けられたさうな。
▲ア「扨々苦々しい事ぢや。《と云うて亭主の方へ逃げて行く》
▲亭「おのれら、一人も逃がす事ではないぞ。
▲シ「あゝ。申し申し。盗人ではござらぬ。座敷を見物に参りました。
▲亭「何の。夜中に座敷を見物とは。
▲ア「途に迷うて参りました。
▲亭「又そのつれな亊を云ふ。おのれら、胴斬りにしてやらう。
▲ア「申し申し。聊爾をなさるゝな。盗人でない証拠には、お床に懐紙がござつたによつて、それへ添へ発句をつかまつりました。
▲亭「扨々、それは優しい盗人ぢやが、何と添へ発句をしたぞ。
▲シ「懐紙には、水に見て月の上なる木の葉かな。とござりましたによつて、私の、梢散り顕はれやせん下紅葉。とつかまつりましてござれば、これに小盗人がござつて、脇をつかまつりましてござる。
▲亭「何と脇をしたぞ。
▲シ「そなた申し上げさしめ。
▲ア「とてもの事に、和御料申し上げさしめ。
▲シ「そなた申し上げさしめ。
▲ア「和御料申し上げさしめ。
▲亭「どれからなりと、早う云へ。
▲ア「時雨の音を盗む松風。とまではつかまつりましたが、両人ともに未だ楊枝を一本盗みは致しませぬ。
▲亭「扨々、奇特な盗人ぢや。それならば、身共が第三をせう程に、汝ら四句目を付けい。句柄によつて命を助けてやらう。
▲二人「それはありがたうござる。
▲亭「何とであらうぞ。
▲シ「何とでござらうぞ。
▲亭「かうもあらうか。
▲シ「早出ましたか。
▲亭「闇の頃。
▲シ「闇の頃。
▲亭「月を哀れと忍び出で。
▲シ「天神ぞござりますまい。
▲ア「玉津島もならせられますまい。
▲亭「さあさあ。汝ら両人して四句目を付けい。句柄によつて命を助けてやらうぞ。
▲シ「それならば和御料申し上げさしめ。
▲ア「そなたから申し上げさしめ。
▲亭「さあさあ。どちからなりとも、早う云へ。
▲シ「醒むべき夢ぞ許せ鐘の音。とつかまつりませう。
▲亭「醒むべき夢ぞ許せ鐘の音。一段とよう付けた。命を助くる程に、早う出て行け。
▲シ「ありがたうはござりまするが、それに御出なされては出にくうござる程に、ちとくつろいで下されい。
▲亭「これは尤ぢや。くつろいでやらう。何者か顔を見ようと存ずる。
▲ア「なうなう。顔を見られぬ様にさしめ。
▲シ「心得た。
▲亭「ゑい。誰。
▲シ「面目もござらぬ。
▲亭「ゑい。そなた。
▲ア「面目もござらぬ。
▲亭「和御料達ならば、肝を潰すまいものを。何としておりやつたぞ。
▲シ「さればその事でござる。私は参るまいと申してござるを、あの者がたつて参る様にと申してござる。
▲ア「申し申し。あの者は鋸を用意致いてござる。
▲シ「これこれ。その様な事は云はぬものでおりやる。
▲亭「いやいや。少しも苦しうおりない。扨、夜寒によつて御酒を一つ申さう。下におりやれ。
▲二人「もはやお暇を申しませう。
▲亭「いやいや。手間を取らする事ではない。平に下におりやれ。
▲シ「それならば畏つてござる。これは怖物でおりやる。
▲ア「だますかも知れぬ。
▲亭「さあさあ。一つ呑うで行かしめ。
▲シ「これは忝うござる。これへ下されい。
▲亭「身共が酌をしておまさう。
▲シ「これは慮外にござる。それならば一つたべませう。
▲亭「一つ呑ましめ。
▲シ「恰度ござる。
▲亭「恰度ある。さあさあ。そなたも参れ。
▲ア「これは慮外にござる。おゝ。恰度ござる。
▲亭「その通りぢや。
▲シ「お蔭で胸のだくめきを已めました。今一つたべませう。
▲亭「いか程も参れ。
▲ア「私も今一つたべませう。
▲亭「何程なりとも参れ。
▲シ「数良う三献下されませう。
▲亭「それが良からう。
▲ア「私も三献たべませう。
▲亭「そなたも三献呑ましめ。扨もはや参らぬか。
▲二人「もうたべますまい。
▲亭「それならば取らう。扨、何がなと思へども折節何もない。これは重代なれどもそなたへ進ずるぞ。
▲シ「このお太刀を私へ下されますか。
▲亭「中々。
▲シ「まづ以てありがたうはござれども、辞退つかまつりませう。
▲亭「折角心ざいて遣る事ぢや。平に取つて置かしめ。
▲シ「よう思し召しても御らうぜられい。今夜これへ参つたを、命を助けて下さるゝさへあるに、何とこれが申し受けらるゝものでござるぞ。幾重にも辞退つかまつりまする。
▲亭「扨々和御料は義理の堅い事を仰しやる。その様に云はずとも平に取つて置かしめ。
▲シ「何程に仰せられても辞退つかまつりまする。
▲ア「あゝ。これこれ。下さるゝ物を頂戴せねば、かへつて無礼になる。めでたう頂戴したならば良からう。
▲シ「むゝ。誠にその通りぢや。それならばめでたう頂戴つかまつりませう。
▲亭「おゝ。それそれ。それでこそ良うおりやる。
▲ア「はあ。扨あの者は結構なお太刀を頂戴つかまつゝてござる。
▲亭「いや。そなたへも何ぞと思へども、持ち合はせぬ。これはわざよしなれども、これをそなたへおまするぞ。
▲ア「これを私へ下されますか。
▲亭「中々。
▲ア「まづ以てありがたうはござりますれども、あの者が頂戴致せば同じ事でござる。これは辞退つかまつりまする。
▲亭「はあ。あの人はあの人。これはそなたへ心ざいておまする程に、平に取つて置かしめ。
▲ア「いや。どうあつてもこれは返上致しまする。
▲シ「あゝ。これこれ。そなたは最前、下さるゝものを申し受けねばかへつて無礼になるとは仰しやらぬか。
▲ア「その通りぢや。これはめでたう申し受けませう。
▲亭「おう。それでこそ良けれ。扨、かやうに致すも別なる事でもおりない。お知りやる通り、身共も連歌を好けども、似合はしい相手がない。これからはそなた達、再々来て連歌の相手をしてくれさしめ。
▲二人「何が扨これからは再々来てお連歌のお相手を致しませう。
▲亭「さりながら今宵の様に裏から見えては迷惑な程に、以来は表から案内を乞うて来てくれさしめ。
▲シ「裏から案内なしに参る者は、私ども両人ならではござりますまい。
▲亭「いやいや。表から来てくれさしめ。
▲シ「何が扨重ねてからは表から案内を乞うて参りませう。
▲亭「扨、某もこれに居て話したけれども、勝手に用の事がある程に、ゆるりと休らうで行かしめ。
▲二人「それならば両人ともに、もはやお暇申しませう。
▲亭「もはやおりやるか。
▲二人「さらばさらば。
▲亭「ようおりやつた。
▲二人「はあ。
▲シ「いや。なうなう。
▲ア「何事ぢや。
▲シ「夢のさめたやうな事ぢや。
▲ア「その通りでおりやる。
▲シ「これと云ふも、天神の御納受あつての事であらう。
▲ア「誠に御納受あつての事であらう。
▲シ「只戻る処ではない。急いで和歌をあげて戻らう。
▲ア「それが良からう。
▲シ「誠や。和歌の言葉にも、鬼神までも納受とは、かゝる事をや申すらん。
▲ア「まこと。世の常の習ひには、盗人を捕らへては討つこそ法と聞くものを、この盗人はさはなくて、連歌を好ける優しさに、呼び入れて見参し、酒一つ呑ませて。
▲シ「太刀。
▲ア「刀。
▲二人「賜びにけり。これかや事の譬へにも、盗人に負ひと云ふ事は、かゝる事をや申すらん、かゝる事をや申すらん。
▲シ「なう。お聞きやるか。
▲ア「何事ぢや。
▲シ「そなたと某は寿命は長からう。
▲ア「おゝ。長からうとも。
▲シ「五百八十年。
▲ア「七廻りまでも。
▲シ「それこそめでたけれ。こちへ渡しめ渡しめ。
▲ア「心得た心得た。

校訂者注
 1:底本は、「程。」。

底本:『狂言全集 下巻』「巻の一 三 盗人連歌」(国立国会図書館D.C.

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