唐相撲(たうずまふ) 大蔵流本

▲日本「これは日本の相撲取りでござる。我が朝において某に続く相撲取りがござらぬによつて、渡唐致いてござれども、四百余州にも某に勝つ者がござらぬとあつて、帝王に召し置かれ色々御馳走なさるれども、故郷懐かしうござるによつて、御暇を申し罷り帰らうと存ずる処に、今日は帝王の御殿へ行幸なる由申し候ふ間、もし行幸あつたらばこの方へ知らせて給はり候へや。《来序にて王出で、台へ上り皆々座に着くと、来序打ち上げ》
▲通詞「ふうらいふうらいふう。《通詞、唐言葉にて出づる。王、唐音にて云ひ付くる》
皆々。承り候へ。今日は帝王、この所へ行幸なり候ふ間、何事にても奏聞申したき者は、この方へ申し候へ。その分、心得候へ心得候へ。
▲日「いかに奏聞申すべき事の候ふ。
▲通「奏聞とはいかなる者ぞ。
▲日「これは日本の相撲取りにて候ふが、久々帝王に仕へ申して候へども、故郷懐かしく{*1}候ふ間、何とぞ御暇を賜り帰国つかまつる様に、奏聞あつて給はり候へ。
▲通「その由奏聞申さうずる間、それに暫く待ち候へ。
▲日「心得て候ふ。
《通詞、唐音にて云ふ。王も唐音にて云ひ付くる》
▲通「最前の者の渡り候ふか。
▲日「これに候ふ。
▲通「その由奏聞申して候へば、久々帝王に仕へ申したる間、御暇を下さらうずる。さりながらこの程の御名残に、今一度相撲を叡覧あらうずるとの御事にて候ふ間、急いで取り候へ。
▲日「さあらば相手を下さるゝ様に、奏聞あつて給はり候へ。
▲通「心得て候ふ。《又通詞、唐音にて云ふ。王、下官を指して唐音にて云ひ付くる》
その由奏聞申してあれば、下官どもを相手に下さるゝとの御事にて候ふ。急いで身拵へを致し候へ。
▲日「心得て候ふ。
《通詞、又唐音にて下官に「出よ」と云ひ、嫌がるを無理に引き出す。下官、台の前へ行き、辞儀して待つて居る》
▲通「いかに日本人。出で候へ。
▲日「心得て候ふ。
《通詞、行司をする。下官負くるを王見て、不機嫌にて、正面を向き又一人呼び出す。前の如くする{*2}。これも負くる。日本人は一番づゝにて太鼓座へくつろぐを呼び出す。下官残らず負く。又再び出す。取るのもあり、二人掛かり、三人掛かりもあるべし。日本人と申し合はす次第なり。悉く負くる故、王腹立ちたる体にて、下官を指し叱る体ありて、残念がり、王自身に「取らん」と云ふ》
▲通「いかに日本人。
▲日「これに候ふ。
▲通「今日の相撲、殊の外出かしたるとて、君も御感に思し召す。さうあれば、この度は帝王の取らせられうずるが、御相手になるかとの御事ぢや。
▲日「慮外にはござれども、勅諚次第につかまつらうと仰せられい。
▲通「心得て候ふ。《通詞、唐音にてその通り云ふ。王も唐音にて云ひ付くる》
皆々、舞楽を奏し候へ奏し候へ。《楽になり、台の上にて楽舞ひて、団扇より始めて一品づゝ手送りにして、残らず{*3}脱ぎ仕舞ひ、そら下りあつて台の後ろより下り、台を廻り、前へ腰を掛くるを見て楽やむる。「ふうらいふうらいふう」。通詞、唐音にて出づる。王、云ひ付くる》
▲通「いかに日本人。
▲日「これに候ふ。
▲通「帝王の取らせられうずるとの御事ぢや。出で候へ。
▲日「心得て候ふ。《日本人出で、通詞行司をして合はすると、王、嫌がり逃ぐる。下官ども、日本人を追ひ退くる。「ふうらいふうらいふう」。通詞出づる。王、云ひ付くる》
▲通「いかに日本人。下々の身として玉体へ近付く事、けがらはしう思し召す間、この度は御身に荒薦を纏はせられうずるとの御事にて候ふ間、暫く待ち候へ。
▲日「心得て候ふ。
▲通「又々舞楽を奏し候へ奏し候へ。
《楽になり、下官二人、薦持ち出で、正面にて両方へ引つ張り居る。王、台より離れて大小の前へ行き、正面の薦を見て、隅を取り廻り、拍子踏み、向かうへ出で、薦をよく見て、片々づゝ手を入れては取り取りして、片しきりにて薦の向かうを廻り、一の松へ行き、小廻りして拍子高からん一手をかけ、薦を見て小廻り、片しきりにて舞台の中へ行き、よくよく薦を見て拍子踏み、小廻りしてつかつかと行き、両手を穴へ入るゝ。それを見て笛止まる。薦をよく締めて、初めの如く台へ腰を掛け、「ふうらいふうらいふう」。通詞出づる。唐音にて王、云ひ付くる》
いかに日本人。
▲日「これに候ふ。
▲通「又々出で候へ。
▲日「畏つて候ふ。
《又通詞、行司をして合はす。取る。王、負けさうになる。それを見て、下官皆出で、二三人して日本人を追ひ込み、残りは手車を組み、王を乗せ、傘を差し掛けて、唐音を云ひながら入るなり。いづれも定まりたるはなし。相撲第一なり。シテは勿体良く、行儀卑しからぬ様、第一なり》

校訂者注
 1:底本は、「故郷可懐しく」。
 2:底本は、「前のく如する」。
 3:底本は、「不残」。

底本:『狂言全集 下巻』「巻の二 三 唐相撲」(国立国会図書館D.C.

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