笋(たけのこ) 大蔵流本

▲アト「これはこの辺りに住居致す耕作人でござる。この間は久しう畑へ見舞ひませぬによつて、今日は見廻りに参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に耕作と申すものは、つゝと忙しいものでござる。折々見舞うて草などをも取り、色々と世話を致さねばならぬ事でござる。いや。参る程にこれが私の畑でござる。扨も扨もこの畑の様に、作り付ける程の物が良う出来る畑はござらぬ。いや。あれへ隣の藪から根をさいて見事な笋が上がつた。さらばこれを取つて戻り、賞翫致さうと存ずる。ゑい。ぽん。ゑい。ぽん。《と云うて抜く内に、シテ、一の松にて名乗る》
▲シテ「これはこの辺りに住居致す者でござる。某藪を持つてござるが、当年は夥しう笋が上がつてござるによつて、今日は見舞ひに参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に笋に限つて人の取りたがるものでござるによつて、今日は見舞うて、垣などを念を入れて結うて置かうと存ずる。これはいかな事。さればこそ申さぬ事か。早何者やら笋を抜く音が致す。いや。あれは誰ぢや。なうなう。やあら。和御料はむざとした。なぜに身共が笋を取るぞ。
▲ア「これはいかな事。お見やれ。某が畑に生えた笋を取るが。むざとした事を仰しやる。《と云うて又抜く》
▲シ「あゝ。これこれ。扨々和御料はむざとした。成程畑はそなたの畑なれども、もと某が藪から根がさいて、それ故に出来た笋ぢや。すればもとはこちのものぢや程に、遣る事はならぬ。
▲ア「いよいよ無理な事を云ふ人ぢや。成程根はそちの藪からさいたでもあらうが、畑はこちの畑ぢや程に、取らねばならぬ。
▲シ「いかにそちの畑なりとも、畑へも種を蒔いてこそ物は出来れ。その竹の種はこちの藪ぢや程に、取つたのを皆返さしめ。
▲ア「いやいや。何程云うても返す事はならぬ。
▲シ「すればどうあつても返すまいか。
▲ア「おんでもない事。
▲シ「おのれ憎い奴の。散々に打擲してやらう。憎い奴の憎い奴の。
▲ア「これは何とするぞ何とするぞ。出合へ出合へ出合へ出合へ。
▲済人「いや。なうなう。そなた達は何事をわつぱと云ふぞ。
▲シ「憎い奴でござる。そこを退かせられい。きやつを打擲致しまする。
▲済「いやいや。身共が出ては聊爾はさせぬ。まづこれは何とした事でおりやるぞ。
▲シ「それならば聞いて下されい。私が笋をきやつが取りましたによつて、それを戻せと申せば、戻すまいと申すによつての事でござる。何とぞこなた取つて下されい。
▲済「その通り云はう。まづそれに待たしめ。
▲シ「心得ました。
▲済「いや、これこれ。そなたは何としてきやつが笋を取つて、返すまいとは云ふぞ。
▲ア「まづこなたも聞いて下されい。私が畑へ生えた笋でござるによつて、取りまする。あれが笋ではござらぬ程に、返す事はならぬと云うて下されい。
▲済「心得た。今のを聞かしましたか。
▲シ「中々。承つてござる。こなたもよう思うても見させられい。成程畑はきやつが畑ではござれども、もと私の藪から根がさいて生えた笋でござる。いかな畑でも種を蒔かいで物が出来るものでござるぞ。その上あの藪も年貢が出まするによつて、一本も遣る事はなりませぬと云うて下されい。
▲済「心得た。今のをお聞きやつたか。
▲ア「中々。承つてござる。きやつが藪から年貢を出しますれば、私も畑年貢を出しまする。これ以て同じ事でござる。その上きやつが左様に申さば、他に申し分がござる。
▲済「それは又いかやうな事ぢや。
▲ア「先度私の牛が放れて、あの者の厩へ参つて子を産んでござるを、承るとその儘参つて、親子ともに連れて参らうと申してござれば、いやいや。こちの庭へ来て産んだ子ぢやによつて、親牛は戻さうが子は戻さぬと申して、取つて返しませぬ。それならば笋を返しませう程に、牛の子を戻せと仰せられて下されい。
▲済「これは尤ぢや。なうなう。今のをお聞きやつたか。
▲シ「中々。承りました。いやあ。何と牛の子と笋と、同じ様に云はるゝものでござるぞ。それはもはや事済んだ事でござる程に、笋をば皆戻せと云うて取つて下されい。
▲済「いや。さう云うては済むまい。身共が思ふは、何ぞ勝負をして、勝負によつて牛の子を返すとも笋を取るともしたならば良からう。
▲シ「いや。勝負には及ばぬ事でござる。
▲済「いや。勝負をせねばそなたの負けになるぞ。
▲シ「それならば致しませうが、あれも致すか問うて下されい。
▲済「心得た。これこれ。これでは何とも済まぬによつて、何ぞ勝負をして、勝負によつて牛の子を取るとも笋を返すともしたならば良からう。
▲ア「これは一段と良うござりませう。
▲済「扨勝負は何をするぞ。
▲ア「歌を詠みませうが、あれも詠むか問うて下されい。
▲済「心得た。これこれ。勝負には何をするぞと云うたれば、歌を詠まうと云ふが、そなたも詠むか。
▲シ「あれが詠まば私も詠みませう。まづあれから先へ詠めと仰せられい。
▲済「心得た。まづそなたから詠ましめ。
▲ア「何とてござらうぞ。
▲済「されば何とてあらうぞ。
▲ア「かうもござらうか。
▲済「何とぢや。
▲ア「我が畑へ。《済人吟ずる》隣りの竹が根をさして。《済人吟ずる》思ひも寄らぬ笋を取る。
と致しませう。
▲済「これは一段と良い。さあさあ、そなたも詠ましめ。
▲シ「何とてござらうぞ。
▲済「されば何とてあらうぞ。
▲シ「かうもござらうか。
▲済「早出たか。
▲シ「我が厩へ。《済人吟ずる》隣りの牛が子を産みて。《済人吟ずる》思はず知らず牛の子を取る。
と致しませう。
▲済「これも一段と良い。いや。なうなう。これではまだ分からぬ程に、今ひと勝負さしめ。
▲シ「それならば今度は相撲を取りませうが、あれも取るか問うて下されい。
▲済「心得た。これこれ。今ひと勝負と云へば、相撲を取らうと云ふが、そなたも取るか。
▲ア「中々。取りませう程に、これへ出いと仰せられい。
▲済「心得た。取らうと云ふ程に、あれへお出やれ。
▲シ「心得ました。
▲済「身共が行司をしてやらう。やあ。お手。《と云うて合はすると、跛、棒にて追ひ走らし、「勝つた」と云うて悦ぶ{*1}》
▲シ「申し申し。棒を持つて取ると申す事があるものでござるか。棒を置いて取れと仰せられい。
▲済「心得た。なうなう。その棒を置いて取らしめと云ふわ。
▲ア「いやあ。私は見させらるゝ通り跛でござつて、則ちこの棒が私の足でござる。足を置いて取る事はならぬと仰せられい。
▲済「これは尤ぢや。《その通りを云ふ》
▲シ「いかに跛ぢやと申して、棒を持つて取らるゝものでござるぞ。いや。良い事を思ひ寄りました。今一番取らうと仰せられて下されい。
▲済「心得た。今一番取らうと云ふ。
▲ア「心得ました。
▲済「又某が行司をしてやらう。やあ。お手。
▲二人「やあやあ。《と云うて、棒にて追ひ廻し叩く処を、棒を取つて引き廻し打ち倒いて、棒を持つて「勝つたぞ勝つたぞ。牛の子も笋もやらぬぞやらぬぞ」と云うて、二人入る》
▲ア「やいやいやいやい。卑怯者。その身共の足をば置いて行け。遣る事はならぬぞならぬぞ。やいやい。足がなうては歩かれぬわ。その足をば戻いてくれい。あの横着者。どちへ行くぞ。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。《と云うて、ゐざりゐざりして、立つて跛を引き引き追ひ入る》

校訂者注
 1:底本に「「勝つた」と云うて」はない。岩波文庫本(『能狂言』1945刊)に従い補った。

底本:『狂言全集 中巻』「巻の三 二 笋」(国立国会図書館D.C.

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