『能狂言』上 脇狂言02 めぢか

《名乗り、「末広がり」同断。「末広がりを進上申さう」と云ふ処を、「目近籠骨を進上申さうと存ずる」と云ふばかりの違ひなり。「両人の者を呼び出し、承らうと存ずる」と云ふ。両人呼び出し、「末広がり」の通り。扨、太郎冠者に「めぢかを求めて来い」と云ひ、次郎冠者には「こめぼねを求めて来い」と云ひ付けて座着》
▲太郎冠者「なうなう。
▲次郎冠者「何事ぢや。
▲太冠「こちの頼うだ人の様に、物を急に仰せ付けらるゝお方はあるまい。さりながら、なんどき仰せ付けらるゝとあつても、只今の如くわつさりと仰せ付けらるゝによつて、御奉公が致し良いではないか。
▲次冠「仰しやる通り、御奉公が致し良い。
▲太冠「さらば追つ付けて都へ上らう。
▲次冠「一段と良からう。《これより都へ上り着くまでは、「末広がり」と同断なり》
▲太冠「軒と軒とをひつしりと建て並べたではないか。
▲次冠「仰しやる通り、ひつしりと建て並べた。
▲太冠「扨、それについて身共へ仰せ付けられたは、何やらであつたの。
▲次冠「誠に何とやらであつた。
▲太冠「某はゝつたと忘れた。
▲次冠「あゝ。何とやらであつた。をゝ。それそれ。めゝとやらであつた。
▲太冠「をゝ。その目近であつた。
▲次冠「扨又、身共へ仰せ付けられたは何であつたぞ。
▲太冠「そなたへ仰せ付けられたは、確かこめこめとやら仰せられた。
▲次冠「をゝ。そのこめ骨であつた。
▲太冠「誠にこめぼねであつた。扨、この目近こめ骨はどの様な物で、又どこ元にあるかをも知らぬが、和御料は知つて居るか。
▲次冠「これはいかな事。和御料がお受けを申したによつて、そなたが知つて居るであらうと存じて、身共は頼うだお方に聞かいで参つたが。これはまづ何として良からうぞ。
▲太冠「扨々不念な事を致いた。今から遥々問ひには戻られまいが。何とせうぞ。
▲次冠「誠に何として良からうぞ。
▲太冠「はあ。お見やれ。さすがは都ぢや。知れぬ事は呼ばゝつて歩けば知るゝと見えた。
▲次冠「誠にその通りぢや。
▲太冠「さらばこの辺りから呼ばゝつて参らう。
▲次冠「一段と良からう。
▲太冠「目近買はう買はう。
▲次冠「これこれ。身共のこめ骨をも呼うでくれさしめ。
▲太冠「これはそなたへ仰せ付けられた事ぢやによつて、和御料呼ばしめ。
▲次冠「扨々、義理の堅い事を云ふ人ぢや。それならば、ともに呼ばう。
▲太冠「それが良からう。目近買はう。めぢか買はう。
▲次冠「こめ骨買ひす。《これより「末広がり」同様。売り手名乗るも同断。言葉を掛けて、「目近こめ骨を見せて下されい」と云ふまで同断》
▲売り手「追つ付け見せておまさう。
▲次冠「その儀ならば、私のこめ骨から見せて下されい。
▲売手「心得ておりやる。
さればこそ、田舎者で何をも存ぜぬ。常の扇がござる。これを目近こめ骨ぢやと申して売り付け、代物を取らうと存ずる。
なうなう。最前の。おりやるか。
▲次冠「これに居りまする。
▲売手「これがこめ骨でおりやる。
▲次冠「はあ。これがこめ骨でござるか。
▲売手「不審、尤な。仔細を云うて聞かせう。これへおこさしめ。
▲次冠「心得ました。
▲売手「まづ、唐と日本の潮ざかひにちくらが沖といふ所がある。それにみねごしの田というてあるが、これへ蒔く米は、一粒蒔けば一万倍、二粒蒔けば二万倍になる。そのよねをこの骨へ籠めたによつてのこめ骨でおりやる。
▲次冠「仔細を承れば尤でござる。その儀ならば求めませう。これへ下されい。
▲売手「心得た。
▲太冠「扨、私へは目近を見せて下されい。
▲売手「心得た。それにお待ちやれ。
▲太冠「心得ました。
▲売手「なうなう。それへお出やれ。
▲太冠「心得ました。
▲売手「つゝとお出やれ。
▲太冠「畏つてござる。
▲売手「これが目近でおりやる。
▲太冠「これは何となさるゝ。
▲売手「これが目近でおりやる。
▲太冠「まづ、この手を取つて下されい。
▲売手「いづ方へ進上なさるゝとあつても、只今の如く目近うなさるゝによつての目近でおりやる。
▲太冠「近頃尤でござる。扨、求めたうござるが、代物はいか程でござるぞ。
▲売手「五百疋づゝでおりやる。
▲太冠「これはちと高直にはござれども、この度は急ぎまするによつて、五百疋づゝに求めませう。扨、私どもはもうかう
▲両人「参りまする。
▲売手「まづお待ちやれ。そなた達は、余り気味の良い買ひ手ぢやによつて、土産をおまさう。
▲太冠「それは忝うござる。
▲両人「これへ下されい。
▲売手「いやいや。土産というて、手へ渡す物ではおりない。そなた達は最前主持ちとは仰しやらぬか。
▲両人「いかにも主持ちでござる。
▲売手「総じて主といふ者は、機嫌の良い時もあり、又機嫌の悪しい時もあるものぢや。
▲太冠「中々。あるものでござる。
▲売手「その御機嫌悪しい時、御機嫌を直す囃子物を教へておまさうかと云ふ事でおりやる。
▲太冠「習うてなる事ならば。
▲両人「教へて下されい。
▲売手「別に難しい事でもおりない。千石のこめ骨、万石のこめぼね、目近に持つて参りた。これこれ御覧候へ。げにもさあり、やようかりもさうよの。と云ふ分の事でおりやる。
▲太冠「その分の事でござるか。
▲売手「中々。
▲太冠「大方覚えました。このお礼は重ねて都へ上つて。
▲両人「きつと申しませう。
▲売手「重ねてお尋ねに預からうとも。
▲両人「もはやかう参りませう。
▲売手「早おりやるか。
▲両人「さらばさらば。
▲売手「ようおりやつた。
▲両人「はあ。《これより又「末広がり」同断。戻り着いた処も同様》
申し。頼うだ人。ござりまするか。太郎冠者、次郎冠者が戻りましてござる。
▲シテ「いゑ。両人の者が戻つたさうな。太郎冠者、次郎冠者。戻つたか戻つたか。
▲両人「ござりまするかござりまするか。
▲シテ「ゑい、戻つたか。
▲両人「只今戻りました。
▲シテ「やれやれ。大儀や大儀や。扨、云ひ付けた目近籠骨を求めて来たか。
▲両人「まんまと求めて参りました。
▲シテ「出かいた出かいた。早う見せい。
▲次冠「まづ私のこめ骨からお目に掛けませう。
▲シテ「いづれからなりとも早う見せい。
▲次冠「畏つてござる。
▲シテ「扨も扨も、才覚な者を使へば、なんどき物を申し付けても、その儘調へて参る程にの。
▲次冠「申し。これがこめぼねでござる。
▲シテ「はあ。汝は祇園か北野へ参つたと見えて、御供米を貰うて来た。戯れ事をせずと、早う籠骨を見せい。
▲次冠「扨はこなたにも御存じないと見えました。
▲シテ「何と御存じないとは。
▲次冠「仔細を云うて聞かせませう。よう聞かせられい。
▲シテ「これはいかな事。きやつは都で抜かれて参つたと見えた。何事を申す。承らう。
▲次冠「まづ唐と日本の潮ざかひにちくらが沖と申す所がござる。それにみね越しの田と申してござるが、それへ蒔く米は、一粒蒔けば一万倍、二粒蒔けば二万倍になりまする。そのよねをこの骨に籠めたによつてのこめ骨でござる。
▲シテ「すれば汝は、それを真実籠骨ぢやと思うて求めて来たか。
▲次冠「はて。こめ骨でござるによつて、求めて参つた。
▲シテ「抜かれ居つた。
▲次冠「いや。抜かれは致さぬ。
▲シテ「まだ云ひ居る。重ねてのためぢやによつて云うて聞かする。これは常の扇。籠骨といふは、骨を十五本か十七本籠めたによつての籠骨ぢや。その様な物を求めて来るといふ事があるものか。
▲次冠「でも都の者がこめ骨ぢやと申したによつて、求めて参つた。
▲シテ「いかに都の者が云へばとて、求めて来るといふ事があるものか。あちへうせう。
▲次冠「あゝ{*1}。
▲シテ「あゝとは。おのれ憎い奴の。あちへ失せう失せう失せう。
▲太冠「あちへ失せう。
▲次冠「良い肝を潰させた。
▲太冠「申し申し。
▲シテ「何事ぢや。
▲太冠「次郎冠者は、私を出し抜いて求めましたによつて、抜かれてござる。私の目近をお目に掛けて御機嫌を直しませう。
▲シテ「その儀ならば、汝が目近を見て機嫌を直さう程に、早う見せい。
▲太冠「心得ました。申し。頼うだ人。つゝとそれへ出させられい。
▲シテ「心得た。
▲太冠「まだ出させられい。
▲シテ「心得た。
▲太冠「申し。これが目近でござる。
▲シテ「これは何とする。
▲太冠「これが目近でござる。
▲シテ「まづその手をとれ。
▲太冠「畏つてござる。いづ方へ進上物になさるゝとあつても、只今の如く目近う遣はさるゝによつての目近でござる。
▲シテ「すれば汝も抜かれ居つた。
▲太冠「いや。私は抜かれは致しませぬ。
▲シテ「まだ云ひ居る。これも重ねてのためぢやによつて云うて聞かする。目近といふは、いかにも要元近うして、手の内の持ち良い様にしたを目近と云ふ。それは常の扇ぢや。それを求めて来るといふ事があるものか。あちへうせう。
▲太冠「あゝ{*2}。
▲シテ「あゝとは、おのれ憎い奴の。あちへ失せう失せう失せう。
▲次冠「あちへうせう。
▲太冠「面目もおりない。
▲次冠「和御料も抜かれたの。
▲太冠「身共も抜かれた。これは何としたものであらうぞ。
▲次冠「されば何として良からうぞ。
▲太冠「はあ。さすが都の者ぢや。抜かば只も抜かいで、御機嫌の直る囃子物を教へた。この様な時囃せといふ事であらう。
▲次冠「その通りであらう。
▲太冠「何とやら云うたの。
▲次冠「誠に何とやらであつた。千石の籠骨、万石の籠骨、目近に持つて参りた。とやらであつた。
▲太冠「その後に、げにもさあり、やようかりもさうよの。と云ふ事があつた。
▲次冠「その通りであつた。
▲太冠「急いで囃さしめ。
▲次冠「心得た。これへ寄らしめ。
▲太冠「心得た。
▲両人「《囃子物》千石の籠骨、万石のこめぼね、めぢかに持つて参りた。これこれ御覧候へ。げにもさあり、やようかりもさうよの、やようかりもさうよの。《何遍も返す》
▲シテ「扨も扨もめでたい事でござる。両人の者が、某が機嫌を直さうと存じて、囃子物を致いて参る。めでたい事でござるによつて、急いで内へ呼び入れうと存ずる。
《囃子物》いかにやいかに、太郎冠者、次郎冠者もよく聞け。千石の米をも万々石の米をも、蔵へどうと納めて、内へ入つて泥鰌の鮓を、ほを頬張つて、諸白を呑めやれ。
▲両人「《囃子物》目近に持つて参りた、これこれ御覧候へ。
▲シテ「《囃子物》何かの事はいるまい、早う内へ持ち込め。
▲三人「《囃子物》げにもさあり、やようかりもさうよの、やようかりもさうよの。

校訂者注
 1・2:底本は、「ア。」。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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