『能狂言』上 脇狂言04 さんぼんのはしら
▲シテ「罷り出でたる者は、この辺りに隠れもない大果報の者でござる。天下治まりめでたい御代でござれば、この間のあなたこなたの御普請は夥しい事でござる。それにつき、某も普請を致いてござるが、大方出来てこの様な満足な事はござらぬ。さりながら今少し致し残いた所がござるによつて、山へ木を三本伐らせて置いてござる程に、三人の者どもを呼び出し、取りに遣はさうと存ずる。
やいやい。三人の者。あるかやい。
▲三人「はあ。
▲シテ「居るか居るか。
▲三人「はあ。
▲シテ「居たか。
▲太郎冠者「三人ともに。
▲三人「お前に。
▲シテ「念なう早かつた。まづ立て。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「汝等を呼び出す事、別なる事でもない。天下治まりめでたい御代なれば、この間のあなたこなたの御普請は、何と夥しい事ではないか。
▲太冠「御意の通り、夥しい事でござりまする。
▲シテ「それよそれよ。それにつき、某が普請も大方成就して、この様な悦ばしい事はないやい。
▲太冠「仰せらるゝ通り、御普請も大方成就致いて、近頃めでたう存じまする。
▲シテ「これといふも、汝らが精を出いてくれた故ぢやと思へば、ひとしほ満足するいやい。
▲太冠「左様に思し召いて下さるれば、我々も骨を折つた甲斐があつて、近頃。な。
▲三人「忝う存じまする。
▲シテ「扨、今少しゝ残いた所があるによつて、山に木を三本伐らせて置いた。汝らは大儀ながら取つて来てくれい。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「とてもの事に、三本の柱を三人の者どもが二本づゝ持つて来い。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「早う戻れ。
▲三人「心得ました。
▲シテ「ゑい。
▲三人「はあ。
▲シテ「ゑい。
▲三人「はあ。
▲太冠「なうなう。
▲両人「何事ぢや。
▲太冠「扨、何と思はしますぞ。頼うだ人の御普請も大方成就して、この様なめでたい事はあるまいぞ。
▲次郎冠者「仰しやる通り、一段と。
▲両人「めでたい事でおりやる。
▲太冠「その上、今頼うだお方の仰せらるゝは、そなたや身共が骨を折つた故ぢやと仰せらるれば、ひとしほ大慶な事ではおりないか。
▲次冠「仰しやる通り、骨を折つた甲斐があつて。
▲両人「忝い事でおりやる。
▲太冠「扨、山へ行て木を取つて来いと仰せ付けられた。急いで参らう。
▲両人「それが良からう。
▲太冠「まづ和御料達行かしめ。
▲両人「まづそなたからおりやれ。
▲太冠「その儀ならば、身共から参らう。さあさあ。おりやれおりやれ。
▲両人「参る参る。
▲太冠「扨、今も云ふ通り、御普請も今少しになつた程に、仕舞うたならば、皆ゆるりと休足せうぞ。
▲次冠「何が扨、随分ゆるりと休足せうとも。
▲太冠「何かと云ふ内に山へ参つた。
▲次冠「誠に山へ参つた。
▲太冠「お見やれ。この度の御普請は夥しい事でおりやるが、どこを伐つた様にもおりない。
▲次冠「誠に夥しう伐つたれども、少しも伐つた様にはおりない。
▲三郎冠者「その通りぢや。
▲太冠「扨、仰せ付けられた材木は、どこ元にある事ぢや知らぬ。
▲次冠「仰しやる通り、この辺りには見えぬが。どの辺りにある事ぢや知らぬ。
▲三冠「なうなう。これにあるわ。
▲太冠「誠にこれにある。扨も扨も見事な材木かな。この様に揃うた木はあるまい。
▲次冠「誠によう揃うた木でおりやる。
▲太冠「さらば三郎冠者から持たせてやらう。
▲次冠「それが良からう。
▲三冠「身共から持たせてくれさしめ。
▲太冠「心得た。これへ寄らしめ。
▲三冠「これは殊の外重いぞ。
▲次冠「殊の外重い。
▲太冠「今度はそなたに持たさう。
▲次冠「身共に手伝うてくれさしめ。
▲太冠「さらば持たしめ。
▲次冠「心得た。やつとな。はあ。いかう重いわ。
▲太冠「さうであらう。扨そなた達へは手伝うてやつたが、身共は何として持たうぞ。
▲両人「誠に、手伝うてやる事はならず、何としてよからうぞ。
▲太冠「いや。良い仕様がある。
▲次冠「何とする。
▲太冠「あの木の根へ持たせて持たう。
▲次冠「これは良い調儀ぢや。
▲太冠「まんまと持つた。
▲次冠「誠にまんまと持つたわ。
▲太冠「さらば戻らう。
▲両人「一段と良からう。
▲太冠「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲両人「参る参る。
▲太冠「ちとお待ちやれ。
▲両人「何事ぢや。
▲太冠「最前頼うだ人の仰せられたは、三本の柱を三人の者どもが二本づゝ持て、とは仰せられぬか。
▲両人「誠にその通りであつた。
▲太冠「これでは一本づゝぢやが。何としたものであらうぞ。
▲両人「されば何として良からうぞ。
▲三冠「いや。身共は殊の外重うなつた。まづおろいて休まう。
▲太冠「これこれ。早おろすか。
▲次冠「身共も重うてならぬ程に、まづ下に置かう。
▲太冠「いや。和御料達が休むならば、某も休まう。扨、これへ寄つてとく談合致さう。下におりやれ。
▲両人「心得た。
▲太冠「扨、これはまづ何としたならば、二本づゝ持たりやうぞ。
▲次冠「されば何として良からうぞ。
▲太冠「いや。これこれ。
▲両人「何事ぢや。
▲太冠「あれをお見やれ。則ちあの角々を持てば、一人で二本づゝになるではないか。
▲次冠「誠に良い処へ気が付いた。角々を持てば、二本づゝになる事でおりやる。
▲三冠「その通りぢや。
▲太冠「さらば角々を持たう程に、皆持たしめ。
▲両人「心得た。
▲三人「やつとな。
▲太冠「最前と違うて、殊の外軽うなつて持ち良うなつた。
▲両人「誠に持ち良うなつた。
▲太冠「頼うだ人の、我々が智恵の程を見させられうために、仰せ付けられたものであらう。
▲両人「その通りぢや。
▲太冠「扨、某が思ふは、山へ来るもゝはや今日が仕舞ひであらう程に、めでたう囃子物をして戻らうと思ふが、何とであらうぞ。
▲次冠「これは一段と良からうが、何と云うて囃すぞ。
▲太冠「やはりありやうに、三本の柱を三人の者どもが二本づゝ持つたり、持つたりや持つたり。と云うて囃さう。
▲次冠「とてもの事にその後へ、げにもさあり、やようかりもさうよの。と云うては何とであらう。
▲太冠「これは一段と良からう。さらばこれへ寄らしめ。
▲両人「心得た。
▲三人「《囃子物》三本の柱を、三本の柱を、三人の者どもが、二本づゝ持つたり、持つたりや持つたり。げにもさあり、やようかりもさうよの、やようかりもさうよの。《何遍も返して》
▲シテ「扨も扨もめでたい事でござる。三人の者どもが囃子物を致いて参る。急いで内へ呼び入れうと存ずる。
《囃子物》三本の柱を、三本の柱を、三人の者どもに二本づゝ持てとは、知恵の程を見んため。持つたりや持つたり。
▲三人「三人の者どもが、二本づゝ持つたり、持つたりや持つたり。
▲シテ「《囃子物》何かの事はいるまい。早う内へ持ち込め。
▲三人「《囃子物》げにもさあり、やようかりもさうよの、やようかりもさうよの。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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