『能狂言』上 脇狂言06 たからのつち
《初め、主出て名乗る。太郎冠者呼び出し、「目の前に奇特のある宝を求めて来い」と云ひ付け、都へ上り、売り手出て言葉を掛け、色々云うて、「こゝに太鼓の撥がござる。これを宝ぢやと申して売り付け、代物を取らう」と云うて、見せて、仔細も「隠れ笠」同様。仕舞ひの処を、「程久しい事なれば、蓑と笠とは退転致す。この打出の小槌は、都の重宝にとあつて残し置かれたれども、ないと云へば都の名折れぢやによつて、代物によつて売つてもおまさうかと云ふ事ぢや」》
▲シテ「すれば、承り及うだ打出の小槌でござるか。
▲売り手「中々。
▲シテ「それならば頂きませう。これへ下されい。
▲売手「心得た。
▲シテ「南無宝南無宝。
▲売手「をゝ。それでこそ良うおりやる。
▲シテ「扨、求めたうござるが、代物はいか程でござるぞ。
▲売手「万疋でおりやる。
▲シテ「ちと高直にはござれども、万疋に求めませう。扨、目の前に奇特と申すは、いかやうの事でござるぞ。
▲売手「呪文があつて、それを唱へて打ち出せば、何なりとも出る事でおりやる。
▲シテ「扨、その呪文は何と申すぞ。
▲売手「別に難しい事ではおりない。蓬莱の嶋なる蓬莱の嶋なる、鬼の持つ宝は、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌、諸量無量常無量、諸量無量常無量、月氏国にくはつたり。と云うて打てば、何なりとも欲しい物がづる事でおりやる。
▲シテ「それならば、その分の事でござるか。
▲売り手「中々。
▲シテ「大方覚えました。私も頼うだ者への証拠に、何ぞ打ち出いて見たうござるが、何が良うござらうぞ。
▲売手「されば何が良からうぞ。いや。見ればそなたは丸腰ぢや。腰の物を打ち出さしめ。
▲シテ「この中から腰の物も出まするか。
▲売手「中々。何なりともづる。早う打ち出さしめ。
▲シテ「心得ました。《右の呪を唱へ、拍子に掛かり打ち出す》
月氏国にくはつたり。
▲売手「そりあ、出たわ出たわ。《と云うて、売り手、脇より小さ刀を出す》
▲シテ「誠にこれへ良い腰の物が出ました。これは私へ下されい。
▲売手「いやいや。遣る事はならぬ。
▲シテ「最前も申す通り、頼うだ者への証拠に致したうござる程に、是非とも下されい。
▲売手「それを遣つては殊の外の添へなれども、証拠と仰しやるによつておまさうぞ。
▲シテ「それは忝うござる。扨、私はもうかう参りまする。
▲売手「もはやおりやるか。
▲シテ「さらばさらば。
▲売手「ようおりやつた。
▲シテ「はあ。《これよりの言葉、道行、戻り着いての言葉、「隠れ笠」同様》
▲シテ「こなたはお手は綺麗にござるか。
▲主「今手水を使うて随分綺麗な。
▲シテ「それならば、ちと頂かせられい。
▲主「むゝ。汝は子供への土産にせうと思うて、太鼓の撥を求めて来た。戯れ事をせずと、宝物を見せい。
▲シテ「あゝ。勿体ない。南無宝南無宝。
▲主「そちは{*1}殊の外信仰するが、それには仔細でもあるか。
▲シテ「中々。仔細がござる。云うて聞かせませう程に、よう聞かせられい。
▲主「心得た。
▲シテ「《都にて教へたる通り仔細を云うて》都の重宝にとあつて残し置かれたを、私の才覚を以て求めて参りました。
▲主「すれば、その時の打出の小槌か。
▲シテ「左様でござる。
▲主「それならば頂かう。これへおこせ。
▲シテ「心得ました。
▲主「南無宝南無宝。
▲シテ「をゝ。それでこそ良うござる。
▲主「扨、目の前に奇特といふは、いかやうな事ぢや。
▲シテ「呪文があつて、それを唱へて打ち出せば、何なりとも出まする。これ御らうぜられい。
▲主「誠に、汝が都へ上る時分は丸腰であつたが、見れば腰の物を指いて居る。すればその腰の物が、この中から出たか。
▲シテ「中々。何なりとも欲しい物が出る事でござる。
▲主「扨々、それは重宝な宝ぢや。身共も何ぞ打ち出いて見たいものぢやが。何が良からうぞ。
▲シテ「されば何が良うござらうぞ。いゑ。お馬がござらぬによつて、お馬を打ち出しませう。
▲主「はあ。馬も出るか。
▲シテ「中々。
▲主「扨々、それは奇特な宝ぢや。それならば早う打ち出せ。
▲シテ「心得ました。《又拍子に掛かり、呪文を唱へ、打ち出す》
月氏国にくはつたり。
▲主「何と出たか。
▲シテ「と打てば馬も出まするが、ちと待たせられい。
▲主「心得た。
▲シテ「はて。合点の行かぬ。都では出たが、何として出ぬ事ぢや知らぬ。
▲主「やいやい。馬は出ぬか。
▲シテ「随分馬も出まするが、私の存じまするは、この馬には足を八本付けませう。
▲主「それはなぜに。
▲シテ「はて。四本でさへ早うござるに、八本付けたならば、いよいよ早うござらう。
▲主「いかに早いと云うて、その様な百足の様な馬に乗らるゝものか。只常の馬を打ち出せ。
▲シテ「畏つてござる。《又呪文を唱へ、拍子に掛かり、打ち出す》
月氏国にくはつたり。
▲主「何と出たか出たか。
▲シテ「追つ付け出まする。ちと待たせられい。
▲主「心得た。
▲シテ「はて。合点の行かぬ。あれ程都で出たものが、何として出ぬぞ。
▲主「やいやい。なぜに打ち出さぬ。
▲シテ「馬も出まするが、この馬には後先に頭を付けませう。
▲主「それはなぜに。
▲シテ「もし細小路へなど乗り込ませられた時、取つて返すに良うござらう。
▲主「いかに取つて返すに良いと云うて、後先にかしらのある馬に乗らるゝものか。
▲シテ「それならば口を付けますまい。
▲主「それはなぜに。
▲シテ「はて。飼ひ料がいらいで良うござらう。
▲主「いかに飼ひ料がいらぬと云うて、それでは轡のはませ所がない。只常の馬を打ち出せと云ふに。
▲シテ「それならば今度は皆具揃へて打ち出しませう程に、こなたはぬからず乗り留めさせられい。
▲主「心得た。早う打ち出せ。
▲シテ「嶋なる鬼の持つ宝は、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌、諸量無量常無量、諸量無量常無量、月氏国にくはつたり。
▲主「どうどうどう
▲シテ「申し。これは私でござる。
▲主「馬は何としたぞ。
▲シテ「馬も出まするが、申し。めでたい事がござる。
▲主「それはいかやうな事ぢや。
▲シテ「追つ付け御加増を取らせられ、御立身をなされ、御普請をなされう瑞相に、番匠の音がくはつたりくはつたり。
▲主「それこそめでたけれ。行て休め。
▲シテ「はあ。
▲主「ゑい。
▲シテ「はあ。
《売り手、呪文を教ふる時、「月氏国にくはつたり」と云うて{*2}、左右へ廻り、拍子に掛かり、打つ所へばかり心を入れて余念もなく打てば、何なりとも欲しい物が出る」と云うて教へもするなり》
校訂者注
1:底本に、「そちは」はない。
2:底本は、「売人呪文を教ゆる時、ぐはつしこくにくはつたりと云て」。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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