『能狂言』上 脇狂言10 だいこくれんが

▲一のアド「これは江州坂本の者でござる。某、毎年比叡山三面の大黒天へ年籠りに参る。某ばかりでもござらぬ。今一人申し合はせて参る人がござるによつて、これへ誘うて参らうと存ずる。《この後「連歌毘沙門」同断。大黒へ参り、拝みて》
扨、いつもの通り、連歌を致しませう。
▲二のアド「それが良うござらう。
▲一ア「まづこなたからなされい。
▲二ア「まづこなたからなされい。
▲一ア「それならば出合ひに致しませう。
▲二ア「それが良うござらう。
▲一ア「何とでござらうぞ。
▲二ア「されば何とが良うござらうぞ。
▲一ア「かうもござりませうか。
▲二ア「はや出ましたか。
▲一ア「あらたまの。
▲二ア「あらたまの。
▲一ア「年の初めに大黒の、と致しませう。
▲二ア「信ずる者に福ぞ給はる、と付けませう。
▲一ア「一段と良うござる。吟じて見ませう。
▲二ア「良うござらう。
▲一ア「《謡》あらたまの年の初めに大黒の。
▲両人「《謡》信ずる者に福ぞ給はる。
▲一ア「いや。御殿の内が震動致し、異香薫じて只ならぬていでござる。これへ寄つてござれ。
▲二ア「心得ました。
▲シテ「《一セイ》《謡》そもそもこれは、比叡山三面の大黒天とは我が事なり。
▲一ア「いや。これへ出で立たせられたは、いかやうな。
▲両人「お方でござるぞ。
▲シテ「汝らはえ知らぬか。
▲両人「何とも存じませぬ。
▲シテ「毎年毎年奇特に歩みを運ぶによつて、楽しうなしてとらせうと思ひ、三面の大黒天、これまで現れ出でゝあるぞとよ。
▲両人「はあ。これはありがたうござる。
▲一ア「まづ御かう御来臨。
▲両人「なされて下されい。
▲シテ「心得た。床机をくれい。
▲一ア「畏つてござる。こなた、上げさせられい。
▲二ア「心得ました。はあ。お床机でござる。
▲シテ「両人ともにこれへ出い。
▲両人「畏つてござる。
▲シテ「扨、汝らは、毎年毎年奇特に歩みを運ぶなあ。
▲両人「はあ。
▲一ア「扨、大黒天の御由来が。
▲両人「承りたうござる。
▲シテ「易い事。語つて聞かさう。よう聞け。
▲一ア「畏つてござる。
▲シテ「汝もよう聞け。
▲二ア「畏つてござる。
▲シテ「《語》そもそも比叡山延暦寺は、伝教大師、桓武天皇と御心を一つにして、延暦年中に開闢し給ふ。さあるによつて、寺号を延暦寺と号す。されば一念三千の機を以て、三千の衆徒を置き、仏法今に繁昌たり。その時伝教大師、か程の山に守護神なくては叶はじとて、一日に三千人を守り給ふ天部をと祈誓し給ふ処に、この大黒出現す。開山、いゝや。大黒は一日に千人をこそ扶持し給へ。この山には三千人の衆徒あれば、大黒天はいかゞとある。その時大黒大きに怒つて、いでさらば三千人を守る奇特を見せんとて、忽ち三面六臂と顕はれければ、開山喜悦の思ひをなし、それより比叡山無動寺の三面の大黒天と斎はれ、今において仏法繁昌に守るなり。心安う信仰せよ。楽しうなして取らせうぞ。
▲一ア「かやうの御由来を初めて承つてござる。
▲シテ「扨、最前の連歌はいかにいかに。
▲両人「《謡》あらたまの、年の初めに大黒の、信ずる者に福ぞ給はる。
▲シテ「《謡》大黒、連歌の面白さに。《舞。カケリ》大黒、連歌の面白さに。
▲地「《謡》数の宝を入れ置きたる、袋を汝に取らせけり。
▲二ア「《謡》あらあらけなりやけなりやな、我にも福をたび給へ。
▲シテ「《謡》欲しがる事こそ尤なれ。
▲地「《謡》欲しがる事こそ尤なれとて、七珍万宝欲しい物を、心の儘に打ち出す、打出の小槌を汝に取らせ、これまでなりとて大黒天は、これまでなりとて大黒天は、この所にこそ納まりけれ。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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