『能狂言』上 脇狂言15 さんにんぶ

▲淡路「罷り出でたる者は、淡路の国のお百姓でござる。毎年上頭へ御年貢を捧げまする。又、当年も持つて上らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、相変らずかやうに御年貢を納むると申すは、近頃めでたい事でござる。いや。参る程に上下の街道ぢや。まづこの所に休らうて、似合はしい者も通らば、同道致さうと存ずる。
▲尾張「これは、尾張の国のお百姓でござる。毎年うへとうへみ年貢を捧げまする。又、当年も持つてのぼらうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、いつも上る時分は連れもあまたござるが、当年は何と致いてやら、某一人になつて淋しい事でござる。
▲淡路「いや。これへ似合はしい者が参る。急いで言葉を掛けう。いや。なうなう。しゝ申し。
▲尾張「やあやあ。こちの事でござるか。何事でござるぞ。
▲淡路「いかにもこなたの事でござる。聊爾な申し事ではござれども、こなたはどれからどれへござる。
▲尾張「私は都へ上る者でござるが、何ぞ御用ばしござるか。
▲淡路「やあやあ。都へ上る。
▲尾張「中々。
▲淡路「それは幸ひな事でござる。私も都へ上る者でござるが、連れ欲しうてこの所に待ち合はせて居りました。お供致しませう。
▲尾張「私も連れがな欲しいと存じてござる。いかにもお供致しませう。
▲淡路「扨は御同心でござるか。
▲尾張「中々。同心でござる。
▲淡路「その儀ならば、今少し休らうて参りませう。
▲尾張「それが良うござらう。
▲シテ「これは、美濃の国のお百姓でござる。毎年上頭へ御年貢を捧げまする。又、当年も持つて上らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、天下治まりめでたい御代でござれば、我ら如きの民百姓までも、足手息災に毎年毎年御年貢を納むると申すは、近頃めでたい事でござる。あら連れもなや。良い連れがな欲しい事ぢや。道々雑談を致いて参らうものを。
▲淡路「いや。これへも似合はしい者が参る。言葉を掛けませう。
▲尾張「それが良うござらう。
▲淡路「なうなう。しゝ申し。
▲シテ「やあやあ。こちの事でござるか。何事でござるぞ。
▲淡路「いかにもこなたの事でござるが、どれからどれへござるぞ。
▲シテ「私の。
▲淡路「中々。
▲シテ「某は、用を前に当てゝ、後から先へ行く者でござる。
▲淡路「誰しも用を前に当てゝ、後から先へ行かぬ者はござらぬが、心ざいてはどれへござるぞ。
▲シテ「真実心ざいては、都へ上る者でござるが、御用ばしござるか。
▲淡路「それは幸ひな事でござる。我々も都へ上る者でござるが、連れ欲しうてこの所に待ち合はせて居りました。お供致しませう。
▲シテ「只今もひとり言に、良い連れがな欲しいと申してござる。成程お供致しませう。
▲淡路「扨は御同心か。
▲シテ「いかにも同心でござる。
▲淡路「それならば、まづこなたからござれ。
▲シテ「先次第にござれ。
▲淡路「せんと仰せらるゝによつて、私から参りませうか。
▲シテ「それが良うござらう。
▲淡路「さあさあ。ござれござれ。
▲シテ「こなたはござらぬか。
▲尾張「まづこなたからござれ。
▲シテ「それならばお先へ参りまする。さあさあ。ござれござれ。
▲尾張「参りまする参りまする。
▲淡路「扨、かやうにふと言葉を掛け同道致すも、他生の縁でかなござらうぞ。
▲シテ「仰せらるゝ通り、他生の縁でかなござらう。かう参るからは、都までは篤とお供致しませう。
▲淡路「何が扨、篤とお供致しませうとも。
▲シテ「扨、こなたはどれから都へは上らせらるゝぞ。
▲淡路「私は淡路の国のお百姓でござるが、毎年上頭へ御年貢を捧げまする。又当年も持つて上る処でござる。
▲シテ「すれば和御料は淡路の国のお百姓ぢやまで。
▲淡路「中々。扨又こなたはどれから都へは上らせらるゝぞ。
▲尾張「私は尾張の国のお百姓でござるが、御年貢を持つて上る処でござるが、こなたは又、どれから都へは上らせらるゝぞ。
▲シテ「身共はそなたのまづ隣の者でおりやる。
▲尾張「はあ。隣ではつひに見た事がないが。
▲シテ「不審尤な。美濃の国のお百姓でおりやるが、毎年上頭へ御年貢を捧ぐる。又当年も持つて上る処でおりやる。
▲尾張「はあ。すれば和御料も美濃の国のお百姓ぢやまで。
▲シテ「中々。
▲淡路「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲シテ「参る参る。
▲淡路「連れには似合うた連れもあり、似合はぬ連れもあるものぢやが、そなた達や身共が様な似合うた連れはおりやるまいぞ。
▲シテ「仰しやる通り、そなた達もお百姓、某もお百姓、合うたり叶うたりの連れでおりやる。
▲淡路「はあ。都近うなつたやら、殊の外賑やかになつた。
▲シテ「誠に賑やかになつた。
▲淡路「いや。早これは都へ上り着いたわ。
▲シテ「誠に上り着いた。
▲淡路「又田舎とは違うて、いへだちまでも格別な。あれからつゝとあれまで、仲良さゝうに軒と軒とをひつしりと建て並べたわ。
▲シテ「誠にひつしりと建て並べた。
▲淡路「扨、某が納むる御舘はこれぢや。そなたの納むるみたちはどれでおりやるぞ。
▲尾張「某が納むる御舘もこれでおりやる。
▲シテ「やあやあ。和御料達の納むる御舘はこれぢやと仰しやるか。
▲両人「中々。
▲シテ「これと存じたならば、最前路次で御酒となりと申さうものを。近頃残念な事を致いた。
▲淡路「扨、そなたの納むる御舘はどれでおりやる。
▲シテ「某の納むる御舘は、まだつゝと上でおりやる。
▲淡路「やあやあ。かみぢやと仰しやるか。
▲シテ「中々。
▲淡路「それと存じたならば、ろしでお茶となりとも申さうものを。不念な事を致いた。
▲シテ「さりながら、下りにも待ち合はせ、最前の所までは篤とお供致さう。
▲淡路「何が扨、とくとお供致さうとも。
▲シテ「まづそれまでは、さらば。
▲両人「さらば。
▲三人「さらばさらばさらば。△{*1}
▲シテ「と、懇ろに暇乞ひはしたれども、某が納むる御舘もこれでおりやる。
▲淡路「扨々、和御料は最前からざれごと深い人ぢや。扨、時のお奏者で上ぐるか。但し定まつてあるか。
▲シテ「身共は時のお奏者で上ぐる。
▲尾張「某もその通りぢや。
▲淡路「それならば、身共から上げて参らう。
▲両人「それが良からう。
▲奏者「《△この印の処にて名乗る。後の百姓事奏者、皆同断故、略す》今日の奏者です。罷り出でゝ承らうと存ずる。
▲淡路「物申。案内申。こゝ元ではないと見えた。もそつと奥へ参らう。物申。頼みませう頼みませう頼みませう。
▲奏者「やいやいやい。
▲淡路「や。こなたは誰ぢや。
▲奏者「今日のお奏者ぢや。
▲淡路「はあ。廃忘致いた。真つ平御免あれ。
▲奏者「礼には及ばぬ。何者なればお前近うは参るぞ。
▲淡路「これは、淡路の国のお百姓でござるが、毎年上頭へ御年貢を捧げまする。又当年も持つて上つてござる。お奏者のお心得を以て、納めさせられて下されうならば、忝うござる。
▲奏者「おついでを以て申し上げて取らせう。み蔵の前へ持つて参れ。
▲淡路「はあ。なうなう。尾張の国の。おりやるか。
▲尾張「これに居る。何と上げさしましたか。
▲淡路「中々。上げておりやる。扨、お奏者はつゝと奥にござる。この様な所で百姓のおめたは見苦しいものぢや。おめず臆せず、つゝかけて持つておりやれ。
▲尾張「心得た。《と云うて、淡路のお百姓同断。奏者も同断》
なうなう。美濃の国の。おりやるか。
▲シテ「これに居る。何と上げさしましたか。
《淡路の云うた通り云ふ。「心得た」と云うて、納むる処の言葉、同前。奏者も同断》
なうなう。両国の。おりやるか。
▲両人「これに居る。何と上げさしましたか。
▲シテ「中々。上げておりやる。扨、和御料はよう誑いたの。
▲尾張「たらいたとは。
▲シテ「お奏者は奥にござると仰しやつたによつて、つゝかけて持つて行たれば、口元に出てござつてしたゝかに叱られた。
▲淡路〇「最前は奥にござつたが、定めて口へ出させられたものであらう。
▲シテ「その様な事もあらう。いざ。御暇を申し上げう。
▲両人「一段と良からう。
▲奏者「《〇この印の処にて云ふ》三国のお百姓、御年貢かくの如く。はあはあ。
やいやい。三国のお百姓。召すわ。
▲シテ「や。召すとある。
▲両人「その通りぢや。
▲シテ「つゝと御出やれ。
▲両人「心得た。
▲三人「三国のお百姓。お前に。
▲奏者「仰せ出さるゝは、三国ともに、同じ日の同じ時に持つて参る事、神妙に思し召す。さうあれば、折節御歌の御会に持つて参り合はせたによつて、御年貢によそへ、三国の名を詠み入れ、歌を一首詠みませい、との御事ぢや。急いでお受けを申せ。
《「これは迷惑にござる」「これはありがたうござる」といふ言葉、書き落とし》
▲シテ「百姓の事でござれば、つひに歌などを詠うだ事はござらぬ。これは。な。
▲三人「お詫び言を申し上げまする。
▲奏者「いやいや。上頭より一旦仰せ出された事は、翻す事はならぬ。急いでお受けを申せ。
▲淡路「扨は、翻す事はなりませぬか。
▲奏者「中々。ならぬ。
▲淡路「その儀ならば、畏つてござる。
▲尾張「私も畏つてござる。
▲シテ「和御料達は、早お受けを申したか。
▲淡路「はて。翻す事はならぬと仰せらるゝによつて、お受けを申した。
▲シテ「いかい歌詠みの。
▲奏者「汝はなぜにお受けを申さぬぞ。
▲シテ「両人ともに畏つてござらば、私は心得ましてござる。
▲奏者「扨々、そちはすねた事を云ふ者ぢや。さあさあ。どれからなりとも早う詠みませい。
▲淡路「まづ和御料から詠ましめ。
▲尾張「いやいや。淡路は国の初めぢやと云ふ程に、そなたから詠ましめ。
▲奏者「いづれからなりとも早う詠め。
▲淡路「私から詠みませう。
▲奏者「それが良からう。
▲淡路「何とでござらうぞ。
▲奏者「何とであらうぞ。
▲淡路「かうもござらうか。
▲奏者「はや出たか。
▲淡路「淡路より。
▲奏者「淡路より。
▲淡路「種蒔き初めて三つ葉さす。
▲奏者「三つ葉さす。
▲尾張「花咲きをはり。
▲シテ「みのなるは稲。
▲三人「と仕りませう。
▲奏者「一段と良う詠うだ。申し上げて取らせう。
▲三人「はあ。
▲奏者「三国のお百姓、歌、かくの如く。はあはあ。
やいやい。仰せ出さるゝは、お笑ひ草と思し召し仰せ出された処に、百姓のなりにも似せずよう詠みましたとあつて、御感なさるゝ。さうあれば、汝らが名を申し上げい、との御事ぢや。急いで申し上げい。
▲シテ「百姓の事でござれば、しやうらかしい名でもござらぬ。これは。な。
▲三人「ご許されて下されい。
▲奏者「これはいかな事。汝らが名を申し上ぐれば、後記に留め置かせられうとの御事ぢや。願つてもならぬ事ぢや。急いで申し上げい。
▲シテ「その儀ならば。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「又、そなたから申し上げさしめ。
▲淡路「心得た。つうじでござる。
▲奏者「つうじとは。
▲淡路「私は唐と日本の通辞を致しまするによつて、通辞と申すが則ち、私の名でござる。
▲奏者「これは珍しい名ぢや。又、汝は何と云ふぞ。
▲尾張「まかぢでござる。
▲奏者「まかぢとは。
▲尾張「これが私の名でござる。
▲奏者「扨々、これも珍しい名ぢや。そちは何と云ふぞ。
▲シテ「これへまゐらう。
▲奏者「これへ来ずと、それで云へ。
▲シテ「これへまゐらうと申すが、私の名でござる。
▲奏者「扨々、いづれもいづれも珍しい名を付けた。その通り申し上げて取らせう。
▲三人「はあ。
▲奏者「三国のお百姓、名、かくの如く。はあはあ。
やいやい。
▲三人「はあ。
▲奏者「仰せ出さるゝは、百姓のなりにも似せず、最前の歌がよう出来たとあつて、御感に思し召す。さうあれば、前々はない事なれども、万雑公事を御免なさるゝとの御事ぢや。
▲シテ「いや。万雑公事を御免なさるゝ。
▲奏者「その通りぢや。
▲三人「この様な事を承れば、心がくわつくわつと致す。
▲奏者「はあ。
やいやいやいやい。
▲三人「はあ。
▲奏者「お前をも憚らずくわくわらめいたとあつて、以ての外御機嫌が損ねた。今の過怠に、今度は汝らが名を折り入れ、歌を一首詠めとの御事ぢや。急いで詠みませい。
▲シテ「そなたがくわくわらめいたによつての事ぢや。
▲両人「いや。和御料達がくわくわらめいたによつてぢや。
▲奏者「やいやい。論は無益。急いで詠みませい。
▲シテ「最前のさへござるに。これは幾重にも。
▲両人「御免なされて下されい。
▲奏者「いやいや。綸言汗の如くで、翻す事はならぬ。早う詠め。
▲シテ「それならば。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「又、和御料から詠ましめ。
▲淡路「心得た。何とでござらうぞ。
▲奏者「されば何とであらうぞ。
▲淡路「かうもござらうか。
▲奏者「はや出たか。
▲淡路「諸国より。多くの宝通じ船。
▲尾張「まかぢが漕いで。
▲シテ「これへ参らう。
▲三人「と仕りませう。
▲奏者「一段とよう詠うだ。又、申し上げて取らせう。
▲三人「はあ。
▲奏者「三国のお百姓、名を折り入れ、歌、かくの如く。はあはあ。
仰せ出さるゝは、又一段と良う詠みましたとあつて、御感なさるゝ。これもぜんぜんはなけれども、お通りを下さるゝ程に、たべませいとの御事ぢや。
▲三人「それはありがたうござる。
▲奏者「今、おかはらけを出いてやらう。それに待て。
▲三人「畏つてござる。
▲奏者「やいやい。このおかはらけを下さるゝ。急いで頂戴致せ。
▲シテ「これはありがたうござる。まづ私から頂きませう。
▲淡路「いや。身共から頂く。
▲尾張「いや。某が頂く。
▲シテ「これはいかな事。微塵になつた。
はあ。数が多うなつて、めでたうござる。
▲奏者「誠に数が多うなつてめでたい。それならば、急いで舞ひ下がりに致せ。
▲三人「又、明年参つてお目に掛かりませう。
▲奏者「又、明年逢はうぞ。
▲三人「もうかう参りまする。
▲奏者「もはや行くか。
▲三人「さらばさらば。
▲奏者「よう来た。
▲三人「はあ。
▲シテ「なうなう。
▲両人「何事ぢや。
▲シテ「御年貢は納むる。万雑公事は御免なさるゝ。その上御かはらけまで下されたといふは、何と国元への良い土産ではおりないか。
▲両人「誠に良い土産でおりやる。
▲シテ「めでたう和歌を上げう。
▲両人「それが良からう。
▲シテ「《謡》皆人のつかさ位のまさるには。
▲三人「《謡》かはらけ割りて末栄えけり。《三段の舞》
やらやら。めでたやめでたやな。治まる御代のしるしとて、国々よりも参るみつぎ。幾久しさも限らじな、幾久しさも限らじなと、申し納むるめでたさよ。
やあ。えいやあ。やあ。

校訂者注
 1:底本、ここに「△」はない。『狂言全集』(1903)に従い補った。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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