『能狂言』上 脇狂言16 つくしのおく
▲アド「罷り出でたる者は、奥筑紫のお百姓でござる。毎年上頭へ御年貢と致いて、唐物の数を揃へて上りまする。又当年も持つてのぼる処でござる。《「三人夫」の如く道行云うて、連れを待つなり》
▲シテ「罷り出でたる者は、丹波の国のお百姓でござる。毎年上頭へ御年貢と致いて、柑類の数を揃へて捧げまする。又当年も持つてのぼらうと存ずる。《道行「三人夫」同断。言葉を掛けて一遍廻る処までは「三人夫」同前》
扨、こなたはどれから都へは上らせらるゝぞ。
▲アド「私は奥筑紫のお百姓でござるが、毎年上頭へみ年貢と致いて、からものゝかずを揃へてのぼりまする。又当年も持つて上る処でござる。
▲シテ「すれば和御料は、奥筑紫のお百姓ぢやまで。
▲アド「中々。
▲シテ「み年貢には唐物を上げさしますの。
▲アド「その通りでござる。
▲シテ「ちとお待ちあれ。
▲アド「心得ました。
▲シテ「これはいかな事。扨々、きやつは結構な御年貢を捧ぐる。某が御年貢を見られてはなるまい。隠いて参らう。
▲アド「いや。申し申し。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「こなたは又、どれから都へは上らせらるゝぞ。
▲シテ「某の。
▲アド「中々。
▲シテ「身共はまづ、こゝの者でおりやる。
▲アド「まづこゝといふ国は聞かぬが。
▲シテ「不審尤な。丹波の国のお百姓でおりやるが、毎年上頭へ御年貢を捧ぐる。又当年も持つてのぼる処でおりやる。
▲アド「すればそなたは、丹波のお百姓ぢやまで。
▲シテ「中々。
▲アド「み年貢には何を上げさしますぞ。
▲シテ「それは所の名にさゝれて持つてのぼるによつて、御舘へ着かねば知れぬ事でおりやる。
▲アド「扨々、それは不念な事でおりやるの。
▲シテ「その通りでおりやる。
▲アド「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲シテ「参る参る。《又道行より都へ上り、御舘を尋ぬる事、奏者の事、「三人夫」同断。奏者名乗りも同断》
▲アド「物申。頼みませう。こゝ元ではないさうな。もそつと奥へ持つて参らう。物申。頼みませう頼みませう頼みませう。
▲奏者「やいやいやい。
▲アド「や。こなたは誰ぢや。
▲奏者「こんにちのお奏者ぢや。
▲アド「はあ。廃忘致いた。真つ平御免あれ。
▲奏者「礼には及ばぬ。何者なればお前近う参るぞ。
▲アド「私は奥筑紫のお百姓でござるが、毎年上頭へ御年貢と致いて、唐物の数を揃へて捧げまする。又、当年も持つてのぼりましてござる。お奏者のお心入れを以て、納めさせられて下されうならば、忝う存じまする。
▲奏者「御序を以て申し上げて取らせう。御蔵の前へ持つて参れ。
▲アド「畏つてござる。
なうなう。丹波の国の。おりやるか。
なうなう。丹波の国の。おりやるか。
▲シテ「これに居る。何と上げさしましたか。
▲アド「中々。上げておりやる。扨、お奏者はつゝと奥にござる。この様な所で百姓のおめたは見苦しいものぢや。おめず臆せず、つゝかけておりやれ。
▲シテ「心得た。物申。頼みませう。こゝ元ではないさうな。もそつと奥へ持つて参らう。物申。頼みませう頼みませう頼みませう。
▲奏者「やいやいやい。
▲シテ「や。こなたは誰ぢや。
▲奏者「今日のお奏者ぢや。
▲シテ「はあ。はいもう致いた。真つ平御免あれ。
▲奏者「礼には及ばぬ。何者なればお前近う参るぞ。
▲シテ「私は丹波の国のお百姓でござるが、毎年御年貢と致いて、上頭へ柑類の数を揃へて捧げまする。又、当年も持つてのぼつてござる。何とぞお奏者のお心得を以て、納めさせられて下されうならば、忝う存じまする。
▲奏者「おついでを以て申し上げて取らせう。み蔵の前へ持つて参れ。
▲シテ「はあ。
なうなう。奥筑紫の。おりやるか。
なうなう。奥筑紫の。おりやるか。
▲アド「これに居る。何と上げさしましたか。
▲シテ「まんまと上げておりやる。扨、和御料はよう誑いたの。
▲アド「たらいたとは。
▲シテ「お奏者は奥にござると仰しやつたが、口に出てござつて、したゝかに叱られた。
▲アド「最前は奥にござつたが、定めて口へ出させられたものであらう。
▲シテ「その様な事もあらう。いざ、おいとまを申し上げう。
▲アド「それが良からう。
▲奏者「両国のお百姓、御年貢、かくの如く。はあはあ。
やいやい。両国のお百姓。召すわ。
▲シテ「や。召すとある。
▲アド「その通りぢや。
▲シテ「つゝとおでやれ。
▲アド「心得た。
▲両人「両国のお百姓。お前に。
▲奏者「仰せ出さるゝは、筑紫と丹波は国を隔てゝあるに、同じ日の同じ時に持つて参る事、神妙に思し召す。さうあれば、銘々の御年貢の色品を申し上げいとの御事ぢや。急いで申し上げい。
▲両人「畏つてござる。
▲奏者「まづ汝から申し上げい。
▲アド「心得ました。
筑紫の奥よりのぼるもの、上るものとてのぼるもの、これらは皆唐物。金襴どんす、どんきん{*1}唐絵、香箱沈香、豹の皮虎の皮、百駄ぱかりおほせて、この御舘へぞ参りた参りた。
はあ。申し上げましてござる。
▲シテ「いや。なうなう。今の内に落ちた物がある。
▲アド「何が落ちたぞ。
▲シテ「山椒の皮が落ちた。
▲アド「あれは辛い物でこそあれ。唐物ではおりない。
▲シテ「身共は又、辛い物は皆から物ぢやと思うた。
▲奏者「やい。汝はなぜに申し上げぬぞ。
▲シテ「いや。私の御年貢は毎年定まつてござる処で、定めて上頭にご存じでござらう。
▲奏者「何として上頭にご存じあるものぢや。早う申し上げい。
▲シテ「その上、私は所のみやうにさゝれて{*2}参りましたによつて、御年貢を見ずば、え申し上ぐる事はなりますまい。
▲奏者「それは、いかやうにしてなりとも申し上げい。
▲シテ「畏つてござる。《と云うて、つとを持つてシテ柱の先へ行て、中を見てうなづきて》
とてもの事に、拍子に掛かつて申し上げませう。
▲奏者「早う申し上げい。
▲シテ「心得ました。《つとを持ちながら》
丹波の国よりのぼるもの、上るものとてのぼるもの、これらは皆柑かうるい。柚香柑子、橘ありの実、柘榴けんの実、扨は栗の枝折り、野老なども参りた参りた。《と云うて、つとを正面へ置いて》
はあ。申し上げました。
▲奏者「一段とよう申し上げた。その通り申し上げて取らせう。
▲両人「はあ。
▲奏者「両国のお百姓、御年貢の色品、かくの如く。はあはあ。
やいやい。
▲両人「はあ。
▲奏者「一段とよう申し上げたとの御事ぢや。それにつき、汝等は田畑いか程作るとのお尋ねぢや。急いで申し上げい。
▲アド「私は奥筑紫でもつゝと大百姓でござつて、田畑二反作りまする。
▲奏者「これは大百姓ぢや。又汝はいか程作るぞ。
▲シテ「私も丹波ではつゝと大百姓でござつて、田畑一反と、きたなか作りまする。
▲奏者「これも大百姓ぢや。又その通り申し上げて取らせう。
▲両人「はあ。
▲奏者「両国のお百姓、田畑かくの如く。はあはあ。
やいやい。仰せ出ださるゝは、前々はない事なれども、万雑公事を御免なさるゝとの御事ぢや。
▲両人「や。万雑公事を御免なさるゝ。
▲奏者「その通りぢや。
▲両人「この様な事を承れば、心がくわつくわつと致す。
▲奏者「はゝ。はあ。
やいやいやい。汝らはむさとした。お前近うくわくわらめいたとあつて、以ての外御機嫌が損ねた。その過怠に、田一反についてひと笑ひづゝ笑へとの御事ぢや。
▲シテ「いや。そなたがくわくわらめいたによつての事ぢや。
▲アド「いや。和御料がくわくわらめいた。
▲奏者「やいやい。論はむやく。急いで笑ひませい。
▲シテ「これは幾重にも。
▲両人「お詫び言を申し上げまする。
▲奏者「いやいや。上頭より仰せ出だされた事は、綸言汗の如くで、翻す事はならぬ。早う笑へ。
▲シテ「その儀でござらば。
▲両人「畏つてござる。
▲シテ「又、そなたから笑はしめ。
▲アド「心得た。《二つ笑ふ》
はあ。笑ひましてござる。
▲奏者「さあさあ。そちも笑へ。
▲シテ「私は、何ぞをかしい事を思ひ出さずば笑はれますまい。
▲奏者「それはいかやうにしてなりとも笑へ。
▲シテ「畏つてござる。はあ。何やらをかしい事があつたが。をゝ。それそれ。《一つ笑ひ、後は半分笑ふ》
はあ。笑ひましてござる。
▲奏者「後のは何ぢや。
▲シテ「あれはきたなか分でござる。
▲奏者「扨々、細かい処を笑うた。又申し上げて取らせう。
▲両人「はあ。
▲奏者「両国のお百姓、笑ひ、かくの如く。はあはあ。
やいやい。
▲両人「はあ。
▲奏者「申し上げたれば、一段とよう笑ひましたとの御事ぢや。扨、追つ付け御暇を下さるゝ程に、急いで罷り帰りませいとの御事ぢや。
▲シテ「これはありがたうござる。それならば、又明年参つて。
▲両人「お目に掛かりませう。
▲奏者「又、明年逢はうぞ。
▲両人「もうかう参りまする。
▲奏者「もはや行くか。
▲両人「さらばさらば。
▲奏者「よう来た。
▲両人「はあ。
▲シテ「なうなう。
▲アド「何事ぢや。
▲シテ「御年貢は納むる。万雑公事は御免なさるゝ。この様な満足な事はあるまいぞ。
▲アド「仰しやる通り、悦ばしい事でおりやる。
▲シテ「扨、それについて身共が思ふは、万雑公事は上頭より仰せ出だされたであらうが、田一反についてひと笑ひづゝ笑へと仰せ出だされたは、お奏者の心得であらうと思ふが、和御料は何と思ふぞ。
▲両人「そなたの仰しやる通り、田一反についてひと笑ひづゝ笑へと仰せ出だされたは、定めてお奏者の心得であらう。
▲シテ「その上あのお奏者はくすみ返つて、つらの憎いお奏者ぢやによつて、何と立ち戻つて、お奏者にもひと笑ひ笑はせうではあるまいか。
▲アド「これは一段と良からう。
▲シテ「その儀ならば、この辺りから笑ひもつて参らう。
▲アド「それが良からう。《笑ひながら立ち戻る》
▲奏者「やいやい。汝らはまだ帰らぬか。
▲シテ「かう参りまするが、何とぞお奏者にもひと笑ひ笑はせられて下されうならば、近頃忝う存じまする。
▲奏者「扨々、汝らはむさとした事を云ふ。汝らこそ御年貢は納むる、万雑公事は御免なさるゝ、笑ふ機嫌もあらうが、このお奏者は今朝より冷え板を温め、笑ふ機嫌はないやい。
▲シテ「左様ではござれども、笑ふ門には福来たると申すによつて、追つ付け御加増を取らせられ、御立身をなされうは疑ひもござらぬ。是非とも。
▲両人「笑はせられて下されい。
▲奏者「いやいや。どうあつても笑ふ事はならぬ。
▲アド「それならばこそぐりませう。こそこそこそ。
▲奏者「いやいや。をかしうない。
▲両人「こそこそ。
▲奏者「をかしうない。
▲両人「こそこそこそこそ。
▲奏者「まづ待て待て。めでたい事は三人相応と云ふによつて、今度は三人一緒に笑はう。
▲両人「一段と良うござらう。
▲奏者「それへ出い。
▲両人「心得ました。
▲奏者「まだ出い。
▲両人「畏つてござる。
▲奏者「さあ笑へ。
《三人一緒に笑ふ。奏者中。シテ右。アド左》
校訂者注
1:底本は、「純金(どんきん)」。
2:底本は、「されて」。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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