『能狂言』上 脇狂言19 こぶがき

▲アド「罷り出でたる者は、淡路の国のお百姓でござる。毎年御年貢と致いて、上頭へ淡路柿を捧げまする。又当年も持つて上らうと存ずる。《「餅酒」の如く道行云うて、連れを待ち合はする》
▲シテ「罷り出でたる者は、丹波の国のお百姓でござる。毎年み年貢と致いて、うへとうへよろ昆布を捧げまする。又当年も持つてのぼらうと存ずる。《道行「餅酒」などゝ{*1}同断。アドより言葉を掛け、同道して廻り、シテより国を問ひ、又アドより国を問ふ時、「まづこゝぢや」と云ふ。「筑紫の奥」同断。都へ着き、御年貢納むるまで変りなし》
▲奏者「仰せ出ださるゝは、淡路と丹波は国を隔てゝあるに、同じ日の同じ時に持つて参る事、神妙に思し召す。さうあれば、折節御歌の御会に持つて参り合はせたによつて、汝らの御年貢によそへ、歌を一首詠みませいとの御事ぢや。急いでお受けを申せ。《一人は「迷惑」と云ひ、シテは「ありがたい」と云ふ。「餅酒」同断なり。後の言葉も同前。淡路より歌詠む》
▲アド「今年より。
▲奏者「今年より。
▲アド「所領の日記かきまして。
▲奏者「一段と良う詠うだ。汝も詠め。
▲シテ「はあ。歌と申すものは、あの様なものでござるか。
▲奏者「中々。その通りぢや。
▲シテ「それならば、最前から詠みませうものを。
▲奏者「早う詠め。
▲シテ「今年より。
▲奏者「今年より。
▲シテ「所領の日記かきまして。
▲奏者「やいやい。それはあの者が詠うだ歌ぢや。汝が御年貢によそへて詠め。《「餅酒」の如く云うて》
▲シテ「よろこぶ儘にところ繁昌。と仕りませう。
▲奏者「一段と良う詠うだ。申し上げて取らせう。
▲両人「はあ。
▲奏者「両国のお百姓、歌、かくの如く。はあはあ。
やいやい。仰せ出ださるゝは、お笑ひ草と思し召し仰せ出された処に、百姓のなりにも似せずよう詠みましたとあつて、御感なさるゝ。さうあれば、後記に留め置かせらるゝ程に、汝らが名を申し上げいとの御事ぢや。《「三人夫」の如く辞退して、奏者も「三人夫」の如く云ひ聞かせて》
▲アド「その儀ならば、私から申し上げませう。
▲奏者「それが良からう。
▲アド「問うて何しよ。
▲奏者「やいやい。何事を云ふぞ。
▲アド「とうてなにしよと申すが、則ち私の名でござる。
▲奏者「扨々、珍らしい名を付けた。扨、汝は何と云ふぞ。
▲シテ「私のは、ちと長い名でござる。
▲奏者「早う申し上げい。
▲シテ「栗の木のくぜいに、もりうたにたりうた、たりうたにもりうたに、ばいばいにぎんばゞい、ぎんばゞいにばいやれ。
▲奏者「やいやい。何事を申すぞ。
▲シテ「今のが、私の名でござる。
▲奏者「何ぢや、今のがそち名ぢや。
▲シテ「左様でござる。
▲奏者「扨々、汝は長い名を付けた。この奏者は愚鈍なによつて、その様な珍しい名や長い名は、中々急に覚えらるゝ事ではない程に、汝らお白洲へ出て、お直々申し上げい。
▲シテ「いや。そなたが珍しい名を付けたによつての事ぢや。
▲アド「いやいや。和御料が長い名を付けたによつてぢや。
▲奏者「やいやい。論は無益。急いでお直々申し上げい。
▲シテ「お奏者のお前でさへ申し兼ねまするに、何とお直々申し上げらるゝものでござるぞ。これは幾重にも。な。
▲両人「お詫び言を申し上げまする。
▲奏者「いやいや。どうあつても身共は申し上げる事はならぬ。
▲シテ「その儀ならば、お奏者はお縁の端へ出させられて、拍子に掛かつて両国の名を問はせられい。拍子に掛かつてならば申し上げませう。
▲奏者「このお奏者は、今朝より冷え板を温めて、拍子機嫌はなけれども、それならば拍子に掛かつて問ふが、どれから問ふぞ。
▲シテ「淡路は国の初めぢやと申しまするによつて、淡路から問はせられい。
▲奏者「扨々、汝はこびた事を云ふ者ぢや。それならば問はう程に、申し上げい。
▲両人「畏つてござる。
▲奏者「《謡》淡路の国のお百姓の、名をば何と申すぞ、名をば何と申すぞ。
▲アド「《謡》問うて何せう問うて何せう。
▲奏者「《謡》丹波の国のお百姓の、名をば何と申すぞ、名をば何と云ふやらん。
▲シテ「《謡》栗の木のくぜいに、もりうたにたりうた、たりうたにもりうたに、ばいばいにぎんばゞい、ぎんばゞいにばいやれ。《両方三度づゝ問うて、四度目の「淡路の国」にてシヤギリになり、廻りて留める。奏者中、淡路左、丹波は右なり》

校訂者注
 1:底本は、「道行餅酒など同断」。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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