『能狂言』上20 脇狂言 たうずまふ
▲日本人「これは日本の相撲取りでござる。我が朝において、某に続く相撲がござらぬによつて、渡唐致いてござれども、四百余州にも某に勝つ者がござらぬとあつて、帝王に召し置かれ、色々御馳走なさるれども、古郷懐かしうござるによつて、御暇を申し、罷り帰らうと存ずる処に、今日は帝王のこの殿へ行幸なる由申し候ふ間、もし行幸あつたらば、こなたへ知らせて給はり候へや。
《来序にて王出で、台へ上り皆々座に着くと、来序打ち上ぐる》
▲通辞「ふうらいふうらいふう。
《通辞、唐言葉にて出づる。王、唐音にて云ひ付くる》
皆々承り候へ。今日は帝王のこの殿へ行幸なり候ふ間、何事にても奏聞申したき者は、この方へ申し候へ。その分、心得候へ心得候へ。
▲日本「いかに奏聞申すべき事の候ふ。
▲通辞「奏聞とはいかなる者ぞ。
▲日本「これは日本の相撲取りにて候ふが、久々帝王に仕へ申して候へども、古郷懐かしく候ふ間、何とぞ御暇を賜り、帰国つかまつる様に奏聞あつて給はり候へ。
▲通辞「その由奏聞申さうずる間、それに暫く待ち候へ。
▲日本「心得て候ふ。
《通辞、唐音にて云ふ。王も唐音にて云ひ付くる》
▲通辞「最前の者の渡り候ふか。
▲日本「これに候ふ。
▲通辞「その由奏聞申して候へば、久々帝王に仕へ申したる間、御暇を下されうずる。さりながら、この程のお名残に、今一度相撲を叡覧あらうずるとの御事にて候ふ間、急いで取り候へ。
▲日本「さあらば相手を下さるゝ様に、奏聞あつて給はり候へ。
▲通辞「心得て候ふ。
《又通辞、唐音にて云ふ。王、下官を指して唐音にて云ひ付くる》
その由奏聞申してあれば、下官どもを相手に下さるゝとの御事にて候ふ。急いで身拵へを致し候へ。
▲日本「心得て候ふ。
《通辞、又々唐音にて下官に「出よ」と云ひ、嫌がるを無理に引き出す。台の前へ行き、辞儀して待つて居る》
▲通辞「いかに日本人。出で候へ。
▲日本「心得て候ふ。
《通辞、行司をする。下官負くるを王見て、不機嫌にて正面を向き、又一人呼び出す。前の如くする。これも負くる。日本人は一番づゝにて太鼓座へくつろぐを呼び出す。下官残らず負け、又再び出て取るのもあり、二人掛かり、三人掛かりもあるべし。日本人と申し合はせ次第なり。悉く負くる故、王、腹立ちたる体にて、下官を指し、叱る体ありて残念がり、「王自身に取らん」と云ふ》
▲通辞「いかに日本人。
▲日本「これに候ふ。
▲通辞「今日の相撲、殊の外出かしたるとて、君も御感に思し召す。さうあれば、この度は帝王の取らせられうずるが、お相手になるかとの御事ぢや。
▲日本「慮外にはござれども、勅諚次第につかまつらうと仰せられい。
▲通辞「心得て候ふ。
《通辞、唐言葉にてその通り云ふ。王も唐音にて云ひ付くる》
皆々、舞楽を奏し候へ、舞楽を奏し候へ。
《楽になり、台の上にて楽舞ひて、団扇より始めて一品づゝ手送りにして、残らず脱ぎ仕舞ひ、そら下りあつて、台の後ろより下り、台を廻り、前へ腰を掛くるを見て、楽やむる》
▲シテ「ふうらいふうらいふう」。
《通辞、唐音にて出づる。王、云ひ付くる》
▲通辞「いかに日本人。
▲日本「これに候ふ。
▲通辞「帝王の取らせられうずるとの御事ぢや。出で候へ。
▲日本「心得て候ふ。
《日本人出で、通辞、行司をして合はすると、王、嫌がり逃ぐる。下官ども、日本人を追ひ退くる》
▲シテ「ふうらいふうらいふう。
《通辞出づる。王、云ひ付くる》
▲通辞「いかに日本人。下々の身として玉体へ近付く事、けがらはしう思し召す間、この度は御身に荒薦を纏はせられうずるとの御事にて候ふ間、暫く待ち候へ。
▲日本「心得て候ふ。
▲通辞「又々舞楽を奏し候へ、舞楽を奏し候へ。
《楽になると、下官二人、薦持ち出で、正面にて両方へ引つ張り居る。王、台より離れて大小の前へ行き、正面の薦を見て、隅を取り、廻り、拍子踏み、向かうへ出、薦をよく見て、片々づゝ手を入れては取り、入れては取りして、片しきりにて薦の向かうを廻り、一の松へ行き、小廻りして拍子。高欄へ手をかけ、薦を見て小廻り、片しきりにて舞台の中へ行き、よくよく薦を見て拍子踏み、小廻りしてつかつかと行き、両手を穴へ入る。それを見て笛留むる。薦をよく締めて、王は初めの如く台へ腰を掛け》
▲シテ「ふうらいふうらいふう。
《通辞出づる。唐音にて王、云ひ付くる》
▲通辞「いかに日本人。
▲日本「これに候ふ。
▲通辞「又々出で候へ。
▲日本「畏つて候ふ。
《又通辞、行司をして合はすると、王、負けさうになる。それを見て、下官皆出で、二三人して日本人を追ひ込み、残りは手車を組み、王を乗せ、傘を差し掛けて、唐音を云ひながら入るなり。いづれも定まりたる事はなし。相撲第一なり。シテは勿体良く、行儀良く、卑しからぬ様、第一なり》
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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