『能狂言』上28 大名狂言 しうくがらかさ

▲シテ「この辺りに隠れもない大名です。天下治まりめでたい御代でござれば、この間のあなたこなたの御参会は夥しい事でござる。それにつき、いづれもの寄り合はせられて、一言云うてはどつと笑ひ、二言云うてはどつと笑はせらるゝが、何とも合点が参らぬによつて、太郎冠者を呼び出し、承らうと存ずる。《常の如く呼び出して》
汝を呼び出す事、別なる事でもない。天下治まりめでたい御代なれば、この間のあなたこなたの御参会は、何と夥しい事ではないか。
▲冠者「御意の通り、あなたこなたの御参会は、夥しい事でござる。
▲シテ「それよそれよ。それにつき、汝に尋ぬる事がある。
▲冠者「それはいかやうな事でござるぞ。
▲シテ「いづれもの一つ所へ寄り合はせられて、ひと言云うてはどつと笑ひ、ふた言云うてはどつと笑はせらるゝが、あれは何とした事ぢや。
▲冠者「こなたはあれをご存じござらぬか。
▲シテ「いゝや。何とも知らぬ。
▲冠者「あれは秀句こせ言と申して、つゝと面白いものでござる。
▲シテ「何ぢや。秀句こせごとゝ云うて、面白いものぢやと云ふか。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「某は又、その様な事は知らず、身共が身の上の事でも云うて笑はせらるゝかと思うて、殊の外気遣ひをしたいやい。
▲冠者「ご存じなければ御尤でござる。
▲シテ「扨、某もその秀句こせ言が習ひたい程に、教へてくれい。
▲冠者「いや。私は存じませぬ。
▲シテ「それならば、何としたものであらうぞ。
▲冠者「何となされて良うござらうぞ。
▲シテ「いゑ。それならば、汝は大儀ながら、今から上下の街道へ行て、秀句をも云ひ、又奉公をもする者を抱へて来い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「早う戻れ。
▲冠者「心得ました。
《常の如く、太郎冠者、言葉、道行、「文相撲」などゝ{*1}同断。秀句、名乗り、道行、「文相撲」などゝ{*2}同断。常の如く言葉を掛く。抱へて、「文相撲」などの如く云うて、一遍廻りて》
扨、和御料は秀句がなるか。
▲秀句「秀句を申すと申す程の事はござらぬが、私は傘を細工に致すによつて、このからかさについての秀句ならば、何程なりとも申しませう。
▲冠者「それは一段の事ぢや。かやうに申すも別なる事でもおりない。頼うだ人は殊ない秀句好きで、秀句さへ云へば悦ばせらるゝによつての事でおりやる。
▲秀句「只今も申す通り、傘についての秀句ならば、何程も申しませう。
▲冠者「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲秀句「参る参る。
《「蚊相撲」などの如く、道行云うて戻り着き、常の如く過を云うて、床机に掛かり》
▲シテ「太郎冠者。これへ出い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「何と、今のは聞かうか。
▲冠者「夥しいお声でござつたによつて、定めて承りませう。
▲シテ「行て云はうは、秀句に、遥々の所を大儀にこそあれ。追つ付け秀句が聞きたいによつて、これへ出いと云へ。
▲冠者「畏つてござる。
《常の如く、「お声をお聞きやつたか」と云うて、主の云うたる通り云ふ》
▲秀句「畏つてござる。
▲冠者「つゝとお出やれ。
▲秀句「心得ました。
▲冠者「はあ。秀句出ましてござる。
▲シテ「秀句はどれからおりやつた。
▲秀句「しまから参つた。
▲シテ「それは遥々の所を大義にこそあれ。さらば秀句を聞かう。
▲秀句「骨折つて参つた。
▲シテ「島からならば骨も折りやう。さあさあ。秀句を聞かう。
▲秀句「小骨折つて参つた。
▲シテ「小骨も折れうず。秀句が聞きたい。
▲秀句「徒然に申さう。
▲シテ「何とつれづれまで待たるゝものぞ。早う秀句を云へと云ふに。
▲秀句「かみげで候ふ。
▲シテ「かみげとは。
▲秀句「え申すまい。
▲シテ「しさり居ろ。
▲冠者「早う立たしめ。
▲シテ「やい。太郎冠者。今のを聞いたか。秀句を聞かうと云へば、島から来たの、骨折つて参つたの、徒然に申さうの。あまつさへ、え申すまいと云ふ。あの様な者が何の役に立つものぢや。早う追ひ返してやれ。
▲冠者「まづお心を静めて、良う聞かせられい。只今きやつが申したは、からかさについての秀句で、殊の外出来ましてござる。
▲シテ「何と云ふぞ。今のは傘についての秀句で、悉くよう出来たと云ふか。
▲冠者「中々。左様でござる。
▲シテ「これはいかな事。某は又、その様な事は知らず、刀の柄に手を掛けた。はあ。きやつが心中が恥づかしいが。何としたならば良からうぞ。
▲冠者「何となされて良うござらうぞ。
▲シテ「それならば、行て云はうは、今の秀句、悉く聞き事にこそあれ。さうあれば、行く行くは側近うも使ふ者ぢやによつて、心を引き見んために刀のつかに手を掛けたれば、取りあへず側にあつた傘で受けた処は、行く行くは用にも立たう者と思うて満足する。又秀句が聞きたいによつて、これへ出いと云へ。
▲冠者「畏つてござる。
いや。なうなう。おりやるか。
▲秀句「これに居りまするが、私はあの様なお気の早い殿様に、御奉公はなりませぬ。もはやかう参りませう。
▲冠者「いやいや。まづお待ちやれ。頼うだ人仰せらるゝは、今の秀句、悉く《主の云うた通りを云うて》又秀句が聞きたいと仰せらるゝ程に、あれへお出やれ。
▲秀句「その儀ならば、心得ましてござる。
▲冠者「はあ。秀句、出ましてござる。
▲シテ「なうなう。秀句。
▲秀句「はあ。
▲シテ「今の秀句、悉く聞き事にこそあれ。又、行く行くはそば近うも使ふ者ぢやによつて、心を見んために刀の柄に手を掛けたれば、そばのからかさで受けた処、行く行くは用にも立たう者と思うて満足してす。
▲秀句「左様に思し召して下さるれば、近頃祝着に存じまする。
▲シテ「はあ。傘につけて、祝着に存じまする。《そら笑ひする》太郎冠者。何と面白いではないか。
▲冠者「殊の外面白うござりまする。
▲シテ「この扇子を取らすると云へ。
▲冠者「畏つてござる。
これこれ。このお扇子を下さるゝと仰せらるゝ。
▲秀句「これは結構なお扇子を拝領致いて、大慶に存じまする。
▲シテ「からかさにつけて、大慶に存じまする。《又そら笑ひして》太郎冠者。これも殊の外出来たなあ。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「この太刀刀を取らすると云へ。
▲冠者「畏つてござる。
なうなう。このお太刀かたなを下さるゝと仰せらるゝ。
▲秀句「これは、存じ寄らずお太刀刀を頂戴致いて、満足に存じまする。
▲シテ「からかさにつけて、満足に存じまする。《又そら笑ひ》傘につけて満足に存じまするは、殊の外面白いではないか。
▲冠者「殊の外面白うござりまする。
▲シテ「汝は何もやらぬか。
▲冠者「私は何もござらぬ。
▲シテ「吝い事を云ふ。この小袖上下をやらう。取つてくれい。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「何と良いか。
▲冠者「一段と良うござる。
▲シテ「早う取らせい。
▲冠者「心得ました。
これこれ。このお小袖お上下を下さるゝ。
▲秀句「これは色々拝領致いて、身に余つてありがたう存じまする。《と云うて、立つて一の松へ行き、太郎冠者を呼ぶ》
▲シテ「傘につけて、身に余つてありがたう存じまする。
▲秀句「申し。太郎冠者殿、太郎冠者殿。
▲冠者「いや。きやつが呼びまする。行て参りませう。
▲シテ「早う行て来い。
▲冠者「畏つてござる。
何事でおりやる。
▲秀句「この傘は、私の手張りに致いた傘でござるによつて、頼うだお方へ上げて下されい。
▲冠者「心得た。
《「良い時分でござる。外さうと存ずる」と云うて、秀句は引つ込むなり》
申し。きやつが申しまするは、これは手張りに致いた傘でござるによつて、こなたへ上げますると申しまする。
▲シテ「むゝ。この傘を身共にくるゝと云ふか。
▲冠者「中々。
▲シテ「何と思うてくれたぞ。定めて小歌の心でくれたものであらう。
《小歌》雨の降る夜は。なおりやりそ。からかさ故にこそ名は立て、か。《傘すぼめて》
はゝあ。秀句は寒いものぢや。

校訂者注
 1・2:底本は、「文相撲など同断」。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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