『能狂言』上37 大名狂言 じせんせき
▲シテ「罷り出でたる者は、この辺りに住居致す者でござる。某、召し遣ふ下人が、暇をも乞はいでいづ方へやらおりさうてござる。承れば、夜前罷り帰つたとは申せども、未だ某が前へ目見えも致さぬ。言語道断、憎い奴でござるによつて、今日は彼が私宅へ立ち越え、散々に折檻を加へうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。いや。誠に、暇を乞うてござらば、五日や十日は取らせませうものを。暇を乞はぬ処が憎うござる。いや。参る程に、彼が私宅はこれでござる。某が声と聞いたらば出ますまいによつて、作り声を致し呼び出さうと存ずる。《扇をかざして》
物申。案内申。
▲冠者「やら。奇特や。夜前罷り帰つたを、早どなたやらご存じあつて、表に物申とある。
案内とは誰そ。
▲シテ「物申。
▲冠者「どなたでござる。
▲シテ「しさり居ろ。
▲冠者「はあ。
▲シテ「俄かの慇懃、迷惑致す。お手上げられい。
▲冠者「はあ。
▲シテ「その如く、主の声をも聞き忘るゝ程の不奉公ではなるまい。この間は、某に暇をも乞はいで、いづ方へおりさうた。
▲冠者「さればその事でござる。一人召し使はるゝ太郎冠者の事でござれば、お暇の儀を申し上げたりと、とても下されまいと存じ、忍うで京内参りを致しましてござる。
▲シテ「むゝ。京内参りをすれば、主に暇を乞はぬ法ですか。
▲冠者「はあ。
▲シテ「憎い奴の。
これはいかな事。散々に折檻を加へうと存じてござれば、京内参りを致いたと申す。都の様子も承りたうござるによつて、まづこの度は差し許さうと存ずる。
やいやい。許す程に立て。
▲冠者「それは誠でござるか。
▲シテ「誠ぢや。
▲冠者「真実でござるか。
▲シテ「一定ぢや。
▲冠者「あら心安や。
▲シテ「何と気遣ひにあつたか。
▲冠者「いつもよりは、気色が変らせられてござるによつて、すはお手討ちにでも合ひませうかと存じて、身の毛を詰めて居りました。
▲シテ「定めてさうであらう。某も、いついつよりも腹は立つたれども、京内参りをしたと云ふによつて許いた。これへ出て、都の様子を語れ。
▲冠者「畏つてござる。天下治まりめでたい御代でござれば、あなたのお振舞ひの{*1}、こなたのご参会のと申して、都は殊の外賑やかな事でござりまする。
▲シテ「定めてさうであらう。扨、何も珍しい事は流行らなんだか。
▲冠者「別に珍しい事も流行りませなんだが、謡がひと節流行りましたによつて、習うて参りました。
▲シテ「それは又、何と思うて習うて来たぞ。
▲冠者「さればその事でござる。ご一門の中にも、こなたはお大名の事でござれば、いづれものご参会に、初めは上座をなさるれども、すは乱舞ともなれば、次第次第に下座へ下がり、畳の縁をむしつてござるを、私の物蔭から見まして、余りご笑止に存じ、ご指南をも申さうと存じて習うて参りました。
▲シテ「何と云ふぞ。《太郎冠者云うた通り受け云うて》指南をもせうと思うて習うて来たと云ふか。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「やれやれ。それはようこそ習うて来た。追つ付け謡が聞きたい程に、床机をくれい。
▲冠者「畏つてござる。
はあ。お床机でござる。
▲シテ「太郎冠者。これへ出い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「何と、囃子の者でも呼ばうか。
▲冠者「いや。私の心拍子で謡ひまするによつて、囃子の衆には及びませぬ。
▲シテ「それは尚々ぢや。早う謡へ。
▲冠者「畏つてござる。《謡》
二千石の松にこそ、千歳を祝ふ後までも、その名は朽ちせざりけれ、その名は朽ちせざりけれ。
▲シテ「面白い謡ぢや。又謡へ。
▲冠者「畏つてござる。《謡》
二千石の松にこそ。《又謡ふ。主、左へ向く》
いや。頼うだ人は面白いかして、あちらへ向かせられた。あちらへ参つて謡はう。《謡》
二千石の松にこそ。《又謡ふ。主、今度は右へ向く》
これはいかな事。今度は又、あちらを向かせられた。さらば、あちらへ参つて謡はう。但し、お耳が遠うならせられたか知らぬ。《謡》
松にこそ。
▲シテ「しさり居ろ。
▲冠者「はあ。
▲シテ「南無謡の大明神。只今の謡は、私の存じて謡はせたではござない。真つ平御免あれ。
やい。おのれ、只今成敗せうずれども、ご存じないお方の思し召すは、故もない事に成敗したとあつては、後難が口惜しい。今、謡の仔細を語つて聞かせ、その上で成敗する程に、さう心得い。
▲冠者「これは迷惑にござる。
▲シテ「何の迷惑。それへ出て聞き居ろ。
▲冠者「はあ。
▲シテ「《又、床机にかゝりて》《語》まづ、某が親の親は祖父よな。
▲冠者「おほぢご様でござる。
▲シテ「《語》その親は曾祖父、その親の親の、つゝとあつちの代の事にてありしに、安倍の貞任、奥州衣川の城郭に籠り、盛昌我意に任せらるゝ間、都より討手の大将を下さるゝ。その時の大将軍は、忝くも八幡殿にてありしよな。
▲冠者「はあ。
▲シテ「《語》まづは攻めも攻め、怺へもこらへけるぞ。前九年後三年、合はせて十二年三月といふもの、攻めらるゝ。或る時、八幡殿にご酒宴始まりしかば、某が先祖の祖父、お酌に立つ。大将たぶたぶと受け給ひ、祝言一つとありしかば、その時、鎧の引き合はせより扇子抜き出し、銚子の長柄をたうたうと打つて、二千石の松にこそ、千歳を祝ふ後までも、その名は朽ちせざりけれと、押し返し三遍謡ふ。大将、なのめならず思し召し、三盃干し給ひ、程なく敵を滅ぼし、天下一統の御代となし給ふも、ひとへにこの二千石の祝言の謡の故なり。いで、この謡の恩賞を与へんとて、宇多の庄といふ大庄を給はつてよりこの方、ひこひこおほぢ、ひおほぢ、親である者、今某が代に至るまで、活計寛楽に誇るも、ひとへにこの二千石の祝言の謡の故なり。いゝや。かやうの大事の謡をおよそにしては叶はじと、乾の角に壇を築き、石の唐櫃を切つて据ゑ、一つ謡うてはどうと入れ、二つ謡うてはどうと入れ、石のからうどの蓋のふうとする程謡ひ入れ、七重に注漣󠄁を張り、南無謡の大明神と額を打つて、崇むる程の大事の謡を、何ぞや、おのれが主に暇も乞はいで都へうするのみならず、二千石の祝言の謡うたふ事、くせ事にてあるぞとよ。
▲冠者「いや。私は存じませぬが、都で流行りましたによつて習うて参りました。
▲シテ「いやいや。都では流行るまいが。おのれが持つて行て流行らせたものであらう。所詮、謡はせぬ調儀がある。お直りそへ。《太郎冠者泣くを見て》
むゝ。汝はほゆるよな。さすがは下々ぢや。余人にも仰せ付けられうを、お手討ちになさるゝ事、生々世々ありがたいなどゝ云うて、につこと笑うて斬られうおのれが、その大づらを下げてほゆるは、但しこの太刀の鎺元、物打ち、切つ先に、名残りが惜しいか。今ぬかせ。
▲冠者「いや。その御太刀の鎺元、物打ち、切つ先に、名残りは惜しうはござらねども、私は、大殿様より召し使はれた者でござるが、ある徒然に、違ひ棚にある尺八を取つて来いと仰せ付けられたを、取つて参るとて、畳の縁に躓いて転うでござれば、あの躾もない奴のとあつて、その尺八をおつ取つてご打擲なされたお手元と、今又こなたの、直れ、斬らうと仰せられて、太刀を振り上げさせられたお手元が、大殿様によう似まして、それが哀れでほえまする。
▲シテ「何と云ふぞ。そちは、親者人の時より召し使はれた者ぢやよな。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「あるつれづれに、違ひ棚にある尺八を取つて来いと仰せ付けられたを、取つて来るとて畳の縁に躓いて転うであれば、あの躾もない奴のとあつて、その尺八をおつ取つてご打擲なされたお手元と、今身共が直れ、斬らうと云うて、太刀を振り上げた手元が、親者人によう似て、それが哀れでほゆると云ふか。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「それでの。
▲冠者「中々。
《これより、主も泣きて》
▲シテ「扨々、汝は哀れな事を思ひ出いた。さう云ふ者の、太刀の打ち付けう所がない。命を助くるぞ。
▲冠者「それは誠でござるか。
▲シテ「誠ぢや。
▲冠者「真実でござるか。
▲シテ「何しに偽りを云はうぞ。則ち、太刀も鞘に収むるぞ。
▲冠者「その様に早速お心の直らせらるゝ処は、よう似させられてござる。
▲シテ「何ぢや。よう似た。
▲冠者「中々。
▲シテ「汝を年月使へども、何をひと色もやらぬ。これは重代なれども、そちに取らするぞ。
▲冠者「かやうに物を下さるゝお手元は、その儘でござる。
▲シテ「何ぢや。似たと云ふか。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「さう云ふ者に、何が惜しからうぞ。これはわざよしなれども、これも汝に取らするぞ。
▲冠者「この様に重ね重ね下さるゝお手元は、生き写しでござる。
▲シテ「かう行く姿は。
▲冠者「その儘でござる。
▲シテ「又、戻る姿は。
▲冠者「今目の前に見る様にござる。
▲シテ「何ぢや。よう似たと云ふか。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「昔から、親に似ぬ子は鬼子ぢやと云ふが、似たも道理よな。
▲冠者「左様でござる。
▲シテ「《これまで始終泣きて》やい。太郎冠者。
▲冠者「何事でござる。
▲シテ「何を歎くぞ。昔から、子が親に似て代々跡を継ぐ程、めでたい事はない。嘆く処ではあるまい。めでたう笑うて戻らう。
▲冠者「良うござりませう。
▲シテ「それへ出い。
▲冠者「心得ました。
▲シテ「まだ出い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「さあ。笑へ。
《両人ともに、笑うて留めるなり》
校訂者注
1:底本は、「あなたのお振舞、」。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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