『能狂言』上38 大名狂言 ぶんざう
《初め、「二千石」と同断》
▲シテ「それへ出て、都の様子を語れ。
▲冠者「畏つてござる。天下治まりめでたい御代でござれば、あなたのお振舞ひの、こなたのご参会のと申して、都は賑やかな事でござる。
▲シテ「定めてさうであらう。汝が都へ上ると聞いたならば、伯父者人の方へ、言伝なりともせうものを。
▲冠者「それはぬかる事ではござらぬ。取り繕うて、良い様に申しましてござる。
▲シテ「それはでかいた。扨、あの伯父者人は、人に珍しい物を振舞ふ事が好きぢやが、汝は何も振舞はれはせぬか。
▲冠者「それについて、何やら珍しい物を振舞はせられてござる。
▲シテ「何を喰うたぞ。
▲冠者「何やらであつたが、はつたと忘れましてござる。
▲シテ「喰うた物を忘るゝと云ふ事があるものか。朝喰うたか。晩に喰うたか。
▲冠者「朝食べました。
▲シテ「朝喰うたならば、昆布に山椒、良い茶ではないか。
▲冠者「左様のものではござらぬ。
▲シテ「それならば点心の類であらう。
▲冠者「仰せられて見させられい。
▲シテ「温飩・素麺。
▲冠者「いゝや。
▲シテ「熱麦・温麦ではないか。
▲冠者「左様のものでもござらぬ。
▲シテ「それならば、羹の類であらう。
▲冠者「それも仰せられて御らうぜられい。
▲シテ「砂糖羊羹。
▲冠者「いゝや。
▲シテ「おんぜんかん、もんぜんかん。
▲冠者「いゝや。
▲シテ「玉澗、勅勘。
▲冠者「いゝや。
▲シテ「大寒か、小寒か。
▲冠者「いや。申し。何と大寒小寒が喰はるゝものでござるぞ。
▲シテ「おのれは憎いやつの。それ故、常々覚えにくい事は、物によそへて覚えいと云うたが。何ぞによそへては覚えぬか。
▲冠者「左様に仰せらるれば、常々こなた読ませらるゝ、草紙の内にある物でござる。
▲シテ「あれは石橋山合戦物語ぢやが。喰うたか。
▲冠者「中々。食べましてござる。
▲シテ「扨々、はしかい処を喰うたなあ。
▲冠者「はあ。
▲シテ「総じて某が癖として、人にものを聞き掛かつて聞き遂げねば、心に掛かつて悪しい。所詮半巻ばかりは空に覚えて居る。語つて聞かせう。床机をくれい。
▲冠者「畏つてござる。
はあ。お床机でござる。
▲シテ「太郎冠者。これへ出い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「この中にあらばあると、早う答へい。
▲冠者「心得ました。
▲シテ「《語》扨も石橋山の合戦は、治承四年八月一日、右兵衛佐頼朝、伊豆の国蛭が小島を打つ立ち給ふ。その時の御勢、わづか三百余騎には越えざりけり。土肥の杉山は、要害良き所なればとて、城郭に構へ給ふ。まつた平家の侍に、大場の三郎と云つし者、三千余騎を引率し、石橋小早川に陣を取る。源氏方は三百余騎、平家の方は三千余騎、三千余騎と三百余騎とは十分が一分なれども、合戦の習ひの面白さ、又は君の御運のめでたき故にや、人の心が一つに揃ひ、火花を散らし合戦したる処ばし、喰らうてあるか。
▲冠者「左様の処ではござらぬ。
▲シテ「こゝではない。
▲冠者「中々。
▲シテ「《語》かくて昼の間は合戦互角にありしかば、夜軍になり、相手組を定む。源氏の方には岡崎の悪四郎が嫡子、真田与市義定を選む。与市がその日の装束には、肌には皆白折つてひと重ね、精好の大口に、副将軍を賜れば、錦の鎧直垂を、初めてこそは着たりけれ。一尺三寸の鮫鞘巻の刀をさし、黄金作りの太刀を鴎様に結んで提げ、廿四さいたる切生の征矢、かしら高に取つてつけ、楊梅桃李の左右の小手、白檀磨きの臑当に、緋縅の大鎧、同じ毛の五枚兜に鍬形打つてぞ着たりける。重籐の弓の真ん中握り、馬は名を得し夕顔といふ馬に、金覆輪の鞍置かせ、我が身軽げにゆらりと乗り、木戸を開かせしづしづと打つて出る。頃は八月廿日余り、まだ宵の間は闇なるに、暁方の空晴れて、すはや敵の近づくと、目にはさやかに見えねども、荻の上葉を吹く風の、そよとばかりに訪れて、秋の夜の片割れ月の片々も、落ちてぞ水の底に澄むと云ふ、この歌の心を以て、土肥の杉山の高根を出づる月影に、与一が兜の鍬形の、ひらりひらりと閃めくにぞ、真田なりとは知られたりと云つし処ばし、喰らうてあるか。
▲冠者「左様の処でもござらぬ。
▲シテ「《語》かゝつし処に平家これを聞き、真田いち人討たんとて、良き武者を三騎すぐる。いち人は大場が舎弟俣野、に人は長尾の新五新六なり。俣野がその日の装束には、肌には皆白折つてひと重ね、精好の大口にかちんの鎧直垂を、初めてこそは着たりけれ。一尺八寸の黄金作りの刀をさし、いかもの作りの太刀を佩き、廿四さいたる大中黒の征矢、かしら高に取つてつけ、楊梅桃李の左右の小手、白檀磨きのすねあてに、黒糸縅の大鎧、同じ毛の五枚兜に高角打つてぞ着たりける。塗籠籐の弓の真ん中握り、馬は名を得し連銭葦毛といふ馬に、豹の皮の張り鞍、虎の皮の切つ付け、熊の障泥さし、我が身軽ろげにゆらりと乗り、太刀抜き放し、真つ向にさし翳し、揉みに揉うでぞ駈け合はす。所は石橋山早川の上の段、双六石といふ所にて、互にそれぞと見しよりも、物あひ近くなりしかば、ふた打ち三打ちは打つぞと見えしが、いざ我組まんと云ふ儘に、鎧の袖を引つちがへ、馬の上にてむずと組み、両馬があひにどうと落つる。所がら難義の悪所なれば、ゑいやと跳ぬればころりと転び、ゑいやと跳ぬればころりと転ぶ。譬へば板家の霰、たまきの端なきが如く、ころりころりと転ぶ程に、遥かの谷に転び着く。転び着く処は俣野が上になりしかども、真田は元より力勝りの武者なれば、下よりもゑいやつと云うて跳ね返し、俣野が矢負ひ際に乗り掛かり、兜を取つてかなぐり捨て、乱れ髪をかい掴んで、頭を掻けども掻かれず。不思議やと思ひ雲透きに刀を見れば、鮫鞘巻の鞘詰まり、栗形もげて鞘ながらあり。口に咥へて抜くべきを、若気の至る所にや、かむりの板に押しあて丁々と打ちければ、抜けはせずしてこの刀、目貫き元よりほつきと折れ、波打ち際にさつと入る。てんに呆れて居たりし処に、新五新六駈け合はせ、遥かの谷を見れば、武者二騎組んであり。上が俣野か下が俣野かと、呼ばゝる声の下より曰く、我こそ俣野よ下り合ひ給へと云ひければ、二人おり合ひ上なる真田が首を取り、下なる股野を引つ立てゝ、鎧の埃を打ち払ひ打ち払ひ、三人目と目をきつと見合はせ、につこと笑うて立つたる暇に、遥かの峯を見れば老武者一騎、白糸の腹巻に白柄の長刀かいこうで、尾花葦毛の馬に乗り、荻薄をかき分けかき分け、真田殿、与市殿と呼ばゝる。新五駈け合ひ、おことは誰そと尋ぬれば、真田が乳人に文蔵と答ふる。
▲冠者「申し。その文蔵を食べましてござる。
▲シテ「いや。これは人の名ぢやが。喰うたか。
▲冠者「中々。食べましてござる。
▲シテ「むゝ。汝が言葉の末で思い出いた事がある。云うて聞かさう。これへ出い。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「まだ出い。
▲冠者「心得ました。
▲シテ「昔、釈尊師走八日の御山出でに、御身を温めさせられんがため、きこし召したる温糟粥の事であらう。
▲冠者「誠に、そのうんざうがゆでござつた。
▲シテ「それは温糟。これは文蔵。よしない物を喰うて主に骨を折らせた。何でもない事。しさり居ろ。
▲冠者「はあ。
▲シテ「ゑい。
▲冠者「はあ。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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