『能狂言』上41 大名狂言 ばうばうがしら
《初め、「文蔵」などゝ同断{*1}》
▲主「それへ出て、都の様子を語れ。
▲シテ「畏つてござる。天下治まりめでたい御代でござれば、物見遊山のと申して、都は殊の外賑やかな事でござる。
▲主「定めてさうであらう。扨、何も珍しい事はないか。
▲シテ「扨、それについて、今度都へ上つて、田舎の名を揚げてござる。
▲主「それはいかやうな事ぢや。
▲シテ「さればその事でござる。私も初めて上つた事でござるによつて、こゝかしこを見物致いて北野へ参り、それより祇園へ参らうと存じて、そろりそろりと参りましてござれば、道端に見事な菊の花が、今を盛りと咲き乱れて居りましたによつて、ひと枝手折りまして、たぶさへ挿し、それより三條の橋へ出まして、四方の景色を眺めて居りましたれば、何か内裏上臈と見えまして、芥子の花を飾つた様に大勢参られまするによつて、私も見物致さうと存じて、橋の欄干に寄り添うて、扇を翳いて見て居ましたれば、中にも二十歳ばかりと思しき美しい上臈の、私の髻の菊の花を見られまして、見れば田舎人さうなが、しほらしや。菊の花を挿いて居らるゝ。何と、歌を詠うで掛けうではないか、と申して、その儘歌を詠うで掛けられてござる。
▲主「それは、何と詠うで掛けられたぞ。
▲シテ「都には所はなきか菊の花ばうばうがしらに咲きぞ乱るゝ。
と詠うで掛けられてござる処で、私の存じまするは、人に歌を詠うで掛けられて、その返歌をせねば、先の世で口ない虫に生まるゝ、と承つてござるによつて、その儘追ひ付いて、返歌を致いてござる。
▲主「それは、何と返歌をしたぞ。
▲シテ「これと申すも、こなたの常々歌に好かせらるゝによつて、そのお蔭に、私も少しは聞き覚えて居りまする処で、鸚鵡返しに返歌を致いてござる。
▲主「これは聞き事ぢや。まづ何としたぞ。
▲シテ「都にも所はあれど菊の花思ふ頭に咲きぞ乱るゝ。
と返歌を致いてござれば、かの上臈の聞かれて、扨々、田舎人には似合はぬ。扨も扨も、優しい人かな。田舎の。こちへこちへ、と申して先へ行かれまする程に、私も後からそろりそろりとついて参りましてござれば、程なく祇園の松原へ出ましてござる。何が幕打ち廻し屏風を立て、かの上臈達の、幕を打ち上げ打ち上げして内へ這入られまする処で、私も同じ様に幕打ち上げて内へ這入りましてござれば、則ち最前の上臈の、田舎のは、これへこれへ、と申して、私を一の上座へ置きましてござる。
▲主「何ぢや。そちを上座へ置いた。
▲シテ「中々。
▲主「それは何とも合点の行かぬ事ぢやが。汝が居た辺りには、何ぞなかつたか。
▲シテ「他には何もござらなんだが、緒太の金剛があまたござりました。
▲主「こゝな奴は。それは沓脱ぎと云うて、いち下座ぢや。
▲シテ「それは下座にもなされませい。私もそれにつゝくりと致いて居ましたれば、何が菓子と見えまして、結構な提げ重を持つて出まするによつて、これは身共へくるゝ物であらう。総じてこの様な物に目を付くるは卑しいものぢやと存じて、脇の方を向いて居りましたれば、いつの間にやら、つゝと奥へ持つて参りました。
▲主「はあゝ。汝にはくれなんだか。
▲シテ「中々。又、今度は酒肴と見えて、これも結構に飾つた台を、目八分に持つて出まする処で、最前の菓子こそ身共へくれずとも、今度こそきつと某へくるゝであらうと存じ、知らぬふりで居ましたれば、私の鼻の先をすりこすつて、又つゝと奥へ持つて参りましてござる。
▲主「又それもくれなんだか。
▲シテ「処で、私もあまり腹が立ちましたによつて、座敷を踏み散らいて、早々に立つてござれば、後から、ほゝいほゝい。田舎者、返せ返せ、と申して、おはしたが追ひかけまする処で、私の申しまするは、最前の菓子や酒肴をも身共へはくれず、何も返す覚えはない、と申してござれば、何が足の早いおはしたでござるぞ。その儘私に追ひ付きまして、後ろから私の右の手をきつと捩ぢ上げまして、最前の物を返せ返せ、と申しまするによつて、今も云ふ通り、何も馳走はせず、返す物はない。こゝを放せ、と申してござれば、彼女が申しまするは、おのれは憎い奴の。まだそのつれな事を云うて。返さずば、こちらの手も捩ぢ上ぐる、と申して、左右の手をきつと捩ぢ上げてござる処で、私もあまりに堪へがたうござつた程に、あゝ。それならば是非に及ばぬ。返さう程に、こゝを放せ、と申して、懐より、これか、と申して物を出しましてござる。
▲主「何を出いたぞ。
▲シテ「物を。
▲主「何を。
▲シテ「物を。
▲主「何を。
▲シテ「緒太の金剛を出いてござる。
▲主「あのやくたいなし。しさり居れ。
▲シテ「はあ。
▲主「ゑい。
▲シテ「はあ。
校訂者注
1:底本は、「など同断」。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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