『能狂言』上42 大名狂言 ふたりだいみやう
▲シテ「これは、この辺りに住居致す者でござる。某、所用あつて都へ上りまする。それについて、こゝに等閑なう致す人がござるが、都へ上らば誘うてくれいと申されてござるによつて、これへ誘うて参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。かう参つても、内に居らるれば良うござるが。宿に居られぬ時は、参つた詮もない事でござる。いや。参る程にこれぢや。まづ案内を乞はう。《常の如く》
只今参るも別なる事でもござらぬ。所用あつて都へ上りまするが、かねてこなたの、都へ上らば誘うてくれいと仰せられてござるによつて、今日はお誘ひに参りました。
▲アド「ようこそ誘うて下された。私も今日は暇でござるによつて、お供致しませう。
▲シテ「扨はご同心でござるか。
▲アド「いかにも同心でござる。
▲シテ「その儀ならば、まづこなたからござれ。
▲アド「まづこなたから御出なされい。
▲シテ「それならば、私から参りませうか。
▲アド「それが良うござらう。
▲シテ「さあさあ。ござれござれ。
▲アド「参りまする、参りまする。
▲シテ「扨、今日はこなたもお暇でお供致いて、この様な満足な事はござりませぬ。
▲アド「私もお供致いて、近頃大慶にござる。
▲シテ「扨、私も今日は、方々へ人を差し遣うて、いち人も居りませぬによつて、自身太刀を持つてござる。上下の街道へ参つたならば、似合はしい者が通らぬ事はござるまい程に、持つて貰ひませう。
▲アド「いかにもそれが良うござらう。
▲シテ「いや。参る程に上下の街道でござる。これにちと休らうて参りませう。
▲アド「それが良うござらう。
▲通り「この辺りの者でござる。所用あつて都へ上りまする。まづそろりそろりと参らうと存ずる。誠に、いつも都へ上る時分は連れがござるが、今日はちと急ぎまするによつて、連れをも誘はずに参る。
▲シテ「いや。申し。これへ一段の者が参る。言葉を掛けませう。
▲アド「良うござらう。
▲シテ「いや。なうなう。
▲通り「やあやあ。こちの事でござるか。何事でござるぞ。
▲シテ「いかにも和御料の事ぢや。聊爾な申し事なれども、どれへおりやるぞ。
▲通り「私は所用あつて都へ上る者でござるが。何ぞ御用ばしござるか。
▲シテ「何ぢや。都へ上る。
▲通り「中々。
▲シテ「それは幸ひな事ぢや。我々も都へ上る者ぢやが、連れ欲しうて、この所に待ち合はせて居た。お供致さう。
▲通り「見ますれば、ご仁体でござる。お連れには似合ひますまい。たゞお先へ参りませう。
▲シテ「これこれ。連れには似合うた連れもあり、似合はぬ連れもあるものぢや。是非ともお供致さう。
▲通り「その上私は急ぎまするによつて、たゞお先へ参りませう。
▲シテ「いや。これこれ。そなたが急がばこちも急ぐ。どうあつてもお供致さう。
▲通り「それならば、ともかくも御意次第でござる。
▲シテ「それは満足な。お先へと申さうが、身共から参らう。さあさあ。ござれござれ。
▲アド「参る参る。和御料も、おりやれおりやれ。
▲通り「参りまする、参りまする。
▲シテ「扨、かやうにふと言葉を掛け同道致すも、他生の縁でかなおりやらうぞ。
▲通り「仰せらるゝ通り、他生の縁でかなござらうぞ。
▲シテ「かう参るからは、都までは篤とお供致さう。
▲通り「何が扨、篤とお供致しませうとも。
▲シテ「扨、初めて逢うて、無心を云ふはいかゞなれども、ちと頼みたい事があるが、聞いておくりやらうか。
▲通り「私づれに御用はござりますまいが、似合ひました御用ならば承りませう。
▲シテ「それは近頃満足致す。まづお礼申さう。
▲通り「御礼には及びませぬ。
▲シテ「扨、無心と云ふは別なる事でもおりない。某も人をあまた持つたれども、今日は方々へ差し遣うて、一人も居らぬによつて、お見やる通り、自身太刀を持つた。この太刀が都まで持つて貰ひたいといふ事でおりやる。
▲通り「これは近頃易い事ではござれども、見れば結構なお太刀でござる。その上、つひに太刀などを持つた事はござらぬ。これは御免なされて下されい。
▲シテ「こゝな者は。結構な太刀ぢやと云うて、持つに持たれぬ事はあるまい。是非とも持つてくれさしめ。
▲通り「いや。何程に仰せられても、持つた事がござらぬ。これは御免なされて下されい。
▲シテ「ようおりやる。一旦諸侍に一礼までを云はせて、持つまいと云ふ事があるものか。この上は、持つとも持たずとも持たせうが、ていとお持ちやるまいか。
▲通り「あゝ。まづものを云はせられい。
▲シテ「ものを云はせいとは。
▲通り「持ちませう。
▲シテ「いや。お持ちやるまいものを。
▲通り「いや。持ちませう。
▲シテ「それは誠か。
▲通り「誠でござる。
▲シテ「真実か。
▲通り「一定でござる。
▲シテ「これは戯れ事。太刀が持つて貰ひたさの儘でおりやる。
▲通り「これは、怖いおざれ事でござる。
▲シテ「さあさあ。持つてくれさしめ。
▲通り「何と、これで良うござるか。
▲シテ「いや。そなたは持ちつけぬと仰しやつたが、一段と良い持ちぶりでござる。
▲アド「誠に良い持ちぶりでござる。
▲通り「いや。申し。もし途中で、お知る人になどお逢ひなされた時分に、やいやい。太郎冠者。あるかやい、と仰せられい。はあ。お前に、と答へませう。
▲シテ「それは、尚々でおりやる。さあさあ。ござれござれ。
▲アド「参る参る。
▲シテ「今日は良い者に出合うて、太刀を持つて貰ひまして、近頃悦ばしい事でござる。
▲アド「良い者に出合はせられて、一段の事でござる。
▲通り「扨も扨も、憎い奴でござる。何と致さう。いや。致し様がござる。
がつきめ。やるまいぞ。
▲シテ「それは切れ物。こちへおこせ。
▲通り「何の切れ物。両人ともに、胴斬りにしてやらう。
▲両人「あゝ。真つ平命を助けてくれい。
▲通り「最前、持ち付けもせぬ者に、太刀を持たせたが良いか。これが良いか。両人ともに、首を落といてやらう。
▲両人「あゝ。何とぞ命を助けてくれい。
▲通り「見れば、良い腰の物をさいて居る。それをおこせ。
▲シテ「何ぢや。ひと腰をおこせ。
▲通り「中々。
▲シテ「諸侍のひと腰が放さるゝものか。これは遣る事はならぬ。
▲通り「おのれ、そのつれな事を云うて。おこさずば、唐竹割りにしてやらう。
▲シテ「あゝ。遣らう遣らう。
▲アド「いや。申し。命には替へられますまい。早う遣らせられい。
▲シテ「その儀ならば、是非に及びませぬ。遣はしませう。さあ。取れ。
▲通り「おのれは心得た出し様をする。取り直いておこせ。
▲シテ「それ程用心をするならば、な取つそ。
▲通り「おのれ、取り直いておこさずば、瓜割りにしてやらう。
▲シテ「あゝ。取り直いてやらう、やらう。
▲通り「早うおこせ。
▲シテ「さあ。取れ。
▲通り「がつきめ。
▲シテ「危ない事をする。
▲通り「さあさあ。汝もおこせ。
▲アド「某は許いてくれい。
▲通り「おのれもおこさずば、刺し殺すぞ。
▲アド「あゝ。やらう、やらう。
▲シテ「申し申し。私も遣はしました。こなたも遣らせられい。
▲アド「扨々、これは迷惑な事でござる。是非に及びませぬ。遣はしませう。さあ。取れ。
▲通り「こちへおこせ。
▲アド「危ない事をする。
▲通り「まづこれも、身共が物ぢや。やい。聞くか。
▲両人「何事ぢや。
▲通り「恥づかしい事なれども、生まれてこの方、つひに生き物を斬つた事がない。おのれらを斬り習ひに、どれから斬らうぞ。
▲両人「あゝ。命は助けてくれい。
▲通り「胴斬りにしてやらう。
▲両人「真つ平助けてくれい。
▲通り「そりや。手がづるわ。
▲両人「出はすまい。
▲通り「足がづるわ。
▲両人「出はすまい。
《幾度も返して云うて、なぶりて》
▲通り「扨々、面白い事でござる。
やいやい。汝らは真実、命が助かりたいか。
▲両人「中々。助かりたい。
▲通り「見れば、汝らが烏帽子は鶏のとさかに似た。命が助かりたくば、これへ出て、鶏の蹴合ふ真似をせい。
▲両人「蹴合ふ真似をしたらば、その太刀々を返すか。
▲通り「中々。返さう。
▲シテ「申し。それならば、蹴合ふ真似を致しませう。
▲アド「中々。致しませう。
《両人、真ん中へ出て、扇を広げ、「鶏聟」の如くして》
▲両人「こうこうこう、こきやあ、こうこう。こうこうこう、こきやあ、こうこう。こうこうこう、こきやあ、こうこう。
何と、良いか。
▲通り「一段と良い。
▲両人「それならば、返せ返せ。
▲通り「まづ待て待て。汝らがその、ひらひらした物を脱げ。
▲シテ「おのれは、云ひたい儘な事を云ふ。何と丸裸にならるゝものぢや。これを脱ぐ事はならぬ。
▲通り「おのれ、その小袖上下を脱がずば、胴腹をくり抜いてやるぞ。
▲両人「あゝ。脱がう脱がう。
▲通り「早う脱いでおこせ。
▲シテ「是非に及びませぬ。さらば、脱いで遣りませう。
▲アド「私も遣りませう。
▲シテ「扨々、これは近頃迷惑な事でござる。
▲アド「その通りでござる。
▲シテ「さあさあ。これを皆遣るぞ。
▲通り「これへおこせ。汝もこれへおこせ。
いや。汝らがつくばうて居る処は、白犬にその儘ぢや。これへ出て、犬の噛み合ふ真似をせい。
▲シテ「やあら。おのれは云ひたい儘な事を云ふ。何と諸侍が、その様な事がなるものか。ならぬならぬ。
▲通り「そのつれを云うて。噛み合ふ真似をせずば、両人ともに胴斬りにしてやらう。
▲シテ「あゝ。それならば、噛み合ふ真似をせう、噛み合ふ真似をせう。
《噛み合ふ真似する》
▲通り「いや。そのなりを見れば、都で流行る起き上がり小法師によう似た。両人ともにこれへ出て、起き上がり小法師の真似をせい。
▲シテ「いや。申し。起き上がり小法師と申す物は、難しい事はござらぬ。只つゝくりとさへ致いて居れば、済む事でござる。それへ出させられい。
▲アド「心得ました。
▲通り「いやいや。さうではない。小歌を歌ひ、転びを打つて真似をせい。
▲シテ「その小歌は知らぬ程に、歌うて聞かせい。
▲通り「別に難しい事でもない。《小歌》
京に京にはやる、起き上がり小法師。やよ。殿だに見れば、つゐ転ぶ、つゐ転ぶ。
と云うて、左右へ転びを打つ事ぢや。
▲シテ「さうしたならば、太刀、刀、小袖、上下をも返さうか。
▲通り「中々。返さうぞ。
▲シテ「それならば致しませう。
▲アド「それが良うござらう。
▲両人「《小歌》京に京にはやる、起き上がり小法師。やよ。殿だに見れば、つゐ転ぶ、つゐ転ぶ。合点か、合点か、合点、合点、合点ぢや。《今一遍返して云ふなり》
▲両人「何と、良いか。
▲通り「一段と良い。
▲両人「さあ。返せ返せ。
▲通り「まづ待て待て。
▲両人「危ない事をする。
▲通り「やい。聞くか。
▲両人「何事ぢや。
▲通り「汝らに戻したけれども、これを戻いたならば、又、重ねて往来の者を迷惑さするであらう程に、これは身共が取つてのくぞ。
▲両人「あの横着者。誑された。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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