『能狂言』上43 大名狂言 こぶうり
《名乗り、「二人大名」の如く云うて、都へ上る。道行に、「人を差し遣うて一人も居らぬによつて、自身太刀を持つてござる。上下の街道へ参つたならば、良さゝうな者も通らう程に、持つて貰はう」と云うて、上下の街道へ着いて、休みて居る》
▲シテ「これは、若狭の小浜のめしの昆布売りでござる。毎日、都へ商売に参る。今日も参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、さすが都でござる。毎日持つて参つても、つひに売り余いて持つて戻つた事がござらぬ。今日も仕合せを良う致したい事でござる。
▲アド「いや。これへ一段の者が参る。急いで言葉を掛けう。
いや。なうなう。
▲シテ「やあやあ。こちの事でござるか。
▲アド「いかにも和御料の事ぢや。そなたは、どれへ行くぞ。
▲シテ「商売人の事でござれば、どれへと申す事もござらぬ。たゞ召し上げらるゝお方へ参りまする。
▲アド「これは尤ぢや。さりながら、志いてはどれへおりやるぞ。
▲シテ「志いては都へ上りまするが、何ぞ御用ばしござるか。
▲アド「何ぢや。都へ上る。
▲シテ「中々。
▲アド「それは幸ひな事ぢや。某も都へ上る者でおりやるが、連れ欲しうて、この所に待ち合はせて居た。お供致さう。
▲シテ「見ますれば、ご仁体でござる。お連れには似合ひますまい。お先へ参りませう。
▲アド「これこれ。連れには似合うた連れもあり、又似合はぬ連れもあるものぢや。是非ともお供致さう。
▲シテ「それならば、ともかくもでござる。
▲アド「お先へと申さうが、某から参らうか。
▲シテ「それが良うござらう。
▲アド「さあさあ。おりやれおりやれ。
▲シテ「参りまする、参りまする。
▲アド「かやうにふと言葉を掛け同道致すも、他生の縁でかなおりやらうぞ。
▲シテ「仰せらるゝ通り、他生の縁でかなござりませう。
▲アド「扨、和御料は都へ何を商売に行くぞ。
▲シテ「私は、若狭の小浜のめしの昆布売りでござる。
▲アド「扨、その昆布が一日にいか程売るゝぞ。
▲シテ「仕合せの良い時は百貫も二百貫も売れまする。又仕合せの悪しい時は、一貫か二貫ならでは売れませぬ。
▲アド「それは夥しい鳥目ぢやが、それは何として持つて戻るぞ。
▲シテ「こなたは鳥目の事かと思し召すと見えましたが、この昆布一枚二枚を一貫二貫と申しまする。
▲アド「某は又、鳥目の事かと存じた。
▲シテ「ご存じなければ御尤でござる。
▲アド「扨、初めて逢うて、無心を云ふはいかゞなれども、ちと頼みたい事があるが、聞いておくりやらうか。
▲シテ「昆布売りづれに御用はござりますまいが、似合ひました御用ならば承りませう。
▲アド「何ぢや。聞いてくれう。
▲シテ「中々。
▲アド「それは近頃満足致す。まづお礼申さう。
▲シテ「御礼には及びませぬ。
▲アド「無心と云つぱ、別なる事でもおりない。某も人をあまた持つたれども、今日は方々へ差し遣うて、いち人も居らぬによつて、お見やる通り、自身太刀を持つた。都までこの太刀が持つて貰ひたいと申す事でおりやる。
▲シテ「これは近頃易い事ではござれども、見ますれば結構なお太刀でござる。その上、つひに太刀などを持つた事はござらぬ。これは御免なされて下されい。
▲アド「結構な太刀ぢやと云うて、持つに持たれぬ事はあるまい。平に持つてくれさしめ。
▲シテ「その上、手があきませぬ。
▲アド「これ。こちらの手があいてある。
▲シテ「これはかう、肩を替ふる時にいりまする。
▲アド「又、こちらの手があくわ。
▲シテ「これもかう、肩を替ふる時にいりまする。
▲アド「すれば、手はあいたれども持つまいぢやまで。
▲シテ「持つまいではござらねども、手があきませぬ。
▲アド「ようおりやる。
▲シテ「はあ。
▲アド「諸侍に一旦礼までを云はせて、今更持つまいと云ふ事があるものか。この上は、持つとも持たずとも持たせうが、ていとお持ちやるまいか。
▲シテ「まづものを云はせられい。
▲アド「ものを云はせいとは。
▲シテ「持ちませう。
▲アド「いや。お持ちやるまいものを。
▲シテ「いや。持ちませう。
▲アド「それは誠か。
▲シテ「誠でござる。
▲アド「一定か。
▲シテ「真実でござる。
▲アド「これは戯れ事。持つて貰ひたさの儘ぢや。
▲シテ「怖いおざれ事でござる。
▲アド「さあさあ。持つてくれさしめ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アド「何と、お持ちやつたか。
▲シテ「何と、これで良うござるか。
▲アド「どりやどりや。これはいかな事。それは悉皆、昆布の片荷といふものぢや。
▲シテ「最前も申す通り、手があきませぬ。見ますれば、おうこの先がちとあいて居りまするによつて、棒にそと無心を申してござる。
▲アド「これはいかな事。和御料は最前のを、気に召さると見えた。
▲シテ「いや。左様でござらぬが、手があきませぬ。
▲アド「それならば、某がその昆布を求めてやらう。
▲シテ「皆求めさせらるゝか。
▲アド「中々。皆求めう。
▲シテ「それは近頃、忝うござる。
▲アド「扨、これからはちと差し上げて持つてくれさしめ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アド「何と、お持ちやつたか。
▲シテ「これで良うござるか。
▲アド「どりやどりや。これはいかな事。それは、進上物を見る様な。これからは、身に引つ添へて持つてくれさしめ。
▲シテ「身に引つ添へて持つて参りまするか。
▲アド「中々。
▲シテ「心得ました。これで良うござるか。
▲アド「何と持たしましたか。これはいかな事。それは悉皆、腰挟うだと云ふものぢや。すれば和御料は真実、持ち様を知らぬか。
▲シテ「中々。存じませぬ。
▲アド「それならば、教へておまさう。これへおこさしめ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アド「総じて、我が太刀は左に持つもの、又主の太刀は右に持つものぢや。そなたのために某は主ではなけれども、とても持つからぢや程に、右に持つてくれさしめ。
▲シテ「畏つてござる。何と、これで良うござるか。
▲アド「どりやどりや。お持ちやつたか。いや。和御料はつひに太刀を持つた事がないと仰しやつたが、一段の持ちぶりでおりやる。
▲シテ「もし途中で、お知る人になどお逢ひなされた時、やいやい。太郎冠者。あるかやい、と仰せられい。はあ。お前に、と答へませう。
▲アド「それは、尚々でおりやる。さあさあ。おりやれおりやれ。今日は良い所でそなたに会うて、太刀を持つて貰うて、近頃満足致す。
▲シテ「扨も扨も、憎い奴でござる。何と致さう。いや。致し様がござる。
がつきめ。やるまいぞ。
▲アド「それは切れ物。これへおこせ。
▲シテ「何の切れ物。胴斬りにしてやらう。
▲アド「あゝ。真つ平命を助けてくれい。
▲シテ「最前、持ち付けもせぬ太刀を持たせたが良いか。これが良いか。唐竹割りにしてやらう。
▲アド「あゝ。何とぞ命をば助けてくれい。
▲シテ「命が助かりたいか。
▲アド「中々。助かりたい。
▲シテ「それならば、その差いた物をおこせ。
▲アド「何ぢや。差いた物をおこせ。
▲シテ「中々。
▲アド「おのれは憎い事を云ふ。何と諸侍のひと腰が放さるゝものぢや。遣る事はならぬ。
▲シテ「そのつれを云うて。おこさずば、瓜割りにしてくれう。
▲アド「あゝ。遣らう遣らう。
▲シテ「早うおこせ。
▲アド「つゝとそちへのいて居よ。
▲シテ「心得た。
▲アド「さあ。取れ。
▲シテ「おのれは心得た出し様をする。取り直いておこせ。
▲アド「それ程用心をするならば、な取つそ。
▲シテ「おのれ、取り直いておこさずば、首を落といてやらう。
▲アド「あゝ。やらう、やらう。
▲シテ「早うおこせ。
▲アド「さあ。取れ。
▲シテ「こちへおこせ。
▲アド「危ない事をする。
▲シテ「まづこれは、身共が物ぢや。やい。聞くか。
▲アド「何事ぢや。
▲シテ「某は、恥づかしい事なれども、生まれてこの方、つひに生き物を斬つた事はない。おのれを斬り習ひに、どれから斬らうぞ。
▲アド「あゝ。命を助けてくれい。
▲シテ「胴斬りにしてやらう。
▲アド「真つ平許いてくれい。
▲シテ「手がづるわ。
▲アド「出はすまい。
▲シテ「足がづるわ。
▲アド「出はすまい。
《幾遍も云うて》
▲シテ「扨も扨も、面白い事でござる。《昆布を取りて》
やい。真実、命が助かりたいか。
▲アド「中々。助かりたい。
▲シテ「命が助かりたくば、この昆布を売れ。
▲アド「やい。諸侍が、何と昆布が売らるゝものぢや。売る事はならぬ。
▲シテ「おのれ、売らずば唐竹割りにしてやらう。
▲アド「あゝ。売らう、売らう。
▲シテ「早う売れ。
▲アド「心得た。
やい。昆布買へ、昆布買へ。
▲シテ「やい、そこな者。
▲アド「何事ぢや。
▲シテ「その様に云うて、誰が召し上げらるゝものぢや。いかにも慇懃に構へて、昆布召され候へ、こぶ召され候へ、若狭の小浜のめしの昆布、皆そこ元へ、づらりつと昆布は召し上げられますまいか。などゝ云うてこそ、召し上げられうずれ。おのれが様に、昆布買へ、昆布買へ、と云うて、誰が召し上げらるゝものぢや。いかにも慇懃に構へて売れ。
▲アド「慇懃に構へて売つたらば、太刀も刀も返さうか。
▲シテ「それはその時のやうに依らう。
▲アド「それならば売つて見よう。
昆布召され候へ、昆布召され候へ、若狭の小浜のめしの昆布、皆そこ元へ、づらりつと昆布は召し上げられますまいか。
何と、良いか。
▲シテ「一段と良い。
▲アド「さあ。返せ、返せ。
▲シテ「まづ待て待て。
▲アド「何とする。
▲シテ「今のは、何とやら平家節に似た。今度は平家ぶしに売れ。
▲アド「これは知らぬ処で、売つて聞かせい。
▲シテ「それならば、売つて聞かせう。《平家》
昆布召され候へ、若狭の小浜のめしの昆布召せ。
と云うて売れ。
▲アド「心得た。《同断に売る》
何と、良いか。
▲シテ「一段と良い。
▲アド「さあ。返せ、返せ。
▲シテ「まづ待て待て。
▲アド「何とする。
▲シテ「今のは、小歌節に似た。小歌ぶしに売れ。
▲アド「これも知らぬ処で、売つて聞かせい。
▲シテ「それならば、売つて聞かせう。《小歌》
昆布召せ、昆布召せ、おこぶ、若狭の小浜のめしの昆布。
と云うて売れ。
▲アド「さう売つたならば、太刀々を返さうか。
▲シテ「中々。返さう。
▲アド「それならば、売らう。《同断に売る》
何と、良いか。
▲シテ「一段と良い。
▲アド「さあさあ。返せ、返せ。
▲シテ「まづ待て待て。
▲アド「危ない事をする。
▲シテ「今のは、踊り節に似た。これも知るまい処で、売つて聞かさう。これは、いかにも浮きに浮いてな。
▲アド「浮きに浮いてか。
▲シテ「《踊り節》は。昆布召せ、こぶ召せ、お昆布召せ。若狭の小浜のめしの昆布、めしの昆布、このしやつきや、しやつきや、しやつきしやつきしやつきや。
と云うて売れ。
▲アド「さう売つたならば、今度こそ太刀も刀も返すか。
▲シテ「中々。返さうとも。
▲アド「これは、いかにも浮きに浮いてか。《同断に売る》
▲シテ「中々。
▲アド「《踊り節》はあ。昆布召せ、こぶ召せ、お昆布召せ。若狭の小浜のめしの昆布、めしの昆布、このしやつきや、しやつきや、しやつきしやつきしやつきや。
何と、良いか。
▲シテ「一段と良い。
▲アド「さあ、返せ、返せ。
▲シテ「まづ待て待て。
▲アド「何とするぞ。
▲シテ「汝も、二字蒙つたものを、いつがいつまでなぶらうぞ。某が商ひ冥加末繁昌、と売つたならば、太刀も刀も返さうぞ。
▲アド「何と云ふ。そちが商ひ冥加末繁昌、と売つたならば、太刀も刀も返さうと云ふか。
▲シテ「中々。
▲アド「それは誠か。
▲シテ「誠ぢや。
▲アド「真実か。
▲シテ「則ち、太刀も鞘に納むるぞ。
▲アド「昆布買はせ、昆布買はせ、よろこぶ買はせ、昆布買はせ。
《小歌》やらやら、数知らずの君が御代のよろこぶや。
▲シテ「《小歌》何と悦ぶとも、返すまいぞ、わ男。
▲アド「あの横着者、捕らへてくれい。やるまいぞ、やるまいぞ。
▲シテ「許いてくれい、許いてくれい、許いてくれい。
底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.)
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