『能狂言』中77 聟女狂言 やはたのまへ
▲舅「これは、八幡の山下に住居致す者でござる。某、娘をいち人持つてござるが、何者にはよるまい、一芸ある者を聟に取らうと存ずる。まづこの由を高札に打たう。一段と良うござる。
やいやい。太郎冠者。あるかやい。
▲冠者「はあ。
▲舅「居たか。
▲冠者「お前に。
▲舅「念なう早かつた。汝を呼び出す事、別なる事でもない。高札の表について、聟殿の見えたならば、こなたへ申せ。
▲冠者「畏つてござる。
▲シテ「これは、この辺りに住居致す者でござる。承れば、八幡のさんげに大有徳な人があつて、何者にはよるまい、一芸ある者を聟に取らうと、高札を打たれたと申すが、誠か偽りか、参つて見ようと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、かやうの事には、えて偽りがありたがるものでござる。さりながら、あれへ参つたならば、誠か偽りか知れぬ事はござるまい。いや。参る程に、これにたかふだがある。読うで見よう。何々。一芸ある者を聟に取るべし。はゝあ。すれば、人の申すは誠でござる。人と申すものは、ない事は云はぬものでござる。この人の聟には誰がなる事か。身共が何ぞ一芸あるならば、聟にならうものを。近頃、残念な事ぢや。いや。思ひ出いた。致し様がある。まづ、この高札は、某が引かう。かやうに致すも、別なる事でもござらぬ。こゝに、お目を掛けさせらるゝお方がござるが、万能な人でござるによつて、あれへ参り、一芸習うて参らうと存ずる。かう参つても、教へて下さるれば良うござるが。お宿にさへござつたならば、何ぞ一芸教へて下さらぬ事はござるまい。いや。参る程にこれぢや。まづ、案内を乞はう。《常の如く》
左様には存じてござれども、もしお客ばしござらうかと存じて、それ故案内を乞ひましてござる。
▲教へ手「それは、念の入つた事ぢや。扨、世上に何も珍しい事はおりないか。
▲シテ「別に珍しい事もござらぬが、八幡の山下にだいうとくな人がござつて、何者にはよるまい、一芸ある者を聟に取らうと、高札を打たれたと申すが、こなたは聞かせられてござるか。
▲教手「中々。聞いた。扨、それに付けても、そなたの噂を云うた事ぢや。何ぞ一芸あるならば、聟にしておませたいと噂を云うた事でおりやる。
▲シテ「いや。私はあの人の聟になる筈でござる。
▲教手「それは一段の事ぢやが、和御料は何も云ひ立てにする様な芸は覚えぬが、何を云ひ立てにするぞ。
▲シテ「さればその事でござる。私は何も云ひ立てに致す芸はござらねども、こなたは万能なお方でござるによつて、何ぞ一芸習うて、聟入を致さうと存じて、それ故参りましてござる。
▲教手「これはいかな事。云ひ立てになる芸が、一年や二年習うて覚えらるゝものでおりやるか。
▲シテ「すれば、一年や二年習うてはなりませぬか。
▲教手「中々。ならぬ事ぢや。
▲シテ「それならば、是非に及びませぬ。高札を立て替へて参りませう。
▲教手「あゝ。これこれ。すれば、そなたは高札を引いて来たか。
▲シテ「中々。引いて参りました。
▲教手「その高札を引く時分に、定めて見物があまたあつたであらう。
▲シテ「夥しい見物でござつて、あの人は何やら一芸あると見えて、高札を引く。扨々、羨ましい事ぢやと申して、皆羨みましてござる。
▲教手「それそれ。それ、お見やれ。今高札を立て替うれば、二ざいの恥と云ふものぢや。
▲シテ「誠に、私の恥はこなたまでの恥でござる。
▲教手「扨々、苦々しい事をお召さりやつた。これはまづ、何としたものであらうぞ。
▲シテ「何と致いて良うござらうぞ。何とぞ良い様に分別をなされて下されい。
▲教手「扨々、この様な迷惑な事はおりない。はあ。扨、そなたは鞠は何とあるぞ。
▲シテ「鞠の。
▲教手「中々。
▲シテ「それについて、合点の行かぬ事がござる。いづれもの蹴させらるゝ鞠は上へ上がりまするが、私の蹴まする鞠は、地を這ひまする。
▲教手「これはいかな事。その様な事ではなるまい。鼓は何とあるぞ。
▲シテ「つひに叩いた事もござらぬ。
▲教手「これはいかな事。打つとこそ云へ、叩くと云ふものではおりない。それならば、鉄砲は。
▲シテ「人の弾く音を聞いても、びつくりと致しまする。
▲教手「これも弾くとは云はぬ。打つと云ふものぢや。それならば、弓は何とある。
▲シテ「弓の。
▲教手「中々。
▲シテ「これは射た事がござる。
▲教手「定めて巻藁前などを射たであらう。
▲シテ「いやいや。幼少の頃分射ました。
▲教手「幼少の時分射たならば、破魔弓であらう。
▲シテ「をゝ。その破魔弓でござる。
▲教手「さりながら、破魔弓なりと、射ぬには増す。和御料を、上々の弓の射手にないておまさう。
▲シテ「それは忝うござる。
▲教手「まづ、あれへおりやつたならば、定めて芸能を問ふであらう程に、弓を射ると仰しやれ。
▲シテ「畏つてござる。
▲教手「さうあらば、四半、丸物、下げ針の類がなりまするかと云うて問ふであらう処で、四半、丸物、下げ針のたぐひは、大方拳の極まつたものでござる。翔け鳥か水鳥を仰せ付けられい。恐らくは射てお目に掛けようと仰しやれ。
▲シテ「左様に申しても苦しうござらぬか。
▲教手「中々。苦しうない。さうあらば、辺り近い放生川へ同道して、水鳥を所望するであらう程に、とてもの事に矢坪を指させられいと云うて、矢坪を指させて射さしめ。射たりと儘よ。当りはすまい。
▲シテ「傍へも参りますまい。
▲教手「どつと云うて笑うであらう。
▲シテ「さぞ笑ひませう。
▲教手「その時、なお笑やつそ。一首浮かうだと云うて、歌を詠ましめ。
▲シテ「その歌は、何と申す事でござるぞ。
▲教手「いかばかり神も嬉しと思すらん、八幡の前に鳥居立てたり、と云ふ分の事ぢや。この心は、この間、八幡に造工があつて、鳥居が立つた。又、あの放生川は殺生禁断の所ぢやによつて、神を恐れて鳥を射ぬといふ事を寄せ合はいて詠うだ歌ぢや。かうさへ仰しやつたならば、聟殿は弓も上手、その上歌道にも達せられたと云うて、悦うで聟に取るであらうぞ。
▲シテ「これは、面白さうな事でござる。扨、その歌は、誰が云ふ事でござる。
▲教手「はて。そなたの云ふ事ぢや。
▲シテ「私いち人で。
▲教手「歌を、いくたりで云ふものでおりやる。
▲シテ「いかないかな。その様な難しい事が、一年や二年習うた分で覚えらるゝ事ではござらぬ。
▲教手「はあ。これ程の事がならぬか。
▲シテ「中々。
▲教手「扨々、それは苦々しい事ぢや。あゝ。何とぞして、あの人の聟にしてやりたいものぢやが。それならば、歌のかしら字を云うては何とであらうぞ。
▲シテ「いかに私が愚鈍なと申して、頭字を承つて申されぬ事はござりますまい。
▲教手「それならば、良い仕様がある。そなたの放生川へ行て水鳥を射ると聞いたならば、定めて見物がづるであらう程に、某もその中へ交はつて、頭字を云うてやらう。
▲シテ「これは一段と良うござりませう。
▲教手「扨、和御料は、弓矢があるか。
▲シテ「いや。私は持ちませぬ。
▲教手「身共が貸してやらう。
▲シテ「それは忝うござる。
▲教手「まづそれに待たしめ。
▲シテ「心得ました。
▲教手「いや。なうなう。これを貸してやらう。
▲シテ「これは忝うござる。
▲教手「これはいかな事。さう持つものではおりない。まづ、下におりやれ。
▲シテ「心得ました。
▲教手「この弓を左へかたげさしめ。
▲シテ「畏つてござる。
▲教手「この矢をかう、右へかいこうで持たしめ。
▲シテ「心得ました。
▲教手「さらば、立たしめ。
▲シテ「畏つてござる。何と、良うござるか。
▲教手「一段と良うおりやる。
▲シテ「とてもの事に、念を入れて見て下されい。
▲教手「心得た。前から見ても後ろから見ても、上々の弓の射手と見ゆる。
▲シテ「それは忝うござる。その儀ならば、私はもう、かう参りまするによつて、こなたは番ひの抜けぬ様に、後から来て下されい。
▲教手「何が扨、追つ付け行くであらうぞ。
▲シテ「さらばさらば。
▲教手「ようおりやつた。
▲シテ「はあ。
なうなう、嬉しや嬉しや。まんまと上々の弓の射手にないて貰うてござる。まづ急いで参らう。あれへ行て聟になつた事ならば、出よと云うたりとも、再び出る事ではござらぬ。いや。参る程にこれぢや。まづ案内を乞はう。
物申。案内申。
▲冠者「いや。表に物申とある。案内とは誰そ。どなたでござる。
▲シテ「高札の表について、聟が来たと仰しやれ。
▲冠者「扨は、聟殿でござるか。
▲シテ「中々。
▲冠者「その通り申しませう。まづ、それに待たせられい。
▲シテ「心得た。
▲冠者「申し。聟殿の御出でござる。
▲舅「何ぢや。聟殿の見えた。
▲冠者「中々。
▲舅「高札には、一芸あるお方をと打ちましたが、こなたは何をなさるゝぞと云うて問うて来い。
▲冠者「畏つてござる。
《その通り云ふ。聟、廻りて見する》
▲冠者「はあ。こなたは弓をなされまするか。
▲シテ「しかも上手ぢやと仰しやれ。
▲冠者「畏つてござる。
はあ。弓をなさりまするが、しかも上手ぢやと仰せられまする。
▲舅「その儀ならば、四半、丸物、下げ針の類がなりまするかと云うて問うて来い。
▲冠者「畏つてござる。《その通り云ふ》
▲シテ「四半、丸物、下げ針の類は、大方こぶしのきはまつたものでござる。翔け鳥か水鳥を仰せ付けられい。おそらくは射てお目に掛けようと仰しやれ。
▲冠者「畏つてござる。《その通り云ふ》
▲舅「すれば、上手と見えた。
▲冠者「左様でござる。
▲舅「行て云はうは、その儀ならば、辺り近い放生川に水鳥があまたござるによつて、あれへ同道致いて所望致したうござるが、御出なされうかと云うて問うて来い。
▲冠者「畏つてござる。《その通り云ふ》
▲シテ「いづ方へなりとも、御供致しませうと仰しやれ。
▲冠者「畏つてござる。《その通り云ふ》
▲舅「それならば、かう通らせられいと云へ。
▲冠者「畏つてござる。
かう通らせられいと申しまする。
▲シテ「通らうか。
▲冠者「つゝと通らせられい。
▲シテ「心得た。
不案内にござる。
▲舅「初対面でござる。只今は、放生川へ御同道申さうと申してござれば、御出なされうとあつて、満足致しまする。
▲シテ「いづ方へなりとも、御供致しませう。
▲舅「さあさあ。ござれござれ。
▲シテ「参りまする、参りまする。
▲舅「扨、この放生川は、殺生禁断の所ではござれども、さる仔細あつて、私は苦しうござらぬ。
▲シテ「扨々、それは一段の事でござる。
▲舅「いや。参る程に、これでござる。
▲シテ「誠に、放生川でござる。
▲舅「何と夥しい水鳥ではござらぬか。
▲シテ「仰せらるゝ通り、夥しい水鳥でござる。
▲舅「やいやい、太郎冠者。あの多い内を、どれなりとも射させられいと云へ。
▲冠者「畏つてござる。
申し申し。あの多い内を、どれなりとも射させられいと申しまする。
▲シテ「あの多い内を射たならば、定めてまぐれ当りぢやと思し召さう程に、どれなりとも矢坪を指させられい。恐らくは射てお目に掛けようと仰しやれ。
▲冠者「畏つてござる。
《放生川へ行き着くと、教へ手立つて、「良い時分でござる。後から参らう」と云うて、一の松より舞台の内へ入る。聟も「誠に、夥しい水鳥でござる」と云うて、舅、太郎冠者を呼ぶ内に、「もはや、誰殿は見えさうなものぢや」と云うて、少し廻り掛かり、行き違うて、うなづき、教へ手は一の松へ行く。聟は名乗座に居る》
いや。申し申し。あの多い内を射たならば、定めてまぐれ当りぢやと思し召さう程に、どれなりとも矢坪を指させられい。恐らくは射てお目に掛けようと仰せられまする。
▲舅「いよいよ上手と見えた。
▲冠者「左様でござる。
▲舅「それならば、あの向かうへ三つ進んで行く、中の鳥を射させられいと云へ。
▲冠者「畏つてござる。《その通り云ふ》
▲シテ「あの向かうへ三つ進んで行く、中の鳥の。
▲冠者「中々。
▲シテ「只今射てお目に掛けよう。《と云うて、一の松へ行く》
▲教手「弓矢を下に置かう。その様に投げ出すものではおりない。肌を脱がう、肌を脱がう。いやいや。右ではない。左の肌を脱がう、肌を脱がう。さあさあ。弓を持たしめ。これはいかな事。それも左へ持たしめ。いやいや。弦を前にして。さあさあ。矢を番はしめ。これはいかな事。羽を手前にして。をゝ。それで良い。早う行て射さしめ。
《聟、一の松にてぐどぐどして居る内、舅、待ち兼ねて、
「何をして居らるゝ事ぢや。早う出て射させられいと云へ」。
「畏つてござる」。その通り云ふ。
「只今身拵へをして参ると仰しやれ」。
又、その通り云ふ。待ち兼ねて、
「鳥が立ちまする。早う出させられいと云へ」と云ふ。
又、その通り云ふ。
「扨々、せはしない。只今射てお目に掛けようと仰しやれ」と云ふ。
又、その通り云ふ。三度程も催促して良し。始終、舅と太郎冠者と、言葉あり》
▲シテ「あの向かうへ三つ進んで行く、中の鳥の。
▲冠者「中々。
▲シテ「只今射てお目に掛けよう。
《射外し、矢落つると、舅も太郎冠者も、どつと云うて笑ふ》
▲舅「殊の外の下手ぢや。
▲冠者「左様でござる。
▲教手「なお笑やつそ。一首浮かうだ。
▲シテ「《うなづきて》なお笑やつそ。石が浮いた。
▲教手「しい。
▲舅「《不審に思うて》太郎冠者。今のは何と云ふ事ぢや。
▲冠者「されば、何と申す事か存じませぬ。
▲教手「なお笑やつそ。一首浮かうだでおりやる。
▲シテ「《うなづきて》申し申し。今のは違うてござる。
▲舅「何と申す事でござる。
▲シテ「なお笑やつそ。一首浮かうだと申す事でござる。
▲舅「すれば、歌を詠ませらるゝか。
▲シテ「まづはその様なものでござる。
▲舅「これは承り事でござる。早う仰せられい。
▲シテ「只今申さう。
▲教手「いかばかり。
▲シテ「いかめしい。
▲舅「何ぢや。いかめしい。
太郎冠者。これは、異ないつ文字ぢやなあ。
▲冠者「左様でござる。
▲教手「いかばかりでおりやる。
▲シテ「申し。今のも違ひました。
▲舅「何とでござる。
▲シテ「いかばかりでござる。
▲舅「まづ、五文字が面白うござる。
▲シテ「左様でござらう。
▲舅「後を早う承りませう。
▲シテ「只今申さう。
▲教手「神も嬉しと思すらん。
▲シテ「かみげ神げ。
▲教手「しい。
▲舅「神げ神げ。はて。合点の行かぬ事ぢや。
▲冠者「左様でござる。
▲教手「神も嬉しと思すらんでおりやる。
▲シテ「申し申し。面目もござらぬ。今のは申し損なひでござる。
▲舅「はあ。何とでござるぞ。
▲シテ「神も嬉しと思すらんでござる。
▲舅「これは段々出来まする。後を早う承りたうござる。
▲シテ「後は尚々面白い事でござる。
▲舅「左様でござらう。
▲教手「八幡の前に。
▲シテ「やはちがゝどに。
▲教手「しい。
▲舅「今のは何事ぢや。
▲冠者「聟殿は、ざれ事深いお方と見えまする。
▲舅「その様な事であらう。
▲教手「八幡の前に。
▲シテ「や。《と云うて、聞き返す》
▲教手「八幡の前に鳥居立てたり。《うなづきて》
《教へ手、「あの様な者には、恥をかゝすが良うござる」と云うて、引つ込む》
▲シテ「《笑うて》今のはざれ事でござる。
▲舅「はあ。何とでござるぞ。
▲シテ「八幡の前にでござる。
▲舅「これは、いよいよ面白うござる。ちと吟じて見ませう。
▲シテ「や。
▲舅「吟じて見ませう。
▲シテ「その様な事もござらう。
▲舅「いかばかり神も嬉しと思すらん、八幡の前に。これは殊の外、面白い事でござる。早う後を仰せられい。
▲シテ「只今申さう。《教へ手居ぬ故に》
これはいかな事。どれへ行かれたか知らぬ。
▲舅「申し申し。只今の後を承りませう。
▲シテ「ちと尋ぬる者がござる。
▲舅「歌に尋ぬる者は、いりますまい。平に後を仰せられい。
▲シテ「はて。いるやらいらぬやら、こなたの知つて。
▲舅「これはいかな事。さりとては、歌に尋ぬる者がいるものでござるか。今の後を仰せられいと申すに。
▲シテ「はあ。今の後の。
▲舅「中々。
▲シテ「余り面白うもござらぬ。聞かずとも置かせられい。
▲舅「何と、歌の後が聞かずに置かるゝものでござるぞ。早う仰せられい。
▲シテ「それならば、宿から云うておこしませう。
▲舅「何と、それまで待たるゝものでござるぞ。早う仰せられいと申すに。
▲シテ「是非とも云へでござるか。
▲舅「中々。
▲シテ「今の後は、いかばかりでござる。
▲舅「それは、いつもじで承つてござる。その後は。
▲シテ「その後は、神も嬉しと思すらんでござる。
▲舅「それも承つてござる。その後は。
▲シテ「その後は、八幡の前にでござる。
▲舅「こゝな人は。身共をおなぶりやるか。それでは字が足りませぬわ。
▲シテ「何ぢや。字が足りぬ。
▲舅「中々。
▲シテ「足らずば足らぬと疾う仰しやれいで。足して進じませうものを。
▲舅「何と。
▲シテ「八幡の前に、前にや前にと、足る程仰しやれ。
▲舅「こゝな人は、むさとした。それでは字が短いと云ふ事でおりやる。
▲シテ「短くば短いと仰しやらいで。長うして進じませうものを。
▲舅「何と。
▲シテ「八幡の前に《引く》と、いつまでなりとも引かしめ。
▲舅「やあら。こゝな人は、いよいよ身共をなぶると見えた。
▲シテ「これは、何と召さるぞ。
▲舅「今の後を云はねば、後へも先へもやる事ではおりないぞ。
▲シテ「はあ。今思ひ出いた。
▲舅「何と。
▲シテ「物と。
▲舅「何と。
▲シテ「物と。
▲舅「何と。
▲シテ「八幡の前に。
▲舅「八幡の前に。
▲シテ「胴亀射立てた。
▲舅「あのやくたいなし。とつとゝ行かしめ。
▲シテ「面目もおりない。
底本『能狂言 中』(笹野堅校 1943刊 国立国会図書館D.C.)
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