『能狂言』下125 出家座頭狂言 ぶつし

▲アド「これは、片田舎に住居致す者でござる。某、志の深い者でござつて、一間四面の持仏堂を建立致いてござるが、田舎の事でござれば、み仏を作つて貰ひたうても、仏師がござらぬによつて、今から都へ上り、仏師を頼み、み仏を作つて貰はうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、私も内々、都を見物致したい、致したいと存じてござるが、この度は良いついでゞござる。こゝかしこを走り廻り、ゆるりと見物致さうと存ずる。都近うなつたやら、賑やかになつた。さればこそ、はや都へ上り着いた。又、田舎とは違うて、家建ちまでも格別な。あれからつゝとあれまで、軒と軒とをひつしりと建て並べた程にの。これはいかな事。仏師殿はどの様な人で、又、どこ元にござるをも存ぜぬ。遥々問ひには戻られまいが。何としたものであらうぞ。はゝあ。さすが都ぢや。かう見るに、知れぬ事は、呼ばゝつてありけば知るゝと見えた。さらば、某もこの辺りから呼ばゝつて参らう。仏買はう。仏買ひす。なうなう。それに仏師殿のお宿はござらぬか。ぢやあ。こゝ元ではないさうな。
《これより「末広がり」などの通り》
▲シテ「これは、この辺りに住居致す、心もすぐにない者でござる。あれへ田舎者と見えて、何やらわつぱと申す。ちと当たつて見ようと存ずる。
なうなう。しゝ申し。
▲アド「やあやあ。こちの事でござるか。何事でござるぞ。
▲シテ「いかにもそなたの事ぢや。この広い洛中を、その様にわつぱと云うてお歩きやつたならば、定めて人が目を抜かう。
▲アド「目を抜かれてはなりませぬ。
▲シテ「そなたは何事を云ふぞ。
▲アド「こなたは、目を抜くとは仰せられぬか。
▲シテ「いやいや。さうではない。総じて、そでもない物を、そぢやと云うて売り付くるを、目を抜くと申す。
▲アド「すれば、両眼の事ではござらぬか。
▲シテ「構へて両がんの事ではおりない。扨、今仰しやつたは何事ぞと申す不審でおりやる。
▲アド「只今申した事の。
▲シテ「中々。
▲アド「私は片田舎の者でござるが、つゝと志の深い者で、この度、一間四面の持仏堂を建立致いてござるが、田舎の事なれば、み仏を作りたうても頼まう仏師もござらぬ程に、この度都へ上り、仏師を頼うでみ仏を作つて貰はうと存じ、それを呼ばゝつて歩きまする。
▲シテ「扨、その仏師を知つてお尋ねやるか。但し、知らいでお尋ねやるか{*1}。
▲アド「これは、都人のお言葉とも覚えませぬ。存じて居れば、つゝかけて参れども、存ぜぬによつて、かやうに呼ばゝつてありきまする。
▲シテ「これは身共が誤つた。すれば、そなたは仕合せな人ぢや。
▲アド「いや。仕合せと申しても、見えた向きの者でござる。
▲シテ「いやいや。身についた仕合せではない。洛中に人多いといへども、真仏師は某でおりやる。
▲アド「なう。恐ろしや、恐ろしや。必ずこちへ寄らせらるゝな。
▲シテ「そなたは何事を云ふぞ。
▲アド「でも、こなたはまむしとは仰せられぬか。
▲シテ「それも、そなたの聞きやうが悪しい。蝮ではない。まぶつしと申す事でおりやる。
▲アド「仏師ならば、仏師で良さゝうなものを。真仏師と仰せらるゝには、仔細でもござるか。
▲シテ「中々。仔細がある。昔から、運慶、湛慶、安阿弥と云うて、仏師がさん流れある。某は、中にも安阿弥の流れぢやによつて、それ故、真仏師と申す事でおりやる。
▲アド「仔細を承れば、尤でござる。扨、み仏を作つて貰ひたうござるが、作つて下されうか。
▲シテ「中々。何なりとも作つておまさうが、何が望みでおりやる。
▲アド「一間四面の持仏堂でござるによつて、これに相応なみ仏を作つて貰ひたうござる。
▲シテ「それならば、何が良からうぞ。
▲アド「何が良うござらうぞ。
▲シテ「仁王は何とあらうぞ。
▲アド「はあ。仁王と申すは、堂宮の門に立つてござる、いかめなみ仏でござるか。
▲シテ「中々。
▲アド「これはなりますまい。私は子どもがあまたござるによつて、余のみ仏を作つて下されい。
▲シテ「それならば、天邪鬼は何とあらう。
▲アド「天邪鬼と申すは、み仏に踏まへられてござる、窮屈さうなみ仏でござるか。
▲シテ「中々。
▲アド「たまたまみ仏を作るとて、その様な窮屈さうなみ仏は、嫌でござる。
▲シテ「扨々、そなたは仏にやうがましい人でおりやる。
▲アド「やうがましうはござらねども、私の存じまするは、現世後生を守らせらるゝ、柔和忍辱なみ仏が作つて貰ひたうござる。
▲シテ「むゝ。それならば、こゝに毘沙門の妹に、吉祥天女というて、現世後生を守らせらるゝ柔和忍辱なみ仏がある。これを作つておまさう。
▲アド「その儀ならば、それを作つて下されい。
▲シテ「中々。作つておまさう。扨、お丈はいか程にするぞ。
▲アド「それも、一間四面でござるによつて、それ相応に作つて下されい。
▲シテ「その儀ならば、余り高う作つて、この様にして拝むも、腰が痛からう。又、余り低う作つて、この様にして拝むも、窮屈にあらう程に、只、つかつかと行て、ちよつと拝む様に、某が背頃合ひに拵へておまさう。
▲アド「いかさま、こなたの背頃合ひが良うござりませう。扨、いつ頃出来まするぞ。
▲シテ「お急ぎならば、明日の今時分。お急ぎでなければ、来年の今時分までにも、できかぬる事でおりやる。
▲アド「はあ。来年の今時分と明日の今時分とは、抜群の相違でござるが、それにも仔細ばしござるか。
▲シテ「中々。仔細がある。最前も云ふ通り、身共は安阿弥の流れで、弟子があまたある程に、汝はみ手を作れ、汝は又、御ぐしを作れと云へば、その儘、明日の今時分に作り済まいて、某が前へ持つてづる処で、膠をまんまと練り済まし、片端よりちよつちよつちよつと付けて廻れば、その儘明日の今時分に出くる。又、来年の今時分と云ふは、何事も某が一つ細工にするによつて、来年の今時分にも出来かぬる事でおりやる。
▲アド「これも、仔細を承れば尤でござる。その儀ならば、同じくはこなたの御一つ細工が望みにはござれども、何を申すもこの度は急ぎまするによつて、明日の今時分作つて下されい。
▲シテ「何が扨、それならば、明日の今時分作つておまさう。
▲アド「扨、こなたのお宿はどこ元でござる。
▲シテ「身共が宿と云うても、方々よりみ仏を受け取つて忙しい。和御料は、五條の因幡堂を知つておりやるか。
▲アド「中々。存じて居りまする。
▲シテ「その儀ならば、あの後ろ堂で渡さう程に、明日の今時分、あれへ取りにおりやれ。
▲アド「それならば、明日の今時分、因幡堂へ取りに参りませう。扨、私はもう、かう参りまする。
▲シテ「もはやおりやるか。
▲アド「さらばさらば。
▲シテ「ようおりやつた。
▲アド「はあ。
《太鼓座へ着く》
▲シテ「扨も扨も、某は大胆な者でござる。生まれてこの方、楊枝を一本削つた事もなうて、したゝかなみ仏を受け取つてござる。これと申すも、下心あつての事でござる。いや。やうやう田舎のが見ゆる時分でござる。迎ひに参らうと存ずる。
▲アド「いや。やうやうみ仏の出来る時分でござる。あれへ参らうと存ずる。扨も扨も、都は調法な事でござる。昨日誂へたみ仏が、今日は、はや出来ると申す。
▲シテ「いゑ。田舎の。
▲アド「いゑ。仏師殿。どれへござるぞ。
▲シテ「和御料が遅いによつて、迎ひに参つた。
▲アド「して、み仏は出来ましてござるか。
▲シテ「中々。出来ておりやる。まづ、これを真つ直に行て、左へひぢたをれば、荒薦が垂れてある。それを上げて拝ましめ。
▲アド「畏つてござる。
▲シテ「扨、まだにかはが乾かぬによつて、余り傍へは入らぬものでおりやる。
▲アド「心得ました。
▲シテ「それならば、あれへおりやれ。
▲アド「畏つてござる。
扨も扨も、早い事かな。はや出来させられたと申す。まづ、これをまつすぐに行て、左へひぢたをれば。さればこそ、これにあらこもが垂れてある。さらば、これを上げて拝まう。扨も扨も、良う出来させられた。この辺りは、その儘の人ぢや。や。温かな。はあ。その上、見れば、御印相が気にいらぬ。直いて貰はう。
申し。仏師殿、仏師殿。
▲シテ「何事でおりやる。
▲アド「扨々、良う出来ましてござる。
▲シテ「何と、気に入つたかの。
▲アド「殊の外、柔和で気に入りましてござる。その上、いらうて見ましたれば、まだ人肌でござつた。
▲シテ「それ、お見やれ。それ故、傍へは入らぬものぢやと云うたに。
▲アド「その上、御印相が気に入りませぬ。何とぞ直いて下されい。
▲シテ「易い事。直いておまさう。あれへ廻らしめ。
▲アド「あれへ廻れば、直りまするか。
▲シテ「中々。直る事ぢや。早う廻らしめ。
▲アド「心得ました。はて、合点の行かぬ。廻れば直ると仰しやつたが。直る事か知らぬ。
はゝあ。さればこそ、直つた。扨も扨も、奇特な事ぢや。さりながら、物欲しさうな御印相で、気に入らぬ。又、直いて貰はう。
申し申し。仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「誠に良う出来ました。さりながら、あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シテ「心得た。廻らしめ。
▲アド「又、廻りまするか。
▲シテ「中々。
▲アド「又廻る内に、直るか知らぬ。さればこそ、又直つたが、これも気に入らぬ。直いて貰はう。
仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シテ「又、廻らしめ。
▲アド「私の存じまするは、とかく、こなたをあれへ同道致いて、こゝが悪しい、かしこがあしいと申して、直いて貰ひたうござる。
▲シテ「それは、ならぬ事でおりやる。
▲アド「なぜにでござる。
▲シテ「最前も云ふ通り、某は安阿弥の流れで、方々から細工を受け取つて居るによつて、そなたのみ仏にばかり、かゝつて居てはならぬ。悪しい所があらば、幾度なりとも仰しやれ。某が印一つで直いておまさう。
▲アド「やあやあ。こなたの印一つで直りまするか。
▲シテ「中々。直るとも。
▲アド「はあ。とかく、今日は何とやら物がちらちらと致す様にござる。
▲シテ「何もちらちらする事はない。仏と云へば、仏。又、仏師と仰しやれば、某が出る。別にちらちらする事はおりやるまいがの。
▲アド「それならば、仏でござるぞや。
▲シテ「中々。心得た。
▲アド「ちと早う廻りませう。
▲シテ「いかやうになりともさしめ。
▲アド「仏々々々。これも気に入らぬ。
仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シテ「廻らしめ。
▲アド「仏々々々。これは、人を突き倒しさうな御印相ぢや。
仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「あれも気に入りませぬ。直いて下されい。
▲シテ「廻らしめ。
▲アド「仏々々々。これは、人を打擲する様な御印相ぢや。仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アド「あれも気に入りませぬ。
▲シテ「廻らしめ。
《幾つも右の如く云うて、印相も色々して、仕舞ひに余り急ぎて、面を横へ着て出るを見て》
▲アド「おのれは仏師ではないか。
▲シテ「仏。
▲アド「仏がものを云ふものか。
▲シテ「仏。
▲アド「何の仏。あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
▲シテ「あゝ。許いてくれい、許いてくれい。

校訂者注
 1:底本は、「御(お)尋有るか、但ししらいで御たづにやるか。」。

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

前頁  目次  次頁