『能狂言』下126 出家座頭狂言 かなづ

《初め、アド出て、「金津の里の者でござるが、つゝと志の深い者で、一間四面の持仏堂を建立致いて、これへお地蔵を安置致さうと存ずれども、田舎の事なれば、頼まう仏師がござらぬによつて、今から都へ上り、仏師を頼み、作つて貰はうと存ずる」と云うて、後、「仏師」の如く、都へ着いて、呼ばゝつてありく。親出て、これも「仏師」の如く、名乗り、言葉を掛けて、「仏師」の如く云うて、「地蔵を作つてほしい」と云ふ。「易い事。作つてやらうが、御たけはいか程にせうぞ」。「それは、一間四面の持仏堂へ釣り合ひの良い様に、作つて下されい」。「それならば」。シテの背格好程に云うて、「これ程に作つてやらう」。この後も、「仏師」の如く、「因幡堂の後ろ堂で渡さう」と云うて、アド、引つ込む。扨、「仏師」の如く云うて、「かやうに致すも、下心あつての事でござる。まづ、かな法師を呼び出して、申し付けう」と云うて、幕へ向かうて》
▲親「なうなう。かな法師。おりやるか。居さしますか。
▲シテ「呼ばせらるゝは、何事でござる。
▲親「ちと用の事がある。まづ、かう通らしめ。
▲シテ「心得ました。
▲親「扨、そなたを呼び出すは、別なる事でもない。片田舎の者に、地蔵を一体作つてやらうと約束した程に、和御料。地蔵になつて、行てくれさしめ。
▲シテ「畏つてはござれども、あちへ行たならば、戻る事がなりますまい。
▲親「それは、気遣ひさしますな。良い時分に某が迎ひに行て、連れて戻らう。
▲シテ「その儀ならば、参りませうが、私の欲しい物を下さるゝか。
▲親「をゝ。何なりとも欲しい物をやらうが、何が欲しいぞ。
▲シテ「弁慶の人形が欲しうござる。
▲親「易い事。弁慶の人形をやらうず。もうないか。
▲シテ「犬ころも欲しうござる。
▲親「中々。犬ころもやらう程に、まづ、これへ寄つて身拵へをさしめ。
▲シテ「畏つてござる。何と、身拵へは良うござるか。
▲親「中々。良うおりやる。追つ付け、因幡堂へ参らう。さあさあ。おりやれ、おりやれ。
▲シテ「参りまする、参りまする。
▲親「扨、あちへ行たならば、定めて色々の物を供ふるであらうが、必ず喰はしますな。
▲シテ「畏つてござる。
▲親「その上、ものを云ふまいぞ。
▲シテ「心得ました。
▲親「いや。何かと云ふ内に、因幡堂ぢや。それに待たしめ。
▲シテ「畏つてござる。
《脇座へ連れて行て》
▲親「扨、これに腰を掛けて居さしめ。
▲シテ「心得ました。
▲親「良い時分に迎ひに行く程に、必ず物を云ふまいぞ。
▲シテ「何が扨、畏つてござる。必ず迎ひに来て下されい。
▲親「心得た。やうやう田舎の見ゆる時分ぢや。迎ひに参らう。
《と云うて、「仏師」の如く、廻る。アドも、「仏師」の如く云うて、正面にて行き逢ひ、「仏師」の如くに教へて、親は引つ込む。アド、「仏師」の如く云うて、荒薦を上げて拝をして、「扨々、麗しう良う出来させられた。さらば、負ひまして参らう」と云うて、負うて》
▲田舎者「さらば、急いで罷り帰らう。定めて、皆の者どもが、今か今かと待ち兼ねて居るであらう。戻つてこの由を話いたならば、さぞ悦ぶでござらう。いや。何かと云ふ内に、戻り着いた。さらば、まづお地蔵をこゝ元へ据ゑませう。
《真ん中へおろして、腰掛けさせて》
これで、一段と良うござる。さらば、皆の者を呼び出いて、拝を致させうと存ずる。
なうなう。いづれもござるか。
▲立衆「これに居りまする。
▲田舎「まんまとお地蔵を作つて貰うて、もりまして参つた。急いであれへ行て、拝をなされい。
▲立衆「心得ました。
《皆、目付柱の方へ通りて、盃をして》
▲立頭「扨も扨も、殊の外麗しい、良いお地蔵でござる。
▲立衆「その通りでござる。
▲田舎「扨、この所の名に寄せて、金津の地蔵と名付けませう。
▲立衆「良うござらう。
▲田舎「まづ、お地蔵へ香花を供へませう。
▲立衆「早う上げさせられい。《オモアドは、左の方に居て》
▲田舎「金津のお地蔵へ、かうばなをこそ参らせけれ。
▲シテ「香花は嫌なり。饅頭こそは喰ひたけれ。
▲田舎「いや。申し。お地蔵の、物を仰せられまする。
▲立衆「左様でござる。
▲田舎「饅頭が喰ひたいと仰せられまする。
▲立頭「左様に仰せられまする。扨々、あらたな事でござる。急いで上げさせられい。
▲田舎「心得ました。
金津の地蔵へ、饅頭をこそ参らせけれ。
▲シテ「良うくれた、良うくれた。古酒こそは呑みたけれ。
▲田舎「いや。又、ふるさけが呑みたいと仰せられまする。
▲立頭「左様でござる。早う上げさせられい。
▲田舎「心得ました。
金津の地蔵へ、古酒をこそ参らせけれ。
▲シテ「良うくれた、良うくれた。楽しうなしてとらせうぞ。
▲田舎「はあ。
▲皆々「ありがたうござる。
▲田舎「申し申し。この古酒の余りを頂きませう。
▲立頭「それが良うござらう。
▲田舎「まづ、こなた参れ。
▲立頭「これは、慮外にござる。
《皆々へ注ぎ、扨又、立衆より酌に立つて、オモアドへつぐ。小謡所望して、二、三度も酌に立つ内、シテ、ねぶる》
▲田舎「申し申し。お地蔵の、古酒に酔はせられたと見えて、いねぶりが出ました。
▲立頭「中々。殊の外、ねぶらせられまする。
▲田舎「生き仏でござるによつて、お地蔵を、ちと浮かしませう。
▲立頭「これは。
▲立衆「良うござらう。
▲田舎「いづれも、これへ寄らせられい。
▲立衆「心得ました。
▲皆々「《囃子物》金津の地蔵の揺るいだを見まいな、揺るいだを見まいな。
▲シテ「《囃子物》揺るぎたうはなけれども、旦那の仰せならば、さらばちつと揺るがうよ。
▲皆々「《囃子物》金津の地蔵の立つたるを見まいな、立つたるを見まいな。
▲シテ「《囃子物》立ちたうはなけれども、旦那の仰せならば、さらばちつと立たうよ。
▲皆々「《囃子物》金津の地蔵の踊つたを見まいな、踊つたを見まいな。
▲シテ「《囃子物》踊りたうはなけれども、旦那の仰せならば、さらばちつと踊らうよ。
▲皆々「《囃子物》金津の地蔵の踊つたを見まいな、踊つたを見まいな。
▲シテ「《囃子物》踊りたうはなけれども、旦那の仰せならば、さらばちつと踊らうよ。
《シヤギリにて留める》

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

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