『能狂言』下132 出家座頭狂言 はなをり

▲住持「これは、この寺の住持でござる。某、所用あつて、二、三日逗留に、山一つあなたへ参る。それに付き、庭の花が盛りでござるが、いつも留守になれば、花見の衆を入れて、庭を荒らしまする程に、当年は花見堅く禁制と申し付けうと存ずる。
なうなう。新発知。おりやるか。居さしますか。
▲シテ「いや。呼ばるゝさうな。
呼ばせられまするか。
▲住持「中々。呼ぶ。そなたを呼び出すも、別なる事でもない。二、三日の逗留に、山一つあなたへ行く程に、よう留守をさしめ。
▲シテ「畏つてござる。
▲住持「扨、庭の花が盛りぢやが、いつも身共が留守になると、花見の衆を入れて、庭を荒らさるゝ程に、当年は花見禁制ぢや程に、さう心得さしめ。
▲シテ「畏つてはござりまするが、いつも見せ付けた旦那衆へは、見せずにはなりますまい。
▲住持「いやいや。いつも見せ付けた衆なりとも、当年は師匠の何と思はれてやら、花見堅く禁制と申し付けられてござる程に、お目に掛くる事はなりませぬと云うて、必ず入れさしまするな。
▲シテ「その儀ならば、畏つてござる。
▲住持「身共は、もはや行くぞ。
▲シテ「はやござりまするか。
▲住持「中々。
▲シテ「ゆるりと慰うで、帰らせられい。
▲住持「心得た。
▲シテ「申し申し。
はや行かれたさうな。扨々、苦々しい事ぢや。いつも花見の衆を入るれば、某までも馳走になる。是非に及ばぬ。花見の衆がわせたならば、今の通りを申さうと存ずる。
▲立頭「申し。いづれもござるか。
▲立衆「これに居りまする。
▲立頭「旦那寺の花が、盛りぢやと申しまする。花見に参らうではござらぬか。
▲立衆一「一段と。
▲立衆「良うござらう。
▲立頭「さあさあ。ござれござれ。
▲立衆「参りまする、参りまする。
▲立頭「今日は天気も良うござるによつて、ゆるりと慰みませうぞ。
▲立一「中々。ゆるりと慰みませう。
▲立頭「いや、参る程に、これでござる。案内を乞ひませう。それに待たせられい。
▲立衆「心得ました。《常の如く》
▲シテ「誰そ。どなたでござる。
▲立頭「私でござる。
▲シテ「こなたならば、案内に及びませうか。つゝと通りはなされいで。
▲立頭「左様には存じてござれども、お客ばしござらうかと存じ、案内を乞ひましてござる。扨、只今参るも、別なる事でもござらぬ。承れば、御庭の花が、盛りぢやと申しまするによつて、いづれもを同道致いてござる。何とぞ見せて下されうならば、忝うござる。
▲シテ「近頃易い事ではござれども、当年は、師匠の何と思はれましてやら、花見禁制と申し付けましてござるによつて、お目に掛くる事はなりますまい。
▲立頭「近頃、御尤ではござれども、いづれも例年、参り付けた衆でござる程に、こなたの御心得を以て、見せて下されい。
▲シテ「その上、今日は師匠の留守でござるによつて、猶々お目に掛くる事はなりませぬ。
▲立頭「お留守は幸ひな事でござる。何とぞ見せて下されい。
▲シテ「扨々、くどい事を仰せらるゝ。どうあつてもならぬと云ふに。
▲立頭「すれば、どうあつてもなりませぬか。
▲シテ「中々。なりませぬ。
▲立頭「それならば、かう参りまする。
▲シテ「はやござるか。
▲立頭「さらばさらば。
▲シテ「ようござつた。
▲立頭「はあ。
申し申し。今のを聞かせられてござるか。
▲立一「中々。これで承つてござる。
▲立頭「寺の花ばかりが花ではござるまい。これから東山へ参りませう。
▲立一「それが。
▲立衆「良うござらう。
▲立頭「さあさあ。ござれござれ。
▲立衆「参りまする、参りまする。
▲立頭「あゝ。いや。申し申し。これから寺の花がよう見えまする。
▲立衆「誠に、よう花が見えまする。
▲立頭「東山へ参るには及びませぬ。これで花見を致しませう。
▲立一「一段と。
▲立衆「良うござらう。
▲立頭「いづれも、下にござれ。
▲立衆「心得ました。
▲立頭「どれからなりと、さゝえを開かせられい。
▲立衆末「畏つてござる。さゝえを開きましてござる。
▲立頭「それならば、私からたべませう。
▲立末「それが良うござりませう。
《立頭より段々、順に注ぐ》
▲立一「今度は、私が酌に立ちませう。
▲立頭「ちと謡はせられい。
▲立一「心得ました。
《小謡。又、二番目より酌に立つ。色々、言葉あり。シテ、小謡を聞いて》
▲シテ「はて。合点の行かぬ。門前で、酒盛の音がするが。何者ぢや知らぬ。これはいかな事。あれは、最前の花見の衆ぢや。扨々、憎い事ぢやが。何としたものであらうぞ。
いや。なうなう。誰そ、おりやれ。
▲立頭「いや。誰やら呼びまする。行て参りませう。
▲立一「早う行てござれ。
▲立頭「心得ました。
何事でおりやる。
▲シテ「なぜに、こちの花を案内なしにお見やるぞ。
▲立頭「こゝな人は。それへ這入つて見てこそ、そちの花なれ。外から見るに、なお構やつそ。
▲シテ「いやいや。外から見ても、花はこちの花ぢや。それ程見たくば、花に神酒を上げさしめ。
▲立頭「そなたは、むさとした事を仰しやる。神にこそ、みきといふ事があれ。花に神酒といふ事はおりやるまい。
▲シテ「はながみと云ふ時は、花も神の内でおりやる。
▲立頭「これは聞こえたが、それならば、神酒を上げう程に、内へ入つて見せさしますか。
▲シテ「中々。内へ入つて見せうが、大勢はならぬ。そなた只いち人、這入らしめ。
▲立頭「心得た。あけてくれさしめ。
▲シテ「心得た。さらさらさら。
▲立頭「いづれも、引つ添うて這入らせられい。
▲立皆「《謡》奥も迷はじ咲き続く、木陰になみ居て、いざいざ花を眺めん。
▲シテ「こなたはなりませぬ、こなたはなりませぬ。
《と云うて、二、三人程は止むる。皆、無理に這入つて》
これは、いづれも皆、這入らせられたの。
▲立頭「一人見せさせらるゝも、皆見せさせらるゝも、同じ事でござる。いづれも這入りました程に、とてもの事に、ゆるりと。
▲立皆「見せて下されい。
▲シテ「仰せらるゝ通り、一人お目に掛くるも、大勢お目に掛くるも、同じ事でござる。それならば、いづれもゆるりと花を見させられい。
▲立頭「これは、忝うござる。さらば、お新発知に神酒を上げませう。
▲立一「それが。
▲立衆「良うござらう。
▲立末「はあ。神酒でござる。
▲シテ「これは慮外にござる。をゝ。恰度ござる。
▲立末「誠にちやうどござる。さらば、こなたも参れ。
▲立頭「心得ました。
《立衆へ残らず注いで》
扨、どれからなりとも、酌に立たせられい。
▲立一「心得ました。
▲立頭「ちと謡はせられい。
▲立一「畏つてござる。《小謡》
▲シテ「上々の花見になりました。
▲立頭「その通りでござる。
▲シテ「今度は私が酌に立ちませう。
▲立頭「一段と良うござらう。
《シテ、酌に立つて、小謡》
扨、一つ受け持つてござる。何ぞ、肴をなされい。
▲シテ「易い事。経を読みませう。
▲立頭「いや。申し。経が肴になるものでござるぞ。何ぞ小舞を舞はせられい。
▲シテ「何ぢや。舞を舞へ。
▲立頭「中々。
▲シテ「それならば、ひとさし舞ひませうか。
▲立頭「一段と良うござらう。
▲シテ「皆、謡うて下されい。
▲立皆「心得ました。
《「あはれひと枝」を舞ふ》
やんややんや。
▲シテ「舞ひましてござる。
▲立頭「殊の外、面白い事でござる。今度は私が酌に立ちませう。
▲シテ「それが良うござらう。
《立頭、小謡》
扨、一つ受け持つてござる。こなたも何ぞ、舞はせられい。
▲立頭「舞ひませうか。
▲シテ「それが良うござらう。
《短き事を舞ふ》
▲シ衆「やんややんや。
▲シテ「今度はこなた、酌に立たせられい。
▲立衆二「心得ました。《小謡》
▲シテ「又一つ、受け持つてござる。こなたも何ぞ、舞はせられい。
▲立二「私は、許いて下されい。
▲シテ「私も舞ひました程に、平に舞はせられい。
▲立二「それならば、舞ひませうか。
▲シテ「早う舞はせられい。
《又、短き事舞ふ》
▲立二「はあ。舞ひましてござる。
▲シ衆「やんややんや。
▲シテ「さらば又、愚僧が酌に立ちませう。《小謡》
▲立頭「扨々、今日はお蔭で、良い花見を致しまする。
▲シテ「幸ひ、師匠の留守でござるによつて、ゆるりと花を見させられい。
▲立頭「それは、忝うござる。扨、又一つ受け持つてござる。最前のは、余り短うござる程に、今度は、ちと長い事を舞はせられい。
▲シテ「お蔭で、殊の外、たべ酔ひましたによつて、今一つ舞ひませうか。
▲立頭「これは、一段と良うござりませう。
▲シテ「又、謡うて下されい。
▲立衆「心得ました。
《「放下僧」を舞ふ》
▲シテ「はあゝ。酔うた、酔うた。真つ平、許させられい。
《と云うて、真ん中へ寝る》
▲立頭「あゝ。申し申し。お新発知は、殊の外酔はれましてござる。
▲立衆「左様でござる。
▲立頭「いざ、戻りませう。
▲立一「それが。
▲立衆「良うござらう。
▲立頭「申し申し。いづれも戻りまするぞ。
▲シテ「あゝ。もはや、たべますまい。
▲立頭「その事ではござらぬ。いづれも、はや戻りますると申す事でござる。
▲シテ「何ぢや。戻る。
▲立頭「中々。
▲シテ「戻るならば、土産を進じませう。
▲立頭「それは、いらぬものでござる。
▲シテ「いやいや。苦しうござらぬ。
《「ぽつちり」と云うて、枝を折つて》
さあさあ。これを進じませう。
▲立頭「これは、忝うござる。
▲シテ「こなたへも、これを進じまする。
▲立一「これは、忝うござる。
▲シテ「さあさあ。後はいづれも、これへ寄つて、折つてござれ。身共は、殊の外酔うた、酔うた。
《と云うて、真ん中へ寝る》
▲立頭「さあさあ。皆、これへ寄つて、折らせられい。
《と云うて、立衆皆々、うち寄つて花を折り》
扨々、今日は良い花見を致いて、殊に土産を貰うてござる。さあさあ。いづれも、ござれござれ。
▲立衆「参りまする、参りまする。
《と云うて、引つ込む》
▲住持「ゆるりと用事を足してござる。定めて新発知が待つて居るでござらう。急いで罷り帰らうと存ずる。これはいかな事。庭の戸があいてある。はて、合点の行かぬ事ぢや。これはいかな事。庭の花を散々に折つた。扨々、憎いやつでござる。又、花見の衆を入れたと見えた。この新発知は、どこ元に居る事ぢや知らぬ。さればこそ、これに正体もなう酔ひ伏して居る。扨々、憎いやつでござる。
やいやいやい。このなりは、何とした事ぢや。
▲シテ「あゝ。もう、たべますまい。
▲住持「これはいかな事。その事ではない。身共が戻つたわ、戻つたわ。
▲シテ「何ぢや。戻る。
▲住持「今、戻つたわ。
▲シテ「それならば、土産を進じやう。
《と云うて、花を折り、差し出す。住持ゆゑ、肝を潰し、隠す》
▲住持「やい。おのれ、憎いやつの。よう花見の衆を入れたの。
▲シテ「いや。花見の衆を入れは致しませぬ。
▲住持「まだそのつれな事を云ふ。この花のなりは、何とした事ぢや。
▲シテ「あゝ。許させられい、許させられい。
▲住持「あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

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